白蓮の仙女
雍正帝は、表向き皇太子を立てなかった。
廃された兄が、ある意味で父の犠牲者であった事を知っていたからである。
ただ、『乾清宮正面の、『正大光明』の額の裏に立太子してある』とのみ、臣下には伝えてあった。
それを聞いていた臣下たちは、雍正帝の崩御を確認すると直ちに乾清宮に向かい、
『正大光明』の額の裏に箱を発見した。
箱を開けると、其処には勅書が入っていた。
勅書の内容は、『四男の弘暦に帝位を継がせる』と言う意味の事が書いてあった。
***
弘暦は、父や祖父にはあまり似ていない、
むやみな倹約よりも締める所は締めて、金を使うべきところで盛大に消費するタイプの人間であった。
善き治世ではあったが息が詰まるような雍正年間から、清朝独自の文化が開花したのはこの時代でもある。
弘暦の年号は『乾隆』であったので、『乾隆帝』と称される。
乾隆帝は祖父である康熙帝から深く愛され、
『康熙帝が雍正帝を指名したのは、いつか弘暦様が即位する日が来る可能性に賭けたからだ』
という市井の噂もあった。
乾隆帝も、厳しく接していた父よりも可愛がってくれた祖父の方を深く敬愛し、
治世方針も康熙帝に近いものがあった。
ただ、やはり乾隆帝も雍正帝の子ではあった。
即位直後に嘗て父と論戦を繰り広げた漢人の思想家を
『父は許しても、父の子である朕が許さぬ』とばかりに極刑に処し、
満洲人の大陸支配に意見を言わせない体制に進んでいった。
そして、父が注力していた『血滴子』の規模を縮小し、人員削減を行った。
当時の長官である呉有垂も恩給を貰った上で退任させられたが、
最早血滴子以外に帰る場所も待つ者もいなかった彼は出家し、
今までに犠牲となった者達の弔いの旅の為に恩給を使い、
そのまま没年も没した地すらもわからなくなってしまった。
何故、乾隆帝が人類の天敵である飛天を研究する機関を縮小したか。
それは、泰平の世に伴う爆発的人口増加の方が問題となり、
人口の抑制に飛天が一役買うかも知れないと期待したからである。
何せ、康熙年間に二億であった清国の人口は乾隆年間に四億に達したのである。
新大陸からジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシ、落花生などが導入され、飢餓に襲われる恐れが減った。
だが、人口増加に耕地の増加が追いつかず、民衆の間でも富の細分化と貧困化が進んでいたのだ。
人の血を喰らう飛天を野放しにすることが、決して好ましい事ではないことは理解していた。
しかし、この国はあまりに人間が増え過ぎた。
それに、彼らは面と向かって人間の支配する世に牙を剥き、人間に取って代われる程の存在ではない。
彼らも、人間の支配する世を利用しているのだ。
***
その代わり、民間の間では、人の血を喰らう怪物に名が与えられていた。
『僵屍』である。
元々は『動く死体』という意味であったのだが、
見知った懐かしき死者の姿をした化け物が生者に襲い掛かって生き血を啜る様は、
まさに『動く死体』の所業であるとみなされたのだ。
それを裏付けるように、明代から清代にかけて、キョンシーの文献への登場が飛躍的に増加している。
キョンシーは一般的に清代の人物の姿で連想されるのも、飛天とキョンシーが混同されたからである。
清朝政府及び血滴子は、民間のこの混同を意図的に利用し、
『キョンシーという動く死体が人の血を喰らう』という事にして、飛天という全く新種の怪物の存在を伏した。
縮小したと言っても完全に活動をやめさせた訳ではないので、
飛天の活動が目に余る場合は血滴子を現地に派遣して、駆除、出来れば生け捕りを試みた。
血滴子は首を刎ねなければ死なない飛天の為に、特別な武器を作り出した。
帽子のつばの部分に刃が取り付けられたような形状をしている武器で、
飛天の頭などにこれをかぶせてから綱を引くと、刃が飛天の首を落とす仕組みになっている。
