――幕間―― 誕生日
「アル、17歳のお誕生日おめでとう!」
普段の朝同様、学園の女子寮まで迎えに行ったアルベルトに、ルチアが眩しいほどの笑顔で駆け寄ってきた。
(今日のルチアも可愛いな)
アルベルトは、思わず緩みそうになった頬を引き締める。それでも、優しく細められた瞳からはルチアを愛しく思う気持ちが溢れ出ていた。
今日はアルベルトの17歳の誕生日。平日で学園があるので、これからいつも通り登校するのだが、ルチアは朝からお祝いモード全開のようだ。
「ひとつ年上のアルベルト、なんだかいつもよりも大人に見えるかも!」
どちらが誕生日なのかわからないほど嬉しそうに微笑みながら、ルチアがアルベルトを見上げる。瞳が無邪気さを湛えてきらきら輝いていて、アルベルトは抱き寄せたい気持ちをぐっと堪えた。邪な感情を悟られないようにアルベルトがふわりと笑うと、ルチアは途端に少し頬を赤らめて目を伏せる。
「うん…アルはいつも素敵だけど、なんだか…昨日よりももっと素敵になってるような…?」
ごにょごにょと恥ずかしそうに呟くルチアを見て、アルベルトはぎゅっと拳を強く握る。
(駄目だ。こんなに可愛いことばかり言われたら、我慢ができなくなる。ああ、こんな場所じゃなかったら…)
流石に女子寮の門の前で不埒な真似をして、ルチアを好奇の目に晒すわけにはいかない。己を律するために小さく息を吐いて背筋を伸ばすと、アルベルトは”いつも通り”を意識しながらルチアの手を握った。
「さあ、行こうか」
自然に振る舞えているだろうか。手に力は入りすぎていないだろうか。ルチアの前ではいつだって、格好良くいたい。
「あ、アル、今日の放課後って空いてる?」
学園に向かい歩きながら、ルチアが少し心配そうに聞いた。
「もちろん。ルチアがお祝いしてくれるって言ってたから、何も予定は入れていないよ」
今日に限らず、余程魔法学研究所での研究が立て込んでいる時以外は、アルベルトの放課後はルチアのために空けてある。ルチアにはあえて伝えていないが。
(こんなこと知ったら、ルチアは重いと感じるかな)
不安が胸を掠めたが、それはルチアの花のように可憐な笑顔で打ち消された。
「よかった!どうしても今日、アルのお誕生日をお祝いしたかったから嬉しい!」
心から嬉しそうに弾む声と、零れんばかりの笑顔。ルチアの無垢で真っ直ぐな思いは、アルベルトをいつも優しく包み込む。重すぎるルチアへの愛を胸の奥に抱えながらも、アルベルトが仄暗い思いに囚われることがないのは、このルチアの純粋な愛情をいつも感じられるからだろう。
「ありがとう。僕も嬉しいよ」
繋いだ手に少しだけ力を込める。ルチアの手も、それに応えるようにきゅっとアルベルトの手を握り返した。
(ああ、ルチア…)
自分の気持ちが伝わっていることへの安堵と歓喜が、アルベルトの心を薔薇色に染め上げていく。
「もうすでに、今日は最高の誕生日だよ」
「ん?なあに?」
小さく呟いたアルベルトの言葉が聞き取れなかったルチアが、きょとんとした顔でアルベルトを見上げている。
その深い瑠璃色の瞳と目が合った途端、ぷつん、と理性の糸が切れる音がした。
アルベルトはルチアの手を握ったまま、爪先を大きな木が数本茂る木陰に向ける。
「アル?どうしたの?」
ルチアが驚いたような声を出したが、アルベルトは木の陰にルチアを引き込むと、その小さな身体をぎゅっと抱きしめた。
「ア、アル?」
ルチアの身体がかあっと熱くなり、鼓動が高鳴るのがわかった。
「ごめん。ねえ、誕生日プレゼント、今貰ってもいい?」
