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天京の聖杯  作者: はぐれイヌワシ
13/19

天地会の頂

李定国の遺品を持って、張嫣は何処に消えたか?


―――台湾である。


父と袂を分かち、清に抵抗を続ける道を選んだ鄭成功は、

清の首脳陣があまり詳しくない海から、反攻の策を練り続けていた。


父が清に降った直後、厦門で勢力争いを続ける親戚たちを一まとめに殺害し、父の残した倭寇勢力を掌握した。

日本への援軍要請は通らなかったが、東南アジア諸国との貿易で軍資金を貯えた。


永暦十二年、鄭成功はいよいよ北伐の軍を起こしたが、南京で大敗し、北伐は頓挫した。


***


鄭成功が再度足場を固め直すために目を付けた島があった。

当時は『フォルモサ島』と呼ばれ、オランダ東インド会社が統治していた台湾である。


一年近い包囲戦の末にオランダ軍を破り、明国の統治機構を整備したが、

半年もたたずに鄭成功は病死し、またその頃には永暦帝は処刑されていた。


後を継いだのが長男の鄭経だったのだが、厦門にいた彼は生前父ともめており、

和解しないまま父が死んだので台湾の親戚と一戦交えてやっと後継者として認められた。


この鄭経の元で頭角を現すことになるのが陳永華である。

それもその筈、彼は鄭経の学問の師であったからである。


彼は元は生員であったが、清軍に父が殺されたため鄭成功の軍に飛び込んだ。

そして後には『鄭氏政権の諸葛亮』とまで言われるようになるのである。


***


張嫣は、髪を伸ばし始めた状態で、陳永華に謁見した。


「―――清国の各地に、秘密組織を張り巡らせたとお聞きしております」

「誰から聞いたのかね」

「永暦帝の傍にいた、李定国将軍で御座います」


「李将軍と我々の面識はないが」

「李将軍は、貴方方の組織に随分と助けられたと聞いています」


「―――そこまで言うならば、話そう。先代様の父上は、確かに海を捨てて清に降った。

しかし、降った者も一枚岩ではなかった」


「海を捨ててなお、身内で争い続けたのですか?」

張嫣は、わざと挑発するような物言いをした。


陳永華はむっとして、こう言い返した。

「清は―――先代様の父上を、処刑したのだ。

それに憤ったかつての部下たちは、密かに清国に毒を盛る者と、盛らぬ者に分かれた。

盛らぬ者の代表は、只今我らに相対する施琅。

盛る者達は―――大陸のあちこちに、毒草の種を撒き、根を下ろそうとしている」


「天地会?」

「そうだ。私は先代様からその組織の統率を託された。

『不甲斐ない我が子ではとても彼らを制御出来ぬ。お前が取って代わってもいいぐらいだ』とまで言われたが、

私にはそのつもりはない」


鄭経がその父と折り合いが良くなかったのは知っていたが、

血を越えても託したい物を託せる者がいただけ、鄭成功はまだ幸運なほうではなかろうか。


「私めを―――天地会の一員に加えていただけますか」


***


陳永華は、その中では『陳近南』と呼ばれていた。


常に虐げられる下層階級、清によって弾圧された武門…。

それら何らかの形で清国の支配に不満を抱く者の有象無象の秘密結社を、仮にまとめて『天地会』としよう。


張嫣は、その組織に上手く潜り込んだのである。


***


最初の十年は、台湾でひたすら開拓にいそしむ日々であった。

米や甘藷を育て、製塩を改良し、あちこちに儒学を基盤とした学校を建てた。


朱姓の皇帝は絶えたが、今や鄭経こそが西洋諸国に『台湾国王』と呼ばれる存在であった。

鄭成功が嘗て隆武帝から『朱』姓を賜った事を合わせて考えると、

まさしく鄭氏政権こそが明の後裔だったのかもしれない。


