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箱庭の乙女は守りたい  作者: ISTORIA
第一章 平穏コラプス
3/19

01‐03:踏み出す覚悟

2025/04/16:一部微修正しました。

 総合百貨店の二階で一番広い空間に、一階建ての一軒家があった。

 広間を陣取っているが、おもちゃの家と言っていい小さな外観。

 しかし、扉を開ければ見た目とは裏腹に広く、いわゆるアスレチック施設と同等の内装で、幼年から中学生までの子供が遊べるほど丈夫な造り。


 元気な子供は無邪気にはしゃぎ回り、怪我で動けない子供はアリエルの猫らしい仕草のおかげで心を癒し、子守ができている。

 出口で見守っているオベリオンは笑顔の仮面の下ではげんなりと気疲れしていた。


 ふと、オベリオンは扉が開く気配を感じて立ち上がる。

 妖精の翅に興味津々の子供はあからさまに残念がるが、オベリオンは気に留めない。


「おかえり、マイ・ロード」


 無事に戻ってきた天音へ優雅にお辞儀する。

 一拍後、おもちゃの家が霧散するように消え、真幸が姿を現す。


 楽しい夢から覚めたような感覚で、子供達は辺りを見回す。

 狐に(つま)まれた、という言葉が頭に浮かぶ彼等の様子に、天音は小さく笑った。


「三人とも、お疲れ様。怪我人は?」

「十人は超えるかな」


 オベリオンが簡潔に答えると、天音はその多さに表情を暗くする。


「……そう。桜華、お願い」

「お任せを」


 天音の一言で、桜華は快く引き受ける。

 ゆったりと子供達の前に近づくと、そっと目を伏せる。

 次の瞬間、淡い光が子供達を包み込む。

 蛍に似た光の粒が生じては消える空間の中で、その光景に見入る。

 光の空間が消えたのは、僅か数秒だった。

 名残惜しさに浸る子供達だが、負傷していた子供は自身の変化を感じる。


「痛くない……?」

「え? ……あっ、ほんとだ!」


 一人の声に連鎖し、次々と自分の怪我が治っていると気付く。

 頭の回転が速い子供は理解した。怪我を治したのは、天女の如き女性だと。


「あのっ、ありがとうございます!」

「めがみさま、ありがとー!」


 中学生ほどの少女が感謝を伝えると、幼い子供もお礼を言う。

 桜華はたおやかに微笑み、控えめに応える。


「お礼なら、わたくしの主様に。貴方達の治療を主様がお願いしたからよ」

「桜華、そういうのはいいから。感謝の気持ちは素直に受け取って」


 天音は苦笑気味に言うが、桜華はにこやかな笑顔を向ける。


「主様がわたくしたちをお創りになられたから、彼等は助かったのです。でなければ彼等の命は魔物の前で(つい)えていましたわ」

「こら。怖がらせることを言わないの」

「事実です」


 不機嫌そうに頬を膨らませる桜華。子供っぽい仕草を見て、天音は溜息を吐いた。

 その後ろで、天斗はカラカラと笑う。


「桜華姐さんはぶれないなぁ」

「だが真実だ」

「魁も真面目すぎ~」


 ま、同感だけど。と天斗が小さく呟くと、魁は鼻で笑う。

 人化した翠蓮も、同意から淡く笑う。

 天音が彼等の声に顔をしかめると、猫らしく駆け寄ったアリエルが肩に飛び乗る。

 軽やかな着地と急な重みに驚きつつ、アリエルの頭を撫でる。


「マスター、大丈夫だった?」

「うん、異能者達も無事だよ。館内放送で魔物を倒したってお知らせを頼んだから、もうすぐ子供達を家族に返せる」


 天音の言葉を聞き、幼い子供達は安心感から泣きそうになる。しっかりした年長の少女は元気づけて落ち着かせながらも、自身も安堵から泣きたい感情を抑え込む。


《お知らせします。先程、襲撃した魔物を全て倒しました。ご来店のお客様、速やかに落ち着いて行動してください。繰り返します――》


「君達! 無事か!?」


 ちょうど放送が館内に響き渡った直後、二人の異能者が駆けつけた。


「お父さん!」


 子供の中から女の子が飛び出して、屈強な体格の異能者に抱きつく。


「怪我はないか?」

「……ん。めがみさまが、なおしてくれたの」


 泣きそうな声で伝えると、大剣使いの異能者は息を詰め、深く吐き出した。

 怪我を負った事実に胸を痛めるが、同時に癒した桜華に頭を下げる。


「娘を助けてくれて感謝する」

「礼ならマイ・ロードに。僕達に子供の保護を頼んだのはマイ・ロードなんだから」


 桜華ではなく、オベリオンが不機嫌そうに告げる。

 事実、天音が頼まなければ守護者は動かない。彼等にとっての第一は天音なのだから。

 だから感謝なら天音に言うべきだと、守護者達は頷く。


 機嫌を損ねた桜華達の様子に、異能者と子供達は戸惑う。


「確かにその通りだ」


 剣呑な空気を、男の声が払う。

 温もりのある声へ顔を向ければ、少年が壁際に寄りかかっていた。


 襟足の長い繊細な髪は漆黒。金色が入り混じる橙色の瞳はアースアイ。

 年頃は高校生あたりだろうと思われる若々しさだが、一八〇センチほどの引き締まった長身痩躯から年上にも感じさせる。


 左胸の刺繍と白い縁取りがお洒落な紺色のブレザー制服を見て、天音は目を瞠る。


(あれは……聖帝(せいてい)学院の制服?)


 この国には異能者の子供を集めて教育する養成施設がある。

 国立聖帝学院。地方に一校ずつ構えられる政府直轄の異能教育機関。

 幼稚舎から大学まで揃えたマンモス校だが、異能特務管理局の管轄にある警察庁への就職を目指すなら大学まで、目指さないのであれば高等部で打ち止めても良い。

 自由度が高い分だけ厳しくもある特殊な学校。その制服を着ているということは――


(面倒なことになりそう)