アルベルトはルチアを抱きしめたまま、その耳元で呟いた。耳にかかるアルベルトの吐息に反応して、ルチアの身体が小さくぴくんと跳ねる。
「プ、プレゼント…?実は、今日の放課後一緒に買いに行こうと思ってたから、まだ用意してなくて…んんっ…」
戸惑うルチアの言葉ごと飲み込むように、その唇を塞ぐ。――夢のように柔らかな感触とともに、甘い香りに魅了される。初めて味わうその感覚をいつまでも感じていたくて、なかなか唇が離せない。
「…ふ…あ…」
呼吸の仕方がわからないルチアが苦しそうな声を漏らした瞬間、アルベルトははっとして唇を離した。
「いきなりごめん。ルチアが愛しすぎて、我慢できなかった」
真っ赤になりながら必死で息を整えているルチアの頬に唇を寄せる。
「最高の誕生日プレゼント、ありがとう」
ルチアの瞳を覗き込むと、ルチアの顔がさらにぶわっと赤くなった。陶器のように白い肌が、首まで上気して震えている。
(いちごみたいだ。可愛い。僕のルチア…)
アルベルトはもう一度、きつくルチアを抱きしめる。
「大好きだよ、ルチア。僕の宝物」
アルベルトの言葉に、ルチアが小さくこくこくと頷き返す。精一杯気持ちを受け止めて、さらに返そうとしてくれているその仕草が堪らなく可愛くて、アルベルトはふわふわの髪に包まれたその小さな頭のてっぺんにキスを落とした。途端に、ルチアがかくんと崩れ落ちそうになり、慌てて腰に回した腕に力を込める。
「ルチア!?大丈夫?」
焦ってルチアの顔を覗き込もうとすると、ルチアはアルベルトの胸に自分の額を押しつけるようにして俯いた。
「だ、だいじょうぶ…。ただちょっと、足に力が入らなくて…」
ふにゃりとした声。俯いていて表情が見えないが、絹糸のような髪の隙間から覗く耳が真っ赤だ。
(突然すぎたかな。ああ、ルチアの記憶のうえでの初めてのキスはもっと、ルチアが憧れるようなシチュエーションでって思ってたのに…)
理性を保てなかった自分を悔やむ。幸せな気分が一変し、ルチアに申し訳ないという気持ちに押しつぶされそうになったアルベルトに、ルチアが小さな声で呟いた。
「これ…誕生日プレゼントになったのかな?私の方が、プレゼント貰っちゃった気分なんだけど…」
「え…?」
想像もしていなかった言葉に、今度はアルベルトが虚を突かれた顔をする。
「だって…大好きなアルの誕生日に、アルから初めてのキスを貰えるなんて、幸せすぎて死んじゃいそう…」
いちごのように赤く染まった頬に手を当てながら、そうっとアルベルトを見上げるルチアの顔は、戸惑いながらも幸せそうに輝いていた。
「ルチア…」
アルベルトの心が、再び喜びで塗り替えられていく。
「ねぇ、もう一度、プレゼント貰ってもいい?」
溢れそうな気持ちをぐっと堪えながら、アルベルトはルチアに問う。少し首を傾げてルチアの顔を覗き込みながら、息を凝らして返事を待った。
「…うん」
ルチアの小さな声を聞いて逸る気持ちを抑えつつ、今度はゆっくりと唇を寄せる。
「ルチア、大好き」
長い睫毛が完全に伏せられたのを確認して、壊れ物を扱うように丁重に、そっと桜色の唇に口づけた。先程も感じた甘い香りと、柔らかな感触に酔いしれる。
そうっと唇を離すと、ルチアの大きな瞳がゆっくりと開くのを、じっと見つめた。視線が絡み、ルチアは恥ずかしそうに瞳を伏せかけたが、再びアルベルトを見上げた。
「アル、お誕生日、おめでとう」
照れながら笑うルチアを、アルベルトは再度ぎゅっと抱きしめ、幸せを噛みしめた。