やがて、大陸の方で大きな動きがあった。


―――江南の、有力漢人勢力が、相次いで清に反旗を翻したのである。


発端は、広東の尚可喜が高齢による引退を北京の康熙帝に申し出たことから始まる。


***


康熙帝はフリン―――順治帝の息子の一人であったが、

幼いころに天然痘に罹患したことを理由に市井で乳母と共に育てられた。

順治帝は寵愛する董鄂氏の子以外にはあまり興味を持たなかったので、

代わりに順治帝の母であるブムブタイが教育していた。


その董鄂氏が夭折すると順治帝は気落ちし、やがて自らも天然痘に罹患し、生死の境をさ迷った。

生還したはいいものの、顔は痘痕だらけになり、とても群臣に見せられる状態ではなくなった。


それを口実に、元々仏教に傾倒していた順治帝は医師に向かって

『これからは出家して董鄂氏の菩提を弔いたいから崩じた事にしてくれ』と言い放った。


成人してからも尚政治に口を挟んでくるブムブタイから離れたいのもあったかもしれない。


とにかく、これからは市井にいて、天然痘の免疫もある康熙帝が代役を果たす。

順治帝の崩御が偽装され、八歳の康熙帝が紫禁城に連れ戻された。


***


紫禁城そのものに慣れていない康熙帝の為に、また、ブムブタイの権勢を削いでやるためにか、

順治帝は四人の満州人に幼帝を託した。


スクサハ、ソニン、エビルン、オボイ。


当然この四人は政権運営の前に権力統一で暗闘を始めることになるのだが、

特にオボイとスクサハ間の争いが激しく、

最年長であるソニンの仲裁によって辛うじて均衡が保たれている状態であった。


しかし、ソニンの死後、先に動いたのはオボイであった。

スクサハが引退しようとするのを遮って、二十四か条の罪状をでっちあげて彼らの一族を根絶やしにした。


これに黙っていなかったのが、他ならぬブムブタイである。


嘗てドルゴンの直属の部下であったスクサハこそが、『血滴子』と清朝政府を繋ぐパイプだったからである。


ブムブタイは、ソニンの遺児ソンゴトゥに秘策を授け、康熙帝と密談させた。


***


康煕八年五月三日。


その日、オボイは康熙帝の趣味であるブフ(モンゴル相撲)を観戦しに来ていた。


――― どうやら、陛下は政治に興味を持つことはなさそうである。

――― 毎日のように側近にブフを鍛えさせ、時には自らが試合に出る事もあるそうだ。

――― まあ、その方が自分にとっても好都合ではある。


大陸で移り変わってきた王朝で、幼くして帝位に就いてしまった人間の『伝統』を、

この満洲人の少年は繰り返すものだと、そう思っていたのだ。


――― 確かに、愚帝を推戴する事はあまりいいことではないだろう。

――― しかし、皇帝が愚物でも、臣下さえちゃんと政治をしていれば、何とかなる。

――― そうだ、私は何も間違ってはいないのだ。


ヒャナグチ(行司)が号令をかけた。

力士たちが、一斉にオボイに向けて殺到した。


オボイも若き日は火矢を射かけられながら明国の城壁をよじ登り、入城一番乗りを果たしたこともある男である。

幾ら体格が良くとも戦場を知らない小童の群れに負けるはずがないと高をくくっていたのだ。


しかし、オボイは衰えていた。

力士の数人は素手で殺せたが、多勢に無勢で捕らえられた。


スクサハ一族の二十四か条より更に多い三十か条の罪状を突きつけられ、オボイの一族は皆殺しになった。

オボイ本人は『過去の功績』を理由に終身刑に減ぜられたが、

自分以外の親族が全員死亡した状態で希望等あるはずもなく、その年の内に獄死した。


***


オボイを粛清した時、康熙帝は十五歳であった。

この少年は清という満洲人の国を盤石のものにする為に産まれてきたような存在で、

