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迷宮探索黎明期  作者: 南風月 庚
アムスタス迷宮編

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アムスタス迷宮#10 ウズナ-4

(手数が圧倒的に足りてない)

 ウズナはひたすら襲い来る死神の鎌をギリギリのところで躱し続けていた。周りでは騎士団や皇軍の兵士たちも斬りかかっていたが、彼らの攻撃はせいぜいかすり傷程度にとどまり、逆に蜥蜴を激情させているようだった。

(それにしても、厄介なのは、あの魔力の流れですね……っ)

 ウズナが間一髪で蒼炎の直撃を受けていないのは一重に彼女の体幹と魔眼によるものだった。揺れる最中でも体勢を崩さず移動することで辛うじて逃げ続けることが出来ていた。そして“蜥蜴”の吐き出す蒼炎が魔力由来のものであったため、魔力の流れを読む事によって発射を察知していた。

(それにしても、体表面を覆うあの魔力の流れは厄介すぎます)

 ウズナの目には“蜥蜴”の体表にも不自然な魔力の流れがあるのをみていた。それはまるで一種の鎧のようであり、騎士や兵士が斬りかかっても体表まで届いておらず、逆に剣を折る者もいた。ごく稀にその守りを突破し“蜥蜴”を斬るものがいても、“蜥蜴”自身の皮膚もかなり強靭のようで薄皮一枚斬るのがやっとと言うような有様だった。そのような状況の中で攻撃を続けるうちにウズナは“蜥蜴”の魔力の流れに合わせるように、且つ筋肉などの筋に沿うように斬れば少しは傷が深くなることに気づいた。しかし、魔力の流れは常に揺らいでおり、そのような瞬間はそうそう訪れるものではなく、もう200は切りつけただろうという回数の中でその瞬間を捉えられたのはわずかに過ぎなかった。さらに、それで傷を与えたところでわずかな出血しか与えられず、直ぐに回復されてしまった。逆に、イズナは常に気を張らなければ死ぬという状況で、否応なしに体力を削られていった。

「よしっ。次、は……」 

 今までで会心の一撃を与えたと感じた時だった。ガクッと膝膝から力が抜け、イズナはその場に尻餅をついてしまった。イズナの体感的には何時間も過ぎたように感じていたが、実際にはせいぜい5ウニミ(約10分)も過ぎてはいないだろう。しかしウズナの身体はまるで川に落ちたかのように汗に濡れ、さらに“蜥蜴”から飛んだ血や肉片が所々についていた。

「動か、ない、と……」

ウズナが今斬りつけた箇所はそこそこ深手になったようで血が流れ出ており、疲労から動くことのできなかったウズナは頭からその血を被った。騎士団員であることを示す白地の制服は赤黒く染まり、ウズナは余計動けない惨めさを噛み締めた。そして、目の前でたった今つけたばかりのその傷もすぐに回復されてしまった。

 そこで、周囲が静まり返っていることに気がついた。

「⋯⋯⋯?」

 ウズナは疑問に思い、顔を上げて辺りを見渡した。そこには凄惨な光景が広がっていた。周囲は無惨に焼けこげ、あちこちで煙が上がっていた。辺りに生きた人影はなく、目に入るのは先ほどまで共にいた人たちの変わり果てた姿だった。まともな人の形をしているものはなく、炭になって誰かわからなくなくなっているか、体のあちこちが歪にねじ曲がり、もしくは千切れて地面に血の海を作っている姿しかなかった。ーー今なお生き残っているのは、ウズナだけだった。

 ウズナはそれらを見とめると、“蜥蜴”を見上げた。“蜥蜴”と目があった瞬間、ウズナは立ち上がることも、剣を構えることもできず逃げようとした。先ほどまでは自身が生き残ることに精一杯で、“蜥蜴”の顔を見ていなかったのが幸いしていたのだろう。今、“蜥蜴”と目があった瞬間、その敵意に心が折られた。恐怖に体が震え、腰は抜け、みっともなく地面を這うことしかできなかった。先程まで体を突き動かしていた熱は冷え、立ち向かう勇気をなくしていた。それでもウズナの身体を動かしていたのは家族との約束だった。

