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箱庭の乙女は守りたい  作者: ISTORIA
第一章 平穏コラプス
2/19

01‐02:【箱庭】の守護者

2025/04/16:前半を一部修正しました。

2025/08/30:オベリオンの台詞を一部修正しました。

「はぁー……」


 入浴を終えた天音は、欧風に整った自室の大きな寝台に寝転ぶ。

 天ヶ崎家の一員となって濃密な時間に慣れたはずが、今日は一段と凄かった。

 一大イベントと称して不足ない予定が立てられ、心が浮足立つ。


「――主様」


 最新の携帯端末に手を伸ばした時、柔らかな声がかけられた。

 顔を上げると、そこには見る者の呼吸を(うば)うほど(うるわ)しい美女がいた。

 桜色の長髪は癖がなく(つや)やか。新緑の葉の如し萌黄色の瞳は優しげ。(しと)やかで上品な印象を持たせる美貌の彼女は、天女の如し絹の衣装と羽衣を(まと)い、宙に浮いていた。

 異能が無ければありえない現象だが、彼女は人間ではない。


桜華(おうか)、どうしたの?」

「わたくしたち守護者一同、主様をお祝いしたいの」


 寝台に腰かけた彼女が申し出たのは、天音への祝辞。


「わたくしたちは主様の異能で生み出された存在ですが、主様が『家族』と愛してくださるのと同じように、わたくしたちも主様をお慕いしています」


 天音の異能【希望の箱庭】は、独自の世界を創造する――だけではない。

 初期段階の『箱庭創造』の際、心から願った内容に応じて成長する異世界なのだ。

 天音は発動時、毒親の虐待で心身が擦り減り、前世から焦がれた願望を強く(こいねが)った。


 ――「心から安らげる、苦痛のない穏やかな居場所。大好きな桜や草花が咲き誇る豊かな世界で自由に生きたい。叶うなら、愛し合えるひとと共に」


【希望の箱庭】には、異次元空間に異世界を創造する『箱庭創造』、外界の天候・四季・時間の流れ・世界が(つちか)った記録を受給(じゅきゅう)する『異界接続』、あらゆる万物を創造・操作する『創造神権』、異世界全体の性能・法則などの設定を操作する『神法管制』、絶対安全領域たる『守護神域』――という創造主の特権が、元より(そな)わっている。

