05‐03:魂の救いと誓い
「気分はどう?」
柔らかな表情で訊ねた天音からは、先程感じた神々しさは薄れていた。けれど、僅かばかり神気を肌で感じ取り、天音は【希望の箱庭】における神なのだと実感した。
「……なんだか、不思議な気分……て、言えばいいかな」
「凪祇自身は【血の制約】の影響が少なかったから。問題は伊緒理さんね」
「え?」
天音の言葉に、凪祇は疑問符を浮かべて隣へ向く。
花咲家の当主だが、凪祇と違って【血の制約】の影響下にあったのだ。何らかの異常が起きても不思議ではない。
伊緒理は目を瞑ったまま微動すらしないのは、本来の異能が体に馴染むまで時間がかかっているのだろう。
「【北辰大皇】は天皇家の異能【大日本天皇】に匹敵する価値があるのは理解してる?」
「……そうなのか?」
「あちらは神事に特化しているけど、【北辰大皇】には対魔物に加えて、配下にある軍隊の戦闘能力を飛躍的に上げる『破軍』がある。貴方の異能があれば、他国からの侵略戦争が起きたとしても負ける確率は大幅に減るでしょうね」
天音の言う通り、天皇家の異能は神祖たる天照大御神を筆頭とする神々を祀るためにある。
対する花咲家の異能は軍事力に関係し、弱体化の封印を施すまで一族は無敵だった。
だが、伴侶だった巫女の予言によって、【血の制約】を受け入れた。
「【血の制約】をしなければ当時は亡びなかったでしょうけれど、当時の一族の長の状況を考えると苦肉の策だったの」
生まれたばかりの我が子では、異能の制御どころか戦場に立てない。自身も病に侵され死期を待つのみ。その間に天皇家の血筋に当たる皇子に攻め込まれては滅んでしまう。
幾ばくも無い命と引き替えに、我が子の存在を隠匿し、一族が存続することを願った。
そうして現在に至り、【血の制約】から解き放たれたのだ。
「子孫を遺すために敢えて封印した。巡り巡って、この国の守護の旗本になるように」
花咲家の先祖は、いずれ来る大戦に備えていた。
しかし、第二次世界大戦まで【血の制約】から解放されず、悲願は叶わなかった。
平和な現代においては不要な危険因子だが、いつまでも縛られる道理はない。
「でもそれは昔の人の願いであって、今を生きる貴方達には関係ない」
だから先祖の悲願を理由に戦わなくてもいい。無理に縛られなくていい。
「自由に生きていいの」
そっと凪祇の頬を撫で、彼の幸福な未来を祈りながら言い聞かせた。
願いが込められた手のひらの温もりを感じて、凪祇の瞳から大粒の涙がこぼれる。
心を縛る何かが消えたような解放感を覚え、涙が止まらなかった。
不安定ながら意識を保っている伊緒理も同じようで、涙で頬を濡らした。
伊緒理の意識が回復し、気持ちも晴れやかになった昼下がり。
神桜の許で手製の昼食を広げ、のんびりとピクニックに洒落込む。
「うめえ! なんだ、これ? めちゃくちゃ酒が欲しい……っ!」
霧島がピクルスたっぷりのタルタルソースを使ったサンドウィッチを絶賛する。
菓子だけでは物足りないだろうと食事系の茶請けも用意してよかったと天音は思う。
「お土産用に包んであげるから、今日の晩御飯にどうぞ」
「おおっ、すまん! 助かる!」
護衛部隊の隊長として自炊はしているが、疲れている時はなかなか作れない。
いざという時の非常食にもなる料理が手に入り、霧島は大喜びだ。
「ネモフィラ・プラチナスカイと桔梗……のようですが、少し違いますか?」
「あちらの桔梗より薬効成分が高いし、こっちのネモフィラには精神を整える効果があるの。ここで昼寝すると、起きた時がとても気持ちいいよ。っと……すみません」
伊緒理の質問に砕けた口調で説明してしまった。
自分の世界なのでつい気を抜いてしまったと反省すると、伊緒理は首を横に振る。
「ここは現世ではなく、天音さんが創造した世界です。現世とは治外法権なのですから」
「……そう言ってくれるとありがたい。神域から出ると、どうしても変わっちゃうし」
「ええ。初対面に見せていただいた時は凄まじい神気を浴びましたから」
今は桜華の入場許可権のおかげで緩和しているが、それでも神気を感じる。
ただ、落ち着かないほどではなく、心が癒される心地に浸れた。