後には、この武器自体を『血滴子』と呼ぶようになった。
***
血滴子の活動拠点でもあった円明園は、乾隆帝の文化事業の舞台としての色彩を増した。
西洋風の建物が多数建造され、それが血滴子の研究の一助にもなった。
また『四庫全書』の一つも円明園に収められた。
乾隆帝は漢人の文化をいたく愛し、漢土の珍品を収集し、度々江南に巡幸した。
それ故に『実は乾隆帝は漢人の血を引いている』という噂も流れた。
康熙帝から乾隆帝にかけての時代は『三世の春』とも称される、清朝の最盛期であった。
乾隆帝は自らの計十回の遠征の戦果を『十全武功』と言って誇り、自らを『十全老人』と称した。
『自分よりも幸福な天子は過去にいなかったろう』と、
乾隆帝は自慢とも時代への感謝ともとれる言葉を遺している。
しかし、どんな春もいつかは終わりが訪れる。
飛天を半ば野放しにしてまで抑制しようとした人口は増え続け、富の細分化は進んだ。
民衆の貧困化が進む中で、戒めを緩められた官僚は腐敗していった。
ここに、白蓮教というある種の仏教系反体制集団が火をつけた。
元々は南宋の、マニ教と弥勒信仰を融合させたような宗教団体であったが、
いつの世も異端視され、常に禁教扱いであった。
明を建てた朱元璋も、白蓮教徒が起こした紅巾の乱に参加した所から創業を果たしたのである。
ただ、朱元璋も皇帝となると『体制』側となった事から一転して弾圧した。
清代ともなると、白蓮教イコール『邪教』という固定観念に結び付き、
清の支配体制にとってよろしくない宗教団体は全て『白蓮教』として扱われた。
弾圧されるとその体制を是としないのは当然である。
あちこちで清朝に不満を抱いたものを吸収し、『白蓮教』は膨れ上がっていった。
乾隆六十年、八十五歳の乾隆帝は『敬愛する祖父、康熙帝の治世を越えて在位する気はない』と
『正大光明』の裏の箱を自ら開けて十五男の永琰に譲位した。
永琰の在位した年間は『嘉慶』年間とされたため、『嘉慶帝』と呼ばれる。
が、乾隆帝はあくまで帝位を譲っただけであって、実権は譲ろうとしなかった。
更に悪い事に、乾隆帝は旗人のヘシェンを寵愛しており、
そのヘシェンは乾隆帝の寵愛を傘に着て賄賂と徴税の限りを尽くしていたのである。
***
湖北省の襄陽に、斉林という白蓮教の指導者がいた。
その妻を王聡児といい、身体能力に優れていた為彼女の大道芸で人を集め、
夫の斉林が人々に教えを説いて教義を広めていた。
時に、他の地方で捕らえられた白蓮教の指導者が脱獄し、
その捕縛の指揮に当たったのがヘシェンの弟で、
あたかも魔女狩りの様な取り調べが清国の全土で巻き起こった。
これに焦りを覚えた斉林は信者に呼び掛けて嘉慶元年の小正月に清朝に反旗を翻さんと欲したが、
恐怖感を覚えた信者の一人が密告したことから捕らえられ、処刑された。
辛くも追手を逃れた二十歳の王聡児は、夫の弟子の姚之富と共に暗黒街に身を寄せた。
白蓮教は、何も斉林だけが率いているのではない。
ある女占い師が、白蓮教の系譜と聞いて、身の振り方を問う事にした。
王聡児は、女占い師に自分たちのこれまでの経緯を一息に全て話すと、問うた。
「私は、どう生きればいいのでしょうか」
無論、『夫を殺めた満州人の王朝で生きる』という選択肢は彼女の中には存在しない。
事実上、『どの白蓮教に身を寄せるべきか、それとも夫の遺志を自ら継ぐべきか』という問いであった。
女占い師の答えは、こうであった。
「私は、この身に刻んでいる。お前と同じ意志を持つ者達の記憶を。
お前が私にその身を捧げる時、必ずやお前や夫の願いは果たされるであろう」
「身を、捧げる?」
「お前は武勇に優れているとはいえ、その肉体は有限だ。
その肉体を脱する時、お前は無限の生命を手にする。清国よりも永い寿命を保つことになるであろうな」
そう言って、王聡児の前に匕首を差し出した。
