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 4話 智の自己紹介



(白けた雰囲気より、絶対このほうがいいんだけどさ……)


智は可愛い小さな顔を覆う、小さく白い手をゆっくりと下ろす。


(いじりすぎだって!)


散々、可愛いと連呼されたあとでもあり、何とも顔を上げづらい。きっとクラス中が自分の顔を見ているだろうと思う。


(でも、助かったよ……。純、ありがとう……)


羞恥心の増大していた真っ赤な肌は、徐々に落ち着き、恥じらうような色に落ち着いていった。


(大丈夫。出来る……から……)






   ◇






「はーい! そろそろ静かに……ね?」


パンパンと両手を打ち鳴らしつつ、笹木先生がようやく教室内を制した。


「校長先生も後は担任の私に()()()()、お任せ下さい」


校内のトップに対するには、些か冷たい視線だったことは皮肉混じりの物言いから想像に難くないだろう。


「はい。そろそろ退散するとしましょう。くれぐれも仲良くお願いします」


伸びた背筋のまま一礼。一々、動作にメリハリのある校長は、堂々とした態度を崩さぬまま、智に何やらひと言だけ声を掛けると2年B組をあとにした。もちろん、退室前にきちんと振り向き、もう1度、礼をして。


なかなか特殊な人物らしい。


笹木先生は、教室前方のサイドスライドドアが完全に閉じる瞬間を見届けると、そのドアより、やや黒板側に寄っている智に目を向けた。


「梅原さん? 自己紹介……と言うのも少し変ですけど、色々と伝えておきましょうね?」


どうにもこの担任教師も曲者らしい。今のは指示だ。伝えておきたいことはありますか? ……ではなく、伝えておきなさいと言ったも同然である。

もう、歓迎する意思をこのクラスは示した。そう考えているのだろう。


言われた当の本人の顔がまたもや強ばる。

それでもゆっくりと教卓に向けて進み始めた。





だがしかし。






教壇に上がろうとした瞬間、コツリとつま先をぶつけ、大きく前方に体を投げ出した。


「あぶなっ! ……い……」


転倒寸前の智は、担任によって救われた。


「ははははっ! 何やってんだ梅原ー! かっこ(わり)ぃ!」


教室窓側最奥、純の声に空気が更に一段弛緩すると、当の智は、またも頬を赤らめてしまった。クラスメイトたちの眼前でいじられまくっている。


「……大丈夫だった? どこも痛くない?」


たかだか(つまづ)いただけなのに、何をそんな大袈裟に。


「はい……、お陰様で……」


笹木教諭の過保護っぷりに、ちょっぴり妙な空気を一瞬だけ醸し出した教室内だったが、智本人の発した声が黙らせた。

過去の……。智が智也であった頃の声音とは完全に異なるものであり、女の子らしく高い、それでいて澄んだ可憐とも言える声だったのだ。


それを聞いた純は、何やらニヤニヤと嬉しそうだ。

また、いじるネタが1つ増えたとでも思っているのだろう。



最後方の変な奴はさておき、智は教卓の横に立った。


そこでまずは、深く……。長く一礼した。

万感の思いの籠もった、長い長いお礼だったのだろう。


顔を上げたタイミングで「智、頑張って」と、自分の顎の下で片手ずつ握り締めた未貴の声が掛かった。

智は小さく頷くと、多くのクラスメイトたちが待っていた時間が始まった。


「え、っと……。ご覧の通り、女子になってしまいました……」


一番、言いにくいであろうところから切り込んでいった。これはきっと彼女なりの決意の表れだろう。


「ぁ、あの……」


随分と煮え切らない話し口だが、これは女の子化してからのことだ。以前の『智也』であった頃には、なかなか直球で物を言っていた。

それが災いして、純の恨みらしきものを増悪させてしまったのだが、それに智本人も気付いてはいるだろう。


「はじめまして……の、方もおられますので、自己紹介しますね……」


初めましての人。これは事実だ。

彼が奇病を発したのは、高1の夏休み前だった。以降、高2の現在、4月の終わりまで休学していたのだ。つまり、高1の時、同じクラスでなかった者にとっては、留年阻止に積極的だったこのクラスの面々ですら、初めての顔合わせなのである。無論、廊下ですれ違ったなど、些細な接触は含まない。

