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天京の聖杯  作者: はぐれイヌワシ
2/19

傀儡帝の后

嘗て宋が栄華を極めた都市・開封で生まれたその少女は、幼い時分から美貌と才智を詠われていた。

高い身分の女性であっても字を知らないことが多々あった時代において、四書五経を諳んじ、沢山の詩を書いた。


監生であった父・国紀は、『この子が男児であったなら、わしの代わりに状元になってくれたろうに』と度々嘆いた。

しかし、少女は嘆くことはなかった。

「父上、私は後宮に入り、女官となってこの国を支えたいのです。

この世の中には女にしか為せない事も多いものです」


***


女官とは言ったが、まさか皇后に選ばれるとは本人も予想していなかった。

しかも彼女を選んだ皇帝の祖父も祖母も父も生母も既にこの世にいない。

これが意味する事は、すなわち―――皇帝個人の意志のみで、彼女は皇后になった、というわけである。


だが、それは幸福には繋がらなかった。

一女官になった方がまだ彼女にとっては幸福だったかもしれない。


***


話は、彼女がこの世に生を享けた頃の皇帝―――万暦帝―――にまで遡る。

政を嫌い、国家の財を自分自身と自分の愛せる者だけに注ぎ込んだ万暦帝は、

一番年長の男子・常洛を愛さなかった。


万暦帝は愛する鄭貴妃の産んだ常洵を愛し、鄭貴妃が太子たる常洛を排斥しようとするのを見守っていた。

『宮女から皇后になる者が出る』との怪文書が世間に複数回流れ、

常洵を地方に渋々移した所、常洛のいる東宮に男が闖入して暴れ、『宦官に頼まれてやった』と供述した。


常洛は生母が危篤に陥っても面会さえ許されず、忍び込んでやっと最期を看取ることが出来た。

当然彼の東宮は東宮とは思えない程寂しいものであり、皇孫たる彼の子らもまともな教育を受けていなかった。


それでもようやっと万暦帝が死んで玉座に就くことが出来たと思ったら、

鄭貴妃が『仲直りの印』とばかりに美女を複数名紹介し、断れないままに夜を共にするうちに疲弊してきた。

体調を崩したので勧められるままに丸薬を口にした。


それは、血の様に紅かった。

翌朝、即位してひと月しか経っていない常洛こと泰昌帝は寝所で崩じていた。


すぐさまその長男・由校が玉座を埋める手筈であったが、

先帝の寵愛を受けていた李選侍が匿っていたので廷臣たちが後宮に突入してやっと即位させた。


――― その由校が、彼女・張嫣の夫なのであった。


***


由校は、確かに張嫣を愛していた。

いたのだが、どこをどう取っても英邁な皇帝とは決して言えなかったし、成り得なかった。


まず、由校は字を知らなかった。

祖父・万暦帝が全く東宮たる泰昌帝の係累に愛情も経費も注がなかったせいで

皇孫たちは教育らしい教育を受けてこなかったのだ。


かくして、皇后が皇帝とその弟に読み書きを教えるという奇妙な光景が繰り広げられる運びとなった。

しかし、由校は頭脳が字を習得できる時期を過ぎてしまっていたのか、張嫣の『授業』には興味を示さなかった。


『授業』を真面目に聞いて読み書きを習得したのは、弟・由検の方であった。


由校の頭脳は言語習得には難があったが物を組み立てる能力に優れ、

手先が器用で体力もあったのでよく木工細工を作り、張嫣や他の女達、廷臣たちに下賜していた。


張嫣は夫が『授業』を真面目に受けないのを嘆きこそすれ、趣味を取り上げようとはしなかった。


それよりも彼女の頭を悩ませたのは、

由校が乳母である客印月と、その『夫』である、宦官たちの首領―――太監・魏忠賢に

『よりによって』政治を丸投げしている事であった。


彼らの暴虐に比べれば、他の妃嬪など上辺だけでも皇后に従うだけ、良心的ではあった。


***


北京近郊の農婦であった客印月が娘を産んだのと、

まだ東宮であった泰昌帝の妃の一人である王才人が由校を産んだのはほぼ同時であった。

