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29.泡沫

「いい方法……?」


 ロザリアがオリヴィアを隠そうと、オリヴィアの前に一歩踏み出す。キリルが顎を動かすと、控えていた鬼蛇(きじゃ)族の兵士がロザリアの腕を掴んで壁際へと引っ張っていった。


「ちょ、っと……! 離しなさいよ!」

「ロザリアちゃん、そこでおとなしくしていてよ。君達にはあんまり手荒な事はしたくないんだよねぇ」


 宥めるよう、キリルの声は優しい。その声に悪意が乗っていても。


 オリヴィアは片手に魔法黒板を持ち直すと、逆手で髪に触れた。直す振りで、その手を耳元へと滑らせる。右耳のピアスを引っ張ると、耳裏でピアスを留めていたキャッチが床に落ちた。音もなく、それが床に落ちた事に気付く者は誰もいなかった。

 注目が、キリルとロザリアに向かっていた為だ。オリヴィアにはそれが分かっていた。


 オリヴィアは手の中に握ったピアスに、そっと魔力を流した。誰にも気付かれないよう、細く弱く。そして魔力を帯びたピアスを、隣のリベルトの手に握らせた。月とダイヤモンドが飾られた、姉と揃いの黒いピアス。受け取ったリベルトも、何事もなかったようにオリヴィアを見ることはしなかった。


 リベルトは受け取った瞬間から、体が楽になるのを感じていた。

 体内の毒が浄化されている事、それがオリヴィアに渡されたピアスのお陰だというのは容易に理解が出来た。先程ロザリアが言っていた『対処はしてある』というのは、これの事だったのかもしれない。


「ロザリアちゃん、君にはそこで全てを見ていて貰いたいんだ。そうしたら、君も次の贄になれるかもしれない」


 キリルが楽しそうに肩を揺らす。まだ何かを言おうと開いたロザリアの口を、後ろから鬼蛇(きじゃ)族の兵士が手で塞いだ。


「さて、と……オリヴィアちゃん。君には俺たち鬼蛇族の為の贄になってもらう。君を捧げたら、我らが神はどんな力を与えてくれるのか……想像しただけで震えるね」

「贄は俺だろう!」


 声を荒らげて、リベルトがオリヴィアの前に立ちはだかる。キリルから立ち上る悪意はリベルトには見えていないのに、まるで突き刺さるほどに鋭い悪意からオリヴィアを守ろうとするかのように。


「もちろん竜王様にも死んでもらうよ。……竜王様さ、オリヴィアちゃんの事が好きでしょう? オリヴィアちゃんも満更でもない感じがするし。でも竜王様の妃に選ばれたのは、ロザリアちゃん……可哀想だよねぇ、誰も救われない」


 キリルは玉座から立ち上がると、ゆっくりとした歩調でオリヴィアとリベルトに近付いた。その手には、柄に蛇が巻き付く装飾のある長剣が握られている。刃も柄も何もかもが黒く塗られた、不気味な剣だった。


「このまま竜王様がロザリアちゃんのものになってもいいの? 自分だけのものに、しちゃいたいと思わない?」


 キリルはリベルトの肩に片手を添えると、ぐいと避けさせ、間近にオリヴィアの顔を覗き込む。心に寄り添うように、優しくも毒を孕んだ声。


「オリヴィアちゃんとロザリアちゃんは、仲のいい姉妹だよね。でもそこに竜王様が入り込んだら、君達の関係は変わってしまう。大好きなお姉ちゃんは、大好きな人に嫁いでしまう。そうしたらほら、オリヴィアちゃんはひとりぼっち。可哀想なオリヴィアちゃん……」


