第一章⑦ 天命戦
ひと時の暴動も収まり、静寂に包まれたハル・エトワーレ広場に、アマネールは放心したように立っていた。
「世界を救うなんて大それたこと、僕にはできない。セルルスだって、あの人が来るのがもう少し早かったら......」
少年はぼそぼそと述べる。卑屈になったわけではなく、至って正直な気持ちだった。
ーー「世界で一番の、あなた様の味方です」
......何が星の力だ。何が人を救うだ。助けられたのは、僕の方じゃないか。
「何一丁前に落ち込んでるの。比べる相手が悪すぎるわ。彼、最強なのよ」
ーーったく、ダスランさんがあんなに嬉しそうなのは久々だってのに。
「自分を責めちゃダメよ。君がいなければセルルスは死んでた。あの場で間違いなく、君は一人の命を繋いだの。それにね、セルルスの言葉をよく思い出しなさい。君に気負われるのを、彼は望んじゃいないよ」
クレアはそう言ってほほ笑んだ。
「ちょっと休んでなさい。事情を説明してくるから」
◇◇◇◇◇◇
クレアが広場を後にして十分ほど、彼女は再び戻ってきた。長老とルエラを連れている。どう説明したのかは知らないけれど、二人とも普段の落ち着きを取り戻しているようだ。
今度は四人で、アマネールたちはコセリメージュの幹を囲むベンチに腰かけた。
死後の世の歴史、エステヒアの成り立ち、そしてペガスス座の星霊使いであるアリス・シアステラ。大蛇の出現によって途絶えた、これらの話を聞くためである。ただ何よりも前に、長老は禍々しい蛇の正体を教えてくれた。
先の大蛇のように、揺らめく漆黒のもやを纏う星霊は、総じて禍黎霊と呼ばれるそうだ。
禍黎霊は始原の星霊であり、具体的には、前世の魂の欠片を持つ繋がりし者が、天結を介さずに呼び出した星霊を指すらしい。天結なくして生み出された星霊には、宝石の煌めきが反映されないので、黒一色に染まるのだそう。
「禍黎霊こそ、かつて世界を闇で包んだ邪悪の権化。三百年前に勃発した、天命戦......世界を砕いた戦争の首謀者じゃよ」
天命戦とは、死後の世における歴史の転換点だそうだ。それを踏まえたうえで、長老は中断された話を再開した。
そもそも死後の世の始まりは、一つの巨大な浮島だそうだ。島と言っても大海原に浮かぶそれではなく、イメージ的には宇宙を漂う惑星に近いらしい。
「ここは彼の世。ひとたび人生を終えた者のうち、とりわけ生に執着した者が集う世界じゃ。言うなれば前世の続きじゃよ。それゆえに、前世の文明を擬えておる」
たしかにエステヒアの街並みには既視感がある。アマネールはここに降り立ってまず、ありふれた光景に安堵したのを思い出した。
「じゃが、前世とは決定的な違いがある。星霊じゃよ。
その昔、確固たる政治体制もままならぬ頃、何より物を言ったのは力じゃった。元より星霊を宿す繋がりし者が、権力者として名をあげたのじゃ。人ならざる力を持つ彼らは、瞬く間に勢力を拡大しおった。そして、星霊を神からの授かりものと謳い、持たぬ者を遠ざけた。星霊を神格化し、選ばれし者の力だと誇示することで、盤石な支配力を確立したのじゃよ」
かくして五百年ほど前、文明は最悪の形で収束したという。
星の力を持つ者が上に立ち、持たざる者を蹂躙する。単純明快な力という絶対的な尺度のもと、強者は恵みを享受し、弱者が泥をすする。それが世界の揺るぎない構造となったのだ。
しかし、クレアの上司らしき男が言ったように、繋がりし者が押しなべて悪人とは限らなかった。
中にはいたそうだ。人知れず牙を研ぎ、のさばる悪に噛みつかんとする繋がりし者が。真に平等な社会を志し、腐った世界を打倒せんとする人々がいたのだ。その内の一人、ペガスス座の星霊使いが生み出した道具によって、運命の歯車が廻り始めたのである。
