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箱庭の乙女は守りたい  作者: ISTORIA
第三章 学院エンカウント
8/19

03‐02:環境整備


 打ち合わせが終わり、本格的な護衛は明日からと言われ、天音は花咲家の別邸の周辺を確認するついでに食材の買い出しへ出かける。

 小一時間の話し合いだったが、凪祇は疲労感を滲ませて大きな寝台に倒れこむ。

 枕に突っ伏すと深く息を吐き出し、小さく呻く。


「……何なんだ、彼女は」


 天ヶ崎天音は、これまでの護衛とは違った。

 笑顔を作らない。()(へつら)わない。(へりくだ)らない。(かしず)かない。主従の意識を感じないどころか淡々としている。

 まるで「仕事だから関わるのであって、仕事以外では興味がない」と言いたげな態度。


 凪祇は聖帝学院で高い支持率を誇る人気者。それは「花咲家の世継ぎ」という肩書も理由ではあるが、人当たりの好い社交性と優等生らしい生活態度を心掛けた結果。さらに付け加えるなら稀有な美貌は人心を掴み、老若関係なく魅了する。

 しかし、天音は類稀(たぐいまれ)な美貌に興味を持たないどころか、本質を見極め、悟り、距離感を定めた。的確に忠告するほど冷淡な態度で凪祇の本質を見抜いた。

 人間らしい感情を持っているが、堅苦しく接して関係を線引きしている。あらかじめ自分自身と守護者の地雷を教えたのも忠告だろう。


 ――平穏無事に生活したいのなら、必要以上に関わるな。

 必ずしも正しいとは限らないのだが、凪祇はそう解釈した。


「一筋縄ではいかないか」


 これまで信用ならない護衛はふるいにかけて解任させてきたが、今回は難しいだろう。

 天音自身も有能な人材であるということは判ったが、信用できるとは限らない。

 ひとまず数日は様子を見て判断しようと今後の指針を決めた。


「――ん……?」


 いつの間にか眠っていたようだ。

 目が覚めた理由は、不意に感じた食欲を刺激する匂い。

 起き上がってダイニングルームに行くと――


「わあ、マスターのごはん、おいしそー」

「ふふっ。アリエルの好きな鶏肉が入っているから、なおさらね」


 台所で天音が料理をしていた。

 隣には真っ白な髪の少女が、調理中の料理を見ている。

 一方、カウンター越しから眺めている黒髪の少女が尋ねる。


「ご主人様、後でお菓子を作ってもいいかしら?」

「もしかして、三時の?」

「そう。明日から仕事でしょう? 今日ぐらいお茶会しないと勿体無いじゃない」

「確かに。珠那のお菓子は美味しいから、すごく楽しみ」


 天音は珠那という黒髪の少女に満面の笑みを向ける。

 凪祇に見せなかった一面。それも、心から信頼を寄せる明るい笑顔。

 これまで見てきた誰よりも純粋で、綺麗な――。


「……うん、上出来。アリエル、珠那、一口どう?」

「いいの!? やったー!」

「ご主人様の手料理って久しぶり。……あ、美味しい。トマトソースの酸味が鶏肉に合って……お米でもパンでも合う味だわ」

「じゃあ、こんなもんでいいね。残りは夕飯にパスタにでもアレンジしようかな」

「それ絶対美味しいじゃない」


 でしょう、と無邪気に笑う天音を見ていると、凪祇の心臓が不自然に脈動する。

 力強い鼓動(こどう)に呼吸が詰まる中、天音は料理を盛り付ける。


 不意に、珠那が流し目で凪祇を一瞥する。どうやら気付いていたようだ。

 だが、それ以上に感情の読み取れない冷たい眼差しが印象に残った。


「後で声をかけてね」


 天音に明るい声色で一言残し、珠那が消える。

 凪祇が肩の力を抜くと、天音は台所から手料理を持ってくる。


「あ、花咲様。久遠寺さんならまだ来ておりませんが」


 凪祇に気付いて丁寧な口調で対応する。

 先程の温もりを感じさせる笑顔に柔らかな声音が嘘のような、淡白な無表情。

 小骨が喉に刺さったような不快感を覚えていると、天音の(そば)にいた白髪の美少女が、(またた)く間に可愛らしい服を着た長毛種の白猫へ変身した。

 百貨店で見た変身の瞬間だと思い返していると、アリエルが天音の足にすり寄る。