――必ず帰る。生きて戻る。

 たったそれだけで、その気持ちでウズナは地面を這っていた。

 “蜥蜴”はウズナの様子から戦意をなくしたと判断したのか、息を吹きかけるように炎を吐いた。迫りくる炎の気配を感じながらウズナは必死に打開策を考えた。

(走って逃げる?)

(いえ、無理ね。もう間に合わない)

(防具は)

(そもそも軽装だし、あの蒼炎の威力の前に防具なんて意味がない)

(そもそもあの蒼炎は一体ーー?)

(焔に見えるだけの魔力の塊。恐らく魔術ではなく魔法)

(そもそも魔法が使える動物ってーー)

 そこまで考えが及んだ時、考えが浮かんだ。

(わたしは魔術は上手に使えなくても、マナの操作はできる。それにここの空間魔力量。だったらーー)

 ウズナは振り返ると怯みそうになりながらもしっかりと“蜥蜴”に向き直った。つぎの瞬間、ウズナの全身は炎に包まれた。


 竜はその様子をじっと見ていたが何かに勘付くとその火力を上げた。もはや焔という括りではなく強力な魔力がウズナのいた場所に浴びせられた。

 竜の焔が途切れた時、そこには全身から薄く白い煙を漂わせながらもしっかりと“蜥蜴”を見据えるウズナがいた。その身体は薄く青白い膜が全身を覆っていた。

「危な、かった……」

 思わずウズナの口からその言葉が漏れた。“蜥蜴”の体表の魔力の流れを模倣することで、辛うじて最初の焔は免れることができた。しかし、その模倣だけでは後が続かない事は明白だった。しかし、その僅かな時間でウズナはマナの流れで一つの陣を描いた。最も得意とする氷魔術、その原型となった陣を。

 それによりかろうじてウズナは自身を守ることに成功した。しかし、後先考えない魔力使用、そして今まで行ってきた練習を遥かに超える精密さを要求された魔力操作により、ウズナの意識は朦朧とし始めていた。それでも今度ははっきりと“蜥蜴”を見据えてウズナは立ち上がった。

「でも、まだ戦える」

 ウズナは剣を握り直すとそのまますれ違いざまに“蜥蜴”の足を斬りつけた。先ほどまでとは異なり、刀身に魔力を流すようにしながら。後世では熟練者ならば当たり前の技術とされるものだが、ウズナにとってはやったことの無い技術であるそれは、たったわずかな時間でさえ頭痛を生じさせるものだった。しかし、先ほどまでと異なり容易く深傷を与えることができた。

「よしっ、これでーー」 

 戦える。そう思った瞬間ウズナはまるで鉄柱で打たれたかのような衝撃を受けた。“蜥蜴”の振るった前腕に弾き飛ばされたのだと理解した時にはもう目の前に“蜥蜴”は迫ってきており、踏み潰そうとするところだった。咄嗟に地面を転がり避けると、立ち上がって側面から斬りつけようとした。剣が“蜥蜴”の脇腹、さらに言えば鱗に覆われていない部分を斬りつけた。1発、2発、3発。同じ部分を抉るように、何度も。魔力で強化しているとは言え、“蜥蜴”の肉はとてつもなく硬く、樹齢数千年もあるような大木を小刀で切り付けるようであった。今までの人生でこれほど正確に素早く剣を振るった事はないだろう。一瞬が無限に感じられるほどの時間の中で、ウズナは連撃を浴びせた。

(あと、いっ、かい!)

