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箱庭の乙女は守りたい  作者: ISTORIA
第二章 箱庭ワールド
4/19

02‐01:警視庁にて

 天音の存在が政府に知られてしまった。

 もはや隠しきれなくなった彼女に提示された選択は二つ。


 一つ、聖帝学院に編入し、軍事組織『警察庁・国軍・花筐退魔局』への就職を目指す。

 一つ、国宝異能者である花咲家継嗣(けいし)の護衛に就く。


 前者は、一般と変わらない学生生活を送ることになるが、異能者としての情報を個人的な理由で秘匿(ひとく)していたため、国の規律を乱したことへの処罰が課せられる。

 後者は、平和の(いしずえ)として連綿(れんめん)と続く花咲家の嫡子を守護することで、様々な特権と好条件で優遇され、処罰に関しては罷免(ひめん)と処理される。

 どちらも選ばない道もあるが、身柄を拘束され、終身刑の形で幽閉される。回避するには国外へ亡命するしか道はないが、恩義ある天ヶ崎家が犠牲(ぎせい)となる。


 将来を考えると、取れる選択は一つのみ。

 それでも天音は自分の意志で道を決めた。

 たとえ艱難辛苦(かんなんしんく)が待ち受けていようとも、大切な『家族』と生きるために。



 未来を定めてから数日後、養父・天ヶ崎明に連れられて警察庁の本部に訪れた。

 熱線反射ガラスと防弾ガラスを合わせた複層ガラスが張り巡らされた、堅牢(けんろう)摩天楼(まてんろう)

