第二十一章 ダイエットコーヒーゼリー作れ岡野
十二月も半ばをすぎたころだ。営業二課に結婚式の案内状がとどいた。差出人は三津谷社長だった。新婦は加西香織となっていた。
さっと目を通した係長がぼくにその往復ハガキを投げて寄越した。
「三津谷社長が再婚するらしいが加西香織って誰だ? お見合いでもしたのかな? 岡野。お前は絶対に出席しろと書いてあるぞ」
ぼくは加西香織の名におぼえはあったけど誰かは浮かばなかった。山田がぼくの手にわたったハガキを横取りして読みあげた。
「なになに『岡野。お前には世話になった。めでたく結婚に成功したから式に出ろ。再婚だから祝いはいらん。今度の女房はお前に惚れている。お前にその気があるなら女房はお前にゆずる。三津谷』ってなんだよこれ? 岡野。お前の彼女を三津谷社長が盗ったのか?」
ぼくはハッとした。加西香織ってミサだ。ぼくはミサにもらった名刺を探してミサにかけた。
「ミサ。いま結婚式の案内を受け取った。いいのかあんなオヤジと結婚して?」
『あんまりよくない。でもわたしおカネと引きかえにエッチないたずらをされるのはきらいだけど社長はプライベートでしたいって言うし土下座されたの』
「そんな理由で結婚して本当にいいの?」
『うん。社長。わたしの言いなりになってくれるし奥さんが死んでからずっとさびしかったんだって。だからなんだかかわいそう』
そのとき誰かがミサの手からスマホをうばう音がした。ぼくの受話器からもれ出た声は三津谷社長だった。
『おい岡野。あんなオヤジとはごあいさつじゃないか。まあお前のおかげで香織と結婚できたから不問に付すが。結婚式にはぜひ来てくれ。香織はお前に惚れてる。わしはお前の会社内での挙動を香織に報告して香織と会う機会をふやした。同情を買うのにも成功した。すべてお前のおかげだ。お前の指摘どおり酒場の女の子の歓心を買うのもコンビニの客の心をつかむのといっしょだったぞ。感謝の気持ちにプレゼントを用意した。だからひとつ答えてくれ。おまえ香織に気はないな?』
「いきなりそんな質問をされても」
そこに本人がいるのに気はないなんて言えるか普通? 気があったらどうするんだ?
『かまわん答えろ。香織と結婚する気はないな?』
しょうがないオヤジだなとぼくはあきれた。このオッサンも森崎心理学教室の客みたいだ。好きな女の子をいじめる旧タイプらしい。
もしぼくがミサに気があると答えたら本当にくれるつもりなのかな? 意地っ張りみたいだからそうするだろうなあ。
「ええ。誰とも結婚はできません。ぼくフィンランドで結婚しちゃいましたから」
なんだそりゃと係長以下二課室にいた全員が口をあけた。
『そうか。それで安心した。わしからのプレゼントは久住副社長にわたしといた。副社長から受け取ってくれ。じゃ結婚式で待ってるぞ』
「あっ社長。ぼくにプレゼントなんですか? ぼくがあげるんじゃなくて?」
『そうだ。お前からのしょぼいプレゼントなんかいらん。わしはお前からミサという最高の贈り物をすでにもらった。わしからの豪華プレゼントに狂喜しろ。お前の結婚祝いとクリスマスプレゼントになるはずだ』
三津谷社長が通話を切った。
そのとき係長が目でぼくの背後を示した。係長の視線を追ったぼくがふり返ると沼柿事業本部長が室外から手まねきをしていた。
「岡野。久住企画室長がお呼びだ」
沼柿本部長に連れられて企画室に入った。煙の中にすわる久住副社長がブスッとした顔でむかえてくれた。今日は格別不機嫌そうだ。
「ダイエットコーヒーゼリー作れ岡野」
「な? なんですかそれ?」
「業務命令だ。さからうことはゆるさん。以上」
久住副社長が出て行けと手をふった。沼柿本部長が先に部屋を出ると久住副社長が思い出したという顔でぼくを指でまねいた。
「お前のねがいをひとつ聞いてやれという指示もあったのを思い出した。おい岡野。飛ばしてほしい上司はいるか?」
ぼくは橋本係長を思い浮かべた。けどすぐに打ち消すと代わりにとっときの人物に思いあたった。