 そこに異世界を創造した際の願いにより、精神のみならず肉体を癒す神域となり、愛し合える存在が生まれる土壌『守護者誕生』まで形成された。

 程無くして【希望の箱庭】の(かなめ)・世界樹は、『世界樹の大精霊』という創造主を守護する自律型防衛機構――異能生命体を構築した。


 世界樹は『神桜(かみざくら)』、異能生命体は『桜華』と天音に名付けられたことにより、特殊能力に加えて更なる権能を得た。


 世界樹『神桜』は【希望の箱庭】を支える要。根を張るように、枝を伸ばすように、異界という形で世界を創り、広げていく。

 ただし、天音に名付けられた守護者が望み、『異界の主』として君臨する必要があるので、守護者以外は『異界の主』になる資格を持たない。


 桜華は【希望の箱庭】から天音が生まれた世界へ『外遊』できるが、外界では本来の能力が低下する。それでも並みの異能生命体には持ち得ない特殊能力を有する。

【希望の箱庭】では『神桜』を介して、世界を運用する精霊の誕生『精霊生成』、【希望の箱庭】全体の秩序を正しく監督する『副管理権』――等が付随(ふずい)する。

 天音が寿命を迎えても、桜華が神桜を正しく運用すれば【希望の箱庭】は存続される――という保険的な権能である。


 最初は桜華だけだったが、次々と〝守護者〟が誕生し、守護者が活躍するにつれ異界を増設していき、『天音』として生まれ育った世界と張り合える規模へ成長。

 守護者達は天音を第一に活動するが、独特な自我や趣味嗜好を持つ。天音の嗜好が反映されている面もあるが、異能生命体より「人間」と呼ぶに相応しい個性豊かな知性体。

 おかげで天音も偏見を持たず、愛すべき対等の存在――『家族』だと受け入れられた。

 たとえ自分自身の異能により生まれた存在であっても『家族』として愛せた。

 いつしか守護者達も天音を「愛する家族」と認識し、親・兄弟・姉妹のように接する。


「どんなことでも主様をお祝いしたい。これは皆の総意よ」


 創造主というだけではない。天音だから愛しているのだ。

 だからこそ天音の未来を祝いたいのだと、第一の守護者・桜華が告げる。

 守護者は天音が呼び出さなくても自由に行き来できる。外界の物を【希望の箱庭】へ持ち込み、何かを作ることも品種改良することも可能。

 我が強く自由気ままだが、天音への忠義と家族愛は空や海どころか宇宙の如く果てしない。

 だから天音を祝うために準備を整えつつ、代表として桜華に言葉を託したのだ。


 守護者達の想いを聞き、天音は(まなじり)を下げる。

 大切な『家族』の愛情が伝わり、太陽と月を思わせる異色の双眸(そうぼう)に涙が滲んだ。


「ふっ、ふふふっ。……本当に、私は幸せ者ね」

(この〝生〟になって、前世以上に涙もろくなったかも)


 けれど、悪い気はしない。

 柔和な笑顔と潤んだ瞳に、桜華は胸が締めつけられる思いを感じた。


 桜華が誕生したのは、天音が六歳になった年。

 五歳になった子供は、会計年度末に異能を鑑定される。

 天音と異母妹が検証を受けた瞬間から、環境の差が顕著(けんちょ)になった。

 元から天音はおざなりにされていたが、状況が悪化した決定的な瞬間。


 桜華は【希望の箱庭】を通して誕生した頃から天音を見守っていた。直接手を出せない歯痒さもあったが、自身の存在で心を繋ぎ止める天音に愛されて幸福を感じた。

 やっと苦痛から解放されて自由を手に入れた天音だが、しばらく心を閉ざしたままだった。その心を解きほぐした天ヶ崎一家には感謝の念が絶えない。

 だが、人間と違い、異能生命体である守護者には人間のような自由が少ない。人間社会の中で稼ぎ、人間が振る舞うように天音を祝うことは難しい。

 天音は気にしないと言うが、愛する主人だからこそ祝福したい気持ちが(つの)った。


 こうして涙ながら幸福を感じる天音に、より一層愛しさが増す。


「じゃあ、卒業式の……次の日かな。みんなで一緒にお出かけしよう。美味しいものを食べたり遊んだりして、楽しい思い出を作りたい」

「それでよろしいのですか?」

「うん。みんなと遊ぶなんて滅多にできないし」


 異能〝で〟遊べても、異能〝と〟遊ぶこと自体がありえない。けれど天音の異能に常識は通用しない。常識を逸脱(いつだつ)し、自我を持つ複数の異能生命体を同時に顕現(けんげん)できるからだ。