後に『中国史上最高の名君』とまで呼ばれる皇帝の一人でもあるが、

その一方で様々な武術や学問にも興味を示していた。


最初はオボイを欺くためだけに始めたブフも、いつしか楽しくなっていき、

最終的には武器無しで猛獣を倒せるまでになっていた。


西洋の宣教師から天文学を学び、それまでの中国にはなかった学問にも興味を持った。

清の版図内に棲息する生物、棲息していない生物の話に心を躍らせた。


そこに、尚可喜の引退申し出である。

康熙帝は、その申し出に『引退するなら北京に戻れ。相続は認めぬ』と返答した。


広東の尚可喜、福建の耿精忠、そして雲南の呉三桂は『三藩』と呼ばれ、

彼らは藩内での人事決定権、徴税権、徴兵権を有しており、殆ど清に従属しているだけの半独立国家であった。

いつこちらに牙を剥いてくるかわからない漢人勢力を、清は放置することは出来なかったのだ。


尚可喜本人は、廃藩を受け容れた。

しかし、あとの二人はそうではなく、康熙帝の様子を窺うように引退届を出した。


その頃、北京ではこんな噂があった。


『三藩の内でも、雲南の呉三桂は雲南特有の金属や薬草使って、チベットやビルマとの交易で儲けているらしい』

『それで貯えた金で、雲南特有の宝物や生物の標本を集めているらしい』

『人の背の丈程の蚕の繭が、呉三桂の宮殿に運ばれるのを見た者がいるらしい』


それを聞きつけた康熙帝は、呉三桂に次のように回答した。


<故郷に帰るのはいいが、その際に領内に在る全ての土地と財産を精査した上で返還して貰う。

特にお前については、よくない噂がいろいろこちらにも聞えているからな>

<雲南特有の宝物を集めているのは聞いていた。

その中には珍しい生物の標本も含まれているそうではないか>

<殊に、近頃新たに搬入されたらしい、人間程の大きさも有る蚕の繭については朕もこの目で確かめたいのだ。

それだけは是非紫禁城に納めてはくれぬか>


それは、青年皇帝の純粋な知的探求心にしか過ぎなかったのだ。

だが、呉三桂からすれば、祖国を満洲人に明け渡してまで戦ってきた意味の全てを

奪われるも同然の要求であったのだ。


***


康熙十二年十一月、呉三桂は『天下都招討兵馬大元帥』を名乗り、清に背いた。

翌年には『周』を名乗って独自の貨幣まで鋳造した。

北京には呉三桂の長男が人質になっていたが、彼は息子の生命にも構わなかった。

再び髪を伸ばし始めた彼らは、他の藩をそそのかして同じく清の支配から離脱させた。


そして、長江以南は清ではなくなったのである。


呉三桂は勿論、台湾の鄭氏政権とも接触していた。

鄭経達はそれに呼応し、陳永華らは天地会の面々を何割か大陸に送った。


しかし、張嫣は台湾に残された。


「何故、私は残らねばならないのですか」

張嫣は問うた。

「お前には、各地からの報告を纏めて貰いたいのだ」

陳永華は答えた。


―――最も、陳永華は、この得体のしれない、中世的な青年を警戒していたからこそ

大陸に送らなかったのであるが。


***


張嫣の元には、清と三藩との戦の記録が次々と送られてきた。

しかし、同時に、どうやら呉三桂が人心を完全に掌握出来たわけでもなさそうな事も見て取れた。


呉三桂は、『満洲人を漢人の地から追い出し、再び漢人が漢人らしく生きられる世を作ろう』と呼びかけたが、

そもそも満洲人を大陸に呼び込み―――それも自分の女を取り戻す為だけに

―――満洲人の言いなりになって、明の皇統を絶やしたのは呉三桂本人である。

また、鄭氏政権以外はこれといった大義もなく、

ただただ自らの『政権』を維持したいがためだけに戦っていたようなものであったので

指揮権を統一は出来なかった。


やがて他の二藩が清に降り、徐々に劣勢に追い込まれる中で、呉三桂は突如即位した。

