7.寄り添うふたり
夕方になって仕事を終え、姉妹は宛がわれた客間にて夕食を済ませた。
仕事を終えてといっても解呪しなければならない魔導具は、言葉の通りまだ山積みになっている。今日は簡単なものから始めたけれど、明日は手の掛かるものにも取りかからないといけない。そんな姉の言葉に、オリヴィアは素直に頷いた。
夕食も、本来ならば貴賓室にて用意されていたそうだ。
仕事上がりの姉妹の元にルーゲがやってきて「是非ともリベルト様とご一緒に」と誘うのを、ロザリアは「遠慮します」と一蹴したのだ。余りにもそっけないその返事にハラハラしていたのはオリヴィアばかりで、ルーゲは気に留めた様子もなく笑いながら去っていった。
相変わらずの靄が体を覆っている。これだけの悪意を持ちながら、平然と竜王に仕えているのは一体どんな気持ちなんだろうとオリヴィアは不思議に思うばかりだった。
「ねえ、オリヴィア」
二人一緒に入浴を済ませ、姉の魔法で髪を乾かして貰っている時だった。心地よい温かさにオリヴィアがぼんやりと鏡の中の自分を見つめていた時、ロザリアが声を掛けてきた。その深刻そうな声色に、どうかしたかと首を傾げた。
「あんたは……竜王様のお妃になりたい?」
鏡越しに視線が重なる。
ロザリアの天色の瞳がまっすぐにオリヴィアに向けられていた。
「救ったのはあんただって、それで声を失ったんだって言えば……」
姉の言葉にオリヴィアは首を横に振る。魔法黒板を手にすると淀みなく文字を紡いでいった。
【いいの。わたしの救った命が、無事に今を過ごしている事が分かればそれで充分。助けたことを言うつもりもないし、お妃様になるつもりもないわ】
ロザリアが読み終えたのを確認して、黒板に手を翳す。すっと文字が消えていって、またオリヴィアは白墨を走らせた。
【姉さんがお妃になるのなら、それでもいいのよ】
「やだ、冗談はよして」
心底嫌そうに顔を歪める姉の姿に、オリヴィアは苦笑するばかり。
【お仕事が終わったら、森に帰ろう? その時には悪意の事を教えてあげるつもりだけど、それを信じるか、それをどう扱うかは竜王様次第だと思うから】
「そうね。じゃあぱぱっと終わらせて、帰りましょ」
にっこりと笑ったロザリアは、櫛を手にしてオリヴィアの髪を梳かしていく。細やかな鈴蘭の装飾がされた櫛には椿油が染み込んでいて、梳く度にふわりと花香が舞った。
「……あんたの声は、あたしが必ず取り戻してあげるからね」
【わたしはこのままでもいいのよ】
「あたしが、あんたの声を聞きたいの。昔みたいに可愛い声で、お姉ちゃんって呼んでほしいのよ」
本気が見え隠れする姉の言葉にオリヴィアは笑った。やっぱり声は出ない。それを見た姉の顔に、一瞬だけ寂しさが浮かぶのは気付かない振りをした。
「はい、出来上がり」
【ありがとう】
姉のおかげでオリヴィアのピンクゴールドの髪は艶々だ。癖のないまっすぐな髪は毛先まで煌めいている。
同じ髪色のロザリアは緩く波打つ癖毛をしている。柔らかなその髪もやはり艶めいていた。
「艶々。母さんの送ってくれた髪油、凄くいいわね。これ、うちでも作れないかしら」
【帰ったら作ってみましょう。もっといいものが出来たりして】
「そうしたらバルディ印の髪油って大々的に売り出してもいいわね」
二人顔を見合わせて可笑しそうに笑った。
バルディ姉妹の作る化粧品は町の人達にも好評で、いい収入源になっている。
解呪で悪意と向き合うよりも、森に薬草を取りに行って薬を作ったり、化粧品を作ったりすることの方がオリヴィアは好きだった。
ロザリアもそうだ。彼女が一番好きなのは魔導具の開発。
だから二人とも、実は今回のこの解呪の仕事はあまり乗り気ではなかった。早く仕事を終わらせて好きなことをしよう。二人ともそんな事を考えていた。
「さて、そろそろ寝ましょうか。明日も頑張らなくちゃね」
大きく伸びをしながらロザリアが告げる言葉に、オリヴィアも笑みで応じる。
用意されているベッドはひとつだが、それでいいと言ったのはロザリアだった。これだけ大きなベッドなら二人で寝るのには充分だと。
上掛けをずらして潜り込む。滑らかなシーツが肌を擽る。オリヴィアはその心地よさに吐息を漏らし、寝着の襟元を直した。
「いいベッドね。ごはんも美味しいしお部屋も綺麗だし、旅行に来ていると思えばいいか」
隣に潜り込んだロザリアがオリヴィアの手を握る。細い指先を絡め合って。
「……いつもありがとね、オリヴィア」
柔らかな声で紡がれる言葉に、オリヴィアは目を瞬いた。どうしたのだと笑みを浮かべて先を促す。
「あんたが居てくれるから、あたしは頑張れる。いつも支えられてるの」
思いを伝えたくても、オリヴィアの手元に魔法黒板はない。だからオリヴィアはにっこりと笑ってそれを答えとした。
繋ぐのとは逆手で、ロザリアの顔にかかる髪をよける。擽ったそうにロザリアは笑った。
ロザリアが繋いだ手を軽く振ると、ランプの明かりが一斉に落ちた。カーテンの隙間から差し込む月明かりだけが、ベッドに掛かっている。
「おやすみ、オリヴィア」
同じように返したくても、オリヴィアにはそれが出来ない。だから繋いだ手をぎゅっと握った。
触れ合う温もりが眠気を誘ってくる。それに抗う事も出来ず、二人は寄り添ったまま穏やかな眠りの中へと落ちていった。
煌星が空を支配する、美しい夜のなかで。




