――幕間―― 婚約指輪
「指輪を贈る?」
ミナトの話を聞きながら作業をしていたアルベルトは、その手を止めて顔を上げた。
「そう。婚約指輪っていって、結婚してくれって言う時に渡すんだ。こっちにも結婚指輪はあるのに、婚約指輪はないんだな。貴族たちは他にいろいろプレゼントを贈ってるみたいだから、そういう考えがないのか?ああでも、平民たちにもそういう習慣はないみたいだから、貴族とか関係ないか。――まあ、婚約指輪なんて、俺にとってはトラウマでしかないけどな」
ミナトは面白くなさそうな顔をしてしゃべりながら、手元を忙しなく動かしている。何かの設計図を描いているようだ。
王立バーベイン魔法学園の試験も無事終わり、後は卒業を待つのみ。アルベルトはまた、以前のように休日の度に魔法学研究所に通う日々を送っていた。
魔法事故に遭う前と変わったことといえば、研究所通いにルチアも同行しているということ。アルベルトにとって、片時も離れていたくない存在であるルチアが、自分と同じく魔法薬の奥深さに興味を持ち、ともに研究に励んでくれるようになったのは、この上ない喜びだった。
(僕が魔法事故に遭ったことがきっかけというのは、かなり心苦しいところではあるが…)
魔法事故に遭わなければ、ルチアを長い間苦しませずに済んだはずだが、ルチアが魔法薬にこれほどまでに精通することにもならなかったはずだ。そう考えると、何とも複雑な思いに駆られる。
きっかけは兎も角、ルチアたちのおかげでやっと自分の身体に戻ってくることができたアルベルトにとって、これから死ぬまで身を捧げる覚悟をしている魔法薬の道に、ルチアも足を踏み入れてくれたことは僥倖だった。
しかし、今日は研究室にルチアの姿はない。事故後初めて、アルベルト一人で研究所に来ていた。ルチアが寮で同室のミアと買い物に出掛けることになったからだ。
「卒業パーティーで使うヘアアクセサリーを買いに行きたいの。ミアとお揃いにしようって約束したんだ」
昨日、嬉しそうに話していたルチアを思い出し、口元が緩んだ。
(嬉しそうなルチア、可愛かった。一緒に行動できないのは残念だけど、ミアは僕がいない間ルチアを支えてくれた一人だし、例の噂の火消しにも尽力してくれたらしい。感謝してもしきれない人の一人だからな。二人で買い物も、ルチアが喜ぶならいいだろう)
内心では、たとえ相手が女性であろうと、ルチアの兄カルロだろうと、自分以外の人間がルチアと二人で出掛けるのは面白くない。しかしあまり狭量なところをルチアに見せたくはないため、それを悟られないように上手く隠しているつもりだ。
(でも、僕が何かを我慢していると、ルチアにはすぐばれてしまうんだよな。その原因が何かまではちゃんとわかっていなさそうだけど…)
今朝も、笑顔で送り出そうとするアルベルトの顔を、ルチアは心配気に覗き込んだ。
「一緒に研究所に行けなくてごめんね?買い物をしてお茶をしたら帰ってくるよ。危ないところには行かないから、心配しないで。アルにもお土産買ってくるね」
おおらかで少し抜けているところもあるルチアだが、ことアルベルトの機微に関しては誰よりも聡い。アルベルトが何か心にわだかまりを抱えていると、すぐに見抜かれてしまうのだ。
(僕の様子にだけ敏感だということは、それだけ僕をよく見て理解してくれているということだ。それは喜ばしいことだな)
ルチアのことを考えていると、どうしても顔が緩んでしまう。ふと、生暖かい目で自分を見遣るミナトの視線を感じ、アルベルトは何事もなかったかのように顔を引き締めた。
「婚約指輪か。ルチアの誕生日プレゼント、何にしようか迷っていたけど、指輪を贈ろうかな」
先程からの何気ない会話のなかで、ミナトが、
「そういえば、ルチアは婚約指輪をしていないんだな」
と言ったことから、ミナトのいた世界には婚約指輪というものがあるのだと知った。
(ルチアの細く美しい指には、繊細なデザインの指輪が似合うだろうな。婚約指輪とは、素晴らしい文化だ。婚約者がいる証を他に示せるというのが何とも素晴らしい。カルミアにもこうした文化が根付いてくれれば、僕がいない時でもルチアには婚約者がいるんだと牽制になる。王太子殿下や影響力がありそうな貴族たちで、これから婚約者が決まる面々や、婚約中の面々に、婚約指輪のことを広めておくか。意味が周知されていなければ牽制にならないからな。――こんなことを考えてしまうなんて、僕の独占欲はとどまるところを知らないな。僕がこんな風にルチアを縛っておきたいと考えていると知ったら、ルチアは僕を嫌いになってしまうだろうか…)