「混沌の時代に一筋の光をもたらしたのが、他でもない、アリス・シアステラじゃよ。彼が発明した天結のおかげで、たとえ繋がりし者でなかろうと、星霊を呼び出せるようになったのじゃ」
至極簡単に言えば、天結は疑似的な前世の魂の欠片だという。本来の星霊の発現条件である、前世の魂と死後の魂の共鳴を、前世の誕生石を身に着けることで実現しているそうだ。
天結にあしらわれた前世の誕生石を、前世の魂の欠片に見立てることで、繋がりし者でなくとも星霊が顕現できるという原理らしい。
それに、天結の恩恵は繋がりし者にまで及ぶそうだ。前世の誕生石が魂の共鳴の補佐役として働くことで、星霊の制御がより容易くなるらしい。
セルルスを連れ去った男が、繋がりし者であるにも拘わらず、天結と思しきネックレスを着用していたのはそういう訳だったのだろう。
「世界が変わると、皆が思うたよ。星霊の有無による壁が消滅し、苛烈な権力差が埋まるとな。支配に苦しんでいた民が、未来に希望をはせたのじゃ。
ところが、天結を面白く思わない輩がおった。言うまでもないが、世界を統治していた連中じゃよ。持たざる者に星の力を与える天結、および発明者のアリス・シアステラ。奴らはその抹殺に乗り出したのじゃ。これは生易しい問題ではなくての、すぐさま世界規模の争いになった。それが天命戦じゃよ」
アリスを支持する者は、その証として天結を着けて戦ったそうだ。支配を貫かんとする禍黎霊と、アリス一派の天結を介した星霊の衝突である。すなわち天命戦は、星霊の在り方を、世界の在り方をかけた戦争だったのだ。
「悲惨な過去じゃ。深く語る必要はあるまい。お前もわかるじゃろう? 今の時代にも天結はある。戦争はアリス陣営の勝利で終結した。力で支配する世は幕を閉じたのじゃ。ただ、エステヒアに降り立った者としては知らねばならぬ。この地が、どういうところなのかを」
長老はここで言葉を区切り、おもむろにコセリメージュに目をやった。淡く発光する葉の隙間からは、木漏れ日の要領で差し込でくる星影が見える。
「先に言うた通り、天命戦で世界は砕けた。星霊の熾烈なぶつかり合いに耐えきれず、一部が欠けてしもうたのじゃ。元は一つの浮島じゃったが、新たに二つの小島が増えたのじゃよ。
今ではそれぞれに呼び名があってのお、大本の巨大な島を本土、小島の一つをメイエールと言う。もう片方の小島は、お前もよーく知っておる。この地、エステヒアじゃよ。
天命戦から三百年。アリスの意志を継ぐ者たちが築いたこの世界で、エステヒアは特別な島として重んじられておる。何しろここは、当時のアリス一派の本拠地じゃからな」
なんでもアマネールと同様、アリスはコセリメージュの木に大変惚れ込んだらしい。だから星空の下に煌めく大樹を守り抜くべく、この地に本陣を構えたそうだ。
「お前は使いのくじらを見たようじゃの? 土地が狭く、資源も乏しいエステヒアで、わしらが満足に暮らせるのは本土からの配給があるからじゃ。この島が尊重されているのは、ひとえにアリスが打ち立てた功績のおかげ。だからこそわしらは歴史を知り、遠い日の同胞に感謝せねばならぬのじゃよ」
長老はしみじみと述べる。合わせて言えば、街のそこここに天馬の像が立てられているのも、アリスへの敬意の表れだそうだ。
「さて。わしらが知るのはここまでじゃ」
長老はクレアに視線を投げ、声を低くした。
「説明してくれんかのお。長いこと平和なこの時代に、如何にして禍黎霊が現れたのかを」
まず前提として、天命戦終結後、星霊を呼び出す際には天結の着用が義務付けられたそうだ。禍黎霊は存在自体が禁忌とされ、顕現を原則禁止されたのである。
言うなれば、故意な禍黎霊の呼び出しは国家への反逆行為に等しいのだ。これを聞いてようやく、アマネールは住民が蛇に狼狽えていたわけを理解した。