 天音の胸中に、嫌な予感が込み上げた。


花咲(はなさき)様!? なぜここに……」


 不意に大剣使いの異能者が声を上げる。

 敬称から身分の高い人物だと判るが、知らない天音は眉を(ひそ)める。


「卒業祝いで友人と来ていたんだ。護衛なら今、事の終息について連絡している」


 簡単に事情を説明した少年は壁から離れ、天音に歩み寄る。

 嫌な予感が増していると、少年は笑顔を見せる。


「彼等を助けてくれてありがとう。君のおかげで被害は最小限で済んだよ」


 少年が感謝の言葉を述べる。

 しかし天音は、そこに感情の温度がないと感じた。


「失礼だけど、君の名前は? 申し訳ないけど、学院で君ほどの異能者を見たことも聞いたこともないんだ」


 興味津々で訊ねる少年。その目には好奇心だけではなく、怪しげな何かが潜んでいた。

 無意識に後ろ足を引くと、天音の前に魁が壁となって少年に立ち塞がる。


「名乗りもせず我が主に誰何(すいか)を問うか。礼儀のない小僧だな」

「なっ!? お前、花咲様になんてことを……!」


 二人の異能者が憤慨する。

 一方で、『花咲』という少年は不思議そうな顔で首を傾げる。


「あれ、知らないのかい? おかしいな、学院ではそれなりに知られているはずだけど」

「聖帝学院ならば知らなくて当然だ。我が主が通っていた学び舎はそこではない」


 魁が厳格な態度で言うと、少年は目を見開き、異能者達は驚愕する。


「はっ? その強さで……聖帝学院の生徒じゃない……!?」


 気持ちを抑えきれず、衝動的に信じられないと口にする。

 少年も呆気に取られているが、桜華が嘆息する。


「主様はそのような施設に入らなくても異能を操れる。わたくしたちがその証拠よ。現場にいたというのに、貴方がたをお救いした主様を信じないと言うのかしら?」


 静かに細められた眼差しも、涼やかな声音も、凍えそうなほど冷たい。

 静かながら憤りを露にする桜華達に、少年は慌てる。


「すまない。けど、彼等の言うことも仕方ない。力のある異能者は、聖帝学院に入学するのが一般常識なんだから」

「その一般常識が全てだとお思い? とんだ傲慢だわ。世の中には通いたくても通えない方、通いたくない方もいるのよ。もっとも、主様は後者なのだけれど」


 桜華が最後にそう付け加えると、オベリオンに目を向ける。


「オベリオン」

「わかってる。こんな茶番に付き合い続ける義理はない」


 オベリオンは辛辣に吐き捨て、指を鳴らす。

 次の瞬間、天音達は光となって淡く散る。

 魔核を入れた袋を残して、一瞬で消えたのだ。


 あっという間の出来事に唖然とする者達。彼等の中で、少年は目を細めた。


「この俺から……逃げる? 面白いな、彼女」


 無意識に薄い笑みが口元に浮かぶ。

 小さな声は愉快そうな感情が滲んでいる。

 まるで新しいおもちゃを見つけた子供に似た、けれど不気味な笑み。


凪祇(なぎ)様」


 少し離れたところから、茶髪の少年が現れる。

 恭しく一礼した彼は、正方形の包みを持っていた。


「どうだった?」

「はっ。凪祇様のご推察通り」

「なら、父……当主に送ってくれ」


 これで彼女を調べられる。

 彼の愉しげな囁きは、茶髪の少年以外に聞こえることはなかった。



     ◇  ◆  ◇  ◆



 騒動の数日後、天ヶ崎一家は遊園地へ出かけた。

 人生で初めての遊園地を満喫した天音は終始大満足であった。


 しかし、翌日の夜のこと。


「天音、先日の魔物を倒したと言っていたな?」


 夕飯と入浴後、明の質問を聞き、天音は嫌な予感を覚えた。


「そうだけど……え、まさか……?」

「ああ、そのまさかだ」


 深く言わなくても伝わり、天音は両手で顔を覆い隠して呻く。

 居間で寛いでいた琴葉は、不穏な様子に眉を顰める。


「どうしたの?」

「天音の存在が気付かれた。よりによって花咲様に」


 明の最後の一言に、琴葉は瞠目(どうもく)した。

 よろめく妻を慌てて支えた明は、痛ましそうに天音を見る。


「あの場に花咲様がおられたそうだが……」

「……あ。そういえば……不思議な瞳の子がいたような……?」


 綺麗な黒髪にアースアイの少年を思い出すと、明は重々しく首肯(しゅこう)する。


「国の重鎮であり、あらゆる不浄を浄化する異能を代々発現し、魔物の心臓たる魔核を滅してくださる使命を背負われる一族の嫡男、花咲凪祇様だ」


 魔核は、通常では破壊できない。万が一破壊できたとしても、魔核に溜め込まれた瘴気が大気中へ四散し、蔓延(まんえん)した瘴気により新たな魔物が発生する。

 しかも、魔核に宿る瘴気には魔物が増える恐れだけではなく、環境のみならず人間に汚染して精神を破壊する。

 完全に魔核を消し去るためには【浄化】の異能が必要不可欠。ただし【浄化】の種類は多岐(たき)(わた)る。空気汚染や病魔といった、自然や人体へのみ影響を及ぼす程度が多い。