「みんなが稼いだお金、お父さんから一部だけ預かっているの」

「では、その内の少額を予算にしましょう」


【希望の箱庭】で得られない物資の購入以外にも、守護者個人の物欲を満たす小遣いは必要。とはいえ、一部の守護者の物欲対象は高額なものが割と多い。

 今後の商売に必要な素材を買い足すための資金でもあるのだから散財は良くない。

 天音の厚意と桜華の意向で、少額は個人資産として定期的に配ることになった。


「――あら、もうこんな時間?」

「え? 早っ」


 桜華につられて時計を見た天音は、就寝の予定時刻を超過していることに驚く。


「あっという間だねぇ」


 年を重ねるごとに時間の経過が早く感じるものだが、楽しい時間ほどあっという間に過ぎ去ってしまう。

 もっと話したい。【希望の箱庭】で『家族』との時間を楽しみたい。だが、天音へのサプライズを計画している『家族』のために、今は知らないふりをしてあげたい。

 無性に寂しさを覚えて目を閉じると、ふわり、温もりに包まれる。

 柔らかな甘い香りから、桜華に抱きつかれたのだと気付く。


「おやすみなさい、主様」


 切なさのある桜華の声音から名残惜しさを感じる。

 桜華も同じ気持ちなのだと察した天音は、同じ強さで抱きしめ返す。


「おやすみ、桜華」


 穏やかさの中に、ほんの少しの切なさが入り混じる声。

 見送る言葉から天音の愛情を受け取り、桜華は愛おしそうにはにかんで儚く消えた。

 しばらく余韻に浸った天音は、「ふふっ」と笑う。

 鈴の転がる音色を彷彿させる笑声に、喜びの色が濃く宿っていた。


「楽しみだなぁ」


【希望の箱庭】の外で『家族』と遊ぶなんて、いつぶりだろうか。

 弾む心を抑えきれず、その日はなかなか寝付けなかった。



     ◇  ◆  ◇  ◆



 中学校を卒業した翌日、天音はお気に入りのコーディネートで着飾った。

 カットソー素材で作られた袖がフレア状の襟刳(えりぐ)りの白い服に、白いチュールレースと滑らかな桜色のサテン生地を重ねたキャミソールワンピース、ぼやけたパステルブルーのスキニーパンツ……といった組み合わせ。

 チュールレースの刺繍と桜色に合わせて桜を(かたど)った銀製のバレッタで、鎖骨あたりで整えた横髪を残したハーフアップに整えたおかげか、名家の令嬢と見紛う。


「あら、今からお出かけするの?」


 軽やかな足取りで一階へ下りると、リビングダイニングから琴葉が見送りに出た。


「うん。この前買ってくれた服は遊園地で着たくて」

「天祢君も喜ぶわ」


 にこやかな琴葉の一言に、天音は笑顔で頷く。


 その時、天音の守護者が登場した。

 桜華は普段の天女らしい衣装ではなく、白のカーディガンにスプリンググリーンの上品なワンピースが良く似合う。

 気品のある淑女を体現した桜華の腕の中には、絹と同等の滑らかな長毛と、右の金目と左の銀目が美しい白猫。

 トルコの生きる宝石と名高い血統猫、ターキッシュアンゴラ。

 ……その姿で誕生した、妖精ケット・シーがモチーフの守護者――アリエル。


「琴葉ちゃん、みんなが作ったものを売るの、手伝ってくれてありがとー!」


 桜華の腕から飛び出したアリエルは、抱き留めた琴葉に頬擦り。

 明から琴葉の協力を聞かされ、代表としてアリエルが感謝の気持ちを伝えた。

 とても手触りの良い柔らかな毛並みが頬を擽り、琴葉はうっとりと相好(そうごう)を崩す。


「どういたしまして。アリエルちゃんは可愛いわね~。ずっと撫でていたい」

「琴葉ちゃんもかわいいよ! 大好き!」


 アリエルの褒め言葉に、琴葉は胸を抑えて小さく呻く。

 裏表のない純粋な言葉は心を癒し、愛らしい仕草はときめきを(あお)られる。

 いつまでも艶やかな被毛を触っていたいが、天音達が遊べる時間は限られている。

 琴葉は自制心を総動員して、モカシンを履いた天音にアリエルを渡す。


「うぅっ。な、名残惜しいけど……! 行ってらっしゃい。楽しんでね!」

「うん、いってきます!」


 満面の笑顔で挨拶して、天音達は出発した。



 最も有名な総合百貨店(ショッピングモール)。多種多様な専門店だけではなく、外装も内装も最先端技術を駆使したお洒落な造り。

 地元民だけではなく県外からも多くの客が訪れる人気店に、異色の集団が来店した。


 桃色のカシュクールとホットパンツが似合う、ハーフツインの白髪に金目銀目の美少女。


 黒基調のジャケットとスラックスが冷たい美貌を引き立てる、黒髪赤眼の妖艶な美男。


 ストライプ柄のシャツと砂色のダブルベスト、ゆとりのある茶系のスラックスを着こなす、明るい金髪に金色の糸目の美青年。


 青系のシャツと白いロングジャケット、薄紺色のジーパンで涼やかに()せる、青みを帯びる銀の三つ編みに翡翠(ひすい)の瞳の美男。


 和服に似せたシャツと藍染のワイドパンツ、アイリスブルーの振り袖カーディガンという和風コーディネートでも性差が感じられない、黒いおかっぱと菖蒲色(しょうぶいろ)の瞳の子供。