「お前は死ぬのではない。永遠を手にして、清国に抗い続けるのだ」
王聡児は意を察して、匕首を手に取り―――自らの頸動脈を、切り裂いた。
倒れ伏した王聡児を見て、姚之富は震え上がった。
「待て」
逃げ出そうとする姚之富を呼び止め、女占い師は応えた。
「この女は死んだのではない―――翌朝には、お主の元に戻るであろう。官憲には伝えず、明日を待つがいい」
***
姚之富は女占い師の言葉を信じ、近くの宿屋で一晩待つことにした。
夜半、例の暗黒街から火の手が上がったという報せを聞いた。
姚之富が現場まで駆け付けていくと、
もうあの女占い師のいた店の辺りには近づける様な状態ではなくなっていた。
『斉林殿の残党が潜んでいるからと、お上の密偵が火を放ったそうだぞ』
『確かに怪しい奴らの溜まり場だったけどさぁ、あの辺』
『関係ない人々を一緒に焼き殺してまで、白蓮教は絶やさねばならないのか?』
「天よ。これから、私はひとりで」
姚之富は呟いた。
「この世に抗い続けろとでもいうのですか?」
姚之富は、宿屋に戻ることにした。
―――とても自分一人では誰を頼ればいいのかも見当すらつかない。
―――夜が明けたら、江にこの身を投じよう。
***
明くる日、意を決した姚之富が宿屋の外に一歩出ると。
「待たせましたね」
自ら喉を裂いて死んだ筈の王聡児が、待ち構えていた。
「どう、どうやって」
あの炎の中を、と言いかけた姚之富の言葉を遮るように。
「あの女占い師が、私の肉体に儀式を施したのです。
どんな傷も瞬く間に癒え、常人の限界を遥かに超える力を持つ肉体を得るための儀式を。
儀式の最中に官憲が火を放ちましたが、間一髪の所で儀式は完成し
―――その瞬間に、女占い師は、炎に巻かれました。
私は何とか炎の中を駆け―――この通り、火傷一つ、私の身には残っておりません。無論、首の傷も」
そう言って、少し焦げた衣を白昼堂々翻そうとしたので。
「わ、わかりました!!それで、どうすれば?」
「体中が炭に成り行く中で、彼女は言いました
―――辰年辰月辰日に、決起せよ。それまでに、出来るだけ多くの白蓮教徒を結集させ、兵を集めよ、と」
「辰年…って今年じゃないですか!それで、辰月辰日…三月十五日に兵を挙げろ、と!?」
「それだけ時間があれば十分です。さあ、共に戦う同志を集めましょう」
***
果たして嘉慶元年三月十五日、王聡児と姚之富は五万の信徒を集めて蜂起した。
彼らは北京を目指してまずは河南省に向かい、河南省の白蓮教徒を焚きつけた。
白蓮教徒とその指導者は全土に散らばっているので一度何処かで放棄して、
直ぐに鎮圧されずに各地方と連絡を取りさえすれば簡単に全土に拡散できた。
この頃は清成立に大きく寄与した八旗を構成する満州人の旗人達はすっかり漢人と同化し、
全く満洲語が話せない者も多かった。
それに伴って嘗ての強さも何処かへ失せてしまい、今や漢人の反乱軍も簡単に潰せなくなっていた。
八旗の弱体化に対する案として生み出された漢人主体の緑営も同様であった。
三藩の乱の頃には既に八旗に凋落の兆しが見えていたので緑営が主体であったが、
乾隆帝もまた緑営の腐敗を嘆いている。
蜂起の一方が他の地方に届くまで持ちこたえてしまえばこちらのものだ。
翌月には陝西省や四川省でも同様に大量の信徒を集めた指導者が蜂起し、
湖北省の反乱を鎮圧しに向かっていたもののうち、該当地方の軍団はそちらの鎮圧に追われる羽目になった。
白蓮教徒もまた、『信仰に殉ずれば来世では幸福である』という信念を持って戦っていた。
彼らは『弥勒菩薩がは遠い未来ではなく、今この時にもこの世界に降臨しようとしている』
『この世こそを極楽に変えないといけない』という信仰を持っていた。
彼らがそれを唱える時、王聡児の胸には、『同じ意志を持つ者達の記憶』が去来し、微かに胸を痛めた。
***
河南省や甘粛省でも信徒の反乱が始まった頃に、彼らを押し留める者が現れた。
