守り人の庭
「またお前か」
瓦礫の隙間から滑りでた瞬間、頭上からガラガラとした耳障りな低い声がした。
その声に驚いたわけではないが、肩に掛けていた袋を落としてしまう。拍子に中身がバラバラと転がり出てしまった。
エトナは今しがた声を発してきた主をじとりと睨み上げて、転がり落とした中身を袋に詰めなおす。
相変わらず何を考えているのか分からない風貌だ。
見上げた先にあるのはヒト族とはかけ離れた存在。……いや、形だけ見れば人に似通ってるようにも思える。
けれどエトナの姿を見ているその目は、細長く斜めに伸びていてまるで鋭い葉のよう。瞳の色だって全体が黒だ。
しかも黒いのは瞳の色だけじゃない。
硬質的な肌は黒く鈍く光を映している。まるで甲殻のようだが、その表面の下には人族と同じように筋があり肉があるのだそう。
エトナは拾い落としがないかサッと視線を巡らせてから、立ち上がる。
威嚇するように背筋を伸ばしても、目の前に立ちはだかる存在の頭部はまだまだ上にあった。
「死にたがりのようだな。お前のような者が一人で"外"に出るなど、考えられん」
ギザギザの口から出てくる声を聞きながら、エトナは盛大に眉をしかめてみせた。
グリギリ族は、ヒト族と比べて体格も身体能力もはるかに勝る種族だ。そのせいか、どの街でも守衛の役職にグリギリ族が多い。
例に漏れず、エトナの目の前にいるグリギリ族の男もそうだ。
その、いかにも強者な体躯が近づいて来て、腕を伸ばしてきたものだからエトナはぎくりとした。
慌ててその場から逃れる。
「ふんっ! わたしはその"外"から来たんだぞ? いちいち突っかかってくるんじゃない」
「その顔にできた傷はどうした? この前は腕に怪我をしていただろう。そのガラクタを集めにどこまで行って来たんだ?」
エトナは言われた頬の擦り傷を腕で拭い、短く切った癖のある髪から、付いていた葉っぱを払い落とした。
「ああ、もう、うるさい! あんたには関係ないだろ。わたしを捕まえて点数稼ぎをするつもりか知らないが、守衛らしく"外"で徘徊している蜘蛛猿でも討伐してきたらいいじゃないか」
「蜘蛛猿だと? お前、そんなに遠くまで行っているのか」
再び巨体が近づいて来たので、エトナは急いでその場から逃げ出した。
ーーああ、まったく! なんなんだあいつは! あの時、親切心を出すんじゃなかった!
エトナは過去の自分を悔いた。
そもそも、最初に奴と関わってしまったのはエトナだった。
ずっと前に、どこかの誰かが怪我を負ったとかで騒ぎがあって、丁度よく傷に効く薬草を採っていたから、その場に居た守衛の一人に渡してやった。
特に何も考えてなかったが、どうやらその時に目をつけられてしまったらしい。
それから度々あのように付きまとわれるようになってしまった。
"外"から来た流民のエトナを怪しんでいるのだろう。
◇
「おやおや、エトナ。そんな顔をしてどうした?」
採取してきた薬草を机に並べるエトナを見て、老婆が面白そうに声をかけてくる。
エトナはさらにムッとした表情をして、並び終えた薬草の横にゴロゴロとガラクタを置いていった。
「ほっほ、今回は数が多いね。どれ、ちょっと待っておいで」
そう言って老婆はパチパチと、エトナにはよく分からない物を使って品の勘定を始めた。
エトナはその間、なんとはなしにぐるりと部屋を見回して暇をつぶす。
ところ狭しと並べられた薬が入っている瓶や棚。他にもどう使うのか予想もできない品物でぎっしりだ。
老婆はこの街で有名な、腕のある薬師だ。魔女と呼ぶ者もいると聞く。街の人は不調があればこの老婆のもとへ薬を求めにやって来る。
エトナは"外"でこの老婆が求める薬草を採取して納品していた。
その報酬とは別に、時たまこうやって旧文明の遺産とやらも採掘して持ってくると、なかなかのお金になる。