 ゆっくりと流れる時間の中で安全に攻撃できるのはそれだけと判断し、ウズナは全力で斬り付けようとした。斬りつけたとき、ウズナの手には先ほどまでと異なり鉄柱や石柱を木刀で叩いたかのような衝撃が伝わってきた。その反動でよろめきながら剣を見てみると、打ち付けたところを起点として剣に雷のような罅が入っていた。また、特にそうした覚えはないにも関わらず剣に纏わせていた魔力が無くなっていた。

(何故?)

 疑問に思ったのも束の間、ウズナは“蜥蜴” の頭突きで吹き飛ばされた。咄嗟に剣を間に挟んだものの、その衝撃で剣は罅の入った部分から粉々に砕けた。あらためて魔力を操作しようとした瞬間、言いようのないほどの激痛がウズナの頭を襲った。

「〜〜〜っ」

 ウズナは声も上げられずその場に崩れ落ちた。

 その機会を“蜥蜴”が逃すはずもなく、、尻尾が鞭のように振るわれてウズナに襲い掛かってきた。図体に似合わず正確に飛んでくる尻尾を視界の隅でとらえ、けれども痛みで避けることもできずにウズナはそのまま弾き飛ばされた。全身が粉々になるほどの衝撃がウズナを襲った。そしてウズナが身動きできないとみて取ると、“蜥蜴”は何度も何度もウズナを踏みつけた。それはさながら先程までウズナが行っていた事の仕返しのようであった。

 何度も地面が揺れ、竜の足元から鮮血が飛んだ。どれほどの時間が過ぎたか、繰り返し響いていた地響きがようやく止んだ時、地面は血を吸って黒く染まっていた。

 竜の足元でヒュー、ヒュー、と細い息を奏でながらウズナは辛うじて生きていた。しかし、それはもはや死んでいた方がマシと思われるほどの状態だった。

 仰向けにはなっているものの、何度も踏みつけられた時に微妙に位置が異なっていたのだろう。腕や足だけでなく胴体すら奇妙な方向にひしゃげ、捻れていた。擦り傷や打撲痕どころか開放骨折や複雑骨折の箇所も数えるのがバカらしく思えるほどだった。彼女の周りには、先ほどまでの衝撃で砕かれた剣や鎧の破片が、きらきらと夕焼けを反射し輝いていた。

 竜はソレを見つめると、捻れた四肢の一つを器用に掴みあげた。

 ブチブチと嫌な音が響き、血に霞む視界の中でウズナの左腕が引きちぎられた。

 その行方を目で追うと、左腕はそのまま“蜥蜴”の口の中へ消えていった。“蜥蜴”はウズナの左腕を飲み込むと満足そうにし、今度はウズナ自身を喰らおうと大きく口を広げた。

 このままではあと数秒のうちにわたしは食べられてしまうでしょう。

 ⋯⋯けれど、まだ、死にたくない。

 そう思うだけで、ウズナの身体はピクリとも動かず、ただ視界を覆っていく口を眺めていた。

(もし、私を食べるに値しないと判断すれば食べるのをためらうのでは?)

 まとまらない思考の中で、ウズナはぼんやりとそう考えた。

 もうほとんど機能していない眼を凝らすと、“蜥蜴”の喉を奥の方へと流れていく自身の魔力が見えた。幸いなことに魔力の流れはまだ繋がっている。それを認めると、ウズナは腕に残る全魔力を暴走させた。

 次の瞬間、竜は咳き込むような動きを見せ、次の瞬間ウズナは大量の冷気に包まれた。

 竜は何度か咽せるような動きを見せ、その度に冷気だけでなく血や肉片も吐き出し、ウズナはそれを避けることもできずに浴び続けた。


 竜は突然喉の奥に感じた衝撃が、目の前の動物の攻撃であると判断し、睨みつけた。しかし、その動物は自身の魔力によるものかそれとも先ほどの魔法攻撃によるものか、全身が凍りついていた。さらにまだ多少の魔力は持っていることから先程と同じことをこの大きさでされては割に合わない。致命傷は与えたし、急速に回復するわけでもないようだ。