それは清の正規軍ではなく、地元の白蓮教を快く思わない者達が有力者の元に集合して結成した『団練』と、
その団練を政府側が徴用した『郷勇』である。
民衆の乱に立ちはだかる者もまた、民衆だったのだ。
全ての民が泰平を犠牲にしてまで満州人の支配を終わらせたいわけではないのだ。
また、指導者が複数いて一番偉いリーダーが存在しないというのは、
統一的な指揮を誰もとることが出来ないという事でもある。
王聡児らは攻められやすい湖北から地の利がある四川へ入り、地盤を固めようとしたが、
軍を立て直した四川軍に追い散らされた。
王聡児は危ういところまで追い込まれたが、
姚之富が今まで見たこともないような身のこなしで血路を開き、陝西に落ち延びた。
それでも湖北と四川の信者を集めればまだ二万の味方がいた。
陝西で最も栄えている都市、西安を目指す事にした彼女は、ふと西安を都にした王朝の果てに思いを馳せた。
祖先が蓄え続けた圧倒的な国力を背景に、全てを呑み込むように統一したが、
自ら瓦解への引き金を引く形になった秦。
その瓦解の後の混乱を人徳でまとめあげたものの、儒教によって国を滅ぼした漢。
短い間に後の世にまで恵みをもたらす大事業を成し遂げたものの、悪政と断じられて滅ぼされた隋。
隋を倒して正義を名乗り、女が繁栄させて女が凋落させた唐。
それらが永遠を意図したとしても永遠ではなかったように、清国も何れは終わりが訪れるだろう。
――-だが、それは今この時なのだろうか?
王聡児は、不安を振り払うように、首を振った。
***
西安攻撃は、失敗した。
もう、手勢も殆ど残っていなかった。
湖北に戻るしかなくなった彼女らは、ひたすら身を潜めることにした。
―――炎は、十二分に広がった。
―――紫禁城を燃やし尽くすのは、私でなくてもいい。
しかし、清軍の追跡は止まず、蜂起から丁度二年後の三月、王聡児と姚之富は文字通りの崖っぷちにいた。
其処は、湖北省の西南部、鄖西県の茅山であった。
もう、彼らにはお互いしか残っていなかった。
清軍は諦めて、投降を今や遅しと待ち構えていた。
「降りますか」
「今更下ったところで私たちは最早生きたまま切り刻まれるだけでしょう。
遅かれ早かれ死ぬのです。死ぬなら、今ここで…」
姚之富の手を引くようにして崖から飛び降りようとした王聡児を、引き留めた。
「待って下さい!」
「死を前に怖気づいたのですか、姚之富?」
「違うのです、実はまだ貴方に伝えていないことが…」
「何ですか?」
「貴女をお慕い申し上げております―――斉教主の夫人ではない、名も知らぬ貴女を」
王聡児は、面食らった。
「何故、死の間際にそのような世迷い言を。師の妻に愛を囁くとは」
「貴女が斉教主の夫人でない事は、随分前から存じ上げておりました。
貴女はあの夜、夫人を唆して自害させ、何らかの儀式で姿を奪い
―――あの暗黒街に、火を放って夫人の亡骸ごと死を装った。
そして明くる日、夫人の形をして、私の前に現れた―――違いますか?」
「私は、貴方と出会ってから今まで同じ私ですよ?」
「貴女は、人とは違う何らかの妖なのでしょう。
常人を遥かに上回る身体能力と寿命を持ち、常人の姿と記憶を奪い、さらに知識を蓄えていく。
私の知る斉教主の夫人は、確かに武芸には優れていましたが、
斉教主ほど演説が上手い方ではありませんでした。
ところが貴女は、短時間の内に五万を集めた―――仙女というのは、貴女の様な方を言うのかも知れませんね。
きっとここから飛び降りたとしても、貴女なら生きて清の手から逃れられるでしょう」
「私は…何の力も持っていない…清国が滅びる瞬間も、今だ眼にしていない…」
「せめて最後に、斉教主の夫人ではなく、貴女自身の姿をこの目に焼き付けたいのです。
それを見るまで、私はここから飛び降りる訳には参りま―――」
王聡児は、姚之富の言葉を最後まで聞くことなく、抱き着くと同時に崖から飛び降りた。