 世界中の国々が血眼で探し求める至宝の異能。

 それを血脈により発現する一族が、日本各地に点在している。

 代々強力な浄化の力を保有し、天皇家と似通った神仏に通じる異能一族も存在する。

 多少の差はあっても、儀礼を用いることなく魔核を消し去る異能一族は、花咲家のみ。


「……確か、日本の巫覡(ふげき)であらせられる天皇家を超える、浄化に特化した一族だっけ」


 中学校で教わった授業の一部を、今になってようやく思い出す。

 だが、まさかその嫡子(ちゃくし)があの少年だとは思わなかった。


 鮮明に浮かんだ知識の内容から口端が引きつると、明は溜息を吐く。


「知っての通り花咲家は、あらゆる邪悪な存在を退(しりぞ)ける『退魔』、あらゆる邪悪な存在を消し去る『破邪』を揃える【破魔(はま)】の異能を発現する。そこに存在するだけで魔物は近寄れず、素質や練度によって魔物を滅する。練度が低くても指一本どころか、接触した瞬間『破邪』の効果により浄化される」

(かたよ)った最強だよね」


 授業のおさらいを聞いた天音は、当初から思っていた感想を声に出す。

 強力な浄化の力だけではなく、魔核を遺す前の完全体な魔物を触れるだけで滅ぼせる。

 ただし、それは邪悪な魔性の存在だけに限るのだと、分かりやすい弱点を持つ。


「天音の察する通り、対人戦において無力な異能だ。だから日本全土に散らばる浄化の血族より、国内にいても他国による誘拐事件の頻度が最も多い。当主でさえ常に護衛を側に置き、幼少期は自由な外出すら叶わない」

「うわぁ、窮屈(きゅうくつ)すぎる。でも、仕方ないか。子供だと特に運びやすいから気付かれにくいし」


 幼い子供は眠らせておけば騒ぎにならない。しかも物資として箱詰めすれば、厳重な警備が行き届いている空港と異なり、海路だと点検時に見逃しやすい。

 明から花咲家の異能者が抱える問題を聞き、前世でも今世でも、その手の知識を書物やテレビ番組で得たからこそ理解できる天音は嫌そうな顔で納得する。


 ここで一つ、違和感を覚える。


「……ん? あれ? じゃあどうしてモールにいたの?」


 自由行動がとれないなら、何故あの場に一人だけいたのだろうか。

 護衛を側から離したような口ぶりを思い出して眉を顰めると、明は深々と溜息を吐く。


「ご学友の付き合いで卒業祝いに誘われたそうだが、魔物による騒乱の最中(さなか)、世話役を兼ねる近侍(きんじ)の異能でご自身のみ避難されたそうだ。誘ったご学友は人混みの中で骨折したそうだが、見たことのない子供部屋に保護され、桜色の髪の天女に治療されたのだとか」


 理由と経緯を聞き、天音は眉を下げる。


「まさに踏んだり蹴ったりね。桜華の治療なら完治しているはずだけど……」

「もちろん完治しているとも。彼や彼の親から感謝状を贈りたいと声があがっている」


 明の口ぶりから察するに、天音の情報は完全に公開されていないようだが、おそらく隠し通すことは難しい。(おおやけ)に知らされるのも時間の問題だろう。

 そんな天音の渋面を見て、明は沈痛な面持ちを引き締める。


「花咲家はこういった非常事態にも対応できる、強力な護衛を必要している。優れた異能に警護の知識や技術、高い戦闘能力と柔軟な行動力、護衛対象への深い理解力を持ち、常に側で仕えられる同年代が大前提だ」

「うわぁ……条件厳しすぎ……」


 思っていた以上に厳密で無理のある条件だ。

 ドン引きする天音だが、明は困り顔で彼女を見据えた。


「言っておくが、知られていれば天音が最有力候補なんだぞ?」

「……へ?」


 意外な明の発言に思考が停止し、渋面から力が抜けて瞠目。


「天音の【希望の箱庭】は、記録されている超越系世界型の中で群を抜く特級異能だ。副次的だが『守護者誕生』は望むだけ異能生命体を生み出せる上に、どれも強力で優秀。天音自身も数年で武術を体得するほど身体能力は高い。先程の誘拐についての知識もあれば、相手を思いやる姿勢や理解力の高さも好感を持てる。極めつけに凪祇様とは同い年。現時点において、聖帝学院に天音以上の異能者は存在しない。それどころか花筐退魔局に就職すれば、上級退魔士として活躍できるほどの実力者。国家公安警察『日輪(ひのわ)』への加入だって夢じゃない」