 白いブラウスと緋色のスカートを上品に組み合わせた、ポニーテールの黒髪に琥珀色の瞳の和風な美少女。


 オーバーサイズのアーガイル柄のベストと無地のシャツであざと可愛い萌え袖を演出する、繊細な銀髪に青目の美少年。


 桜色の長髪に新緑の瞳の美女が、統一性のない美男美女を率いていると人々の目に映るが、楽しそうに談笑するミルクティーベージュの長髪に金目銀目の少女こそが中心。

 容姿から血の繋がった家族ではないと判るが、彼等彼女等は中心にいる少女に愛おしむ眼差しを向けていた。


「マイ・ロード、あのクレープが気になるなぁ」


 銀髪の少年が天音の腕に寄りかかり、上目遣いで強請(ねだ)る。

 あざと可愛い美貌で甘える姿に、琥珀色の瞳の和風な美少女は嘆息する。


「オベリオン、おねだりは一回までよ。それ以上は甘えすぎないように」

珠那(しゅな)、心配しなくていいんじゃない? ちゃんと考えているはずだしぃ~?」


 金髪の美青年がにこやかに言うと、青銀髪の美男が訊ねる。


「そういう天斗(たかと)殿は何が希望ですか?」

「ボク? おいおいだよ。どうせたくさん見て回るんだから」

「そうだな。俺は酒が欲しいところだが、さすがに今は自重する」

(かい)くん、えらーい! わたしはスイーツ、プリンのパフェ!」


 黒髪赤眼の美男に、白髪の美少女が褒めつつ要望を口にする。


「じゃあ、まずはオベリオンのクレープで、次にアリエルのパフェ」


 天音が会話をまとめると、オベリオンいう銀髪の美少年は口をへの字に曲げる。


「……やっぱり僕もパフェ。フルーツ大盛りで」

「そう? じゃあまずはスイーツ専門店ね」

「やった! 珠那ちゃん、一緒に食べようねっ」

「アリエル姉……!」


 白髪の美少女・アリエルに、感激する琥珀色の瞳の美少女・珠那。

 三人のやり取りを見て、青銀髪の美男・翠蓮(すいれん)は提案する。


「ならば待っている間、我は書物でも見繕(みつくろ)いましょう」

「翠蓮は本が好きだねぇ。じゃあボクは服屋」

「俺も本屋へ行こう。めぼしいものがあるといいがな」


 金髪金目の美青年・天斗と、黒髪赤眼の美男・魁も、思い思いに行動するようだ。

 するとここで天斗が申し出る。


「ご主人、ボクについて来てくれる? 服って高いし」

「そうね。一枚で足りるといいけど……」


 そう言って天音は、茶封筒から一枚の紙幣(しへい)を出す。

 最も高い紙幣を差し出されて、ギョッとする天斗。


「えっ!? そ、そんなに出していいのっ?」

「うん。桜華と話し合ったんだけど、みんなに一枚ずつお小遣いとして分配して、一枚以内で自由に買い物するってことになったの。ちなみにこれ、みんなが稼いだお金の一部だから」