エトナにはその価値がまったく分からないが、この薬師の老婆は持ってきたガラクタを使って様々な発明品を拵えるそうだ。
「待たせたね、この金額で買い取るが、どうだい?」
勘定が終わった老婆がチャリチャリと硬貨を並べる。エトナはそれを数えるとウンウンと頷いた。
今回の収入を小さな皮袋に入れて懐にしまう。すると、老婆がポンッと一つ小さな缶をエトナへ寄越してきた。
「傷薬だよ。顔の擦り傷に使うといい」
「わぁ、ありがとう」
エトナはお礼を言って小さな缶も懐にしまい、老婆のお店から外に出た。
もうすっかり日が傾いていて、ぽつぽつと家の軒先に明かりが灯り始めている。
エトナは家路につく人々でごった返す道のりを駆けていく。
しばらく進んでいくと段々と人混みは少なくなっていって、やがて廃れた廃墟に辿り着いた。
エトナは慣れた様子で、崩れた塀の間から中に入る。
そこから奥へ進んで、寝床にしている場所でやっと一息ついた。
身体を軽く拭いてから、"外"で採った木の実をムシャムシャと頬張って水を飲む。食べているとズキリと頬が痛んだ。
食べ終わってから、老婆から貰った傷薬を頬に塗ってゴロンと横になる。
月明かりが壊れた窓の隙間から射して、エトナの顔を照らした。この廃墟は雨風を防げる。ここを見つけることができて良かった。
そんなことを考えながら、エトナはウトウトと眠りについた。
◇
「ーー待て」
耳障りな声が聞こえて、エトナは顔をしかめた。今しがたすり抜けようとしていた瓦礫の隙間からその方へ振り返る。
案の定、いつものグリギリ族の男がいた。
「いい加減にしろ、どこから"外"に出ようとしている? 門を通らないなら出すわけにはいかんぞ」
エトナは小さく舌打ちをする。
門から"外"に出るのはいいが、住民権のない流民のエトナは、門から街に入る度に通行料を取られてしまう。だからこうやって瓦礫の隙間を抜けて街に出入りしているのだ。
タイミングが悪かった。いや、それとも、このグリギリ族の男はここでエトナが来るのを待ち構えていたのだろうか。
とりあえず、まずはこの男から逃げようと思った矢先、黒く鈍く光る手がエトナの腕を捕らえた。
エトナは身を強ばらせる。
グリギリ族の手の先は鋭く、その大きさなんてヒト族と比べるとまるで大人と子供のようだ。ぐるりとエトナの腕を掴んでいても指の長さが余っている。
「ーーっ!」
エトナが恐怖心からか、声のない悲鳴をあげた。
その様子を見てグリギリ族の男はエトナから手を離す。男が何か喋ろうとしたが、エトナは脱兎のごとく逃げ出した。
必死に走って息が続かなくなり、そこでようやくエトナは後ろを振り返る。
グリギリ族の男の姿はない。どうやら追っては来なかったようだ。
全力で走ったせいで心臓がドクドクとうるさい。エトナは持っていた水筒からゆっくり水を飲んで、ふらふらと道の端に寄ってその場に座り込んだ。
どうやら本当にグリギリ族の男はエトナを捕まえようとしているようだ。
"外"から何かを取ることは禁止されていない。だからエトナが薬草や旧文明の遺産とやらを持ち帰ることは、悪いことではないはずだ。
門以外からの出入りだって、エトナだけがやっていることではない。なのにいつもあの男は決まってエトナの前に現れる。力の弱いヒト族の小娘など容易いと思っているのだろうか。
エトナは次第にムカムカと腹が立ってくる。
水筒を袋に入れて立ち上がった。
グリギリ族の男がどうであれ、エトナは"外"に出るのをやめるわけにはいかない。
◇
「ーーあら、違う抜け道ですって?」
エトナはその言葉にコクンと頷く。
ヒト族によく似た風貌の女は、エトナを見ながら悩んでいる風に顔を傾げた。そのさいに、肌の鱗が日に当たってキラキラと青く光る。
ラディル族はヒトの姿をしているが、肌のところどころに魚のような鱗がある。エトナはラディル族を見るたび、その肌はまるで宝石のようだと思った。