客印月が乳母に選ばれて後宮に上がって二年後、彼女の夫と娘が病死した。


まだ二十歳になったばかりの肉体を持て余す羽目になった彼女は、力ある宦官の一人である魏朝と関係した。

その魏朝の下僕が、王才人の給仕であった魏忠賢である。


彼もまた北京近郊の貧農の生まれであり、元の名を李進忠といった。

元より読み書きを学ぶ機会などなかったが、その分記憶力に優れ、周囲の人間の顔と名と事跡を頭脳に焼き付け、法やその前例に照らし合わせて攻撃することが得意であった。


労多くして報いの少ない農作業を放棄して博打に明け暮れていた彼は、

ある日大負けして金が出せず、賭けの相手に袋叩きにされた。


「ちくしょう…金を作ればいいんだろ…作れば…」

這う這うの体であばら家に帰り着き、そのまま草刈り鎌を手にした。


深夜の農村に、『男』の断末魔が木霊した。

同時にそれは、『怪物』の産声でもあった。


***


悲鳴を聞いた近所の住民によって医者に担ぎ込まれ、意識を回復したのは翌朝になってからだった。

「何でこんな馬鹿なことを」

「宦官になれば科挙に受からなくても宮中に入れる。

入ってしまえば後は自分の料簡次第で幾らでも富貴になれると思ったのよ」

「宦官になるんだったら専門の業者に頼むべきだ!」

「業者に頼むぐらいの金もなかったから自分で切ったんだよ!」


結局「出世払いだ!」と、医者代も払わずに宮中へ飛び込んだ。

そこで、魏朝と出会ってしまったのが、彼以外の全ての人間の不幸の始まりである。


彼は魏朝に上手く取り入り、『魏忠賢』の名を与えられて王才人の給仕を任せられたのだ。

その内に王才人の産んだ由校の乳母であった客印月と親しくなり、

遂には魏朝を差し置いて肉体関係を結ぶに至ったのである。


それに気づいた魏朝は怒り狂い、当時の太監であった王安に注進した。

所が王安は清廉の人ではあったが既に魏忠賢に惑わされており、

かえって魏朝の方を叱責して追放し、魏忠賢と客印月を正式に結婚させた。


しかし王安もまた魏忠賢に陥れられて、最終的には飲食を絶たれた上で撲殺された。


***


また、客印月は恐らく、由校に『男女の道』を教えた当人であろう。

そういう訳で、張嫣を迎えた後も由校はなお客印月に執着していたし、彼女の強い意見には従っていた。


文字を知らぬ空虚な帝を頂点に抱き、表の世界を魏忠賢が、後宮を客印月が恐怖で支配した。


***


客印月の化粧が派手なのを注意した事が、張嫣にとっては禍の始まりだった。


間もなく、獄中からとんでもない声が上がった。

あちこちの商家から窃盗を繰り返した末に捕らえられ、処刑される予定だった孫二というごろつきが、

『皇后の父は俺だ』

『俺が張国紀の家に盗みに入った時、美しい女がいたのでこれを犯した』

『その女は十月の後、女児を産んだ。生きていたら皇后と同い年だ』と言い出したのである。


確かに彼女の産まれる十か月前に、実家に泥棒が入ったのは事実だ。

だが、邸の中に入る前に下女に見つかって退散し、事なきを得ている。


数多の家から物を盗んだ上、皇后の父母まで侮辱した男が、牢から出られるはずもなかった。

二か月後、彼は斬首された。


これは、恐らく魏忠賢が孫二に『自分が皇后の父だと言えば、楽に死なせてやる』という

一種の司法取引だったのだろう。


***


由校の侍女に、張裕妃という者がいた。

張嫣よりひとつ年上で、学はあまりなかったが気が強く、

それでいて皇后である張嫣への敬意を忘れない女であった。


由校には女子が一人いたが、男子はまだいなかった。

その中で最初に懐妊の兆候を示したのが、裕妃である。


否、単に『月のものが訪れなくなり、腹が膨らみ、体調を崩すことが多くなった』と表記した方が正確だろうか。


何故なら裕妃は出産予定日から三ヶ月近く経過しても由校の子をこの世に送り出す事はなく、

為に『帝を欺いた罪』に問われて魏忠賢によって冷宮送りになったからである!