「マスター、ご飯冷めちゃうよ?」

「でも……」

「お世話係くんのお仕事をとっちゃダメだと思うの」


 アリエルに指摘され、天音はぐっと言葉を呑みこみ、軽く息を吐く。


「……そうね。まだ十二時じゃないし、久遠寺さんがいるんだし、任せましょうか」


 天音の言うとおり、時計を見れば十二時より三十分以上も早い。

 意外と早く食べるのかと思っていると、アリエルは強く頷く。


「それが一番! マスターは護衛さんだもん。食べられるときに食べないと大変!」

「護衛は明日からだけどね」

「でも、この家では自分で作って食べるんでしょ? タイミングは大丈夫?」

「手探りになるけど、たぶんね。無理なら作り置きでもすればいいから」

「難しくなったら頼って。真幸も珠那ちゃんも喜ぶもん!」

「ふふっ、うん。ありがとう」


 料理を食卓に置き、アリエルを優しく撫でる。ゴロゴロと上機嫌に喉を鳴らしてすり寄るアリエルの愛らしさに、天音は破顔(はがん)する。

 心の底から、とても満たされた笑顔――。


「ッ……はぁーっ」


 気付けば、凪祇は部屋に戻っていた。

 ふらふらした足取りでソファーに腰掛け、深く息を吐き出す。

 膝に肘をつき、組んだ手に(ひたい)をつけて(うつむ)く。

 思考を空っぽにしようと意識するが、脳裏に浮かぶのは天音の笑顔。

 消えない記憶に、また溜息を吐く。


「……あんな顔もできたのか」


 呟くと、胸の奥に熱が広がる。

 初めての感覚に眉を寄せ、眉間に(しわ)を作る。


「本当に何なんだ、これは」


 じりじりと(くすぶ)るような、不可解な熱。

 だが、嫌な気分にはならない。むしろ、胸を中心に広がっていく感覚が心地良くて――


「どうして……」


 また、あの笑顔を見たいと思うのか。

 また、この熱に浸りたいと願うのか。

 今までにない理解不能な感情が湧きあがり、凪祇は思考の海に沈んだ。



     ◇  ◆  ◇  ◆



 月明りがやけに強く感じる暗闇の中、一人の男が街中を走る。

 常人を超える脚力は、異能の効果。

 残像すら作らない神速、漆黒の黒服と頭巾で闇夜に溶け込む衣服だけではなく、街灯の明かりを()ける空間認識力。

 優れた技能を持ち得る男だからこそ、誰の目にも留まらない。


 ――ただし、それは人間の領分での話。


 男は建物の影を()うように駆け抜け、都会に数ある古びた工場跡地に踏み込む。

 人の気配を感じない。しかし、キラリと光る何かを見つける。

 素早く建物に入ると、暗闇の中から一人の男が現れた。


『守備はどうだ』


 異国の言葉で(たず)ねられ、部下である男は覆面越しで告げる。


(とどこお)りなく……と言いたいところですが、標的に新しい護衛が就きました』


 部下の報告に、上司は引き締めた眼差しを向ける。

 無言で促された部下は、簡潔に告げる。


『天ヶ崎天音。標的と同年齢、女性でありながら優れた能力を持ち、護衛一同との顔合わせの際、護衛隊長から太鼓判を押されるほどの実力者。異能名は【守護者】』

『……【守護者】? 【ガーディアン】のような召喚型か?』


 この世のありとあらゆる異能の情報は頭にあるが、初めて聞く異能名だった。

 上司の問いかけに、男は覆面越しで表情を強張らせる。


『召喚型の【ガーディアン】と異なり、護衛隊長を圧倒するほど強力です』


 標的の護衛隊長を務める者は、上司にとって危険人物であり警戒対象。その者を圧倒するほどの実力を持つとは、新しい護衛の能力は未知数ということ。

 しかし、実際に見ていないため危険度を推し量れない。

 映像記録か何か得ていないか尋ねようとした――が、声が出ない。

 それどころか、指一本でさえ体が動かない。

 疑問から一変し、麻痺しかける脳に混乱が到達した直後のことだった。


「残念でした」


 うららかな春の陽気と澄んだ青空を彷彿(ほうふつ)させる声がかかった。

 少し笑みを含んだ声色で、建物にその人物が踏み込む。


「貴方達に教える情報は無いし、見逃す理由もない」


 真っ暗な空間の中、暗視に長けた上司が目を向ける。

