2.メルファリアの進退去就(1)
惑星トーラスのランツフォート家「御城」からStart
世界最大の星間運輸企業スターズ・アンド・プログレス社の投資家向け企業情報の隅に、メルファリア・ルイーズ・ランツフォートの名が載った。
取締役となるからにはそれは当然のことで、ごく簡単な略歴と共に画素の少ないバストアップ画像も掲載された。レオンが見れば、それはスレイプニール号が無事帰還したことを祝うパーティーの席で、手を引きバルコニーへと連れだした際の装いと同じものだと分かるだろう。
それだけでS&P社の株価がどうなるという事もないが、メルファリア当人の株価だけは大きく跳ね上がった。本人にはそんなつもりも自覚も無いけれど、世間一般からは深窓の御令嬢と見なされる、露出の少ない子である。これまでは噂以外の情報があまりにも少なかったという状況と相まって、ランツフォート家の者で、しかも才色兼備とくれば周囲も勝手に期待してしまおうというもの。
期待の高まりはなにも、彼女のそのポテンシャルの高さに対してばかりじゃない。彼女自身、彼女の存在そのものが今後どう、どこの誰と密接に関連することになるのか、というのも大いに注目すべき点である。
――つまり。
ランツフォート家の子女が妙齢となり、現時点では交際相手などもおらぬ様子。少し前までフォースター社の御曹司との交際が取り沙汰されたとこもあるが、どうやらそれは公式に否定されたらしい――。
そもそも、ランツフォート家の内情に関するニュースは、マスメディアにはほとんど載らない。これはランツフォート家がそう心掛け、なおかつ周囲に対してもそう働きかけているからで、良いニュースも悪いニュースも基本的に扱いは同じだ。
だから、メルファリアの婚約者問題などはネット上の信憑性に乏しい雑多な情報と共に埋もれているのだが、見目麗しき子女であるが故に、いつまでも静かに放っておいてはもらえない。
社交界を通して、兄のグラハムにはメルファリアへの目通りを希望する者が殺到しているのだそうな。仮にパーティーともなれば、彼女とのダンスを望む者達が列をなすことにもなるだろう。そういった事情を聞かされたメルファリアは、心底うんざりした表情で、すべて断ってくれるよう長兄にお願いした。
「すべて、か」
「すべて、です」
うんざりした顔が割とひどかったので、長兄としては言い訳を口にしたくなったほどだ。
「そんな、世も末とでも言いたそうな顔をするな。私とて、メルファに嫌な思いをさせようなどと思ってはいないのだよ?」
メルファリア嬢に決まったお相手がいないと広まれば、こうなるであろう事はわかっていた。
わかっていなかったのは、むしろメルファリア本人ぐらいのものだ。彼女は、自分だけが無頓着であった事になぜか腹が立ち、つい兄様に対する言葉に棘が生えた。不本意極まりない婚約者の存在に、雑音避けとして僅かながらの価値があったことを、否定したい気持でもあった。
§
メルファリアが退出した後の執務室では、グラハムが目の前の書類に慣れた手つきで黙々とサインを記していた。そう、紙の書類に、万年筆で手書きのサインを記しているのである。ただし、紙は長期保存用セラミック繊維紙で、万年筆のインクはグラハム・ランツフォートの直筆を保証する、証明書情報を格納したナノコロイド粒子の特別製だ。
これら書類はリアルタイムでデジタルツインが生成されてデータとしても併存するが、紙の書類も明確な証憑として依然として機能している。
空いたティーカップを取り上げ、傍に立つ強面の偉丈夫が万年筆を滑らす主に優しく語りかけた。
「グラハム様、今後はメルファリア様に会う機会が減ってしまいそうですな」
「……」
問いかけにグラハムは筆を止めたが、返事はない。
「グラハム様?」
クーゲル・バレットが首をかしげて主の顔を覗き込む。
「そう、はっきりと言うな。……久しぶりに涙が出そうだ」
「失礼いたしました」
グラハムは椅子に座り直して、自らに言い聞かせるように声を出す。