 キリルの言葉が広間に響く。

 誰も口を挟めない、独特の空気感に飲まれていた。


「でも大丈夫だよ。いい方法があるんだ」


 キリルはオリヴィアの手から魔法黒板を取ると、それを床に投げてしまう。衝撃に耐えられなかった黒板は割れ、中から魔導石や部品が飛び出した。それをキリルは踏み潰す。


「竜王様を殺してしまえばいいんだよ」


 キリルはオリヴィアの手に、黒い長剣を握らせた。それに視線を落としたオリヴィアの顔には、何の表情も浮かんでいなかった。


竜王様(想い人)を殺す魔女。なんて業が深いんだろう。きっと我らが神もお喜びになる。……オリヴィアちゃんはずっと俺たちと一緒に居られるよ。竜王様を殺して、贄となって、君の魂はずっとずっと鬼蛇族と共にあるんだ。そうしたらもう誰も、君を蔑まない。出来損ないだなんて貶めた奴等を皆殺しにだって出来るんだ」


 オリヴィアはゆっくりと顔を上げて、真正面からキリルを見つめた。

 心地の良い声。悪意が麻薬のように体を巡る。悪意が痛くて気持ちが悪い筈なのに、この優しい声に身を委ねるように心が訴えかけてくるようだ。


 暗示をかけている。

 オリヴィアはそう思った。影よりも闇よりも深い、その黒曜石の瞳の奥には相変わらず狂気が揺らめいている。



 わたしは魔女。

 出来損ないでも疎まれても、わたしが魔女である事に変わりはない。魔女を従えようとするだなんて、この人が――一番わたしを蔑んでいる。



 何も反応しないオリヴィアに、キリルは眉を寄せた。苛立ちに溜め息さえ零れた。


「オリヴィアちゃん、竜王様の事を君が殺すか、俺が殺すかだよ。どちらにせよ竜王様は死ぬんだ。自分の手で、自分のものにした方がいいんじゃない? それとも……竜王様の前に君が死ぬ?」


 業を煮やしたようにキリルの言葉が荒くなる。

 人が良さそうに見えて、心の奥にはこれだけの激情を隠していたのか。オリヴィアは剣を両手に握り直した。


「ただし、いま君が先に死んだら、君の魂を泡沫と消す呪いをかける。もう二度と生まれ変わる事もない。君の存在が魂ごと消えてなくなってしまう。それが嫌なら、竜王様を殺す事だね」


 キリルはそう告げると踵を返して玉座へと戻る。背中を向けているのに、斬りかかれる気がしない。一歩でもキリルに向かった瞬間に、自分は殺されるだろう。オリヴィアはそれを肌で感じていた。


「オリヴィアちゃん、竜王様を殺すんだ。そうすれば君の魂は永遠となって俺達と共に在る事が出来る。神の一部となる君を、誰も蔑んだりはしない」


 先程の昂りが嘘のように、また甘い声だった。玉座に腰を下ろしたキリルは、にっこりと笑ってオリヴィアを見ている。



「……オリヴィア、俺を殺せ。その後はどうとでもなる」


 懇願めいた声だった。

 オリヴィアはリベルトに向かい合う。どうとでもなる、なんてリベルトだってそう思っていない筈なのに。そう思って困ったようにオリヴィアは笑った。


 泡沫となるのは怖い。

 この人に、姉さんに、自分が死ぬところを見せるのが怖い。きっと優しいこの人達は自分の事を責めるから。


 剣を握る手に力を込めたオリヴィアは、ロザリアに顔を向けた。泣きそうに顔を歪めた姉に、笑って見せた。泣いてしまいたいのを、必死に堪えて。


 またリベルトに向き直る。

 金の瞳が真っ直ぐに向けられている。あの時(八年前)と同じ、意思の強い瞳。


【助けるのはこれで二度目よ】


 声の出ない唇が、言葉を紡ぐ。

 金瞳が驚きに見開かれたのを見て、オリヴィアは少し笑った。


 剣を返し、切っ先を自分に向けたオリヴィアは、それを胸に突き刺した。躊躇はなかった。

 鮮血と鋭い痛み。そんな中で最期に思ったのは『リベルトのこと、好きだったんだ』と、それだけだった。



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