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16.月映えを舞う風①

 月宿る夜。

 日中の暑さは身を潜めて、涼やかな風が夜空の下で軽やかに踊る。それはバルコニーの手摺に凭れる、オリヴィアの髪を揺らして遊ぶほどに。


 ロザリアはもう既に休んでいる。いつもより早い時間なのだが、魔導具の解呪に魔力を注ぎすぎてしまったようだ。もちろんオリヴィアも足りなくなる前に魔力を貸すのだが、いつもよりも解呪を急ぐ姉はやはり疲れてしまったらしい。

 それが自分の為だと分かっているオリヴィアは、何度目かも分からない溜息をついた。


 自分も魔法を使えたなら。

 魔導具に魔力を流すだけでなく、姉のように魔法を自在に使えたなら。


 そうしたらきっと、姉ばかりに負担をかけなくても済むのに。声を失った自分では魔法の詠唱は出来ないけれど、魔法陣を経由してなら……苦手だとか魔力が転化出来ないだとか諦めるのはやめて、また練習しよう。オリヴィアはそう決意した。



 不意に風が強くなった。

 美しい程に澄みきった、魔力を帯びた一陣の風。それが何を意味するのか、オリヴィアはよく知っていた――リベルトだ。


 リベルトはいつものように軽い身のこなしでバルコニーに降り立つと、半竜の姿を解く。そこには美貌の黒竜王の姿があった。



「なんだ、疲れた顔してんな」


 オリヴィアは足元に置いていた魔導ランタンを手摺に乗せた。今日は部屋の明かりを落としているから、ランタンの明かりがないと唇を読んで貰えないからだ。


【そう? いつも通りだと思うけれど】


 慣れた様子で手摺に凭れるリベルトはランタンと、明かりの消えた室内を見比べて首を傾げる。


「姉ちゃんはもう寝てんのか?」

【ええ、ちょっと頑張りすぎちゃって】

「解呪は魔力を喰うらしいな。お前は大丈夫なのか?」

【魔力量だけはあるの】


 そう声なき言葉を口にして、オリヴィアは自分の迂闊さに眉を下げそうになった。魔力量なんて口にしたら、八年前の事と紐付けられてしまうかもしれないからだ。話を変えようと思ったオリヴィアは、リベルトの顔に疲労が色濃く表れている事に気付いた。


【あなたも疲れた顔をしているわ。大丈夫?】

「ん? ああ、補佐してくれてるディーターがいなくて少し忙しくてな。でもまぁ、問題はねぇ」


 ディーターという名前に思い当たる人はいる。花を届けてくれたあの人だろう。この部屋を手配してくれたのもそうだ。


【いないのは、襲撃を受けている砦が関係してる?】

「そうだ。ディーと、パトリックって騎士が率いる一団が砦に出張ってる」

【砦はどうなの?】

鬼蛇(きじゃ)族は砦から撤退したが、近くに陣を張ってるらしい。襲撃の機会を窺ってるみてぇだから、呼び戻すにはまだ時間がかかりそうだな」

【大変ね】

「まぁな。だがこれ以上被害を広げない為にも、あいつらには気張ってもらわねぇと」


 その言葉や表情からは、友人に対する信頼が読み取れる。オリヴィアは表情を和らげ、小さく頷いた。


「暗い話はやめだ、やめ」

【そうね、じゃあ……あなたの子供の時の話が聞きたいわ】

「俺の? 退屈だぞ」

【いいじゃない、聞かせて】

 

 オリヴィアの言葉に、リベルトは予想外だとばかりに目を瞬く。それでもオリヴィアが尚も強請ると、大袈裟なほどに肩を竦めて見せた。

 リベルトはバルコニーに据え付けられているテーブルセットから、椅子を二脚引いてきては手摺に向かうようにそれを並べた。

 促されたオリヴィアが座ると、隣にリベルトが腰を下ろす。満ちた月明かりが柔らかな光でバルコニーを照らしていて、春風がオリヴィアの髪を擽っていった。



「まず……竜王ってのは、どうやって決まるか知ってるか?」


 問いかけに、オリヴィアは首を横に振る。


「じゃあそこからだ。竜王とはその時代の強者がなる。世襲制ではねぇんだが、竜王の血を継ぐ子どもは、その血統からか強者が多いって言われてる。そして俺の父親は先々代の竜王だった」

【じゃああなたは、生まれた時からこのお城で暮らしていたの?】

「そうだ」


 オリヴィアは改めて月明かりに照らされた眼下の光景を眺めた。美しい城と、調和するよう整えられた庭園。ここは本当の意味でもリベルトの家なのか。


「補佐官のディーターも、騎士のパトリックも幼馴染みなんだ。あの二人の両親も城に出仕していたから、昔からの腐れ縁ってやつだな」


 幼き日を思い出してか、リベルトの表情が常のものよりも和らいでいる。庭園を駆け回る幼い男の子達を思い浮かべて、オリヴィアもまた微笑んだ。賑やかな声さえ耳に聞こえてくるようだった。


「ルーゲは俺の教育係で、小さい頃はよく叱られたもんだぜ。俺たちは三人揃って悪さばかりしていたからな」


 ルーゲ――リベルトに悪意を持つ、あの老臣。教育係として接していたのに、どうして悪意を……。考え込んでしまいそうになるのを、オリヴィアは意識して止めた。考えても仕方のない事だし、いまは穏やかなリベルトの声を聞いていたいと思ったからだ。


「小さい頃はそんな事ばっかりだ。悪戯して、喧嘩して、また遊んで……ずっとそのままでいられたら良かったんだけどな」


 リベルトは長い足を組み替えて、オリヴィアに向き直った。金の瞳に翳り見えて、オリヴィアは思わずリベルトの腕に手を添えていた。

 その手をリベルトは払うことはしなかった。手の甲をぎゅっと掴むように握って、自分の足の上に乗せた。


「俺が十五になったばかりの、春の日。八年前の、あの日だ」


 リベルトが何を言おうとしているのか、オリヴィアには分かってしまった。八年前の春の日、リベルトが瀕死の状態で森にいた――あの日。


「親父が討たれた。母さんは俺を逃がして死んだ」

【……どうしてそんな事に】

「先代の竜王が謀反を起こしたからだ。竜王は、その時代の強者がなる。その摂理に従っただけなのかもしれねぇが、本当はもっとちゃんとした儀式があるんだ。先代はそれを無視して、明け方に討ち入ってきた」

【そんなの、許されていいの?】

「許されねぇさ、本来ならな。だが親父が死んで、先代以上の強者は当時はいなかった。咎める事なんざ、誰も出来なかっただろうな」


 オリヴィアは手を返して、リベルトのそれと指を絡めるようにして繋いだ。しっかりと、力強く。


「逃げ出した俺も満身創痍だった。飛ぶことさえ出来なくなって落ちたのが――魔女の森だ」


 二人の間を駆け抜ける風が花の香りを含んでいる。あの春の日を呼び起こすかのように。それに気付いていながらも、オリヴィアは口を開けなかった。

 あの時間を、()()()は共有していた。だが助けたと告げる勇気がない自分には、あの春を共に懐かしむ事は出来ない。


 嘲笑うかのように、風はどこまでも穏やかだった。



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