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天京の聖杯  作者: はぐれイヌワシ
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無傷の兵士

結局、李自成は紫禁城を焼いて逃げた。僅か四十日の皇帝であった。

多大な財宝の眠る紫禁城を焼いたのは、『民を救う為に明を倒した』軍の、破綻をも意味していた。


後に入ったのは、呉三桂も含めた奇妙な髪形の一団。

何でも、『男は全員この髪型にしないと死刑あるのみ』らしい。


男装していた張嫣もその対象であったが、髪を剃りたくはなかったので北京を離れ、江南に渡ることにした。


―――-落ち目の李自成よりも、明の皇族の方がまだ頼れたからである。


しかし、明は明であった。

北京が腐っていたのに、江南が腐っていない道理はなかったのである。


***


北京陥落と由検の自害、そして満洲軍の入関は既に江南に伝わっていたようで、いくつかの動きがあった。


まず南京に、複数名の成人した男性皇族がいた。

李自成軍に食われた朱常洵の長男、由崧。

太祖・朱元璋の十男の九代目の孫、以海。


この二者の擁立に、東林党と魏忠賢派の残党である反東林党の争いが、

そんなことやっている暇ないのに持ち込まれたのである。


結局、由検の皇統に近い由崧を擁立した反東林党が勝利し、

以海は魯王に封じられたが、以海を擁立した者達はその殆どが官職を追放された。


追放されずに済んだ者の中に、史可法という者がいた。

文天祥の生まれ変わりだという説もある彼は、崇禎元年に及第して地方官を歴任し、

いよいよ中央政界に参入、という段階で北京が落ちた。


丁度北京を離れていた史可法は慌てて北京に援軍を送ったが、その途上で由検の自害を聞いて痛哭した。

そして南京に駆け込んで由崧擁立後に事実上政権を握ったが、

李自成と満洲軍、二つの敵にどう対応するかで反東林党の槍玉に挙げられ、政権から追放された。


彼は総督として前線に送られ、清と敵対することになった。

元々彼は『落ち目の李自成軍と意気揚々の満洲軍、敵に回してまずいのは後者です。

ひとまず満洲軍とは講和を結び、李自成軍に止めをさしましょう』という主張をしていたのだが、

皮肉にも彼が満洲軍と戦う羽目になったのだ。


***


張嫣はこの史可法の軍に身を投じた。

当時彼らは揚州にいたが、まもなく清軍の侵攻が始まった。


当時の清の皇帝はホンタイジの子、フリンでまだ七歳であった。

なのでホンタイジの弟の一人であるドルゴンがフリンの生母と組み、摂政として実権を振るっていた。


清の揚州方面の総司令官はこのドルゴンの弟、ドドである。


ドドは揚州を包囲して史可法に降伏を迫ったが、それに応じる事はなかった。

―――-その方が、張嫣にとっても好都合であった。


張嫣は他の兵士と共に何度も清兵と戦った。

そして、いくら傷ついても陣に戻るころには治癒しているので『無傷の兵士』として尊敬されるようになった。


―――その実態は、いくら血を流しても誰かに頼れないというものであったが。


幾ら痛みを感じても、他の兵士には気づかれない。

幾ら称賛されても、その痛みを理解できる兵士などいないのだ。


***


或る時、陣中で深手を負って死を待つだけの兵士に呼び止められた。

「あんた…なんでそんなに強いんだ…?俺、なんかいっぱい血の出る所を傷つけられちゃったみたいでさ…」


その兵士が張嫣を羨望の眼で見ている事は理解できた。


ふと、張嫣は自分が薬を飲んだ時の事を思い出した。

そして―――刀を抜き、自分の指を僅かに傷つけた。


流れ出る自らの鮮血を、その兵士に含ませた。


「私の血でも飲めば、少しは強くなれるんじゃないか?」

「はは…そうだったら…いい」

言いかけたところで、兵士の身体に異変が起こった。


傷口が泡立って、瞬く間に塞がったのだ。


「すげえや…本当に治っちまった」

「な。私が強いと言われる理由、少しはわかっただろ?この事は内密にな」

「わかった。あんた、ちょっと特殊な体質だったんだな」


程なくして、彼もまた急激に強くなった、傷を負わぬ兵士として有名になった。


***


のだが。

件の兵士は、突如として陣中で暴れ出す頻度が多くなった。

時には、噛みつかれそうになった兵士もいた。


また、夜中に謎の怪物に襲われて負傷する兵士が増え、傷の具合によってはそのまま死ぬ者も多かった。


『人の形をした怪物が、この城中に紛れ込んで血を啜っている』

そんな噂が、史可法の陣中を蝕んでいき、士気は下がっていった。


四月二十四日の夜に、事件は起こった。


件の兵士が、夜中に突然苦悶し始め、隣で寝ていた兵士の喉にかぶりついたのである。

悲鳴で目を覚ました周りの兵士が見たものは


――――土気色の肌に、元の背丈の二倍か三倍かの異形に変形した件の兵士であった。


「やっぱりこいつだったか!!」

とは言うものの、常人が相手できる生命体ではない。


幾ら切り付けても、傷口が瞬く間に塞がってしまうのである。

まるで、呉剛が仙人になるために伐ろうとしている桂の樹の如しである。


兵士たちは逃げ惑い、部隊はひとりでに潰走した。


―――まさか、こんな事になろうとは。


自分の血が、彼にとっては『毒』になったのだ。

では、何故あの薬を飲んだ自分は人の姿のままでいられる?


その時、砲声が辺りに轟き、続いて城壁の崩れる音がした。

清兵が、城内に侵入したのである。


***


史可法は、自刎した。

清兵は、揚州の民を、徹底的に殺し尽くす事を選んだ。

辮髪にして降伏を選んだ民でさえも、容赦せずに殺害した。


およそ十日間の間に、数十万人の人命が失われたのである。


張嫣は何とか南方に逃げたが、件の兵士は逃げられなかった。


怪物が、複数の清兵に油を浴びせられて、火矢を射かけられて、

灰になるまで焼かれた後は、復活しなかったからである。


―――ああすれば、死ぬんだな。


それは解ったが、もしかしたら自分もあの方法でしか死ねないのではないか。

凌遅刑以外では、生きたまま焼かれるのが最も苦しい殺され方だと思う。


最も苦しい方法でしか死ねないとは、正に死を奪われた形になった。


あの薬を飲んでから、ほぼ一年。

張嫣は、死と血液に慣れきっていた。


一月後には、清軍は南京にも侵攻、由崧は一旦蕪湖に逃れるもそこで部下に裏切られて捕らえられ、

翌年、北京で処刑された。

由崧の年号は『弘光』なので弘光帝とも称される。



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