「これから私が話す内容は、一般には公開されていない情報です。むやみに口外しないようお願いします」
そう釘を刺し、クレアは語りだした。
「事が起きたのは八年前でした。何者かが禍黎霊を顕現したのです。それ以降、禍黎霊の出現こそ目撃されないものの、何度か冥跡が観測されています」
クレア曰く冥跡とは、禍黎霊の纏うもやが生み出す煤のような痕跡のことで、言わば禍黎霊の足跡だそう。実際の足跡と同様に、時間経過で消えるらしい。たしかに、先ほど大蛇が蛇行した箇所には、焦げ跡のようなものがありありと残っていた。
ちなみに、天結を介した星霊に冥跡は見られないという。天結によって星霊の力が制御され、もやの放出量が抑えられるからだそうだ。
アマネールはふと、大蛇の纏うもやの揺らぎが、見知った星霊に比べて一段と激しかったのを思い出した。
「これまでの禍黎霊と冥跡の目撃証言は、すべて本土でのものでした。何故この度エステヒアが襲われたのか、私にもわかりません。一連の事件を企てた犯人及び、その動機についても未だ掴めていません。でも、今夜の襲撃は、もしかしたら......」
不意にクレアは口をつぐんだ。アマネールには、彼女が意図的に言葉を区切ったように聞こえた。
「......ふむ。そうじゃのお。若いの、お前が繋がりし者であったとはな。エステヒアの繋がりし者......なるほど、セルルスが気に入るわけじゃわい」
代わりに口を開いたのは長老である。アマネールは、なぜ話の矛先が自身に向いたのかわからずにいた。クレアが言わんとしたことを、長老が遮ったようだった。
「長老様、この少年をお借りしてもよろしいですか? 本土で適切な訓練を積めば、彼は立派な星霊使いになります。彼の力は、必ずや......」
打って変わって、クレアの声音に熱がこもった。どうやらアマネールを本土へ連れ出したいようだ。
「聞く相手を間違うでない。選択するのはアマネールじゃよ」
長老の一言で、皆の視線がアマネールに集う。少年は思わずうつむいた。
ーーあくまであなたが討つのです......君が......世界の闇を晴らすのですよ。
ーー君に眠る星の力について知りたくば、本土まで来るといい。
ーーあの場で間違いなく、君は一人の命を繋いだの。
最後にアマネールに想起されたのは、蛇と対峙した時に聞こえた声だった。
ーー早く......私を......て............アマネール......早く......。
紛れもなく、助けを求める声だった。少なくとも、僕はそう受け取った。
もし本当に、僕に秘めた力があるのなら。救えるものがあるのなら。僕は、あの声に応えたい。アマネールはクレアの目を真っすぐに見た。
「......僕、行くよ」
「寂しくなるわね」 ルエラだった。
「あなたはいずれエステヒアを出る。何となくわかってはいたけれど、まさかここまで早いとは」
哀愁を帯びた声色ながらも、ルエラの表情は朗らかだ。
「わかってた?」
「私にもあったの。やんちゃな時期が」
にんまりと笑った直後、ルエラはアマネールのほほにキスをした。
「いい? アマネール、あなたの故郷はエステヒアよ。いつでも帰っていらっしゃい」
アマネールは照れくさくなり、目をそらしつつ頷いた。二人の様子を、長老は微笑ましげに見つめている。
「あいにくわしにも、若人の羽をはぐ趣味はない。楽しみに待っておるよ、いつの日か、一皮むけたお前が戻ってくるのをな」
「明朝、日の出前に出発だ」
アマネールと長老がハグするのを見守ったのち、クレアが言った。
「おやすみなさい、アマネール。今晩はゆっくり休むといい」
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