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星の紡ぎ人   作者: 日向かげ
第二章 本土
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第二章⓪

一年前



 夜の闇があたりを支配し、見渡す限りに光はない。


 この世界で今を生きるのは自分だけでなかろうか、そんな感覚に陥る私の目はくっきりと開いている。すっかり暗さに慣れた眼球は、明かりのない部屋の様子を鮮明に捉えていた。


 机と椅子、それに私が腰掛けるベッドの揃った平凡で簡素な部屋だ。少々普通でないところがあるとすれば、床に数多と散らばる本であろうか。これだけ散らかった床に対して、物寂しい机上も異質と言えるのだろうか。


 視界が部屋を一周したのち、私は視線を手元に戻す。窓から差し込む月光を頼りに、読書にふけている最中だった。


 机の上には、一通の手紙だけが置かれている。誰よりも大切で、もう二度と会えない人からの、置き手紙だけが。




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 二年前。そう書き出された手紙を残し、兄は私のもとを去った。




 私が生まれ育った環境は、決して恵まれたものではない。私がまだ小さいとき、両親は忽然と姿を消した。二人が生きているのかどうかは、今もわからないままだ。


 それでも唯一の肉親である兄が、一人で面倒を見てくれた。両親は十分な資産を残してくれていたので、子供だけの生活で懸念されるだろう、金銭面に問題はなかった。


 兄は私の話をよく聞いてくれた。熱中した物語の話、目にした綺麗な蝶の話、私が見たくだらない夢の話ですら、兄は面白がってくれたのだった。


 人付き合いが苦手な私にとって、たった一人の話し相手だった。かけがえのない心の拠り所だった。私は、彼のことが大好きだった。



 そんな兄がいなくなった。



 心配するな、すぐに片付く。そう最後に記された置き手紙を、私は何度も読み返した。書かれた文字は涙でにじみ、今ではまともに読むこともできない。


 この二年間で、幾度となく自分を変えようと思った。たくさんの人と関わりを持って、兄の喪失で空いた心の穴を、どうにか埋めようともがいていた。


 さりとて、毎晩心に出てくるのは兄だった。彼がいないこの世界で、私が幸せに暮らすのは不可能だと知った。いつしか、外界との接触を避けるようになった。


 家に籠るようになった私は、残りの人生を読書に費やすと決めた。母の小説好きが影響して、家におびただしい本があったのは幸いだった。外出せずとも居間の本棚で事足りるからだ。こうして、居間と自室を行き来する日々が始まった。


 時の流れは早いもので、びっしりと敷き詰めらていた本棚も、月日が経つにつれ隙間が目立ち、代わりに部屋の床はどんどん見えなくなった。



 始まったものは、いつか必ず終わる。ついに最後の小説を読み終えた私は、大きな虚無感と、途方もなく胸に流れ込む兄との思い出を抱え、ベッドにごろんと寝転がった。


 果たして生きるとは、幸せとはなんだろう。窓の奥の悩みを感じさせない星空を見つめながら、私は自らに問いかける。


 私の人生は、小説の登場人物のように友人と助け合うものではなかったし、初恋の人と結ばれる甘酸っぱいものでもなかった。必ずしも空想上の彼らが正解ではないと理解しているけれど、少なからず羨望はあった。



 さまざまな思いにふける最中、小鳥のさえずりが夜明けの訪れを知らせてくれた。


「......カササギ」


 外を眺め、鳴き声の主を確認した私の口から、かぼそい声が漏れた。幼い頃から生き物は好きだった。カササギの青く澄んだ尾に惹かれたのか、私は気づけば部屋を出ていた。



 私は新鮮な外気に懐かしさを覚えながら、夜明け前の静かな街を歩いている。一切の人気が無いおかげだろうか、本来苦手である外の世界への恐怖はなく、私の足は軽かった。



 私が角を曲がった時のこと。不意に視界に飛び込んできたのは、まさに運命の巡り合わせを思わせるものだった。


 ありあまる人工物の中に、あまりにも不自然にそれは存在した。よく知られた動物の形をしているものの、全くの生気を感じない。


 ハクチョウ。まるでずっと前から、私が来るのを待っていたような佇まいである。息を呑むほど美しい羽毛に包まれた白鳥は、あたかも人間かの如く私と目を合わせた、気がした。


 ほんの数秒、時が止まった。そして静寂を打ち破るように、白鳥は舞い上がった。



 無意識だったのか、はたまた思うところがあったのか、自分の意志もわからぬまま、私は白鳥を追いかけていた。


 白鳥を見失うまいと足を進めるうちに、町の一角にある広場に着いた。生い茂る木々の隙間から、小鳥のさえずりが聞こえてくる。


 突然、私の歩調に合わせてくれていた白鳥が、別れを告げるように颯爽と羽ばたいた。みるみるうちに私の元を去っていく。


 白鳥が目指す先には、一帯の主人公ともいえる優雅な塔がそびえている。よく部屋の窓から眺めていた電波塔と、私は面と向かって対峙したのだ。


 空が暗いのも相まって、塔はいつもと違う威厳を帯びている。私は若干の恐れを抱きながらも、塔へ向かって歩き出した。


 しばらく歩いて塔の真下に到着した。もうじきに日が出るのだろう、周りが明るくなり始めている。


 私は塔に近寄ってみて、その四本の脚にそれぞれ設置された入り口のうち、一つが開いているのに気がついた。


 もちろん、本来この時間には開くはずのないものだ。ただの不備と言ってしまえばそれで終わりだろう。しかし、私には塔に誘われたように思えた。


 今ここに入るのは明らかに倫理に反しているけれど、私に迷いはなかった。塔にいざなわれるままに入り口を抜け、階段を一心不乱に駆け上がる。少しして、これ以上階段では上れないところまで辿り着いた。



 私はその光景を二度と忘れないだろう。私は足元にばかり夢中で、ひっそりと昇る太陽に気づかなかったのだ。一息ついてあたりを見晴らすと、はるか先にそれはあった。


 絶景だった。地平線のさらに奥から、太陽がこの世界を照らしている。一日の幕開けに立ち会うのは生まれて初めてだった。


 世界はこんなにもきれいで美しいのに、人類は地上数メートルの世界で窮屈に暮らしているのか。そんなことをふと思った。



「お兄ちゃん......」


 無意識に、声にならない声がもれる。


 私の声は、もうどうしたって兄に届きやしないだろう。だけど確かに、私の声は届いたようだ。私の思いに呼応するように、それは再び現れた。


 先ほどの私をここまで連れてきた張本人、というか鳥。それはそれは美しい白鳥が、太陽を背に羽ばたいていた。


「綺麗......」 


 自然と出た言葉だった。日光の影響なのか、それとも真の姿なのか、私には鳥の羽が透き通って見えた。半透明の翼に朝日が反射する様は、ダイヤモンドさながらに幻想的である。


 白鳥は大きく羽ばたいたのち、陽光めがけて一直線に飛んでいった。私はその姿が見えなくなるまで、そして見えなくなってもなお、太陽の光を見つめ続けていた。



 今思うと部屋を出た瞬間に、私の心は決まっていたのだろう。もしくは最後の本を閉じたときに。もしくは、兄がいなくなったあの日に。


 白鳥は本当に、私を誘っていたのかもしれない。いろいろな感情が沸き上がる。けれど、私は驚くほど落ち着いていた。



 私は、目の前の柵を超えた。目線は太陽から一度たりとも離さなかった。あの光では、私の夜は明けない。




 私は私の夜明けを求めて、神秘的な白鳥を追いかけた。



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