***
今まで感じたことのない、衝撃と激痛。
ようやく動けるようになったころに、王聡児―――張嫣は、姚之富と思しき人間の残骸を目に入れた。
頭から落ちたのだろう、頭部は原形をとどめていなかった。そして、脳が思ったより広範囲に散らばっている。
張嫣も決して軽傷ではなかったが、姚之富の血を舐めとって回復した。
どうやら常人が中々立ち入れない場所だったのか、幸いにして清軍の姿は辺りになかった。
張嫣は本来の姿に戻ると、急いでその場を立ち去った。
***
清軍は、確かに二人が茅山の断崖から飛び降りるのを見た。
しかし、辿り着くのも困難な崖下にあった飛び降り死体は、どう計算しても一人分
―――姚之富の死体でしかなかった。
王聡児の死体は、其処にはなかった。
いくら王聡児が武芸に長けているといっても、だ。
あの高さから飛び降りて、清軍が辿り着く前に姿をくらませられるような軽傷で済むとはとても思えなかった。
清軍は、更に捜索を続けたが、王聡児を発見することはできなかった。
結局、姚之富の首も持ち帰れる状態ではなかったので、
『王聡児及び姚之富の首』としてその辺の白蓮教徒の首を北京に持ち帰って晒す羽目になった。
***
その報告を聞いた『血滴子』は、直ぐに王聡児が飛天である可能性に思い至り、
湖北に部隊を派遣する許可を嘉慶帝から受けようとしたが、未だ存命であった太上皇・乾隆が阻んだ。
乾隆上皇にとって飛天を駆除することは、すなわち民の増加と更なる貧困化を意味していた。
つまり、乱を激化させないようにするには飛天を放置すべきだと考えていた。
血滴子が動けるようになるのは、翌年の乾隆上皇崩御を待たねばならなかった。
***
乾隆上皇崩御の僅か八日後、ヘシェンの栄華は終わった。
嘉慶帝自ら、ヘシェンの二十の罪を弾劾したのである。
群臣は『一族ごと凌遅刑が相応しい』と声を上げたが、
乾隆上皇の喪中である事と、ヘシェンの長男に嘉慶帝の妹が嫁いでいた事で
ヘシェン本人に死を賜る事で決着がついた。
***
弾劾から八日後、既に牢獄に移されていたヘシェンの元に、縄が届いた。
ヘシェンは皇帝に感謝の意を伝えるように言うと、牢内の梁に縄を結んだ。
ヘシェンの実家は乾隆上皇の母方で、満州人の名門、ニオフル氏であったが
ヘシェンが産まれた頃は既に没落しきっていた。
しかも母は彼が三歳の頃に、弟を産んだ時に亡くなり、九歳の時には父もまた亡くなった。
貧困の中で学問に励んだ彼は、十八歳の頃には満州語と漢語の他にモンゴル語やチベット語も身につけていた。
乾隆帝が巡遊する際の輿の担ぎ手に任命されたのが、全ての始まりだった。
乾隆帝は、輿に乗り込む際に、ヘシェンの顔をまじまじと見つめたのである。
そこからヘシェンの出世街道が始まったのだが、
どうして乾隆帝に気に入られたのか、彼自身にも最期までわからぬままであった。
一説には、乾隆帝が皇子時代に自らの過失で死なせた雍正帝の妃に似ていたからとも言われる。
始まりは確かに乾隆帝の直感でしかなかったが、ヘシェンは有能ではあった。
はじめは他の腐敗官僚を正していく役目の人間ではあったが、
いつからか自らも腐敗の内に巻き込まれ、遂には腐敗官僚の頂点になってしまったのだ。
ヘシェンは、自らが生きながらに腐敗し始めたのがいつだったかを考えながら、首を吊った。
時に五十歳、乾隆帝が即位してから誕生した人間の最期であった。
***
ヘシェンの不当な蓄財は、清国の国家予算の十五倍ほどであった。
これは当時世界最大の資産額であり、中国では現在でもヘシェンを上回る資産の持ち主は現れていない。
その資産はすぐさま白蓮教徒の乱の鎮圧に消え、再び国庫が豊かになる事はもうなかった。
しかし、ヘシェンが消えたのは、大多数の民の不満の鎮火を意味した。
白蓮教徒は急速に衰退し、ヘシェンの死から五年後に平定された。