「いわばお給金よ。経費と自由に使える個人資産は別だもの」


 天音の言葉に補足した桜華は、目を丸くして固まった天斗に微笑む。


「主様との時間を独り占めしようなんてお見通しなのよ」


 しかし、目が笑っていない。むしろ冷たい怒りを醸し出す。

 天斗は頬を引きつらせ、ガックリと肩を落とす。

 思いのほか狡猾(こうかつ)に計画していたようだが、桜華にかかれば容易(たやす)看破(かんぱ)される。

 大袈裟に落ち込んだ天斗の反応を見て、アリエルはジト目で睨み上げる。


「天斗くん」

「ア、アリエル(ねえ)さん……? その顔は怖い……」

「自業自得」


 後ろ足を引いて翠蓮の後ろへ隠れる天斗。

 すると、桜華と手を繋いでいるおかっぱの子供・真幸(まゆき)が無表情のまま呟く。


「あら、珍しい。真幸が毒づくなんて」


 いつもなら珠那の毒舌が炸裂(さくれつ)するのに、先を越されたことより真幸の舌鋒(ぜっぽう)に驚く。

 普段から無口で必要以上の会話をしない。欲しい物や何かしたいことを自発的に希望するときが大半。そんな真幸の感情の機微を察した桜華は、クスッと笑う。


「主様の独り占めは嫌よね。せっかく全員で遊びに来ているのですもの」


 真幸の気持ちを代弁すれば、桜華の手をギュッと握って鷹揚(おうよう)に頷く。

 気まずそうな天斗に非難の目を向ける彼等彼女等だが、天音は「ふふっ」と笑う。


「じゃあひとまずお小遣いを配るね。あと、特別に飲み物を一杯(おご)ってあげる」


 天音が気前よく言うと、魁、天斗、翠蓮の目が光る。


「ならば同伴しよう」

「ボクも」

「皆が行くのであれば我もいいでしょうか、我が君?」

「もちろん」


 全員でお茶を楽しめると思うと、天音は笑顔で頷く。

 予定が確定して、天音の右腕をアリエル、左手をオベリオンが優しく取る。


「決まり!」

「エスコートなら僕にお任せあれ」


 アリエルより高く、珠那より若干低身長のオベリオンは紳士的に微笑む。

 愛らしい仕草から一変した態度に、「お願いね」と天音はにこやかに頼む。


「さすが妖精。気まぐれで変わり身も早いわ」

「うるさいよ」


 珠那の痛烈な呟きを聞き流せず、オベリオンはジト目を向ける。

 これも年少組のじゃれ合いだと理解しているからこそ、天音は微笑ましく見守った。



 スイーツ専門店で豪勢なパフェを注文したアリエルとオベリオンは天音だけではなく、桜華、真幸、珠那と分け合った。

 天音から飲み物を奢られた魁、天斗、翠蓮は、期間限定で提供されるローストビーフのサンドイッチを注文し、舌鼓(したつづみ)を打つ。

 和気藹々と食事を楽しんだ後は、天斗の服選び、魁と翠蓮と真幸は書店で専門的な本を物色し、珠那は趣味であり稼業に使う材料を雑貨店で購入。


 各々が満足する中、天音は気付く。


「桜華は何がしたい?」


 まだ桜華の行きたい店や買いたい物を聞いていない。

 最後になってしまったが(たず)ねると、桜華はクスッと笑んで両手を差し出す。

 手のひらには、長方形の小箱があった。


「実は合間に買いましたの。せっかく主様の卒業祝い、残るものを選びたくて」


 にこやかに言うと、真幸と珠那以外の全員が「え」と声を漏らして固まる。

 目を見開いた天音は受け取り、小箱を開ける。

 中の台座に鎮座する、淡紅色の宝石で桜の形に細工されたプラチナのネックレス。


「わあ、綺麗……! それに、桜華がずっと傍にいるみたい」

「いつもお傍にいるけれど、常に顕現できるとは限りませんもの」


 天音の着眼点に、桜華は頬を淡く染めて喜ぶ。

 箱の中からネックレスを取り、天音の後ろで首につける。

 本日の春らしい装いにちょうど良い。むしろ物足りなかった装飾が足されて調和がとれた。


「よくお似合いですわ」

「ありがとう、桜華!」


 天音は桜華に抱きついて全身で喜び、桜華も笑顔で抱きしめ返す。

 一方、アリエル、魁、天斗、翠蓮、オベリオンが、桜華へ恨めしげな視線を送る。

 対する珠那は、呆れて溜息を吐く。


「自業自得よ」

「そういう真幸と珠那ちゃんは!?」


 深く同意する真幸も含めて、自分達の主に何も買っていない。

 アリエルの指摘に、珠那は勝ち誇った笑みを浮かべる。


「あたしは今日買った材料で贈り物を作るわよ。今日の髪留めと、あのネックレスにぴったりの、オルゴナイトのイヤーカフ。ご主人様、ネットで見るほど興味がおありなの」

「此方は温室。技術知識、意匠の幅、増やす」


 ふんす、真幸は書店で購入した専門書を見せて意気込む。


「温室はいいわね。環境操作の性能を加えれば、主様の好きな果物を作れるわ」

「当然。プラネタリウムではない、疑似的な空模様を投影する機能もつける。御館(おやかた)様、ブルーモーメントの空、好き」


 感心する桜華に目標を話すと、ふわり、優しい匂いと柔らかさに包まれる。


「ありがとう、真幸。珠那も。本当に嬉しい……!」


 耳元で感極まった感謝の言葉が囁かれる。

 顔を上げれば、心の底から満たされた天音の笑顔があった。


 今から六年前、珠那とオベリオンが誕生する前の天音は感情を出せなかった。笑うことも泣くことも満足にできず、【希望の箱庭】でさえ傷と疲労を癒すために眠りにつくばかり。