 建物の内部も細部にわたって威光を見せつける重厚な意匠。

 想像以上に贅が凝らされ、機能性の高い建造物に圧倒された天音は委縮(いしゅく)する。


「怖いか?」

「……どっちかというと、不安。これから警視総監と花咲家の当主に会うんだから」


 大丈夫かな、と不安を滲ませた天音の声。

 仕方ないと思うが、明は注意する。


「今は俺だけだからいいが、相手は目上であり国の重要人物だ」

「うん、敬語と〝様〟や〝殿〟をつければいいんだよね?」

「そうだ」


 気をつけるようにと言われ、天音は意識するために心に留めた。

 エレベーターが停まり、扉が左右に開く。真紅のカーペットに、飴色の壁に光沢を与えるガラス製のシャンデリア。その先には重厚な樫の木の扉が取り付けられていた。


 扉の前には、サングラスに黒い背広姿の男が二人。

 体格も優れた(いか)つい警護員に、天音は内心で気圧(けお)される。


「花筐退魔局総督、天ヶ崎明です。入ります」


 明は扉を軽く叩いて告げると、返事を待たずして扉を開く。

 目を見開いた天音だが、明に続いて恐々(こわごわ)と入室。

 街を見渡すガラス張りの壁と、マホガニー製の重厚な机。

 執務用の机の近くには革張りのソファーが一脚、肘掛け椅子が二脚、間に低い長机が一台、設置されている。

 上等な椅子に座って万年筆を紙面に走らせる茶髪の女性は、紙面に判を押した。

 判子を机の脇に置き、疲労感を滲ませる吐息を漏らして背凭(せもた)れに寄りかかる。

 一息ついたのか、彼女は理知的な眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。


「待たせたな」

「いえ、それほど待っておりません」

「――明」


 女性が鋭い眼差しを明に送る。

 不機嫌そうな硬い声音に、彼はせめてもの抵抗を見せる。


「ここには娘がおります」

「お前の娘なら構わん。伊緒理(いおり)もそれを望んでいる」


 男性的な口調で、チラリと応接セットに目を向ける。

 漆黒の髪に日長石(サンストーン)の如し橙色の瞳の優男風美男が、上質な肘掛け椅子に座っていた。

 暗めの暖色系が主体の和装を着こなす彼は、(ほが)らかに笑いかける。

 気さくな笑顔を向けられた明は、やれやれと苦笑い。


「……仕方ないな」


 (うやうや)しい対応から一変した、気楽な態度。

 堅苦しさの無くなった明に満足した女性は椅子から腰を上げ、右手を向ける。

 無言で座るように示され、明に肩を叩かれた天音はおずおずとソファーへ座る。

 明の正面、男性の隣の肘掛け椅子に女性が座ると、彼女から話を切り出す。


「まずは自己紹介だな。私は久遠寺(くおんじ)清香(きよか)。警察庁の警視総監だ。で、こっちが――」

「花咲伊緒理と申します」


 尊大な清香と(こと)なり、伊緒理は丁寧な口調で名乗った。

 対照的な二人に戸惑いつつ、天音は綺麗な作法を意識しながら会釈(えしゃく)した。


「天ヶ崎天音と申します。よろしくお願いします」

「ああ、それと。私のことは名前で呼ぶように」

「え?」


 初対面のはずだが、名前で呼ぶことを許された。

 きょとんと目を丸くする天音の反応に、清香はニヤリと笑う。


「これでも子供がいてね。二人目は君と同年代だから、名字で呼ぶとややこしくなる」


 子持ちとは思えない若々しい美貌の持ち主だが、明と同年代なのだと後に知る。

 親しもうとする清香の申し出に、天音は躊躇(ためら)いがちに頷く。


「わかりました。……清香さん」

「それでいい」


 満足そうな笑みを浮かべる清香。その隣で伊緒理が目を細める。


「相変わらずですね、清香は。なら、僕のことも『伊緒理』と呼んでほしい。息子の護衛にあたるのなら名字だと区別がつきにくいですから」

「え、えーっと……伊緒理様?」

「〝さん〟で構いません」


 事前に教えられた礼儀とは、いったい何だったのか。

 天音が目を(しばた)かせて隣に目配りすれば、明は気まずそうに視線を()らす。

 明もこの展開は予想していなかったようだ。


「お前のことは明から聞いている。生家で虐待を受けていたそうだな」


 ふと、笑みを消した清香の一言。

 浅く息を呑んで向き直れば、清香は沈痛な面持ちで天音を見つめる。


「聖人型の異能者の家系なら大体の想像はつくし、過去の記録を見た。暴力は異能で治療されていたのなら訴える判断材料を消される。裁判にこぎつけるまで大変だっただろう」


 記録だけとはいえ、天音の境遇(きょうぐう)を言い当てていた。

 だが、一つだけ違いがある。


「……あの。治療は……異母妹が放棄(ほうき)した以降からされていません。いつも桜華が……異能で生まれた守護者が治してくれましたし、【箱庭】に入ればすぐに()えるので」


 訂正すると、清香と伊緒理は目を(みは)る。

 明は天音の異能と桜華が保有する特殊能力を知っているので反応はない。


「異母妹……秋篠麻菜美、だったな。対象を平常状態まで回復させる【平癒】を超える、聖人型の異能【快癒】の保有者。聖帝学院の天職学科ではA組に入るほどの腕前だと評判だが……そういうことか」


