04‐02:『天狐』VS【大陰陽師】
「両者構え! ――始め!」
審判を務める神楽坂が、張りのある声で告げた。
直後、晴奈が動き出す。
「来たれ、十二天将が一、火の凶将『騰蛇』!」
バックステップで更なる距離を置き、鋭く告げれば地面に召喚陣が浮かぶ。
朱金に輝く陣は、二重の円に五芒星。
陣を中心に真紅の炎が吹き上がり、炎の中から現れたのは人影。
短い赤髪に鋭い灼眼、屈強な美筋肉を惜しみなく曝した褐色肌の偉丈夫。
真紅の衣装に黒曜石の服飾で着飾った男は、十二天将の一柱、火将・騰蛇。
「手加減はいるか」
「いらない。思いっきりやってしまって!」
晴奈が許可すると、騰蛇は凶悪な笑みを浮かべる。
対する天音は、冷静に分析して困り顔になる。
「火かぁ……ここは水剋火で翠蓮が適役なんだけど……」
護衛の仕事に支障をきたすようなことは控えたいが、下手な手加減は礼儀に反する。
少し迷うと、傍らに狐の耳に四本の尾を持つ青年・天斗が姿を現す。
「ボクでも大丈夫だよー?」
「そうなんだけどね、晴奈のサポートで邪魔される可能性が高いよ」
「モーマンタイ」
天音は可能性を捨てきれず注意するが、天斗は不敵に笑う。
「ここはボクを信じてよ」
ニッと口角を上げる天斗。
自信満々だが、油断は感じられない。
天斗の鋭い眼光を受けて、天音も不敵に笑う。
「任せた」
たった一言。そこに込められた全幅の信頼に、ゾクッと背筋が痺れる。
高揚感が湧き上がり、天斗は口角をつり上げて眼前を見据える。
獲物を狩る肉食獣の如し、研ぎ澄まされた気迫を醸し出した獰猛な笑み。
晴奈は頬を引きつらせて後退り、騰蛇は横柄な態度で鼻を鳴らす。
「フン、たかが四尾の妖狐風情が、この俺に敵うと思っているのか?」
傲慢にも見下す言葉を投げかける騰蛇。
しかし、天斗は挑発に乗らない。
「うっわぁー。十二天将の一角なのに、その体たらくはウケる~」
「……あ?」
むしろ挑発し返した。相手にとって一番刺さるだろう言葉と態度で。
片手を口元に当てて「プークスクス」と天斗は笑う。
神経を逆撫でされた騰蛇はこめかみに青筋が浮かび、右手から炎を放出する。
苛烈な神気が込められた炎が直線状で向かう。
さながら火炎放射器のような一直線に、天斗は口角をつり上げる。
「甘いなぁ~」
パチンッと右手で指を鳴らす。
次の瞬間、炎がうねり、空に向かって反り上がる。
騰蛇の意思ではない炎の動きに思わず手を止め、晴奈を守るために後退する。
空に舞い上がった炎は一つに固まり、四本の尾を持つ狐へ姿を変えた。
「何ッ!?」
「キミねぇ、四尾の妖狐が弱いって決めつけるの、よくないよぉ? こうして足元を掬われるんだからさぁ」
不気味な嘲笑を浮かべ、指先を騰蛇に向ける。
言葉もなく命じられた炎の妖狐は空中で力を溜め、騰蛇に襲いかかった。
このまま避けると後ろにいる晴奈に当たってしまう。
すぐさま晴奈を抱きかかえて回避するが、炎の妖狐は軌道を変えて飛びかかる。
軽やかな身のこなしは、まるで生きているかのような躍動感を感じる。つまり、騰蛇の炎を完全に奪ったうえで制御しているのだ。
これが単に奪っただけなら支配権を奪い返せばいいだけの話だが、騰蛇の炎にはない不純物が混ざり込んでいた。
天斗の妖力だと気付いたからこそ、支配権を奪い返す手段は潰れた。
本来なら下位の神であっても、神気が込められた炎を簡単に支配できるはずがない。