「あいつはお前になら何を貰っても喜びそうだけど、婚約指輪を贈ってちゃんとプロポーズしてやったら、めちゃくちゃ喜ぶんじゃないか?」
回想に耽っていたアルベルトに、ミナトが言った。
「プロポーズ…」
今すでに二人は婚約者ではあるが、それを決めたのは家同士だ。もちろんお互いに思い合っているという自負はあるが、正式に婚約を結ぶ前に、改めて自分自身の気持ちを伝えたいという思いはあった。
「うん、いいね。考えてみる。――でもミナト、そんなこと僕に言っちゃっていいの?ますますルチアが遠くなるよ?自分で自分の首を絞めているように見えるけど。僕はそれで構わないけど」
ミナトに問いはしたが、ルチアに対するミナトの気持ちがどうあろうと、アルベルトはルチアを譲る気など微塵もないどころか、邪魔が入ることすら煩わしい。正直、ミナトのルチアへの思いだって迷惑以外の何ものでもないのだ。
アルベルトに問われたミナトは、眉間に皺を寄せてくしゃくしゃと頭を掻いた。
「だから…俺はあいつが幸せならいいんだよ。どうせ最初から、あいつはお前のことしか見てないしな。まあ、そんなあいつだからいいと思っちまうんだろうけど…」
「ふうん…?」
(あれほど魅力的なルチアに惹かれてしまうのは仕方ないことだが。まあ、変に邪魔をする気がないなら僥倖だ)
アルベルトはそれ以上不毛な追求をするのはやめて、再び作業の手を動かし始めた。
(次は月待ち草…。あ、そうだ、月待ち草といえば…)
ずらりと薬瓶が並ぶ棚のなかから、月待ち草の花弁を入れた薬瓶を手にしたアルベルトは、ふとミナトに話そうと思っていたことを思い出し、振り返った。
「ミナト、卒業して休暇に入ったら、ルチアと一緒にアルメリアに行く予定なんだけど、ミナトも来ないか?ルチアの誕生日をアルメリアで祝うんだ」
ミナトは動かしていたペンを手に、唖然とした顔でアルベルトを見上げた。
「――は?来ないかって、俺を誘ってんのか?ルチアと行くんだろ?」
アルベルトは、それが何か?と言わんばかりの顔でミナトを見つめ返す。
「そうだよ。カルロとジュリアーノも誘った。フリオも誘ったけど、今回は来られないらしい」
「そういうのって、二人きりで行きたいもんなんじゃないのか?ルチアの誕生日なんだろ?」
「それは当然、いつだって僕はルチアと二人きりでいたいけど、ルチアが喜ぶことをするっていうのが僕の人生の至上命題だから。今回は皆にもルチアの誕生日を祝ってやってほしいと思ったんだ。卒業したらそういう機会も減ってしまうかもしれないし」
「二人きりでいたいってとこは、否定しないんだな…」
ルチアへの異常ともいえるほどの執着を隠そうともしないアルベルトに、ミナトは苦笑いした。
「僕は卒業後、ルチアと一緒に暮らせるように動いてるから、二人でいられる時間は今より増える。来年以降は、毎年ルチアと二人でアルメリアに行こうと思ってるし、今回は二人きりはおあずけでも我慢しようと思って。それに、皆には僕が戻ってこられるように尽力してもらったのに、ちゃんとお礼もできてなかったから。お礼も兼ねて招待したい」
作業の手を淀みなく動かしながら淡々と語るアルベルトの表情は、とても人を招待しようとしている者のそれとは思えない。ミナトはその感情が伴っていない横顔から何かを読み取ろうとでもするように、じっと見つめていたが、やがて考えるのを放棄したように小さく溜息を漏らす。
「ふうん、まあ、そういうことなら…。せっかく誘ってくれてるんだし、休みが取れるか聞いてみるわ」
「うん。よろしく」
それきり二人は、黙ってそれぞれの作業に没頭した。
やがて、ミナトが描いていた設計図を手に研究室を出ようと席を立つと、アルベルトがその背中に声を掛けた。
「ミナト、婚約指輪の話、教えてくれてありがとう」
「お?おお…」
ミナトが驚いたような顔で振り返ると、アルベルトがにこりともせずに見つめていた。
「参考になったなら、よかったけどさ。しかしお前…わかりにくい奴だな。俺も昔はそう言われることが多かったけど、お前のは次元が違うわ。まあ、ルチアに対してだけは滅茶苦茶わかりやすいけど」
アルベルトはミナトの言葉にほんの少しだけ片眉をつり上げたが、またすぐするりと表情が抜け落ちる。
「僕なんて単純だ。ルチアのことしか考えてないんだから」
「まあ、確かにそうだな」
「とりあえず、考えておいて。アルメリア」
「わかった」
ミナトは少しだけ笑って、部屋を出て行った。
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