「……私への評価、バグってない……?」

「俺は花筐退魔局の総督(そうとく)だ。多くの退魔士を見てきたからこそ言える」


 天ヶ崎明は、花筐退魔局の最高責任者であり、最終兵器という名の最強の切り札。

 特級異能者『軍神』の異名で名高い最強の退魔士だからこそ説得力がある。

 国軍の総帥と同等以上の発言力がある地位にありながら、天音を尊重して隠し続けてきた。彼女の心が平穏であって欲しいと願い、守り通したのだ。


 だが、今回の件で立場が危うくなった。


「実はあの総合百貨店の監視カメラに天音の姿が記録されていた。早い話、花咲家の当主が異能特務管理局の情報員を総動員している」

「なにその職権乱用!?」


 思わず叫んでしまうほど衝撃を受けた。

 眩暈を覚えて足元がふらつくと、琴葉が駆け寄って支える。


「天音ちゃんっ……! ど、どうしましょう明さん……!」


 天音の背中を(さす)りながら助けを求める琴葉。

 しかし、明は神妙な面持ちで非情な現実を突きつけた。


「悪いが、天音には二つの道しかない」

「……二つ?」


 選択肢は二択のみだが、天音は復唱して先を促す。


「一つ目、異能特務管理局に天音の異能を公表する。全情報を開示(かいじ)した後、聖帝学院に編入することになる。二つ目、花咲家次期当主、凪祇様の護衛として(やと)われる。これなら破格の待遇(たいぐう)である程度の情報を秘匿(ひとく)でき、学院では安定した地位を築けるし、自衛にも繋がる。あいつらの娘と関わらないように取り計らってくれるはずだ」