「んっ、んぐっ……! それ、聞いてない」
タルタルソースを混ぜ込んだ卵とレタスのサンドイッチを頬張る凪祇は、慌てて呑み込んで伊緒理をジト目で見つめる。
凪祇の表情からいろいろと察した伊緒理は、やれやれと言わんばかりの表情で語った。
「にしても、天音の過去があんなにも陰惨だったなんてなぁ」
ふと、霧島は食事前に見せられた天音の過去の追体験を思い出す。
凪祇と違って伊緒理と清香と同じ、軽めの痛覚設定がされた状態で受けたのだ。
食欲が失せるくらい酷いものだったが、神域の花畑の効果で復活した。
思い出すたびに怒りで腸が煮えくり返るが、正気を保ち続けた天音に畏敬の念を抱く。
そんな霧島の独り言に天音は苦笑した。
「【箱庭】と桜華とアリエルのおかげだよ。私だけじゃあ無理だったと思う」
「異能も実力の内だろうに」
けれど、この人柄だからこそ異能は応え、誕生した守護者達は天音を愛するのだろう。
本来なら一般の中学校を卒業し、聖帝学院へ進学する予定だったのだが、凪祇に発見されて護衛の依頼を受けた。
運がないと当初は思ったが、凪祇と出会ったことで運命が好転したのだと感じる。
異能を捏造できないまま進学していたなら、いずれ世界政府に目をつけられていた。
天音が護衛に就いたおかげで護衛部隊の環境は改善され、異能の情報の捏造を叶えられて、悪女対策を打てるようになり、人間関係の困難を乗り越えて凪祇と和解した。
花咲家は凪祇の代から、数百年に一度しか誕生しない元祖たる異能【北辰大皇】を持つ後継者が生まれるようになり、異能一族としての未来が明るくなった。
霧島自身も、人柄だけではなく行動力のある良い同僚に恵まれた。
「これからの未来に幸あれ、ってな」
グラスを掲げた霧島は、グイッと呷った瞬間に「ぐぶふぉっ」と噎せた。
祝い酒のつもりだったのだろうが、中身は有名な銘柄の炭酸飲料だ。
「ちょっ、大丈夫?」
焦って水を用意する天音。
遠目で見ている天斗は、ぷすーッと吹き出す。
「コーラ一気飲みで噎せるとか、忍君も面白いねえ~」
「天斗殿、失礼ですよ。祝杯の気持ちはありがたいことです」
「翠蓮くんも真面目。えらいえらい」
霧島の想いを受け取った翠蓮は苦言する。そんな弟分を褒めるアリエルだが、身長差から妹が兄の頭を撫でているようにしか見えない。
奇妙だが不思議と微笑ましい光景だと、凪祇は和やかな気分で眺める。
ふと、神桜の根元で神酒を嗜む魁の姿を視界に捉える。
一人で飲んでいるのは、許せない相手の近くに居たくないからだろう。
思い至った凪祇は口を引き結び、レジャーシートから腰を上げた。
「……何の用だ」
主人を見守っていた魁は、近くにやってきた凪祇を一瞥することなく問う。
あからさまに嫌われていると理解したが、凪祇は引き下がることなく皿に装った酒の肴になる茶請けを側に置きながら、正座の姿勢をとる。
そして、深く頭を下げた。
「申し訳ない」
勢いのある潔い謝罪に、魁は虚を突かれた顔で目を瞠る。
ここまで誠意ある謝罪を受けるとは思わなかった分、衝撃も一押しに強い。
「君の主人を蔑ろにしたこと、想いを踏みにじったこと。……挙げるときりがないけど、彼女の全てを貶めたことを謝りたい。それに仕事だとはいえ、俺をずっと守ってくれた君の努力を無下にした。謝って済む問題じゃないって分かってる。けど、けじめも込めて謝らせて欲しい。それから、君達の主人を害するだろうあの悪女から守ると誓う」
痛覚設定は無効にされたが、天音の過去を追体験した。
凪祇を含む人前では善人を気取る悪女――麻菜美のことは以前から胡散臭かった。
今回の追体験で本性を知り、底知れぬ怒りが湧いた。
おそらく今後の学生生活を送れば、必ず麻菜美と遭遇し、災難が降りかかるだろう。
また天音を苦しめるのであれば、持てる権力の全てをもって叩き潰したい。そんな苛烈な感情が宿った眼差しを受け、魁は吐息をこぼす。
「これ以上、我が主を貶めないのであればそれでいい。あの醜女に関しては我等が報復する」
「……確かに、一番天音を見守ってきた君達の特権だな」
天音を間近で見守ってきた。手出しが叶わなくて悔しかった。積もりに積もった怒りや憎しみを晴らすなら、天音の守護者が一番手だと言える。