妃の位を剥奪された彼女は、食事すら与えられず、雨漏りした水を這ってすすったが、ひと月も持たずに死んだ。

冷宮から出された彼女の腹を医者が割いてみると、彼女自身の臓器しかなかった。


思うに、裕妃は最初から由校の子など孕んでいなかったのだ。

あまりに『皇帝の子を産みたい』と願うばかりに肉体そのものが孕んだと錯覚し、懐妊の兆候を示したのである。


だが、裕妃がもし皇后よりも魏忠賢や客印月の側に立つ妃嬪であったなら。

死を免れられたどころか、冷宮送りにもならなかったであろう。


***


ある昼下がり、珍しく張嫣は由校達が訪れたのに『授業』を行おうとせず、史書を熱心に読んでいた。

「何を読んでいるのか?」


「『趙高伝』です」


由校は黙りこくってしまった。

由検は目を見開いた。


趙高、とは秦代に国を我が物としたいが為だけに始皇帝の遺詔を改竄して愚帝を即位させ、

民衆反乱に臭い物に蓋をするかの如き対処をし、

果ては自分の言う事を聞こうとしなくなった愚帝を弑した宦官の名である。


由校が黙りこくったという事は、『自覚』はあるとみていいだろう。


―――仮にも身籠った寵姫までも殺されるという事は、皇后自ら世継ぎを産むほかあるまい。

―――まさか彼らも、皇后にまで手を出すことはあるまい。



それが甘い目論見であったことを、張嫣は直に文字通りに痛感させられた。


***


――懐沖太子・慈燃。


それが、張嫣が産んだ、否、生きた状態で分娩することの出来なかった男子の名である。


あの後、直ぐに『後宮内で不正を行った宦官・女官を一掃する』との客印月の名目で、

皇后付きの女官と宦官が全て入れ替わり、字も碌に読めない子供の宦官が皇后付きになった。


腹に子がいると、重くて腰を痛めるものである。

「按摩を呼んで欲しい」

しかし、按摩は来なかった。

「私には按摩の心得がございます」

そう言って、幼い宦官は無理やり張嫣の身体を押し始めた。

彼の手が張嫣の下腹を一際強く押し、

張嫣は腹部に走った激痛とそれが齎す恐ろしい未来への恐怖の為に、後宮に悲鳴を響かせた。


痛みで意識を取り戻した頃には、もう彼女の腹中に子はいなかった。

無事に産まれてくるにしては、明らかに早すぎた。

血と臓器塗れの、ぴくりとも動かない男児が桶の中にいるだけだった。


そして、張嫣は二度と子を孕めなかった。


***


女官も宦官も遠ざけ、由校が来ても『授業』を行う事もなくなった張嫣は、

刺繍もせず本も手に取らず、居室でただ時が流れるのを待つだけになっていた。


どうして、あの時死んだのが私ではなく、あの子なんだろう。

ここは、どんな場所よりも煌びやかな魔窟だ。

やはり、私は皇后になどなるべきではなかったのだ。


「祖娥」


不意に、張嫣は名を呼ばれた。


「何でしょう」


「鞠、作ってみた。たまには外に出ないと、気が滅入るばかりだよ」

そう言って、由校は張嫣に華麗な刺繍の施された鞠を手渡した。


「これは…」

「江山と比翼連理。美しいだろう」

張嫣は、由校が彼なりに皇后を気遣っている事にすぐに気づいた。


しかし。

「陛下。陛下がその様である内は、結局私は貴方によって救われることはないのです」


それでも、張嫣は鞠を終生手放すことはできなかった。


***


皇后ですらも害せる者共が、皇后でもない妃嬪達にはどう向き合ったか?