 守りたくても守れない。心を癒せないもどかしさに嘆く日々。救出された以降、人らしい感情を出せるようになったが、ぎこちなかった。


 今、その違和感が微塵もない、見る者の目を奪う魅力の詰まった笑顔を浮かべていた。

 少し前の天音と重ねた真幸は、グッと口を引き結んで天音にしがみつく。

 真幸の想いに気付いた桜華は穏やかに微笑み、形の良い頭を撫でてあげる。


 珠那は当時の天音を見ていないが、記録を共有しているため痛いほど理解できる。

 本当は自分も抱きしめられたかったが、先達のために順番を待つ。


 ふと、静まり返った家族に目を向ける。

 アリエルとオベリオンはガックリと肩を落とし、魁は右手を顔に当てて項垂(うなだ)れ、天斗は両手で顔を覆い隠して天を仰ぎ、翠蓮は乾いた笑みで明後日へ向く。

 自業自得だが、彼等の反応は愉快に思う。


 すると、その異様な光景に気付いた天音は驚く。


「な、なに? 何がどうしたの?」

「ご主人様は気にしないで。自分の愚かさを噛みしめている最中なのだから」

「へ?」


 珠那の毒舌に、さらに落ち込む五人。

 どんよりした彼等に困惑する天音と、呆れ果てて嘆息する桜華。


 しかし、唐突に桜華達は顔を上げて、ある一点へ目を向ける。


「きゃあああああ!」


 直後、何かが壊れる轟音(ごうおん)と悲鳴が聞こえた。


「魔物だ! 魔物が出たぞ!」

「退魔局に連絡しろ! 早く!」


 遠くから焦燥感に駆られた大声が届く。

 百貨店の来客は悲鳴を上げ、パニック状態で逃げようと押し合いへし合いになる。


 そんな中で天音は、瞬時に天斗に抱き上げられて視界が一気に高くなった。

 地上が混乱の渦と化した中で、桜華達はそれぞれの本性に戻っていた。


 天女の如き〝桜の精〟――桜華。


 服と靴を着衣した二足歩行の猫〝ケット・シー〟――アリエル。


 頭部に二本の角を生やし、絢爛(けんらん)な羽織と着物を纏う〝鬼神〟――魁。


 狐の耳に四本の尾を持つ狩衣(かりぎぬ)姿の〝天狐(てんこ)〟――天斗。


 青銀色の鱗に翡翠の瞳、銀の角と(たてがみ)が美しい〝水龍〟――翠蓮。


 黒いおかっぱに菖蒲色の瞳の和洋折衷(わようせっちゅう)な服装の〝座敷童〟――真幸。


 透明感のある千早(ちはや)を纏う巫女装束姿の〝巫女姫〟――珠那。


 貴族の如し青い衣装にアゲハチョウ科の(はね)を背負う〝妖精〟――オベリオン。


 ――以上の八人……否、八体が、天音の異能【希望の箱庭】で生み出された守護者。


「わあ、すっごーい」

「まさに蟻のようね」

『珠那、さすがにその感想はどうかと思います』


 アリエルと珠那は、眼下で慌てふためく人々を眺めて呟く。

 背に乗せている翠蓮が苦言を呈すると、自らの翅で飛ぶオベリオンは淡白に言う。


「仕方ないんじゃない? 我が身が可愛い彼等だ。誰が怪我するのも気に留めないさ」

「一理あるねえ」


 同意する天斗。上階の手摺に立つ魁は嘆息する。


「渦中に呑まれた(わらべ)は哀れだがな」


 人々の群れに呑まれて怪我をする子供を見つけて憂う。

 気付いた天音は、こういう時こそ頼れる『家族』に声をかけた。


「オベリオン、子供達は二階に避難させてあげて。アリエル、真幸、子供達をお願い」

承知しました(イエス)我が主(マイ・ロード)

「いってきまーす」

(だく)