「それでも、セヴォールほどは遠くないのだから、我慢しなくてはな」
クーゲルが、署名の済んだ書類を預かり、カードホルダへと納める。そうして机の上が少し片付いたところで、早速にも別な案件を伺うことにする。
「ところで、レオン君ですが」
「うん。今のところ、思惑通りに動いてくれているようだな」
机上にはホログラムが結像し、レオンの監督者たるメルファリアからの報告書が表示される。ホログラムには体裁の違う複数の報告書が重なるように見えており、グラハムは指を動かすジェスチャーでそれらを適宜切り替えては斜め読みを繰り返す。
「はい、むしろ期待以上です。これは、手放せませんな」
当たり前と言えばそうなのだが、レオンはその行動を逐一観察され、報告されている。ランツフォート家に利益があるか、メルファリアの側に置くべき人物か、グラハムにとっては切実で重要な問題なのだ。
「放っておいてもメルファリアが引きとめてくれそうではあるが、折を見てこちらでも労ってあげた方が良いかな」
「そうですな、定期的に挨拶にでも来させましょうか。繋がりを保っておくのが良いでしょう」
少なくとも今のところは、レオンにはある程度の価値が認められているらしい。全くの無能でさえなければ味方は多いほうが良いが、レオンの場合はもう少しだけ上のレベルで査定されている。
「そういえば、ロナルド・デニスがアストレイア船長のままアルラト星系へ同行するのを承諾したそうじゃないか」
「はい。メルファリア様がノアへ赴くにあたって、自ら依頼したのだそうです」
「あの頑固者を動かしたか。ふむ、わが愛しの妹は人たらしかも知れんな。これはますます将来が楽しみだ」
膝の上で左右の指を組み合わせ、ふふふ、と小さく笑いかけると、クーゲルはしかし険しい顔をした。
「グラハム様、メルファリア様を人たらしなどと……」
「他では言わんよ。彼女のファンは多いからな」
「私も大ファンですから」
いい年をした男二人は、顔を見合わせて笑い合った。
「メルファリア様といえば、マイケル・リーへの対処は如何なさいますか?」
「ああ……。ネガティブキャンペーンを行っているのだそうだな?」
「はい、それはもう。言うに事欠いてか、メルファリア様が不貞を働いたなどという下品な内容です。お許しいただければ、私が彼奴めの息の根を止めに行きたいくらいです」
「その許可は出せんなあ。ただもちろん、そのままにしてはおけぬな」
要約すると、メルファリアにレオンが横恋慕し、それを咎めたマイケル・リーが婚約破棄を突きつけた、という彼にとって誠に都合の良い創作ストーリーを伝えているのだ。それだけでなく、レオンがマイケル・リーを不意打ちしてメルファリアを攫って行った。その時にマイケルは大怪我をして臥せてしまった、となっている。
とんでもない金額の損害賠償を請求して提訴した。……とも言っているが、訴状はまだランツフォート家には届いていない。よくもまあ、すぐにバレる嘘を並び立てるものだが、更にはそれを自国のマスメディアに乗せて世論を煽っている。
マイケル様かわいそう、メルファリアはあばずれ女、なのだそうだ。
そしてその元凶は卑怯で卑劣な、騎士などと僭称するレオンというわけだ。
騒いでいるのはまだセヴォール内ではあるが、もしも広がりを見せるようであれば、こんな子供じみた嫌がらせに対してでも、大人の対応などとは言っていられないだろう。
「メルファリアから、マイケル・リーに関する調査報告が届いていたな? せめてランツフォート地内の世論は固めておこうか」
「スピンクスとかいうデータマイナーが分析した情報ですな」
「他者の醜聞を詳らかにするというのはランツフォートのやり方ではないのだが、この件については遠慮無用だ」
「承知しました」
にやり、と強面の偉丈夫は微かに笑った。
株式会社は株主のものですが、より広く、ステークホルダーの意向は無視できません。
それはたぶん、ずっと変わらないでしょう。
S&P社の場合、大半の株はランツフォート家が握っていますけども。