妃嬪の一人、范慧妃の出産の為に由校が宮殿で祭祀を行っていたのと同時刻、

客印月は嘗て張嫣の女官であり、その縁で由校に一度愛された胡氏を縊り殺していたのである。


無事男子が産まれて喜ぶ由校の下に、胡氏の訃報が届いた。

「彼女は髪飾り代を横領して実家に送ろうとしたのです」との客印月の見え透いた嘘にも

「さようか。それでは宮女の礼で葬ってやれ」とだけ返す有様であった。


***


魏忠賢は由校が手仕事に熱中している時を狙って、

「陛下、東廠の人事についてでございますか」などと公事を持ち込んだ。

そして、「朕は今手が離せぬのだ、お前が好きにせい!」と言うので自分が好きなように決裁した。


「陛下」

魏忠賢が去った後、手仕事が一段落したのを見届けた張嫣が鞠を手に由校に詰め寄った。


「陛下は私のみならず、後宮の陛下の妃嬪の誰も、まことには愛していないのではないですか?」


由校は、狐につままれたような顔をした。


「寵愛する女性が他者に命を奪われても、涙一つ流さぬのですか?」


「―――胡氏のことか」

「後宮の全ての女は陛下の妃嬪であると同時に、私の部下でもあるのですよ?

陛下は、有能な忠臣が失われても、やはり涙を流さぬのですか?」


「―――先日、そなたが読んでいたのは『趙高伝』だったな」

「ええ。それが何か?」

「以前『授業』で話していたからな。そなたが何を言いたいかわからない訳ではない」


「では、何故」

「朕とて、先程の彼が何をやろうとしているかは大体予想がついている」


***


そしてその予想は現実となった。

魏忠賢は明の秘密警察たる東廠を押さえ、その矛先を庶民にまで向けだしたのである。


北京の酒場で、職人たちが三人で飲んでいた。

悪酔いした一人が、

「魏忠賢の野郎、北京中の市場の松脂をみーんな買占めやがった!

お陰で俺たちの仕事に使う分も買えなかった!

あの皇子殺しの玉無しがなんでそんなに松脂を必要としているんだ!」

などと放言した。


「やめろって、東廠の耳に入ったら危ないぞ!何処にでもいるんだぞ、あいつら!」

「いないって!こんな場末の酒場に東廠は来ねえよ!

増して貧乏職人の愚痴なんて耳に入ったところでどうもせんだろ!