「たかが妖狐風情が……!」
驚愕もあるが、己の炎を利用された屈辱も相俟って殺気立つ。
「謹請し奉る! 水分神よ、神炎を打ち消し給えとかしこみかしこみ申す!」
そこに、腕の中から鋭い声が聞こえた。
視線を下げれば晴奈が二本指を立てた両手で印を組み、炎の妖狐を睨んでいた。
唱えた呪文は、仏教の神仏に加護を願う『陰陽術』。
「水龍神勅 急急如律令!」
急ぎ律令の如く謹んで願い求めたのは、仏教の十二天が一、水天。別名・水分神。
竜を支配するとされる水の神から力を借り、構築したのは水の龍。
髭から鱗の細部まで現実味を与える芸術的な造形美は、見る者の心を奪う。
対峙する天音は感嘆の吐息を漏らしつつ目を輝かせ、天斗は好戦的な笑みを浮かべる。
水龍が炎の妖狐を迎え撃ち、激しいぶつかり合いの末、水蒸気爆発が起きる。
ゾッとするほどの攻撃を仕掛けられたのだが、晴奈は気丈にも騰蛇を一喝。
「騰蛇、冷静になって! 相手はただの四尾の妖狐じゃない。天狐よ!」
天狐とは、千年の時を経て神通力を得た善狐。尻尾は四本に減るが、九尾狐とは比べ物にならない力を持つ、狐妖怪の中では最強の妖狐。
晴奈も先月末の実技で、天祢が戦うまで気付けなかった。気付いた時には既に遅く、まるで児戯だと言わんばかりの余裕な態度で天祢は圧倒されていた。
油断さえしなければ互角まで渡り合えたはずだが、今回は敢えて騰蛇を出した。
何故なら騰蛇は、十二天将の中で最も強い火の天将。凶将の側面の通り、善性の強い吉将より気性が荒々しく好戦的で、何より誇り高い。これまでの戦闘で自分以上の敵と相対してこなかったこともあり、自信過剰で傲慢な性格が目立つ。
だからこそ自分より強い敵と戦うことで、見下す態度を矯正しようと計画していた。
まさか身の危険を感じるほどの激闘になるとは計算外だったが。
「なっ、何故それを早く言わない!」
騰蛇は声を荒らげて晴奈を責める。
もっと早く教えてくれたなら、いくらでも対策を練られたはずだ、と。
「それはキミを成長させたかったんじゃないの~?」
不意に背後から聞こえる、のんびりとした声。
ひやりと氷水を被ったかのような冷たいものが全身に駆け巡る。
反射的に身を翻したが、腕に走る痛みで回避し損ねたのだと知覚する。
背を向けていた場所へ目を向ければ、右手の爪を赤く染めて艶然と笑う天斗。
敵を追い詰めるのはいいが、護るべき主人から離れていいのか。
だが、今なら倒せる。そう思って天音へ目を向けると、彼女の前には天斗の姿が。
「えっ!? 分身……!?」
「さすがは陰陽師。洞察力もピカイチ~」
パチパチと拍手する天斗は、前回と変わらず余裕綽々。
奥歯を噛みしめる騰蛇に向けて、天斗は嘲る。
「キミさぁ、相手を見極めようとしないでしょー? 自分より強い奴はいないって。そーいう油断が、キミの大切なご主人サマを危険に晒すことになるんだよぉ?」
天斗の指摘に、ハッと騰蛇は気付く。
腕の中にいる晴奈の体が微かに震えている。
騰蛇の炎を利用され、強力な攻撃を仕掛けられたのだから当然だ。それでも晴奈は陰陽術で迎え撃った。並大抵では得られない胆力と精神力で立ち向かったのだ。
対して、騰蛇はどうだ。恐怖を抑え込んで戦う主人を抱えて、回避に集中するばかり。動揺して逃げるばかりで満足に戦っていない。
天斗は天音を守るために出し惜しみせず、騰蛇を追い詰めている。
歴然の差に、天斗だけではなく自分自身への怒りを覚えた。