 ならば放っておいても問題はないだろう。

 そう判断すると、翼を広げて竜は丘の上から飛び去った。

 

 揺れが収まり、翼を羽ばたかせる音が遠くなっていくことからウズナは生き延びることができたと思った。

 そうおもった瞬間、緊張の糸が解け一気に麻痺していた感覚がウズナに襲いかかった。

 心臓は痛いほどに脈打ち、その煩さで気が狂ってしまいそうだった。思考は空回りするかのように何も深く考えることができず、息を吸うだけでも億劫に感じるほどだった。全身から発せられる痛みはもはや一周回って何も感じないにも関わらず、全身を覆う凍えるような冷たさははっきりと感じていた。

「⋯⋯。」

 それでも生き延びようと回らない頭を働かせた。

(……ローブ、かあさま、の、ちゆ……しき……)

 けれど、とウズナは思った。

(じん、こわ……れ……)

 もはや確認する術はなく、確認して使えると判断したところで発動させる術が無い。仮に発動出来たところで、今の魔術ではここまでひどい状態から回復させられる術者はいない。つまるところ、もうウズナに打てる手は無いに等しかった。

(けど……、ここ……なら……)

 空間魔力量、そして“蜥蜴”の血や肉片。それらを使えば奇蹟も起こせるかもしれない。そのわずかな可能性に賭け、ウズナはローブの陣に魔力を通した。

 ーーバコンッ

 突然、心臓が変に脈打った。その痛みはすさまじく、ウズナは意識を飛ばしかけた。それからも、バクンッ、ドゴッ、と変な拍動は治まらず、その度に傷口からは鮮血が迸り身体は不規則に跳ねた。そして全身が燃えるように熱くなり、その熱は周囲の氷を溶かす程だった。

 しかし、その時には既にウズナの意識は消えかけていた。もはや自分が息をしているのか、そもそもまだ生きているのか自信がなくなるほどだった。

(なぜこうなってしまったのでしょう?)

 途切れそうな意識の中、ウズナは自分がまだ死んでいないことを意識するためにぼんやりと考え始めた。体調は万全に整えた。呪いについても練習でかけられた経験から違うように感じられる。また、呪詛対策も仕込んでいたことから呪われている可能性も低いでしょう。ここの空間魔力量は確かに多く、魔眼に集中すれば一面濃霧に覆われているような具合だったが、かといってこの丘の上に何か陣が刻まれていたような形跡も有りません。それにこの症状は呪いというより騎士団の訓練で猛毒がある果実を食べた時のようなーー。

(⋯⋯まさか、“蜥蜴”の血は毒だったの⋯⋯?)

 ウズナがその可能性に思い当たった直後、もはや感覚が絶えて久しい全身に激痛が走り始めた。一方で熱を持った感覚は消え、逆に骨身を蝕むような寒さを感じ始めた。うるさいほどなっていたはずの脈はいつの間にか消えて、身体はもうピクリとも動かなかった。

 そのうち全身の感覚が再び消えていき、痛みは重い疲れのような感覚へと変わっていった。もう何も視えず、何も聞こえず、何も感じることが出来なかった。地面に横たわっているはずなのに、自分の姿勢すらわからなくなった。

(まだ、死に、た……く、ない⋯⋯。し……にた……く……な……い⋯⋯)

 今自分は死にかけている。意識が消えたらダメ。その一心で、ウズナは必死に頭を働かせた。しかし、限界はとうの昔に超えていた。途切れそうな意識を繋ぎ止めようとしても、かき集めた端からそれ以上に意識が解けていくようだった。

 深い闇の中、家族の顔が浮かびました。

(お父様、お母怪、兄様、姉様⋯⋯。ごめんなさい⋯⋯。約束、守れそうに、無い、です⋯⋯)

 心の中で家族に謝ると同時に、ウズナの意識は闇に消えた。

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