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21.苛立ちが交差する

 穏やかな風が抜けていく頃、オリヴィアの震えが漸く落ち着いた。長いようで短いような、曖昧な時間。オリヴィアの様子を窺う為に体を離したリベルトは、互いの体温が同化していた事に気付いて低く呻いた。

 空咳でそれを誤魔化してから、オリヴィアに再度向き合い、問いかける。


「何があった?」

【魔法黒板を部屋に忘れてしまったの。取りに戻る途中で、キリルと会って……】


 その先は口に出来なかった。オリヴィアはただ首を横に振るだけだ。囁かれた言葉も触れていた肌も嫌だったけれど、それよりも恐ろしかったのは彼が纏っていた悪意の靄だ。先の見えない深淵に立っているような、そんな感覚が恐ろしかった。


 知らず内に唇を噛んでいたリベルトは、オリヴィアの手首に赤黒く残る痕に気付いた。それがキリルの指の痕だと、オリヴィアに問わずとも分かりきっている。

 リベルトは小さく悪態をつくと、細い手首に指を添えた。小さな声で紡がれる詠唱に応えて、リベルトの指先が仄かに光る。その光はオリヴィアの手首に広がって、痕が消えた時には痛みも綺麗になくなっていた。


【治癒魔法も使えるのね】

「少しだけどな。痛くねぇか?」

【大丈夫、ありがとう】

「まだ黒板を取りに行ってねぇんだろ。付き合う」


 立ち上がるオリヴィアの腕を支えながら、リベルトはそう告げた。オリヴィアはそれを拒まなかった。


 

 キリルに捕まっていた時は肌寒いくらいだったのに、それが嘘のように穏やかな温もりに包まれている。そう思ったオリヴィアは隣を歩くリベルトにそっと視線をやった。

 綺麗な人だと思う。意思の強そうな眉や金瞳も、通った鼻筋も、顎のラインも。力強い美しさがそこにはあった。


「どうした?」


 不意に視線が重なって、オリヴィアは首を横に振る。綺麗だと思っていたなんて言ったら、きっと怪訝そうな目で見られてしまうから。


 侍女や使用人が、オリヴィアと歩くリベルトを見て一瞬驚いたように目を瞠る。壁際に控えて頭を下げて見送ってはいるものの、オリヴィアに悪意を向ける者も多かった。


『魔女未満のくせにリベルト様とならんで歩くだなんて恥知らずだわ』

『魔法は使えないのに、誑かすのは上手なのね』


 悪意の棘が言葉を形取る。

 オリヴィアは護符(アミュレット)を無意識に握りしめていた。


「それ、何かの魔導具なのか?」

【お守りなの】

「夜はつけてないみてぇだが……やっぱり解呪ってのは大変なんだな」


 そういえば、夜にバルコニーでお喋りする時はつけていなかった。悪意を向けてくる人がいないからつける必要がないだけなのだが、それを何と言っていいか分からずに、オリヴィアはただ頷くだけに留まった。


「それにしても顔色が悪いな。今日はもう休んだ方がいいんじゃねぇのか」

【大丈夫よ。もう大詰めだし、姉さんにばかり大変な事をさせたくないから】

「そうか……無理すんなよ、ってこれしか言えねぇが。何かあったらいつでも言うんだぞ」

【ありがとう】

「あー……それから、さっきの件だが」


 唇を読むためかオリヴィアを窺いながら、リベルトが声を潜めた。耳を澄ませていないと風の音で掻き消えてしまいそうな程の声だった。


「……庭師とは知り合いか?」

【前に姉さんが侍女に囲まれた時に助けてくれたの。見かけるのは今日で二回目よ】

「そうか」


 リベルトは続く言葉を探しているようだった。そう見えたオリヴィアは不快そうに眉を寄せる。彼のそんな様子は珍しいし、それが先程のキリルの件なら良くない話になりそうだったからだ。


【言いたいことがあるなら、はっきり言った方がいいわよ】

「言いたい事っつーか……」

【キリルとの関係はさっきも言ったでしょ】


 話をぶり返されたくなくて、オリヴィアの唇がいつもよりも早く動く。そこに苛立ちを感じ取ったリベルトもまた、眉を寄せた。


「二回目のわりに随分と距離が近かったからな」


 オリヴィアは思わず足を止めた。

 失言に気付いたリベルトも同じくしてその場に立ち止まる。


【あなたにはそう見えていたのね】 

「あー……悪かったよ、言葉を間違えた」

【間違う? どんな言葉を選ぼうと、そう思っていた事には変わりがないわ】

「落ち着けって」


 困ったように言葉を紡ぐリベルトの様子さえ、腹を立てているオリヴィアには火を注ぐだけだった。悪意に晒され続けて限界もきていたのかもしれない。鬱憤だって溜まっていた。だから本当は言うつもりのない事まで口走っていた。


【このお城の人達はわたしの事を嫌ってる】

「はぁ? お前、何言って……」

【わたしには見えるのよ】

「見える? もてなしに不備でもあったなら、そう言えよ。対処させる」

【そういうことじゃない。わたしには人の悪意が見えるのよ】


 リベルトは訝しげに眉を寄せる。その表情にオリヴィアはなんとも言えない物悲しさを感じた。しかしそれが何故なのか、どうして自分がこんなにも苦しいのか分からずに、その感情は全て怒りに変換されていく。


【信じられない?】

「お前の事は信じるが、城の奴等の悪意が見えるってのは……」

【信じていないのね】

「だからそういうわけじゃねぇって! 城の奴等がお前を嫌ってるって、それはお前の思い込みだろ」


 リベルトも声を荒らげた。

 先程キリルに捕まっているオリヴィアを見た時からずっと、胸の奥でどろりとした不可解な感情が渦を巻いていたからだ。それが何なのか分からずに、ただ苛立ちだけが募っていた。


【……信じてくれるって言ったのに】


 その言葉を口にしたオリヴィアの瞳から、すっと光が消えていった。まるで扉が閉じてしまったかのように、碧色の瞳は何の感情も映さない。表情さえ無くしたオリヴィアはその場から駆け出して去ってしまった。



「……くそっ!」


 悪態をついたリベルトは手近の壁に拳を叩きつけた。壁が震えて、拳が赤く滲んだ。


「リベルト様!」


 大声のせいか、壁を殴ったせいか、見回りをしていたらしい二人の衛兵が駆け寄ってくる。リベルトの様子に驚いたように目を丸くするも、それに対して言葉を掛けてくることはなかった。


「……オリヴィアが忘れ物を取りに部屋に向かった。仕事部屋に戻るだろうから、ついていってやれ」

「はっ!」


 二人の衛兵は揃って美しい敬礼をすると、オリヴィアに追い付くべく早足でその場を後にした。

 リベルトは苛立ちを抑えられずに、また壁を殴る。亀裂が入り、欠片がぱらぱらと床を汚した。この苛立ちが何なのか、答えはまだ見えそうになかった。



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