 長い髪を一つに纏めた人物は、華奢な体型から少女だと推定できる。


「ああそれと、服毒は無駄だから。すぐ治癒するし、貴方達から聞き出したいことがたくさんあるし。今のところは死なせてあげないけど覚悟してね?」


 少女は朗々(ろうろう)と残酷な現実を突きつける。

 すると、少女の背後から見慣れぬ衣装を着た男が現れた。

 狐の耳に四本の尾を持つ和装の青年は、ニコニコと上機嫌に笑っている。


「ご主人、これからどうする?」

「桜華に毒薬を浄化してもらって、縄抜けもあるから(かせ)をつける。そのあと魁とオベリオンにこの二人と他の子達を転移してもらおうかしら。……っと、口調が迷子った」

「ここには俺達しかいないし、ご主人の自由に話せばいいじゃん」

「……それもそうね」


 コロコロと表情を変えながら話し終えると、二人は男達に薄い笑みを向ける。


「そう言うことだから諦めてね? 密偵さん」


 にこやかな天音と相反し、男達は絶望した。




 国宝級の重要人物、花咲凪祇の邸宅で住み込みの護衛を務めることになり、天音はさっそく邸宅の周辺に仕掛けを(ほどこ)した。

 天音の守護者・真幸の『迷い家』としての権能『防犯』を駆使し、「悪意や害意を持つ者の意識下から邸宅を消す」という設定を敷地の全域に組み込んだ。

 おかげで邸宅を狙う襲撃者の予防になり、副次効果で凪祇の監視を兼任する護衛から他国の間者が紛れ込み、泳がせて密偵と密談している瞬間を取り押さえられた。

 護衛開始から僅か三日で功績を打ち立てた天音の手腕に、同僚は驚嘆し、彼等を統括する護衛隊長から信頼を勝ち取った。


「はぁ~」


 とはいえ、深夜に活動した上での早起きは厳しい。

 朝食を作るにしても心身の倦怠感(けんたいかん)が抜けない。


「桜華……回復、お願い……」


『桜の精』桜華を呼ぶと、天音の目元に手を置いて『万能治癒』を施す。

 肉体・精神・病気、あらゆる(さわ)りを治療する光を受けて気分が軽くなる。


「主様、朝食でしたら珠那にお任せを。もう少し休んでいいのよ」

「……ん。じゃあ……珠那。昨日買った魚で、お願い、ね……」


 うとうとしながら珠那を呼ぶと、彼女は天音の願いに応えて部屋から出る。


「珠那が朝食を作り終える頃に起こしましょう。さあ、おやすみなさい」


 桜華の柔らかな声が鼓膜(こまく)を優しく刺激する。

 穏やかな温もりは心地良く、すぅ、と意識を手放した。


 微かな寝息を漏らす天音に安心した桜華だが、不快感が胸の奥で燻る。

 朝だというのに疲労感が抜けていないのは無理もない。


 先達の護衛の中に密偵が潜んでいた。この数日は気を抜けず、護衛対象だけではなく自分の情報が敵に渡らないよう身内をふるいにかけていたのだ。

 真幸が施した『防犯』の(にせ)の効果を周囲に告げることで、個々人が腹の内に害悪を抱える者を見極め、守護者達の能力を余すことなく駆使した。

 排除した密偵の数は予想を上回り、背後に潜んでいる間諜(かんちょう)を捕まえ、国内に蔓延(はびこ)る敵組織の情報を引き出した。


 とはいえ密偵の中には精神系の異能が通用しない者もいたため、珠那が『祝福物作成』を用いて作った『受心(じゅしん)眼鏡』で(あば)いた。

 精神に作用する心理型異能への抵抗(レジスト)は訓練すれば身につくが、「心の声・深層心理」を〝視る〟嘘発見器には抵抗手段がない。

 ただし流出すると危険な代物なので、天音が厳重に保管し、天音に認められた者のみが使用を許される不文律(ふぶんりつ)ができた。


 密偵や敵の捕縛は三日間で完了したが、二日もかけて情報を洗い(ざら)い〝視て〟回った。

 昼間は凪祇の護衛を果たしながら、やっと終わったのは日付が変わった深夜。

 ようやく安心できる環境を整えるのに六日間もかかってしまい、新学期当日を迎えた。


「真面目すぎるのも問題ね」


 手を抜いてもいいのだが、これは天音の環境作り。依頼主である花咲伊緒理や護衛隊長から着任早々で無理をし過ぎだと言われ、しかし天音の個人情報が流出すれば護衛も難しくなる可能性が高くなると返し、上司を巻き込んで徹底的に(ほこり)を叩き出した。