 明の言うとおりの展開になるとは限らないが、可能性は高い。

 ただ編入して就職するだけでは、血縁関係にある異母妹に遭遇(そうぐう)した時が危ない。

 しかし、どちらも断る道があってもいいはずだが……


「どれも選ばなかった場合は……?」

「暗部にあたる公安特務機関『陽炎(かげろう)』に身柄を拘束される。君ほどの実力者なら幽閉は確実。そうなれば国外に逃亡するしかない」


 絶望的な現実に愕然(がくぜん)。琴葉に至っては床に座り込んでしまった。


「お母さん!? だ、大丈夫……!?」

「……それはこっちの台詞。天音ちゃんが……そんな、そんなことになるなんてっ……! 絶対ダメよ……! なのにっ……天音ちゃんが一番大変なのに、私を心配して……!」


 とうとう泣き出した琴葉の言葉に、天音は呼吸を止める。


 今までずっと何があっても、いつも誰かを優先していた。

 天音は自身が大変な状況にいても、まるで他人事のように俯瞰して、琴葉を心配した。

 誰かが一番で、自分は二の次。それは虐待から解放された今でも治らない悪癖。

 自分自身を俯瞰してしまう精神も捨てきれない。


 天音は天ヶ崎家の一員である以前に、明の妹の娘。つまり親戚にあたる。

 親戚だからこそ助けてくれた。親戚でなければ引き取られなかっただろう。

 不毛な仮定だが、心のどこかで不安が付き纏う。

 いつ見捨てられてもいいように、いつか巣立って疎遠(そえん)になってもいいように、心を完全に預けられなかった。


 恩人であり、家族として慕っている。それは本心だが、本当に家族の一員として振る舞っていいのか不安になり、疑心暗鬼に(おちい)ってしまう。

 それ以上に、そんな自分が彼等に愛される価値があるのか。

「自分は愛されていい人間なのか」――『天音』自身に対する不信感に支配される。


 天音は「前世の自分」が大嫌いだ。それと同じくらい「今世の自分」に自信がない。

 真っ当な人生を送れるのか。

 ありふれた幸福な結末を目指していいのか。

 陰惨な過去のみならず、天音の抱える本心を知って拒絶されないか。


「……私……」


 知られるのが怖いと、何度も思った。

 親愛なる天ヶ崎家への不義理と見做される心を打ち明けて失望されてしまわないかと、何度も不安と恐怖に押し潰されかけたことか。

 数えきれない葛藤(かっとう)(さいな)まれ続けた。


 だが、今なら言えるかもしれない。

 これ以上、隠し続けるのは、苦しみ続けるのは、疲れたから――


「……私は……自分に自信がない。天ヶ崎家のみんなに受け入れられて、家族になれて、嬉しくて……。でも、こんな私が家族だって胸を張っていいのか……恩返しできるのかも分からなくて。自分自身が大嫌いなのに、幸せになる資格があるなんて思えなくて……」


 震える手を握り締めて、今まで溜め込んできた思いを声に出す。

 初めて知った天音の不安と葛藤を聞き、琴葉はボロボロと泣いて抱きしめた。