「騰蛇」
落ち着きのある、晴奈の澄んだ声。
視線を向ければ、晴奈は騰蛇を真っ直ぐ見据えていた。
凛然とした強い眼差しを受けて、騰蛇は戸惑う。
「大丈夫。貴方はまだ強くなれる」
期待だけではなく、成長の可能性を信じている言葉。
絶対の信頼を寄せる主人の思いに、騰蛇は衝撃に撃たれた。
「ようやく気付いたぁ? キミがどれだけ彼女に信頼されているのか」
天斗を見れば、彼は厳しさだけではなく優しさを込めた微笑を浮かべていた。
これはただの戦いではない。騰蛇の成長を促すための試練だ。
ようやく思い至った騰蛇は、自らの未熟さに恥じ入ると同時に感謝した。
「……ハッ。敵だというのにお人好しすぎないか?」
「晴奈ちゃんはご主人の初めての友人だからねー。多少の贔屓は当然さ」
天音の初めての友人。その言葉に晴奈は引っかかりを覚える。
けれど天音の過去を思い返せば、家族以外の他人は信用できず、ずっと距離を置いていたのだろうと察せられた。
「それにキミを見て、ご主人は晴奈ちゃんの思惑に気付いた。だから胸を貸してあげようってお願いされたんだぁ」
「えっ」
いつの間に?と晴奈は驚く。
同時に友人と認めてくれているのだと知り、晴奈は嬉しくなって頬が緩む。
「天音には感謝しなくちゃ」
「うんうん、晴奈ちゃんはいい子だねぇ。ボクもキミのそういうトコ、結構好きだなぁ」
天音の守護者にも認められて喜ぶ晴奈。
久しぶりに見る心からの笑顔に、騰蛇は衝撃を受けた。
土御門家の当主。その重圧に耐えるばかりで笑顔が減った。
それを天音――新しい友人が引き出したのだ。
自分達だけでは叶わなかった笑顔に悔しさを覚えるが、天音へ感謝の念が芽生える。
「……晴奈、下ろすぞ」
「ええ。頑張って」
晴奈の信頼に応えたい。その思いから天斗を見据える。
騰蛇の右手から炎が迸る。凄まじい烈火は縦長に伸び、一振りの剣に変わった。
赤い炎の如し色合いが美しい剣を見て、天斗は薄く笑う。
直後、天斗の姿が揺らぎ、凄絶な美貌の鬼へ変貌を遂げた。
その姿は、家族の中で最高の武力を誇る『鬼神』魁。
武術なら魁に頼るべきだが、彼は凪祇の護衛のために天音から離れている。
だからこそ変身した相手の力を模倣する『万能変化』を行使したのだ。
鬼神へ変わった天斗は、魁が鍛え上げた一振りの古刀――大太刀を召喚する。
芸術的価値のある美しい大太刀を構えると、騰蛇は好戦的な笑みを口元に刷く。
「行くぞ」
「来なよ」
天斗の真剣な声音を聞き、本気を出すのだと悟る。
ならば胸を借りる気で戦おう。
覚悟を決めて、騰蛇は踏み込んだ。
――戦いが激化する。
目で追うにも困難な打ち合いの合間に、騰蛇は炎の蛇を放つ。
鬼神は大太刀を構えると炎の蛇を一太刀で払い、そのまま騰蛇の剣技に迎え撃つ。
小手先の技もあるが、所々で大味の技まで繰り出される。
見る者を魅了する戦いに、審判であるはずの神楽坂でさえ、時間が過ぎても止められない。
観戦する凪祇でさえ興奮を覚えるほど釘付けに見入る。
しかし、激闘が続くにつれ、徐々に騰蛇が押されていく。
それを黙って見守っていられる晴奈ではない。
「――ナウマクサンマンダ、バサラタ、センダマカロシャナタヤ、ソワタラヤ、ウン、タラタガン、マン。」
晴奈は両手で外縛印の形を作り、真言を唱え始めた。
続いて剣印、刀印、転法輪印へと呪文ごとに切り替えていく。