「どうして他の抜け道が欲しいの? 前に教えてあげたところはどうしたのかしら」
「グリギリ族の守衛に目を付けられてしまったみたい。捕まりそうになった」
あらぁ!とラディル族の女は艶かしく笑いだした。
何がそんなに笑えるのかエトナには分からないが、道具屋を営んでいるこのラディル族の女は街の情報屋でもある。
今まで使っていた"外"への抜け道もこの情報屋から教えてもらった。なのでラディル族の女が笑い終えるのをエトナはじっと待つ。
「ーーうふふ、ごめんなさいね。グリギリ族はそれはもうしつこいから、貴方もきっと大変ね。いいわ、違う抜け道を教えてあげる」
エトナはホッとして硬貨をラディル族の女に手渡した。
情報を貰うには対価が必要だ。
次はグリギリ族の男に見つからないように気をつけなければ。
◇
よく分からない形をした小さな旧文明の遺産を袋に入れると、ガシャンと音が鳴った。そこでふとエトナが周りを見渡すと、日は落ちてしまって薄暗くなっている。
今日はグリギリ族の男のせいで街を出るのが遅くなったから、いつもより時間が足りなかった。
けれどこの遺跡は旧文明の遺産が多く見つかる。街から遠いのが難点だから、一度来たら袋に詰めれるだけ探しだしてしまいたい。
エトナが遺跡から出ると月が辺りを照していた。これなら街まで迷うことはないだろう。
数歩歩いたところで後ろからポキリと音が聞こえた。木の枝が折れる音だ。
エトナは背筋がぞくりとしたと同時に後ろを振り返った。
見えたのは闇の中に浮かぶ赤い光だ。その瞬間エトナは横に跳んだ。
ブンッと鋭く風が舞う音がした。蜘蛛猿だ。何本も胴体から生えている腕がエトナを狙って伸びてきたのを寸前で避けた。
蜘蛛猿はヒト族よりはるかに大きい図体の化け物だ。
捕まると食べられてしまう。
エトナは必死に逃げた。蜘蛛猿は赤く光る目でその姿を捉え追いかけてくる。
バキバキと盛大な音が、逃げるエトナの後ろから聞こえてくる。蜘蛛猿が障害物の木々を薙ぎ倒して迫ってくる音だ。
このままではすぐに捕まってしまう。
その時、エトナの視界の隅に樹洞が見えた。エトナでも入り込める大きさだ。このまま逃げたところで捕まってしまうなら、一か八かでその穴に逃げ込んだ。
けれど蜘蛛猿の手が中に入り込んでくる。エトナは穴の奥まで逃げてなんとかその手を避けた。
樹洞の外から聞こえてくる蜘蛛猿の荒い鳴き声が耳につく。
エトナは早鐘のように鳴る自分の心臓の音も聞きながら、どうしたらいいのか定まらない思考の中、必死に頭を動かす。
ーーが、急に蜘蛛猿が鋭い悲鳴をあげた。
エトナを捕まえようと、穴の中で動き回っていた蜘蛛猿の手が外へ引っ込んでいく。
そして何度か鈍いような気持ちの悪い大きな音がして、やがて静かになった。
エトナは警戒しながら恐る恐る外に出る。そこには蜘蛛猿が無惨な状態でこと切れていて、そしてそのすぐ側に、グリギリ族の男が立っていた。
エトナは驚いてそのまま何も喋れず、ただその男を見上げた。
「ーーここで何をしている」
グリギリ族の男が喋ってきたので、エトナはようやく我にかえる。
「お、お前こそこんなところで何をしている?」
エトナはじりじりと後ずさった。蜘蛛猿の次はこの男から逃げなくてはならない。
「おれは蜘蛛猿を討伐していただけだ。街を守ることがおれの任務だ。そこにたまたまお前がいただけだ。それよりも、やはりどこからか"外"に出たんだな?」
グリギリ族の男は言いながらエトナを逃がさないように、回り込んでくる。蜘蛛猿の返り血を浴びた屈強な身体はエトナを怯ませた。
「ふ、ふん! こ、こんな街から遠いところまでご苦労なことだな。それでわたしをどうするつもりだ」
