8.悪意の棘
その一団がやって来たのは、オリヴィアとロザリアが部屋で朝食を済ませ、支度も終えて解呪の仕事に向かおうかという頃だった。
やってきたのは侍女姿の女性が三人。
そのなかで年嵩の女性が一歩前に出て、腹部で手を揃えて美しい礼をする。それに倣うかのように背後の二人も綺麗な角度で礼をした。
一体なんだと、オリヴィアとロザリアは顔を見合わせた。
「おはようございます。わたくしは侍女長のカミラと申します。ロザリア様、オリヴィア様、竜王リベルト様よりお茶会に招かれておりますのでお支度を」
「仕事がありますので」
にこやかなカミラに対して、ロザリアは無表情で言葉を返す。その素っ気なさにオリヴィアは眉を下げるばかり。本来ならば人当たりのいい姉なのだが、この城の人が竜王との仲を深めさせようとしてくるのが、余程気にくわないらしい。
『あれがロザリア様の妹か……噂通り陰気な子ね』
聞こえたのは悪意の声。
オリヴィアがその声の主を探すと、カミラの後ろに控える侍女の一人から悪意が立ち上っているのが見えた。
自分に向けられた悪意は、言葉となって流れ込んでくる。
『お茶会だって本当はロザリア様だけお呼びしたいのに。妹がくっついてくるから誘わなきゃいけないなんて、リベルト様も大変ね』
向けられる悪意は細かな棘となってオリヴィアに突き刺さる。思わず首から下げたアミュレットを握りしめた。
それでも自分に直接向けられる悪意は、これだけでは防げそうになかった。
「リベルト様はすでに支度をしてお待ちです。お天気も宜しい事ですし、是非ご参加下さいませ。午後からはお仕事に集中出来ますよう、お取り計らい致します」
畳み掛けるようなカミラの言葉に、ロザリアが溜息をついた。その言葉の意味がオリヴィアにもわかっていた。
お茶会に付き合わなければ、午後からも竜王の使者が誘いに来るという事だろう。
オリヴィアは震える手で魔法黒板に白墨を走らせた。
【好意を無碍にしてはいけないわ。行ってきて】
「行ってきてって、あんたは……っ、顔色が悪いわ。大丈夫?」
【大丈夫だけど少し休みたいの】
「でもそんな状態のあんたを置いてなんて……」
『ほらやっぱり足手まとい』
悪意が更に襲いかかってくる。
込み上げる嘔吐感に、オリヴィアは深く息を吐いた。
ロザリアにもオリヴィアの体調不良の原因は分かっている。侍女の誰かがオリヴィアに悪意を向けている。それなら……この場は了承して、侍女をこの部屋から離した方が良さそうだ。ロザリアはそんな事を思いながらオリヴィアの視線を探った。オリヴィアが警戒しているのは――カミラの後ろに控える穏和そうな侍女。
「オリヴィア様の事でしたらお任せを」
「私にお任せください」
侍女長が後ろの侍女達に目をやると、一歩進み出たのは悪意を向けてくるのとは別の侍女だった。それに安堵したようにオリヴィアがひとつ頷く。
オリヴィアの様子に、ロザリアは尚も心配そうに表情を曇らせるも同意するしかなかった。
「……分かったわ、案内して頂戴」
「その前にお召し替えを。ドレスを用意してございます」
「別にこのままでもいいわ」
そう行ってロザリアは自分の姿を見下ろした。
黒いブラウスと黒のロングスカート。出歩くのに恥ずかしい格好はしていないはずだ。
「竜王様とのお茶会です。ドレスをお召しになって頂きませんと……」
「もう、面倒ね」
いまにも癇癪を起こしてしまいそうな姉の様子に、オリヴィアは眉を下げる。宥めるように肩をぽんぽんと撫でると、ロザリアは盛大な溜息をついてからカミラに向き直った。
「……分かったわよ」
その一言で、ロザリアはカミラをはじめとする侍女達に取り囲まれてしまった。
悪意を持っている侍女の意識から外れた事で、少しオリヴィアの体も楽になったようだ。
ベッドに腰掛け、着替えさせられる姉を見つめた。
ロザリアの瞳のような天色のドレス。立てた襟に飾られたレースが優美で、ロザリアの体にぴったりと添う作りとなっている。細い腰や長い手足が際立つデザインで、タイトなスカートは裾がふわりと広がっている。
真空色とレースの白がまるで春の空のよう。綺麗だとオリヴィアは吐息を漏らした。
ロザリアは髪も高く結われ、繊細な金細工の髪飾りを載せられた。揃いの耳飾りをしようとするカミラの手を、ロザリアは止める。
「このピアスは外せないの」
オリヴィアと揃いの黒いピアス。耳朶から下がる黒鎖には月のモチーフと小さなダイヤモンドが飾られている。
「そうでしたか、それは失礼しました」
カミラは大人しく下がると、耳飾りをケースにしまう。
支度が終わり鏡台の前から立ち上がったロザリアは、それはもう不機嫌な顔をしていた。それでもその美貌に綻びなどない。
【とっても綺麗よ】
オリヴィアが魔法黒板を見せると、その表情が一変する。にこやかに嬉しそうに笑ったロザリアはオリヴィアの頭をそっと撫でる。
「ちゃんと休んでいてね。何かあったらすぐにあたしを呼ぶのよ」
優しい声にオリヴィアも嬉しそうに笑う。
『あの妹さえいなければ、ロザリア様はもっと自由になるんじゃないかしら』
刹那飛んでくる悪意の刃に、嘔吐感がぶり返す。口を手で押さえる妹の姿に、悪意を悟ったロザリアは視線も鋭くカミラ達に向き直った。
「行きましょう」
「はい、ではご案内します」
部屋を出ていく姉達を見送ったオリヴィアは、糸が切れたように寝台に倒れ込んでしまう。悪意が消えた解放感に、ぎゅっと目を閉じたまま深呼吸を繰り返した。
「大丈夫ですか?」
掛けられた声に、薄く目を開ける。そこには心配そうな表情の侍女がいた。寝台の上掛を剥がすと、オリヴィアの体を支えて寝台に横たわらせてくれる。
「どうぞおやすみ下さい」
この侍女からは悪意を感じない。その事にほっとしたオリヴィアは有り難く休むことにした。
ぼんやりと侍女の行動を目で追うと、サイドテーブルにピッチャーとグラスを用意してくれた。ピッチャーもグラスも、揃いの花の装飾が施されている。ピッチャーにはたっぷりの氷とミントが浮かんでいた。
「何かありましたら、こちらを鳴らしてお呼びください」
ガラスのベルも枕元に用意してくれる。
オリヴィアは上体を起こすと魔法黒板を引き寄せた。侍女は首に幾分か角度を持たせて、その場で待ってくれている。
【お名前を伺ってもいいですか?】
「私はイリスと申します」
【ありがとうございます、イリスさん】
紡がれた文字を見て、イリスはにっこりと笑った。
一礼して去っていくその姿を見送ってから、オリヴィアはまた寝台に横たわる。体を抱くように丸くなると両手でアミュレットを握りしめた。
大丈夫、と自分に言い聞かせている間に、オリヴィアは意識は夢の中へと落ちていった。
柔らかな春の夢。まだ自分が唄えていた時の、あの春の夢に。
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