これが、負の決定打となった。


呉三桂が、漢人の世など関係なく、結局自分が皇帝になりたかっただけだと露呈したからである。


即位は呉三桂の自己満足に終わり、同年八月、一年で最も美しい月が夜空に輝く夜に崩じた。


既に康熙帝に殺されていた長男の息子でまだ十代だった呉世璠が帝位を継いだが、

最早挽回など出来る段階ではなかった。


それから三年後の康熙二十年の末、昆明が落ちて、呉世璠は首を吊った。

これで旧明の地は、全て清の元に帰した。


***


更に二年後。

既に陳永華は鄭氏政権内部の政争に敗れて憤死し、鄭経も大陸領全失陥に気落ちして死んでいた。


またしても争いが起こり、鄭経の跡を継いだのは僅か十二歳の鄭克塽であった。

それを好機と見た清朝は、鄭成功の元部下であり、

鄭芝龍と共に清に降っていた施琅を総司令官として、遂に台湾に攻め込んだ。


施琅は清に降った際に鄭成功によって福建に残した家族を皆殺しにされており、

『彼の過激な方針では抵抗政権も長くは持つまい。他の者の手にかけるよりはせめて私の手で終わらせたい』と、鄭氏政権の終焉を目標に掲げていた。

また、あくまで彼は『戦場や策略で決着をつける』事を求めており、鄭氏の毒殺の進言は退けている。


六月、施琅の軍と鄭氏政権の軍事最高責任者である劉国軒の軍が澎湖で対峙した。


既に兵数も艦数も清の方が上であった。

僅か一時間で鄭氏の軍は壊滅してしまったが、殆どの将兵は降伏よりも明に殉じる事を選び、海峡に沈んだ。


其処から鄭克塽の降伏までは二ヶ月しかなかった。


清軍が台湾に入った際、真っ先に鄭成功の廟に向かい、噎び泣く施琅の姿があった。


『忠と孝は必ずしも両立しない』

『私は貧寒から引き上げた芝龍殿に感謝しているのです』

『そして我が一族の仇、国姓爺。私はあなたの明への忠節にこの身が終わるまで尊敬を抱き続けるでしょう』

『しかし、あなたに対する憎しみもまた、この身が終わるまで抱き続けるでしょう』

『これはこの四十年の、天が望んだ国難に対するそれぞれの決断でしかないのです』

『私たちは最終的に憎しみ合う他なかった。それが悲しいのです』


彼の部下たちは、これに動揺を隠せなかった。


***


さて。

陳永華から、天地会を引き継いでいたのは、張嫣であった。

彼女は大陸に引き上げ、再び頭を剃ると再び情報整理を始めた。


鄭克塽は、組織の存在だけは鄭経(恐らく彼も陳永華から知らされたのだろう)から聞いていたらしく、

鄭経から引き継いだ鉄の箱に収めてある天地会に関する全ての資料を深い海の底に沈めたという。


『我々は成し遂げられなかったが、いつの日か再び成し遂げる者が現れる事を願う』

とでもしたのだろう。


***


しかし、海に沈んだものが全てではない。

張嫣は、自分が気になっている、『どうして当時は気づけなかったのだろう』という情報だけを持ち出していた。


『呉三桂は、万暦年間に建てられた道教の建物を挙兵の数年前に改築した』

『その地下室に、巨大な蚕の繭が届けられた』

『奴は、金蚕蟲でも飼うつもりなのだろうか?』


もう一つ。

『呉三桂は、その体格に見合わず、あまり飲食をしない』

『雲南の土司から献上される、葡萄でできた紅い酒を毎日飲んでいる』


―――やはり、陳近南の命に背いてでも、再び大陸に渡るべきだったのだ!

―――呉三桂も、我々と同じ存在なのだ!

―――呉三桂は、崩じてなどいない!!


「繭だ。繭なのだ」


私と奴、そして彼を分かつもの。

その正体が、やっとわかった。


我々が完全になる方法は、それしかないのだ。


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