「バカよ……! 天音ちゃんのバカっ……!」

「……うん」

「天音ちゃんは私達の愛する家族よ! 恩返しとか、寂しいこと考えないで……!」

「……うん」

「自分を嫌いにならないで……! 天音ちゃんを苦しめたあの人達が悪いのに……! 天音ちゃんは何も悪くないっ……! だから……もう、幸せになっていいの……!」


 ――幸せになっていい。


 一番求めていた言葉を、琴葉()がくれた。

 打算的な欲望もない、心からの無償の善意も、愛情も。

 天音の幸せを願う者が、すぐ傍にいるのだという想いも。

 今まで目を曇らせていた自分が馬鹿みたいだ。


「……ごめんね。ありがとう、お母さん」


 熱い涙が頬を濡らし、震える声で想いを伝える。

 不器用ながら、心からの笑顔で。

 琴葉は初めて見る天音の泣き笑いを目にして、心の緊張が解れた。



 互いに思い切り泣いて、ようやくすっきりした。

 泣き疲れた琴葉に申し訳なく思うと、二人を抱きしめていた明に頭を撫でられる。


「これからは言いたいことははっきりと言うんだぞ」

「うん。……ありがとう、お父さん」


 不安と恐怖の(おり)から解放された天音の気の抜けた笑顔に、明は安心した。


「……で、何で天音と母さんが泣いてたの?」


 不意に上から降ってきた、天祢の声。

 存在に気付かなかった天音は、気まずげに天祢を見上げる。


「……ちょっと、本音を言ったの」

「本音?」


 えーっと……と言いよどむ天音は視線を泳がせる。

 言いにくそうな彼女の様子に、明は苦笑した。


「今まで溜め込んできたものと、自分への不信感だな」

「は?」

「まあ、天音も疲れただろうし、俺が代わりに話す。……と、その前に」


 怪訝(けげん)な顔をした天祢に約束して、改めて天音に真剣な顔を向ける。


「さっきの話、覚えているか?」

「……うん。普通に編入か、護衛しながらの編入か……だよね?」


 簡潔にまとめると明は頷き、天祢は剣呑に顔を歪める。


「それで、どうする?」

「護衛しながらの編入にする。……私にできるか分からないけど」


 自分の持てる限の努力を尽くす。精一杯頑張ろう――と思いながらも不安が過る。

 天音の消極的な自信の無さを改めて知り、明は眦を下げた。


「天音ならできる。ただ、無理はしないように。何かあったら相談に乗る」

「ありがとう。頑張ってみる」

「よろしい。さ、今日はもう寝なさい。あとは任せてくれ」

「うん。お父さん、天祢、おやすみなさい」


 笑顔で頭を撫でた明と、心配そうな天祢。

 見送られた天音は二階の寝室に入ってすぐ、泥のような疲労感に身を任せて眠りについた。



申し訳ございません! 『国家公安警察・日輪』の読み仮名を間違えていました!

正しくは『日輪:ひのわ』です。

『にちりん』→『ひのわ』へ修正しました!

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