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 第六章 かたまらないコーヒーゼリー

 金曜日にぼくは実家に帰った。土曜の同窓会がどうなったのかを確認するためにだ。

 欠席するにしてもぼくは無断欠席なんてできない。会社から電車で一時間の自宅だけどあえてぼくは社員寮に入っている。お節介を焼きたがる母と陽子をさけるためにだった。靴下とネクタイの柄は毎日そろえなきゃだめなんて朝の出がけにくどくど言われちゃやってられないから。

「あっお兄ちゃん。お帰り。あたしね。コーヒーゼリー作ったんだよ。食べて。ねっ食べてよぉ」

 陽子がぼくの顔を見るなりからんで来た。ぼくはたったいまの陽子の行動を思い返す。陽子がいたずらを仕掛けるときかならずふくみ笑いでぼくに近づく。ぼくはそれに気づかないふりをして引っかかってやるのにいつも苦労する。いまはふくみ笑いはなかった。いたずらじゃないらしい。

 ただいたずらじゃなくても油断はまずい。陽子にとってぼくは兄ではなくどんな命令でも聞く子分であり実験台だった。中学高校大学とぼくが家にいなかったせいで陽子の中では小学生のぼくに対する接し方がいまだにつづいているようだ。ぼくも陽子に妹らしさを求めてもむだだと思っているけど。

「ああ。わかったわかった。食べますよ食べます。食べさせていただきます」

 毎日缶コーヒーとスポーツドリンクを売りあるいている兄にコーヒーゼリーだなんてと思いながらぼくはテーブルにつく。母はスーパーに買い物らしいからいまのうちに陽子の用をすませて自室に避難すべきだった。

 母が帰宅をするとおやつを山ほどすすめられる。元々お節介なのかぼくが長いあいだ家をあけていたせいか母もぼくを小学生あつかいにする。盆に帰ったとき食玩と呼ばれるオマケ入りお菓子を山づみにされたのには引きつった。ぼくはもう小学生じゃない。かといって売りあげに貢献しようとわが社の製品を帰るたびに出されてもこまるが。

 冷蔵庫をあけた陽子がすっとんきょうな声をあげた。

「ありゃりゃ。なにこれぇ? かたまってなーい!」

 陽子の手にしたカクテルグラスには琥珀色した液体がチャプチャプとゆれていた。いつかぼくはこの母娘に毒を盛られて殺されるんじゃと思いながらツッコミを入れる。

「ゼリーは沸騰させるとかたまらないんだけど知ってた?」

 ぼくが口をはさむと陽子がぼくをにらみつけた。

「つまらない指摘をするとかむわよお兄ちゃん。そのくらい知ってるもーん。ちゃんと説明書に書いてあった。説明書どおりに作りました!」

「じゃなんでかたまってないんだよ?」

 正真正銘のコーヒーゼリーなのかと疑いながらぼくは陽子の手にしたカクテルグラスを指に取った。匂いはコーヒーだ。味はとおそるおそる口をつけた。とんでもなくあまい。

「なにこれ? 本当にこんなあまい配合なのか? どんな本を見たんだ?」

 いまどき駄菓子でもここまであまくない。上白糖をそのまま舌に乗せたあまさだ。陽子が棚からゼリーの箱をつまんで中の説明書をぼくに広げた。

「このまんま作ったのよ。砂糖大さじ一。コーヒーはひきたてのモカ。ゼリーの粉を入れてからは沸騰させなかったわ」

 見おぼえのないメーカーのゼラチンだけど単純な作り方が記載されていてあやまりそうにない。でもその分量でどうしてこんなにあまくてしかもかたまらないコーヒーゼリーができる? ぼくには理解できなかった。

 ただ箱の中をのぞいたぼくは気になるものを見つけた。ゼラチンの分封がひとつ封は切ってあるけど中身を大半残したままクリップでとめられていた。

 ははーん。かたまらなかった原因はこれだな。

「あのさ陽子。このひと袋を全部入れなきゃだめじゃないの?」

 ぼくのつまむクリップつきの分封を見て陽子が虚を突かれた顔をした。そんな質問が来るとは予想しなかったらしい。ぼくとしては当然の問いだったんだけど。

「えっ? だ? だって説明書に『ゼラチン五グラム』って書いてあったのよ? だからあたしハカリで五グラムをはかったわ。それはあまりよ」

 ぼくはゼラチンの箱を見た。五グラムの分封が十袋入りで合計五十グラムと表記されている。箱の中には封を切ってないものが九と封を切ったものが一だ。なにかのかんちがいで五グラムをはかりまちがえたらしい。だからゼラチン不足でかたまらなかった。