 天音の遍歴(へんれき)を調べたのなら、関係者全ての情報を知って当然なのだろう。

 今も昔も赤の他人だが、麻菜美が出世組と()(はや)される教室に(せき)を置いていると知り、胸の奥から不快感を覚える。


 麻菜美が上級異能者として相当な実力を持つのは、天音が受け続けた暴力の(あと)を異能で治療していたから。

 最初は面倒臭がったが、自分の異能を把握(はあく)できる絶好の機会だと説かれ、天音を都合の良い被検体(ひけんたい)として(あつか)った。

 生きて尊厳を守られる被験者(ひけんしゃ)が羨ましくなるくらい非人道的行為が()り返された。

 やがて制御能力まで(みが)き上げ、衣服で見えない箇所(かしょ)はわざと治さなかった。

 苦痛に(ゆが)む天音の顔を見るのが好きだからと(のたま)い、麻菜美は(わら)った。

 陰惨(いんさん)な過去を思い出した天音は、無意識に胸倉を掴む。


「天音?」


 血の気が引いた天音の顔色に気付いた明が呼びかける。

 明の声で、「今は昔ではない」のだと意識して現実に戻る。

 深呼吸とは言えない浅い呼吸で我を保つと、苦笑を浮かべてみせた。


「……大丈夫。ちょっと、思い出しただけだから」


 心の傷は根深く、きっかけがあれば鮮明に(よみがえ)る。

 未だに癒えてくれないが、平静を()(つくろ)う技術を磨いたおかげで体面は守られるはず。


「失礼しました。取り乱してすみません」

「天音、すまないが経験した全てを教えてくれないか」


 低頭で謝意を(しめ)したが、清香の発言に心臓が嫌な音を立てる。

 強張(こわば)った表情で清香を見れば、彼女だけではなく伊緒理も怖いくらい真剣な顔で天音を見据えていた。


「ほんの少し話題に出しただけで、そんな顔色になるくらい悲惨なのだろうとは判る。それでも私達はどれほど酷いことなのか、はっきりとまで理解できない」


 天音が経験した心の傷を、(うち)に飼う闇を、全て知りたいのだと清香は言う。

 好奇心だけではないと理解できるが、天音は逡巡(しゅんじゅん)する。


「天音さんの心の傷を(あば)いてしまう。それはご自身を傷つける行為に等しいことです」


 腰を上げた伊緒理は、口を引き結んだ天音に歩み寄ると、固く握り込んだ手を取る。

 手のひらに爪を立てているのだと察するくらい、強い握り拳。

 伊緒理は痛ましげに眉を寄せ、両手でその手を包み込む。


「この場で君の心を傷つけてしまうのは僕達も心苦しい。ですが、天音さんを傷つけた元凶の一人が学院にいる以上、僕達は知らなければなりません」


 我が子の護衛を(にな)うだろう天音が万全に活躍できるように。そして、機を(うかが)い我が子に近づく人物が、どれほど危険なのか把握するために。

 天音の心を守るためだと言わないのは、護衛を依頼する側の立場にいるから。

 けれど、それが彼等なりの誠意だと感じ取った天音は、グッと息を呑む。

 きつく瞑目(めいもく)し、様々な葛藤(かっとう)()て、(まぶた)を開ける。

 太陽と月を彷彿(ほうふつ)させる異色の双眸(そうぼう)に強い覚悟が宿り、伊緒理は呼吸を止めてしまう。


「わかりました。とても不快な気分にさせてしまいますが、ご了承ください」

「……っぁ……はい。ありがとうございます」


 我に返った伊緒理は取留(とりと)めない心持ちで礼を言い、椅子へ戻る。


「天斗」


 口頭で説明するだけでもいいだろう。だが、実際の光景を見た方が早い。そう判断した天音は、狐の耳に四本の尾を持つ狩衣(かりぎぬ)姿の美青年――天斗を呼んだ。

 どこからともなく現れた天斗にギョッと目を見開く初見の二人。


「呼んだぁ?」

「うん。天斗、ごめん。秋篠家での過去を全部、二人に見せてほしいの」


 大切な『家族』に嫌な仕事を頼むのは心苦しいが、一番の適任者なのだ。

 真っ先に謝った天音に瞠目(どうもく)した天斗は、普段の狐目に鋭利な剣呑(けんのん)さを帯びる。その目で清香と伊緒理を流し見し、やがて「なるほどねぇ」と溜息(ためいき)一つ。


「せっかくだからさぁ、明にも見せてい~い?」

「えっ」


 まさか明まで巻き込むことを提案されるとは思わなかった。


「……お父さん」

「頼む」


 躊躇いがちに(たず)ねようとしたが、それより早く答えを返した。

 食い気味な明の勢いに驚く天音だが、彼の金の瞳に宿る覚悟を天斗は受け取った。


「それじゃあ目を閉じて。桜華姐さんから受け取った記録を全て、一気に見せるから」


 真っ先に天斗の指示に従ったのは明だけ。

 天斗の特殊能力を知らない二人は、明の行動を信じて目を(つむ)る。


「――はぁ。唐突(とうとつ)だねぇ、ご主人」


 瞬く間に妖術を発動したようで、天斗は溜息混じりで三人から意識を逸らす。


 (ゆた)かな金毛(きんもう)が美しい四本の尾と狐耳を持つ見目麗しい青年姿だが、(かたど)るものは日本国の古い文献(ぶんけん)に登場する妖狐の中で、最も力を持つとされる「天狐」。

 妖力を磨き強くなるほど尾の数が増える妖狐で、日本三大妖怪の一角を担う「玉藻前(たまものまえ)」のような白面金毛(はくめんこんもう)九尾(きゅうび)の狐が有名どころ。

 尾が最大数まで増え、更に年月を経ると尾の数は減り、千年で四本の尾を持つ天狐へ至る。もっと長生きすれば、尾を持たない「空狐(くうこ)」が最終形態だと文献にはあるが、天狐が最強の妖狐だと天音の前世の知識に残っていたため、魁の後に天斗を創造した。


 天音が創造する守護者は人間と同等以上の()(しろ)があり、自ら成長する可能性の(かたまり)

 生み出された時点で最強の妖狐。そこから更に力を磨けば、どんな妖術も気付かれぬ間に行使できるまで力をつけた。

 僅かな予備動作すら悟らせないあたり、天斗なりのプロ意識や(こだわ)りがあるのだと判り、自然と(ほお)が緩んでしまうくらい微笑ましい。


「ごめんね。えっと……どれくらいかかりそう?」


 世界樹『神桜』が(たくわ)えた、天音の人生記録。これを普通に見るなら数日もかかる。

 天音は記録された量を思い出して少し焦るが、天斗なりに配慮したのか要所を繋ぎ合わせ、重要な場面はしっかり見られるように調整しているそうだ。


「ご主人が奴等に引き取られた日が序幕。役所での一幕と、すぐ起きた暴力、再調査の後からの暴力や、奴等の言動と、その他諸々……あ、『箱庭』を創る場面は(はぶ)いたよぉ」