 オベリオンは優雅に飛んでいき、アリエルと真幸は翠蓮から二階へ飛び移る。

 見送ると、桜華は尋ねる。


「お次は?」

「魁と天斗は先行して、できれば倒して。私は翠蓮に乗って行くから」

「承知」

「お任せあれ」

「桜華は現場で怪我人がいたら治療を。珠那は結界で保護を」

「わかったわ」

「了解よ」


 承諾する声を聞き、天音は天斗から翠蓮の背に移る。

 一拍後、魁は遮蔽物(しゃへいぶつ)を利用して、天斗は空中を駆ける。


「さすが天狐。神通力って便利よね」


 珠那は感嘆し、翠蓮は真剣に告げる。


『急ぎます。しっかり掴まってください』

「お願い」


 天音の頼みを聞き届け、翠蓮は宙を飛ぶ。

 ――それを三階にいる少年が、意味深な眼差しで見送った。




 すぐさま現場に着くと、百貨店の入り口が大破していた。

 外には黒々とした巨躯に赤黒い瞳を持つ、おぞましい怪物が十匹。


「下級の動物型……猿っぽいけど、大きさから八級ぐらい?」


 天音は冷静に分析し、ちょうど現場に居合わせた魔物専門の戦闘員を観察する。


「退魔士らしき異能者は三人。花筐退魔局の制服を着ていない……非番だったのかしら」


 天音の記憶にある前世では軍事組織は解体され、防衛組織である自衛隊が主力。

 対する今世の日本国には、陸軍・空軍・海軍だけではなく、海外の国々に引けを取らない軍事組織がある。

 人類の天敵と称される魔物を討伐する戦闘職『エクソシスト』。海外では『国連退魔組合』――通称『組合』という国際的な自由職なので、副業として扱われる。


 一方、日本国の対魔物討伐組織は、日本国独自の軍事組織であるため『退魔士』と名乗る。

『退魔士』が所属する国家対魔物討伐組織の名は――『花筐退魔局』。

 文字通り対人ではなく対魔物を専門とする、国内で最も人気のある戦闘職。

 しかし、内情はとても厳しく、長続きする者は五分五分。

 戦闘に特化した異能者であっても、花筐退魔局に所属しなければ魔物と戦うなど無謀な行動は滅多にしない。


 魔物は倒しても発生原因を正しく処理しなければ再び発生する。発生原因に触れた者は瘴気に侵され、最悪死に至る事例も多い。

 日本国では学業に従事してすぐ教えられる常識なので、強力な異能を保有して鼻持ちならない子供であっても慎重に行動する意識を育てている。


 己の力量を推し量れない若者はともかく、現場にいる三人の異能者は壮年。

 熟練の退魔士なら任せてもいいのだが……


「一人は負傷、相性不利で苦戦……って、かなり危ないかも」


 三人の男性のうち、一人は右腕の負傷が相当酷いのか蹲っている。

 一人は負傷者を守ろうと水の異能を放つが、巨大な猿の被毛は撥水性が高いのか、刃物のように鋭い水の刃であっても効果が無い。

 普段から保持するには難しい大剣を振るう屈強な体躯の男は、俊敏に動く巨大猿に翻弄されてばかりで攻撃を与えられない。

 館内に侵入した三匹の魔物を相手取れない。それどころか外には七匹も控え、少しずつ侵入しようと入口を広げている。


 このままでは確実に戦死するだろう。

 しかし、彼等は幸運だった。


「えッ」


 二人の異能者に迫った一匹が、頭頂部から左右に分かたれた。

 真っ二つに裂けたと思えば肉体は崩れ、拳程度の黒々とした(かたまり)(のこ)して消滅。


「あ、あなたは……?」


 絶体絶命の失意から腰を抜かした水使いの異能者は、目の前に現れた和装の男の背に恐る恐る問いかける。

 男――魁は答えることなく大太刀を構え、力強く踏み出す。

 魔物を横切った刹那、巨大な頭部が()ね飛ぶ。すれ違いざまに斬られた首が宙を舞い、地面に落ちるより早く靄のように消えていく。

 魁は一瞥(いちべつ)も向けず、出入口を大破して続々と侵入する魔物に特攻した。


「何者なんだ、いったい……――ッ!」


 呆然と呟く大剣使い。そこに迫る巨大猿に気付いて、脊髄反射で身構える。

 直後、青白い炎が目と鼻の先で(おこ)り、巨大猿を包む。


「グギャアァッ――」