「――オン、キリリ、キリ。――オン、キリ、キリ、ソワカ。――ナウマクサンマンダ、バサラタ、センダマカロシャナタヤ、ソワタラヤ、ウン、タラタガン、マン。――」
相手は天狐。神通力を得ている時点で神位に届く。安倍晴明の母・信太狐で有名な宇迦之御魂大神の眷属、霊獣・白狐と同格と予想するが、【希望の箱庭】の副次的な権能『守護者誕生』で〝天音という神〟に生み出されたなら神獣とも考えられる。
普通の悪霊や並みいる妖怪に使う縛魔術では通用しないだろう。
ならば神すら縛る『不動金縛りの法』を以てすれば動きを封じられるはずだ。
「――オンキリ、ウン、キャグウン。――」
外五鈷印、諸天教勅印、内縛印を用いる真言を唱え続け、刀印を左脇に添え、鞘に仕舞うが如く弓手を添える。
騰蛇には悪いが、特級異能者として、土御門家当主の陰陽師として手を抜けない。
「――センダマカロシャナタヤ、ソワタラヤ、ウン、タラタガン、マン――!」
最後の数節を唱え、晴奈は居合術のように刀印を振り上げる。
一度も目を逸らさず、狙いを定めて。
――それが悪手だと、思い浮かべることなく。
「キャアッ!?」
最後の一節に合わせて振り下ろしかけた直前、後ろからその腕を掴まれた。
いつの間にか増やされていたようだ。天斗の分身体に術を阻止されてしまった。
不動七縛印に集中しすぎて、背後へ忍び寄る気配に気付けなかった。
否、そもそも『隠形』で姿どころか気配すら消していたのだから無理もない。
「なっ!? 晴奈!」
耳に届いた晴奈の悲鳴に意識が逸れる。
「余所見禁物ぅ~」
刹那、天斗の渾身の一撃が繰り出された。
鬼神の権能『怪力』が更なる相乗効果を齎し、受け止めた騰蛇は晴奈の横を通り過ぎ、訓練場の壁に激突。
「騰蛇!!」
悲鳴じみた声で晴奈が駆け寄ると、騰蛇は力無く瞼を閉じていた。
気絶しているだけだが、最後の一撃を受け流すことなく真っ向から防いだせいで、腕があらぬ方向へ折れていた。
青ざめた晴奈は陰陽術で治癒を施す。
二体の分身はそれを見届けて消えると、本体の天斗は深々と息を吐く。
「つっかれたぁー」
「お疲れ様。分身で戦うのって、本気の時は意識を分身に移すんだっけ」
「『共感覚』を使えば大丈夫。今回は集中したかったから『並列思考』で操ったんだよ」
創造された当初、天斗に『並列思考』と『共感覚』を具えていなかった。
心理型の異能に分類される特殊能力を、神通力の一つで行っていたのだ。
生まれながらの能力ではない、天斗独自で編み出した技術の一つ。
改めて天斗の努力を知り、天音は素直に称賛する。
「天斗も成長したね。帰ったらご褒美をあげるけど、何がいい?」
「稲荷寿司。具ありと具なしの両方」
「じゃあ、今晩のご飯は稲荷寿司に決定!」
「やったぁ」
笑顔で宣言すると天斗は拳を握って喜ぶ。
無邪気な笑顔に天音も感化されて、より一層笑みが深まった。
「……何なんだ、これは」
観戦していた凪祇は、天音を見て胸が苦しくなった。
家族や親しくなった相手には見せるのに、自分にだけ見せない自然体な笑顔。
どうして笑顔を向けない。
どうして頑なに壁を作る。
凪祇は腹の底から苛立ちが込み上げて、拳を強く握りしめる。
「凪祇様……?」
もどかしさから歪んだ凪祇の顔。
珠貴は今までに見たことのない、彼の苦悶の表情に戸惑う。
理由を尋ねようとしたが、授業の終了を告げるチャイムで叶わなかった。
◇ ◆ ◇ ◆




