第一章⑤ 生誕祭
六日後の夜。アマネールはセルルスの忠告通り、エステヒアの中心にあるハル・エトワーレ広場に赴いた。時計台の真裏にある、きれいな円形をした広場だ。その縁に沿って配されたテラスでは、エステヒアの住人が憩いの時を過ごしていた。
ハル・エトワーレ広場の中央、すなわちエステヒアの心臓部には、コセリメージュと呼ばれる大樹がそびえている。広場に入ってまず目を引くその巨木は、エステヒアの守り神のような存在だ。
コセリメージュの威容は凄まじく、幹の幅は十メートルにもなる。そこから無数に伸びる枝の先に、この大木の秘密があった。なんと、コセリメージュの一枚一枚の葉は、星々の煌めきに応じて淡く光るのだ。
おかげで夜のハル・エトワーレ広場は、星空をくりぬいたような魅惑的な雰囲気に包まれる。ここ数日で見慣れはしたものの、アマネールも当初は圧倒されたものだった。
見慣れないのは広場にいる人の数だ。普段はまばらな人だかりが、今夜は全体に広がっている。
賑やかな人混みの中には、ところどころに目立つ集団がいる。広場に置かれた台座に乗って、ひらひらした袖に腕を通し、楽器を演奏するミニオーケストラ。片や紳士服に身を包み、リズムよく台座にかかとを打ち付けて踊る人たちもいた。
何を隠そう、今日はエステヒアの長老様の誕生日なのだ。この街では毎年、長老の生誕を祝う祭りが催されているらしい。いつもに増して人が多いのはそのためだった。
「やっと見つけた。こっちおいで、アマネール」
突然、アマネールは腕を掴まれた。ルエラである。ちょうど彼の横を牡羊座の星霊が通り過ぎたところだった。
星霊とは、天に浮かぶ星座を霊体として地上に顕現させた、死後の世界を象徴する神秘の力である。初めは星霊に唖然としたアマネールだったけれど、時の流れは不思議なもので、一週間ですっかり慣れてしまった。
白く透き通った牡羊座の星霊の背中には、アップルパイやパンプキンパイが乗った荷台が括り付けられている。言わば歩く売店だ。
さらには、車輪がついた屋台そのものを牽く牡牛座の星霊もいる。店主が備え付けのキッチンで調理した品をその場で提供しているのだ。いかにも祭りらしく、今晩のハル・エトワーレ広場はご馳走であふれていた。
「はぐれるんじゃないよ」
ルエラは羊の背からパンプキンパイを三つ掴み、広場の中央へ歩いていく。コセリメージュの幹周りにある円形のベンチまで辿り着くと、彼女はそこに座り込んだ。
ベンチ付近の台座には、すでに豪華な食事が揃えられている。手にしたパンプキンパイを追加で並べ、ルエラは言った。
「さ、乾杯しましょ。すぐに長老様が来るわ」
二人が晩餐に興じていると、一人の老人が近づいてきた。「長老様よ。今日で八十九歳になるの」と、ルエラがアマネールに耳打ちする。
老人は小柄な上に、腰が大きく曲がっていた。その頭はアマネールの胸にも届かないくらいだ。長老は右手で杖を突き、ゆっくりゆっくり歩いている。
ベンチに着くや否や、老人は二人の間に座り込んだ。黙々とパイを頬張ったかと思えば、ごほんごほんと咳払いをし、アマネールにじろりと目をやった。
「死後の世の歴史を、エステヒアの成り立ちを、お前には伝えねばなるまい。ひいては今に伝わる星霊の創造主、偉大なるぺガスス座の星霊使い、アリス・シアステラについてものお」
もし仮に、ぺガススを操る童話めいた人物がいたのなら、それがエステヒアに欠かせない存在であろうことは、アマネールも薄々承知していた。彼がここに来てすぐに見かけた天馬の銅像が、エステヒアの各所に飾られていたからだ。ハル・エトワーレ広場も例外ではなく、入り口に天馬の像が建てられていた。
「アリスはこの世界を色づけたのじゃ。およそ三百年前まで、長いこと闇に囚われておったこの世界をな」
「どういうこと?」 とアマネール。
「その昔、天結が発明されるよりも前。星霊は限られた者だけに与えられた、高尚な力とされていたの」
ここでルエラは唇を噛んだ。
持ち主の誕生石があしらわれたアクセサリー、天結。一般にこの世界では、それを用いれば誰もが星霊を呼び出せると、アマネールはルエラに聞いていた。だが、厳密には一部、天結なくとも星霊を操れる人がいるらしい。
「......真に受けちゃだめよ、独裁者の愚論だから」
「当時、星の力に恵まれたのはほんの一握りじゃった。星霊使いは特別だったのじゃよ。にも拘らず、連中は力の使い方を誤りおった。
星の力を持つ者は、持たざる者を虐げたのじゃ。力を授かったのをいいことに、圧倒的な権力で民を支配し、奴隷の如く扱った。それはもう残虐非道でな、歯向かう者は成すすべなく淘汰された。人々の自由の灯をかき消す、冷酷な統治じゃよ」
アマネールは思わず唾を飲む。
「なに、そう身構えるでない。昔話じゃ。英雄アリス・シアステラによって、闇の世は覆された。彼のおかげで、今ではすべての民が星の力を享受できる。星霊の有無による溝は消え失せたのじゃ。安心せい、若いの。世界は長らく平和じゃよ」
そう手短に前置きした長老が、死後の世の歴史を語りだした矢先、耳をつんざく悲鳴が上がった。それは、長年の平和が崩壊する音だった。
アマネールが咄嗟に振り返ると、ハル・エトワーレ広場の入り口に、一匹の星霊がいた。
胴体は漆黒に染まり、眼球だけが白く光っている。その周りに漂う禍々しい純黒のもやは、アマネールがよく知る星霊よりも一段と激しく、まるで炎のように揺らめいていた。
アリスはこの世界を色づけた、長老はたしかにそう言った。仮にその色というのが、天結を介して呼び出され、宝石の煌めきを反映した星霊を指すのだとしたら。天結なくして生み出された星霊に、かつて世界を闇で蝕んだ星霊に、色味がないのだとしたら。
今まさに、正面でとぐろを巻く無彩色の大蛇は、三百年前の亡霊かもしれないーー。
ハル・エトワーレだの、エステヒアだの、コセリメージュだの。意味不明カタカナ固有名詞玉突き事故が起きてしまいました。というか私が起こしました。ややこしいですよね。すみません。都市や広場に名前がないのもおかしな話かと思いまして、一応名付けておきました。覚える必要はございませんので、頭を空っぽにして読んで頂けますと幸いです。
せめてもの償いとして、長老様の名前をはく奪しました。長老様、ごめん。