「ありがとう。じゃあ、私が助け出されるまでの記録?」

「そ。数年ぶりに明と再会した瞬間まで。中断させないから、終わるまで解放しない」


 彼等は現在、天音の身に起きた生き地獄を追体験している。天音の過去に土足で踏み込んできた清香と伊緒理には、天音が経験した全ての苦痛まで盛り込んだ。

 天斗なりの腹癒(はらい)せなのだが、施術した内容を詳しく知らない天音は、明と違ってどんどん顔色が青ざめて脂汗(あぶらあせ)まで浮かび始めた二人に嫌な予感を覚える。


「……桜華を呼んだ方がいい?」

「まあ~胆力(たんりょく)を鍛えていたとしても、終わる頃にはグロッキーは確実だからねぇ~」


 飄々(ひょうひょう)と笑う天斗。

 これは怒られそうだと天音は悟り、桜華を呼ぶと後で治癒を施すように頼んだ。

 桜華は【希望の箱庭】の要・世界樹『神桜』から発生した大精霊――という設定で生み出された異能生命体。

 設定通り『世界樹の大精霊』である桜華は神桜を通して、創造主たる天音の身に起きた全ての事柄を把握している。

 今回ばかりは天斗を(しか)るだろう――


「よくやりました、天斗。それでこそ主様の守護者です」

「でしょ~?」


 ……と思いきや大絶賛。

 過保護組の筆頭だからこそ、天音を傷つける者は何人たりとも見逃したくない。

 もはや執念(しゅうねん)すら感じる桜華の満足そうな笑みに、天音は苦笑いを禁じ得なかった。


「――っ……うっ……!」


 追体験が終わったのか、カッと目を見開いた伊緒理は前屈みに背中を曲げる。

 警視総監の清香でさえ吐き気が(おさ)えきれない。


 天音は慌てて「桜華、お願い」と呼びかけ、桜華は二人に手のひらを向ける。

 瞬間、桜色の淡い光が二人を包み込む。

 温かくて優しい光が、肉体的苦痛だけではなく精神的苦痛をも癒す。

 あっという間に顔色が回復する。しかし、清香は全身から力を抜いて背凭れに寄りかかり、伊緒理は項垂(うなだ)れた状態から姿勢を戻せない。


 唯一苦痛を与えられなかった明は、脱力した姿から天斗が行使した術の内容に気付く。


「天斗、俺には?」

「明は二人と仲がいいんでしょお? 桜華姐さんのケアだけじゃあ立ち直れないと思ってぇ」


 本心は、天音の平穏を(おびや)かす存在への報復(ほうふく)と釘差し。

 配慮したのだと言っても、天斗の性格を知る明には彼の苛立(いらだ)ちが透けて見えてしまう。


「……帰ったらもう一度だ。今度は二人と同じ内容で頼む」


 明け透けに宣う天斗をジト目で(にら)んだ明は溜息混じりで言い、隣の給湯室へ入った。


「真面目すぎるなぁ~、ホント」


 ただでさえ気分が最悪になる記録だというのに、天音が受けてきた肉体と精神の苦痛の再現を求めたのだ。

 大切な(めい)であり娘であるからこそ、ちゃんと知った上で理解したい――その気持ちを強く感じた天斗は呆れたような口ぶりだが、明の気骨(きこつ)感銘(かんめい)を受けた。

 主人を生き地獄から救っただけではなく心から愛しているのだと知っているからこそ、明を高く評価している。


「一応加減したから言うけどぉ、ご主人が受けた仕打ちはもっと酷いし、追体験した苦痛もあれ以上が日常なんだぁ。それをそっくりそのまま追体験するなんて、普通じゃあ発狂どころか廃人になるよぉ」