「どのハカリを使ったんだ?」 

「これよ。こないだママが買った最新の電子バカリ」

 デジタル式のハカリを陽子が箱から出してぼくの前に置いた。電源ボタンを押すとゼロが液晶表示された。ぼくはその上に新品の分封をひとつ乗せる。すると表示は五十七だった。

「あれれ? 一袋五グラムのはずだぞ?」

 ぼくはあわてた。こんな軽いものが五十七グラムだなんてそんなバカな。

 こわれているのかと思ってハカリの説明書をよく読んだ。十分の一グラム単位の詳細表示機能つきと記されていた。機械に弱い母が切りかえスイッチを十分の一グラム表示で使っているらしい。電化製品の説明書をはなから読まない陽子もその数字を信用したんだろう。

 なるほどとぼくはハカリを裏返した。裏面にある切りかえスイッチを標準グラム表示にパチンとずらす。ふたたびはかると今度は分封一袋が五から六のあいだでゆれた。

 内容量が五グラムで包装材の重さが足されるから五を越えるらしい。ぼくは陽子にそう説明した。

「うーん。そっか。そだったのかあ。便利な機械って便利すぎてもこまるのよねえ。でもこのやたらあまいのはなんで? 砂糖は大さじではかったんだよ」

 陽子が引き出しから料理用計量スプーンを取ってふった。一缶のコーヒーにどれだけの砂糖が入っているかぼくも学習させられた。だから陽子の指摘した量の砂糖でこれほどあまくなるとは思えない。

 むしろ大さじ一の砂糖ではすくないはずだ。さらに陽子が計量スプーン一杯をはかりちがえるマヌケとはもっと思えない。わざとぼくに妙なものを食べさせるつもりじゃないかぎりは。

 ちなみに陽子のいたずらはかたまらないコーヒーゼリーなんて生やさしいものじゃない。きっとカキンコキンに凝固して歯がおれる超金剛質ゼリーをぼくに食べさせるはずだ。くふふふふとふくみ笑いをもらしながら。

 ぼくはそこでふと気づいた。ひょっとすると陽子にとっていたずらは愛情の裏返しじゃないかと。

 陽子の過去の行動を思い返す。ぼくらはあまりに年の離れた兄妹だからうまくじゃれつけず小学生のぼくの注意を引こうとプラモをこわしたんじゃ?

 話題やあそびはまったくすれちがう年齢と性差だから陽子は教科書に『バカ』と書くしかぼくと接点が持てなかった? 幼稚園児の陽子は『あそんでよお兄ちゃん』とずっと言っていたのかも? 小学五年生のぼくは幼稚園児の女の子とあそぶなんて考えもしなかった。

 過去の陽子を思い返してもコービーゼリーの甘味過多とはむすびつかなかった。結果ぼくは自分で否定した最も安易な解釈をつい舌にのせた。

「このあまさがどういう理由かはわからないよ。お前がやっぱり砂糖をはかりまちがたんじゃ?」

 でもここまであまくするには五倍の砂糖を入れなきゃならないはずだけど?

「んなわけないっ! あたしちゃんとはかったっ! この命を賭けてもいいっ!」

 陽子がむきになって口を突き出した。

 しまった! またよけいなひと言を!

 そうぼくは自分を呪った。こうなるとぼくは途方に暮れるだけだ。

 どうやってつむじをまげた陽子の機嫌を取ろう?

 ただお説ごもっともと頭をさげたところで陽子は納得しない。納得できる理由を示さなければ陽子の機嫌はもどらない。こちらが下手に出るだけじゃおさまらないのが陽子のつむじの厄介な点だ。

「ならこうするか。もう一回同じものを作ってみよう。それで同じ味にならなかったらお前が砂糖の量もかんちがいしたんだよ。そうだろ? 同じ味になったら陽子のはかりまちがいじゃない。コーヒーそのものに砂糖が入ってたんだろうな」

「でもコーヒーも目の前で豆からひいてもらったんだよ?」

「じゃそのコーヒー豆がとてつもなくあまい品種だったんだろうさ」  

 そんなあまいコーヒーなんて存在しないとぼくは知っている。その場しのぎに言いつくろっただけだ。陽子が砂糖をはかりそこねたで決まりだ。

 大さじ一杯と計量カップ一杯を混同したにちがいない。でないとここまであまくはならない。陽子もすでに気づいているけど認めるとはずかしいからごねているんだきっと。俗に言う『引っこみがつかない』ってやつだろう。陽子の意固地につき合うのはなれている。

 ぼくは陽子とかたまらないコーヒーゼリー作りに挑戦した。かつてあそんでやらなかった懺悔の代わりに。

 まさかこんな些細な失敗がのちのちぼくの仕事に大きくかかわって来るとは思わなかったけど。


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