いくら魏忠賢でもこの程度で俺の皮を剥ぐことはないだろうよ!」


その夜、その愚痴を聞いていた仲間達の家に東廠が押し入り、魏忠賢の邸まで連行していった。

「お、お助け下さい!長官殿を誹謗していたのは私では御座いません!」

「知っておる、来い!」


連行された先には、魏忠賢本人がいた。

「あ、あの、私どもは只、友人の貴方様に対する誹謗を聞き、止めようとしたのですが奴は耳を貸さず…」

「いいから、黙って見てろって」

魏忠賢が何者かに合図を送ると、先程の友人が全裸で手枷足枷を嵌められ、

枠に入れられた状態で運ばれてきた。


声帯を毒薬か何かで焼かれたのだろうか、

涙と鼻水を垂れ流しながら必死で何事かを訴えるように口と舌を動かしてはいたが、

彼の声らしきものは一切聴こえなかった。


彼らは、辺りが松脂臭い事に気づいた。

見回すと、庭の片隅に煮えたぎった松脂が入った、巨大な釜があった。

「見てな」

魏忠賢の部下が友人を釜の傍で固定すると、その松脂を大きな柄杓で彼の全身の皮膚に垂らし始めた。

彼は胴体をくねらせて必死に逃れようとしたが、徹底的に全ての皮膚を熱した松脂で包まれた。

もし声帯をどうにかしていなかったら、彼の断末魔で邸中の人間が目覚めただろう。


やがて松脂は冷えて固まったが、彼は身動き一つとれなくなった。

鼻や口から漏れる息の音で、辛うじて彼がまだ生きている事だけは解った。


「頃合いかな」

先程彼に松脂を浴びせた部下たちが、今度は彼の身体に鑿を打ち始めた。


松脂と共に、彼の皮膚が肉体から剥落した。

皮膚が剥落した所から、彼の肉体は紅く染まっていった。


全ての皮膚を失ってもなお口や瞼を動かしている友人を眺めつつ、

とっくの昔に失禁していた職人達に魏忠賢は近づいていき、その手に銀塊を握らせた。


「お前らもこうなりたくないんだったら、口の利き方には気をつけなよ?」


それは、今まで彼らが目にした所業からは想像もつかない、とても優しい表情と声音であった。


***


この頃、江南には『東林党』と呼ばれる政治的集団がいて朝廷の政の有様を盛んに批判していた。


万暦の半ば、顧憲成という進士がいた。

立太子問題に立腹して官を辞し、故郷の無錫に帰って廃れていた宋代の書院を復興させた。

これが『東林書院』である。

顧憲成は当時盛んであった陽明学とはまた違う、『社会の現実的な要求に応える』事を目標とした、

道徳的修養と政治的活動を分けて考える儒学を提唱した。


その『東林書院』を中心にした政治学派なので『東林党』というわけである。


***


『東林党』に属する官僚の一人、汪文言が捕らえられた。

罪状に疑問を感じた尋問官が『東林党』のトップであった葉向高に訴え出た事で汪文言は釈放されたが、

その尋問官は免職され、代わりに魏忠賢側の人間が尋問官になった。


『東林党』の群臣たちは由校に訴えたが、あべこべに叱責された。


これに憤った左副都御史の楊漣は、魏忠賢の『二十四の大罪』を告発したのである。

内容は以下の通りである。


***


太祖は、『宦官は後宮で皇帝や女たちの世話役なので、政治に介入しようとしたら殺してしまえ』と仰っていた。

しかし、太監の魏忠賢は太祖の言に従おうとしない。


・詔を偽造して大臣を罰したり決裁をしたりしている

・陛下が任命した大臣を勝手に首にしようとした

・忠臣を遠ざけて奸臣を宮廷に入れる

・清流の士を弾圧している

・彼の政権獲得を阻もうとした孫慎行を投獄した

・廷臣が推薦した人物を放置し、人事を恣にする

・陛下が即位した当時の重臣を勝手に入れ替えた

・陛下のご寵愛を賜った宮女を殺害した

・張裕妃を干し殺しにした

・皇后の男子を流産させた

・王安以下、多数の宦官を殺害した

・偽りの詔で民が混乱している

・身内や甥をコネで高官につけている

・皇后の父を無実の罪に問うた

・章士塊を冤罪で殺害した

・王思敬を穴倉に閉じ込めて鞭打った

・吏部を無力化した

・劉僑を冤罪で追放した

・朝と夕とで詔が食い違う

・東廠を私物化している

・邸内にいた満州族の間者を取り逃した

・私兵を編成し、その中には他国の間者もいる

・旅行の際、皇帝の行幸の様な装いで行った

・陛下の御前でも下馬しなかった


誰も彼の罪を問おうとしてこなかった。

魏忠賢が都を出ると政務が滞り、彼が都に戻ってから詔が出る。


陛下はもう親政できる年齢に達している筈だ。

魏忠賢と客印月の罪を問い、罰することを乞う。


さすれば、例えこの身が朽ち果てる結果に終わったとしても悔いはない。


魏忠賢は廷臣に仲裁を頼んだが、この機を逃さなかった東林党が拒否した。

彼は由校に泣きつき、『東廠は私めには荷が重すぎました!!』などと心にも無いことを言った。


由校からの叱責を受けたのは、楊漣の方だった。

彼を救う為に東林党のみならず多数の廷臣や皇族が魏忠賢を非難した。


魏忠賢は自分を非難した者達を全て『東林党という名の国を蝕む毒』と断じた。

汪文言が再び捕らえられ、激しい拷問の末に『楊漣が賄賂を取った』との『言質』を取られた。


身分の上下なく数万人が楊漣の助命を求めて祈りを捧げたが、神ならまだしも人に届くはずもない。

助命の為の賄賂を贈る為の募金もあったが、届く前に楊漣は拷問の果てに息絶えた。


魏忠賢は『東林党』に明朝の失態を全て擦り付けることにした。

東林書院系列の全ての私塾が違法とされ、取り壊された。

官僚達は自らが『東林党』と呼ばれることを最も恐れるようになった。


それは、あたかも同時代の西欧の魔女狩りのようであった。


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