31.『聞けば分かる』
リベルトはルーゲに数歩近付き対峙する。リベルトにはオリヴィアの持つような、悪意が見える力はない。しかし相対するルーゲの視線からは、彼が自分を疎んでいると読み取る事は容易だった。
「ルーゲ、どうしてこんな事をした」
「はて、どうしてとは。私めも毒でやられて捕まっていたではありませんか。長らくお仕えした爺に対して、あまりの仕打ちですぞ」
リベルトの問い掛けに、ルーゲはその表情をいつもの穏和なものに変えて言葉を紡ぐ。同情を煽るような憐れな姿を装っているのがリベルトには分かっていた。
「質問を変える。オリヴィアからの手紙はどうした」
「手紙なぞ預かっておりませぬ。妹君がカミラに渡した場にはおりましたが、その後は存じませんぞ。カミラを問いただすべきではないかと」
何を問うても無駄だと分かっていた。この臣下は飄々とこの場を切り抜けようとするのだろう。
「まだるっこしい事やってるのね」
声の主はロザリアだった。
リベルトの隣にやってきたロザリアは、波打つ髪を肩から背に払ってから、胸の前で腕を組む。
「リベルト、あたしに任せなさい」
「ロザリア?」
「この男はあたし達と契約を交わしてる」
ロザリアの言葉にルーゲの顔色が変わった。体の前で拘束された両手のうち、左手で右の指達を覆ったのは無意識の事だったのかもしれない。ルーゲが隠した右手中指には、黒い指輪が埋め込むように嵌められている。魔女の契約を交わした証だった。
「契約にはこう在るわ。『魔女に危害を与えてはならない。魔女を裏切ってはならない』と」
「……何の事ですかな。今回の事件は鬼蛇族が起こしたもので、私は関係ありませんぞ。もちろんロザリア様を裏切るなんて事も……」
「聞けば分かるわ」
ロザリアの髪が魔力の風で遊ばれる。色を濃くした天色の瞳が、ルーゲを真っ直ぐに見つめている。
『我ら魔女を裏切るための嘘をついてはならない』
静かだが抗うことの許されない響きだった。
ロザリアの魔力が高まっていく。薄刃のように冴え冴えとした気配に、ルーゲだけでなく周りを囲む衛兵達まで息を飲んだ。
ルーゲの中指にある黒い指輪が、ロザリアの魔力に呼応するように震えている。そしてそこから立ち上ったのは、長く大きな黒鎌だった。魔女言葉が刻印された鎌刃が、光を受けて不気味に光っている。ゆっくりとその鎌の先がルーゲに向かって倒れていき、そして止まった。少しでも振り下ろされれば命を刈り取る程の距離で。
「あたし達を裏切れば、その鎌はあんたの大切なものを刈り取るわ。命なのか自尊心なのか、名誉か、それとも他にいる誰か大切な人なのか。魔女の契約ってそういうものよ」
間近に迫る大鎌からルーゲは目が離せなかった。少しでも目を逸らせば、その刃がいまにも襲いかかってくるように見えるのだ。圧倒的な存在感に、ルーゲは脂汗を浮かべている。
「嘘はひとつもつかない方がいいわよ。どの嘘があたし達を裏切るものにあたるかは分からないから」
そう口にしたロザリアは振り返り、未だ半竜姿のリベルトに目を向けた。すっかりと再生された左手は、もう馴染んでいるように見えた。
「さてと……いいわよ、リベルト。何でも聞いたらいいわ」
「これが魔女の契約か。恩に着る」
ロザリアは肩を竦めると、後は任せたとばかりに一歩下がった。
「ルーゲ、お前は何を成そうとした」
「くくっ、……魔女とは本当に恐ろしい生き物ですな、リベルト様。取り込もうとしたのが間違いだったやもしれません」
ルーゲは深く息をつくと壁に背中を預けて寄り掛かった。そのままずるずると座り込む。同じようにして大鎌も動いて、それからはもう逃れられないのだと、ルーゲにも分かっていた。
「何を成そうとしたか……私はね、ずっと昔からこの国が欲しかったのですよ。しかし私には竜王になるだけの絶対的な強者の力はなかった。それでも、まだ幼い次代の竜王を自分の傀儡にする事が出来れば、私の願いが叶う……そう思っていたのです。その為に幼い頃からあなたを教育してきたのですが、あの事件だ。生き延びたあなたが戻ってくるのを本当に心待ちにしていたのですよ」
いつもきっちり整えられている白髪を、拘束されたままの手でルーゲは乱した。自嘲からか、口許は笑みの形に歪んでいる。
「先代を打ち倒して竜王となったあなたは本当にご立派でした。強さはそのままに、幼い頃の優しさも変わらない。いや、むしろ甘ったるい理想を並べる程に。竜族至上主義を厭い、他種族との同調や親交を求めていくあなたに賛同する者もいれば、嫌悪する者もいた。あなたはその者達をも納得させる為に対話を繰り返し、この国を見事に纏めあげてしまいましたね。ご立派でしたが……私の目的の為には、少々出来の良すぎる王でしたな」
誰も言葉を発せずに、ただルーゲの言葉に耳を澄ませていた。
ルーゲの言葉を聞いていたリベルトは、今までの事を思い返していた。竜王になって、国を纏めて、その全てにルーゲは自分と共に在った。支え、時に導き、共にこの国を思っていたはずだったのに、全てがまやかしだったというのか。
リベルトがぐっと拳に力を込めると、掌に爪が刺さって小さな痛みがする。それに意識を向け、感情に飲み込まれるのを堪えていた。
「そこで用意したのが、あなたが想いを寄せていた魔女。懐柔して私側へ取り込んだ魔女の言うことなら、頭の固いあなたにも届くかと思いましてね。魔女が第二妃につけば他国への牽制にもなりますし、妹君を他国へ嫁がせれば国益にもなると思った」
リベルトの背後で、ロザリアの怒気が膨れ上がった。肩越しに視線を送ると、ロザリアは苛立ちを隠そうともしていなかった。
「侍女達を扇動して妹君を冷遇したのは、ロザリア様の自尊心を満たせるかと思ったのですが……想像よりも姉妹の絆が強かったようで、これは悪手だったと反省しております。足手まといの魔女未満など、切って捨てるのかと思いましたが……いやはや、まさか妹君があれだけの力を秘めていたとは」
揶揄うようなルーゲの言葉は、オリヴィアの事もロザリアの事も煽っている。ロザリアはその視線だけでルーゲを射殺せそうな程に怒りの表情に顔を歪めているが、この場はリベルトに任せてくれるようだった。
リベルトはルーゲの言葉に宿る悪意に溜息をついた。
オリヴィアはこんな悪意を、いつもあの華奢な体で受け止めていたのか。改めて彼女の心の強さに敬服するばかりだった。
そればかりではいられない事も分かっている。彼女が自分を二度も助けてくれたように、今度は自分がオリヴィアを助けたい。支えとなれるようにもっと強く在らねばならない。オリヴィアが憂いなく笑っていられるように。
そう決意したリベルトは、改めてルーゲに向き直る。今まで目を逸らしていた現実を受け止める為に。