声を震わせるエトナに、グリギリ族の男が手を伸ばしてきた。エトナはビクリと身体を震わせたが、グリギリ族の男は構わずエトナが抱えていた袋を取りあげた。
「あっ! やめろ! 返せ!」
「こんなガラクタを集めるために命懸けとは、あのままおれが来なかったら死んでいたんだぞ。なぜそこまでする? 何か目的があるのか?」
「お前には関係ないだろ! 返せ!」
「そうもいかん。フラフラとしている流民が何をしているのか知る必要がある」
「お金がいるんだ!」
「金で何をするつもりだ」
「あの街で家を買うんだ!」
袋を取り返そうと手を伸ばすエトナを避けていた男の動きがピタリと止まる。
「家だと?」
「そうだ、わたしは流民だからあの街で家さえ買えれば住民になれるんだろう? そうしたらもうわたしは"外"を渡り行かずにすむ。あの街はヒト族のわたしでも住んでいけるから、だから……」
エトナが言い終えるまでに、グリギリ族の男は手に持った袋をエトナに差し出してきた。
エトナは驚いたが、男の手から急いで袋を奪い返す。
そのまま互いに無言でいたが、グリギリ族の男が踵を返して歩き出した。
「何をしている、早く来い。街に帰るぞ」
男がそう言ってエトナを振り返る。
エトナは戸惑いながらも、男の後を付いていった。
グリギリ族の男が何を考えているのか分からないエトナは、歩きながらチラチラと男の背中を見て考える。
街についてから捕まえるつもりなのか、もしそうなら街が見えてきたら急いで男から逃げてしまわなければならない。
「ーーお前は」
つらつらと考え込んでいたら、グリギリ族の男が喋りかけてきた。慌ててエトナは男の方を見る。
「覚えているか分からんが、いつだったかお前から薬草を貰ったことがある」
覚えてるも何も、そのせいでエトナはこの男から目を付けられてしまったと思っている。完全な失態だった。
「お前には恩がある」
エトナが悔しげに顔を歪めていると、前を歩くグリギリ族の男が急に立ち止まってそう言った。
「あの薬草のおかげでおれの同胞は助かった。おれは恩を忘れないんだ。それだけだ」
男が何を言いたいのか要領を得ないせいで、エトナは怪訝に思って眉をしかめる。グリギリ族の男はそんなエトナに構わず喋り続けた。
「家があれば住民権が与えられる。そうすれば、門から出るも入るももちろん自由だ。それだけじゃない、お前が望むのなら"外"に出るときに護衛をつけることだってできる。そうだな、例えばおれだ」
エトナは黙ってグリギリ族の男の言うことを聞いていた。
「ただ今のお前では難しいだろう。せいぜい街の隙間から一人で"外"に出て、金を貯め終わるまでにまた今日みたいな目にあう、ーーだから」
男はそこで言葉を切ったが、またガラガラとしたグリギリ族特徴の声音で言う。
「おれのところに住めばいい」、と。
どんな顔をしてそんなことを言うのかエトナからは見えなかったが、見えたところでグリギリ族の表情の変化なんてヒト族のエトナには分からないことだった。
◇
「こんばんは、魔女さま。夫が怪我しちゃったの、お薬を貰えるかしら」
ラディル族の女はそう言って老婆の店に入ってきた。
「ああ、いいとも、少し待っておいで。あんたの夫は確かグリギリ族だったね、グリギリ族によく効く薬草は貴重だったけど、近頃はよく届けてくれる子がいるから、沢山あるよ」
老婆はそう言いながら棚からゴソゴソと瓶を取り出して、カウンターにコトリと置いた。
「あんたたち仲良くやっているようだね。二人でやってる道具屋も繁盛しているって聞くよ。あんたが何処からか"外"へ出ていくたびに、街の守衛だった旦那があんたを追いかけて飛び出していたのが懐かしいねぇ」
ラディル族の女は肌の鱗をキラキラと輝かせて、うふふと笑う。
「愛は偉大なのよ」
薬の瓶を受け取ってお代を払うと、ラディル族の女は手をひらひらと振って、パタンと扉を閉めたーー。