 短期間で護衛部隊の問題を発見してすぐ一掃し、さらに有益な情報を敵から奪った。

 天音の実力を垣間見(かいまみ)た護衛隊長は認めざるを得なく、天音は護衛部隊の主戦力として確固たる地位を築き、当初は反対していたあらゆる権限を限定的に預ける(むね)を承認した。


 最高の結果を出せたのはいいが、天音が無理をし過ぎるのは問題だ。

 だからこそ天音にとって一番の『家族』である守護者達が支えるのだと固く誓った。


「女性の部屋ですのに、戸を叩くことすらしないとは不躾(ぶしつけ)ではありませんこと?」


 その時、部屋の扉が開いた。

 桜華が目を向けることなく冷徹な声色で言い放つと、無遠慮に入室した人物――凪祇は困り顔で苦笑した。


「まだ寝ていると思ったんだ」

「それで許されるとでも? 躾のなっていない子は嫌いですわ」


 はっきりと嫌悪を告げれば、凪祇は肩を(すく)める。


「今日から新学期、彼女にとって大切な日だ。その自覚はあるのかい?」


 未だに眠っている天音に、凪祇の護衛としての自覚を問う。

 柔らかな物腰で厭味(いやみ)な指摘をする凪祇に対して、桜華の眉が微動する。


「そうでなければ珠那に食事の用意を頼みません。そも、わたくしが無理矢理眠らせていますの。文句がおありならわたくしにおっしゃりなさい」

「無理矢理……?」


 桜華の言葉に引っかかって復唱するが、彼女は敵意を持って凪祇を流し見る。

 威圧を浴びて無意識に後ろ足を引くと、誰かの手が肩に置かれる。

 反射的に振り返れば、そこには台所で料理しているはずの珠那がいた。


「ぬくぬくと守られているだけで、守ってくれるご主人様を知ろうともしないなんて、とんだ甘ちゃんだわ」

「なっ」


 凪祇が文句を言う前に、珠那は嫌悪が込めた声で吐き捨てた。

 反論しようと口を開くが、珠那に胸倉を掴まれる。


「ぐっ」


 呻くが、目を合わせた途端に声が詰まる。

 相手は頭一つ分も小柄な少女だというのに、珠那の気迫は刃物のように鋭い。

 体の奥が冷えるほど恐怖を覚える凪祇に向けて、珠那は殺意を込めて睨む。


粗探(あらさが)しばかりで何も見ない低俗(ていぞく)(いや)らしいクソガキが、偉そうにするんじゃないわよ」


 過去最高の毒を吐き、凪祇を引きずって部屋から追い出した。

 ふんっと鼻を鳴らしても気持ちは晴れず、扉を睨む目付きは(やわ)らがない。


「……桜華……? 珠那……? どうしたの?」


 しかし、天音の声を耳にしただけで荒れ狂う心が静まる。

 しょぼしょぼと目を擦りながら起き上がる様子を観察すると、顔色がよくなっていた。

 ほっと安心した珠那は、込み上げる衝動に身を任せて天音に抱きつく。


「珠那?」

「ご飯ができたわ。一応お弁当も作ったから、感想を教えて」

「うん、もちろん。珠那のご飯は美味しいもん。楽しみだなぁ」


 ふふっと笑う天音の笑声に心が癒される。

 ようやく気持ちが落ち着いて、珠那は【希望の箱庭】へ帰還した。


「さあ、主様。そろそろ時間よ」

「え? あ、本当だ。ありがとう」


 天音の素直な感謝が込められた笑顔を見て、桜華は決意を心に刻む。

 この笑顔が(くも)ることのないように、何に変えても守り通すと。



     ◇  ◆  ◇  ◆



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