 のんびりした明るい口調だというのに圧が強い。

 椅子に凭れたままの清香は天斗に目を向けて、ゾッと背筋が凍る。


 とても綺麗な満面の笑みだが、目は笑っていない。

 天斗の言うことは誇張(こちょう)ではなく真実なのだろう。あれで手心が加えられた追体験なのだと知り、清香は血の気が引き、伊緒理は口に手を当ててえづく。

 天音は、組織の頂点に立つ大人でさえ身の毛が弥立(よだ)つどころか吐き気を(もよお)すくらい酷い過去なのだと、二人の様子を見て改めて実感した。


「あの生き地獄をぬるま湯設定で追体験して、この為体(ていたらく)かぁ。花咲家の当主はともかく、警視総監がそんなので大丈夫なのぉ?」

「天斗、二人を責めるのはその辺にしてくれ。天音が()(たま)れないようだぞ」


 戻ってきた明が天斗の口撃を(たしな)めるが、清香と伊緒理への温情ではない。

 申し訳なさそうな顔で縮こまる主人の姿に気付き、天斗は慌てて「ごめんねぇ」と天音の背中を撫でる。


 間違っても清香と伊緒理には謝らないのは、天音の過去を知る覚悟が未熟だったから。軽い覚悟で(のぞ)んだ二人にぬるま湯程度の追体験をさせた結果に、海より深く失望した。

 だからとはいえ弱っている二人を責めるのは間違っているのだが、天音を見守ってきた守護者達の想いを痛いほど理解しているからこそ、明は強く叱れない。


「天斗、訂正する。二人と違ってそのままの追体験で頼む」

「えっ!? お父さん、それは駄目……!」


 多少軽減した追体験なのに、警視総監でさえ満足に動けなくなった。

 大切な家族にそれ以上の苦痛を与えたくなくて止めようとするが、明は首を振る。


「天音がどれだけ苦しんだのか、ちゃんと理解したい。だから天斗、手心はいらない」

「明がいいならそうするさぁ。ご主人には悪いけど、彼の覚悟を(けが)しちゃ駄目だ」


 天音の守護者であっても、主人の間違いを指摘する。『家族』だからこそ、ただ甘やかすのではなく対等な心理的距離で接しているのだと、この一幕で清香は理解した。


「精神が弱った時は甘いものが効く。天音も、これを飲んで落ち着け」


 給湯室でミルクティーを作ったようで、明はそれぞれにマグカップを配った。

 ちなみに明本人は、高級な豆で淹れたコーヒーだ。


「ありがとう、お父さん」


 律義にお礼を言う天音の表情は柔らかい。甘いミルクティーを飲めば、ふわりと柔らかな笑顔が浮かぶほどリラックスする。

 対する天音の過去を追体験した明達は、その笑顔を見るだけで胸が苦しくなった。


「……強いな、天音は」


 ぽつりと言葉をこぼしたのは清香だった。


 桜華の癒しの力を施されても、あの追体験が脳裏に(よぎ)るたびに心が(えぐ)れ、気力を失う。

 普通の女子供なら早々に命を投げ出しているだろう苦痛を文字通り身体に刻まれた天音は、完全に壊れることなく心の傷を背負い続け、今日まで生き抜いた。自分を見失わず、善性を捨てず、自然体な笑顔を浮かべられるほど成長した。


 果たして自分は、彼女と同じように生きられるだろうか。

 三人は()しくも同じことを考えて、同じく否定に至る。

 大人に成長した今なら、あの拷問と言える悪意に耐えられるだろう。

 だが、純真無垢で柔らかな心を持つ幼子では生存すらままならない。


 (いわ)く、上級異能者があの手この手をもってしても解明されなかった未知の異能を、天音は六歳の時点で行使した。

 他人に頼らず、自力で。

 奇跡的な異能のおかげで生きられたのだとしても、同じ行動をとれる確率は限りなく低い。

 天音だからこそ異能は(こた)えたのだ。


 聖帝学院に入学しなかったのは実父が原因だったが、解放されても入らなかった。

 その理由は、天音の異能によって生まれた守護者達の精神を安定させるため。

 未成年を理由に法的な裁きから逃れた麻菜美は、今でも聖帝学院に通っている。

 生き地獄の元凶と鉢合(はちあ)わせでもしたら、守護者達はその場で報復していただろう。

 ――否。目の前にいなくても、元凶が地に()ちるように裏で画策(かくさく)したはずだ。


 天音自身も心の平穏を取り戻し、精神的苦痛から解放されるまで隠れるつもりだった。

 冷静な判断があってこそ、今の天音へ精神が仕上がった。

 やっと安定した今、高校進学の段階で聖帝学院に編入する予定だった。

 それが先日の騒動で台無しになってしまったわけだが……


(好都合……といったら、彼女は怒るでしょうか)


 百貨店の騒動を解決したおかげで、天音の存在と価値を知った。

 これまでの護衛役にはない底知れぬ実力を持つ、息子と同年代の少女。

 つい最近、以前の護衛を担った者は挫折(ざせつ)により任を解かれたばかり。

 まさに神に(みちび)かれた出会いだと、少なくとも伊緒理は感じた。




2025/04/16:「天職学級」→「天職〝学科〟」へ修正

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