 巨大猿が悲鳴を上げるが、一瞬で肺が焼かれ、消し炭と化す。

 残されたのは、黒い石のような禍々しい塊だけ。


「余所見は禁物だよ。死にたくないでしょ~?」


 大剣使いのすぐ側で、飄々(ひょうひょう)と笑う天斗。

 ギョッと距離を置くが、天斗は気にせず声を上げる。


「桜華姐さぁん! 怪我人よろしく~」

「もう治したわ」


 気付けば怪我人の傍らに、桜色の髪の美女が座っている。

 温かな光が消えると、骨折した右腕が綺麗な形状へ治っていた。

 天女と見まがう桜華に見惚れる男。たおやかに微笑んで安心させ、静かに立つ。


「天斗、手を抜いては駄目よ」

「はいは~い」


 襲い来る巨大猿を一瞥すれば、巨大猿は硬直し、勢い余って転倒。

 天斗の怪しげな光を滲ませる金色の瞳と視線が交錯(こうさく)した直後だった。

 動くことも声を上げることもできない。

 焦りを滲ませる巨大猿だが、天斗が指を鳴らした直後、青白い妖火の抱擁(ほうよう)を受けた。

 火を使えば建物が燃えると思い出した大剣使い。だが、炎が消えると我が目を疑う。

 青白い炎が生じた場所に、一切の焦げ跡すらついてなかった。


「安心しなよ。ボクの炎は妖術。どれを燃やすも燃やさないも思いのままさ」


 思考を読まれた大剣使いは、ゾッと背筋を凍らせる。


「魁~」

「既に終わった」


 天斗が呼びかけた時には、残った巨大猿の姿が全て消えていた。

 十匹中、八匹もの群れを魁が(ほふ)ったのだ。

 魁は鞘に納めた大太刀を片手に、もう片方の手には手頃なビニール袋があり、中には巨大猿の魔物が残した石が詰め込まれている。


 黒曜石のようでいて禍々しい靄――瘴気を纏う石を『魔核(まかく)』と呼ぶ。

 魔核は完全に消滅させなければ再び魔物を生み、その瘴気は周囲を汚染する。

 神職に類する異能者でなければ浄化は難しく、完全消滅に至っては担い手が限られる。故に世界各国が抱える、最も苦労する問題の一つ。


「結構大きな魔核だねぇ。それも十個」

「浄化はどうする」

「桜華姐さんに頼むのもいいけど、彼等の面目もあるからね~。ご主人の判断に任せようか」


 天斗が天井へ目を向ける。つられて男達が顔を上げると、絶句する。

 そこに、青銀色の龍が宙に存在していたのだ。

 水龍が優雅に降下すると、そこに美しい巫女と、一人の少女がいることに気付く。

 二人が降りると、水龍は豪奢な衣装を纏う、銀の角を持つ青年へ姿を変える。

 美貌の人化に度胆を抜く中、天音が微笑で彼等を(ねぎら)う。


「みんなお疲れ様」

「あの程度、運動にすらならないがな」


 魁が物足りなさそうに言うと、天音は苦笑する。


「八級だからね。こんなところに三級でも出たら周りが危ないでしょう」

「そうよ。短絡的なことを言ったら、退魔士の面目も丸潰れじゃない」

「うっわぁ、痛烈~」


 珠那が毒を吐くと、天斗はけらけらと笑う。

 笑い事ではないのだが、彼等彼女等にとって巨大猿など塵芥(ちりあくた)なのだろう。


「怪我人も桜華姉が治したことだし、アリエル姉達と合流しなくちゃ」

「うん。でも、その前に……」


 珠那に頷いた天音は、水使いの異能者へ声をかける。


「館内放送をしてもらっていい? 魔物は倒したって。じゃないと怪我人が増えるから」

「怪我人……?」


 理解が追いつかない異能者に、天音は呆れる。


「パニック状態で外に逃げようとしたら、押し合いで怪我するじゃない」

「そうね。子供だけは二階に保護しましたが、親元に返さなくてはなりません」


 同意する桜華に、三人の異能者は顔色を変える。

 家族や友人と総合百貨店に訪れていたのだろうと推測できる反応だ。


「私達は子供達の安否を確認しに行くから、放送はお願いね」

「わかった。……頼みます」


 水使いの異能者が真剣な顔で頼むと、天音は淡く微笑んで頷いた。



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