そんな凪祇の理解の深さを知った魁は、拗らせなければ優秀なのだと察した。
「なら、俺のできる範囲で手伝えることがあれば言ってくれ。俺もあの女は赦せない」
「何かされたのか?」
おおかた凪祇の美貌と地位にすり寄ったのではないかと推測する。
しかし、そんな生温いものではなかった。
「あの悪女は、両親が犯罪者扱いされたのは義理の姉のせいだと吹聴しているんだ」
「……は?」
衝撃的な新情報に、思わず呆けた声が出た。次第に殺気が溢れ出す。
凪祇は怯みかけるが、気を強く持って続けた。
「天音を利用し、虐げておきながら今でも扱き下ろしている」
「……確かなのか」
「ああ。俺や見目のいい男に近づいた時は必ず悲劇のヒロインを気取ってる」
本性を知った今、女優になれるのではないかと思う。
聖人型の異能も相俟って「聖女」と呼ばれているが、本質は「悪女」。
最初から気味が悪かったが、その感覚の理由が明らかになって嫌悪感が増した。
天音への恩義だけではなく好意もある。だからこそ自分にできる手を打ちたい。
「俺でも可能なら天音を守りたいし、復讐の手助けがしたい。けど、天音は降りかかる火の粉を利用しても、自分から手は出さない人だ。だからあの悪女が何かを仕掛ける素振りがあれば真っ先に知らせるし、いい案があれば協力する。なんならボイスレコーダーや映像記録用の小型カメラを最新式の物で用意する」
「そこまでして、お前は何を望む」
下心があるのだろうと思って問いかけるが、凪祇は真っ直ぐな視線で告げた。
「天音の幸福な未来を。何の憂いもなく、心から笑っていて欲しい」
自分の心を救い、親子の仲を繋いでくれた彼女への恩返しもある。
だが、それ以上に天音には幸せになってほしい。幼い頃から苦汁を呑み、辛酸を舐め、感情を殺してでも正常であろうとした彼女の心を守りたい。
凪祇の強い願いが込められた言葉を聞いて、魁は深々と息を吐き出した。
「お前の申し出を受け入れよう。ただし、お前自身も無理をすれば主が悲しむと胆に銘じろ」
「分かっている」
今回の件で、守られる側だからこそ自分を大事にしなければならないと学んだ。
もう二度と自分自身の愚行で天音の涙を見ないために強くなろう。体だけではなく、心も鍛えようと決意した。
そんな凪祇の眼差しの強さを見抜き、魁は僅かに口角を上げる。
「ならばこれからは同士だ。学院では我が主を頼むぞ、凪祇」
「もちろんだ、魁」
魁は酒杯を、凪祇は炭酸飲料が入ったガラスコップを掲げて打ち鳴らした。
男同士の友情が芽生えた様子を遠目で見た桜華は微笑ましそうだが、珠那は不機嫌そうだ。
「珠那の気持ちは当然のもの。許さなくても構いませんが、心意気は買いましょう」
「……桜華姉は許せるの?」
「今後の主様への行動次第です」
少なくとも無闇に傷つけることはないだろう。桜華でさえ凪祇が抱く天音への感情は筒抜けなのだから。
自分達の主人を大切にしてくれるのであれば受け入れる。ただし、心を傷つけるのであれば情け容赦は無用。
今は静観し、凪祇の誠意を試す時だ。
「主様を幸せにできない男に、主様を託せるわけがないのですから」
薄ら寒く笑う桜華の気迫を間近で見た珠那は、ごくりと生唾を飲む。
とはいえ珠那も同じ気持ちなので、桜華の意向を支持した。
「……当然。まずはあたしたちを認めさせてみなさいっての」
凪祇への好感度は「マイナス」から「±」に変わったばかりなのだ。
ようやく出発点に立った凪祇を公正に見極める。それはきっと天音にとって大切なことに繋がるはずだから。
主人の幸福を何よりも願うからこそ妥協は許さないと珠那は意気込みに燃える。
天音の傍で焼き菓子を食べるアリエルは、うんうんと頷く。
「マスター、いい風向きに変わったね」
「ん……そうね」
もっと大変な試練が待ち構えているだろうが、『家族』がいれば乗り越えられる。
先の見えない未来を恐れるのではなく、乗り越えた先の幸福を目指すのだ。
(前世と違って、今世はそれができるのだから)
今でも陰鬱な〝過去〟を思い出して苦しむことがあるけれど、〝今生〟は違う。
幸福な人生を満喫して、満たされて逝く。それが天音の目標であり原動力だった。