「います。名前は言えませんがわが社の副社長です。秩序を重んじるあまり変革をこのまないらしく苦労しました。早く飛ばしてください。次のポストでけっこうですから」
久住副社長が目をおよがせた。スタッフ三人が手で口をおおってクスクス笑いをかみ殺しはじめた。久住副社長がぼくをにらみつけた。
「次のポストに飛ばすとそいつはどう変わると予想してるんだ岡野?」
「まず責任が重くなります。すると秩序を取るか変革を取るかをメンツで決めるなんてしなくなるでしょう。個人のつまらない意地より自社の利益を最優先させるんじゃないですかね?」
久住副社長が歯をきしませた。かなりこわいぞそれ。言いすぎたかも。
「生意気な口をたたく若造をクビにする。そういうのもありえるぞ?」
えーいついでだ。社長に意見するなんて二度とないだろう。現在はまだ副社長だし。
「生意気な口をたたかない若造なんていまの日本にはいません。そんなまねをすりゃすぐ人手不足になるでしょう。誰とは言えない副社長は入社半年で課長にゲンコをくらわせて辞表をたたきつけたそうです。昔の人はいまの若造より過激だったみたいですね。事業本部長から聞きました」
「あのくそおやじか。おい岡野。そのなぐられた課長が誰か聞いてるか?」
「えっ? いえ。聞いてませんが?」
「地位は言えないが沼柿って名前のおっさんだ。自販機用に熱持ちのいいスチール缶を提案したところコストがかかりすぎると猛反対された。当時は亜鉛缶を使ってたんだ。いまとなっちゃ隔世の感しかない話だがな。おっさんまだあれを根に持ってたのか。わかった岡野。お前のねがいは聞きとどけてやる。そいつは早々に次のポストに飛ぶだろう。お前の期待どおりに変化するかは不明だがな」
「ありがとうございます」
部屋を出ようとしたぼくの背にまた久住副社長が声をぶつけた。
「おっと。もうひとつあった。総務の井坂レナはお前の女だろ。会社中の女子社員を煽動しておれの邪魔ばかりさせるのをやめさせろ。女は理屈が通用せんから話にならん。男が相手なら打つ手はあるが全女子社員のクビを切るわけにもいかんからな」
ぼくもひとつ訊いておくべき問いが浮かんだ。
「井坂さんはぼくの彼女じゃありませんけど注意はしておきます。ところで副社長。ぼくが左遷指名にほかの人の名前をあげればどうしました?」
「当然お前を左遷した。いまの上司がいやなら別の部署にうつればいい。そうだろ? ランキング八位が気に入らないならランキングをあげてやろうと考えてたんだが」
「まさか一位までごぼうぬきで来るとは予想してなかった?」
「そうだ。予想外の事態が起きるからこの世はおもしろい。若造に舐められるようじゃおれもまだまだだ。気合いを入れ直して一からはじめるか。来夏の商戦。お前には全国行脚してもらうからな。覚悟しとけよ!」
「は。はい。了解しました!」
企画室を出ると沼柿本部長が待っていた。いまのやり取りを立ち聞きしていたらしい。
「日本中のコンビニの五分の一がきみのコーヒーゼリーを置きたいそうだ。三津谷社長がかけ合ってくれたらしいな」
「それで副社長が圧力に屈したんですか?」
「圧力に屈したというよりむしろホッとした顔だったぞ。やはりまよってたんだろう。社内的にもあのプロジェクトは復活させるべきだと盛りあがりを見せてるしな。井坂くんが旗をふって全女子社員が井坂くんの初恋に協力しとるようだ。女の底力はすごいぞ」
なるほどとぼくは納得しつつ苦笑した。男全員が賛成するより女子社員全員の圧力のほうが効くってわけか。
強面の久住副社長も女には勝てないらしい。レナの初恋はかなえてやれそうにないけど感謝は伝えよう。
ぼくはまた新製品作りに忙殺されはじめた。でもすでにほとんどの作業を終えていたから前回の目のくらむいそがしさじゃなかった。
梅の花が散るころにはすべて終わってぼくはまた営業二課にもどった。今度は新製品の営業もしなくてはならなくなって営業の量が倍になったけど。