この中には、純粋に智の境遇を憐れんだ者。打算が働き、手を貸した者などが混在するが、今は関係のない話か。


「梅原 智です。智()……でしたけど、こう……なってしまった以上……。その……。都合が悪いので、()になりました……」


戸籍は変更済みらしい。女の子らしい薄いピンク色の唇から語られた。

ここまで独白した智は、やや俯き加減だ。それでも言葉を続けているのは、留年阻止……。つまり、直結していた退学という選択肢を選ばずに済んだ感謝の気持ちに他ならない。


「病気……に、ついてですけど……」


生徒たちは静かに耳を(そばだ)てている。クラスのほとんどが一度は調べただろうが、それが本人の口から話されるという。


「後天性性適化症候群……。Acquired()sex()compatible()syndrome()とも呼ばれている病気です……」


どうにもはっきりきっぱりと話してくれない。

彼女の脳内は説明しなければという使命感と、男子から女子に変体を遂げた故の不安感。この2つがせめぎ合っており、要領を得ない。



――後天性()()適化()症候群()とは、医師の間では古くから知られる難病指定された疾病だ。

ASCSウィルスを媒介にし、発症する。男性を女性に。女性を男性に作り替えてしまうという、進んだ現代医療の中、発見されている唯一のウィルスである。

成人の20%。小児の15%ほどが保有している一般的なウィルスだが、発症率は極めて低く、保有者(キャリア)の内、年間0.0001%未満。つまりキャリア自体は国内2000万人を超えるが、その中に於いても数百万人に一人の年間発症率となる。


……問題はその症状だ。


発症の最中(さなか)は、身体の変調に伴う高熱と苦痛が伴い、その期間は半年を超える。よって、発症期間中の死亡例は枚挙に(いとま)がない。

よって、完全な(・・・)性別変貌を成し遂げた例は十数年に一例程度に過ぎない。


完全な……と言ったが、不完全な例も多く見られる。

例えば、高熱に対して解熱等の対症を行った場合、女性体には変化したものの、子宮が存在しない。男性体となったものの、精子が作れない……などだ。余計な対症療法は、ホルモンバランスに異常を来すという報告も挙がっている。


智は、そんな発症例の中、無事に生き延びた……と、自身の口で精一杯に説明を続けたのだった――



「性適化……って、言葉には納得できないんですけど……」


幾度となく『適化(・・)』という表現について、研究者の間でも議論が交わされているが、結論には至っていない。だが、何らかの素養を有していた者だけが発症するとも言われている。


「女の子になりたい……とか、考えたこともなかったから……」


この部分は本心かどうだか判らない。なりたいと思っていたと語った場合、余計な視線に晒されるシーンも当然ながら出てくるだろう。そうでなくても変わり種を見るような奇異の視線は在るだろうが、それを増長させる結果が待っている。


「でも……。こうなってしまったのでこれからは……。女子としての『智』です。よろしくお願いします……」


長かった説明を終え、腰の横に手を添えると、深々と頭を下げた。体の前で手を重ねるような女性らしい所作ではなく、如何にも男性的な動作だった。



(出来たよ。説明……)



頭を上げると、自分を救ってくれた男子に目を向けた。

彼が教室内の空気を変えてくれていなかった時、智は説明すら出来ず、口を開けなかった。そんな確信と言えば言葉がおかしいが、近い何かを感じていた。


「よろしく!」


未貴が言葉と同時に、可愛らしい両手を合わせ、打ち鳴らした。

すると待っていたとばかりに担任の笹木が拍手を送った。


それは次第にクラス中に波及していく。

男性から完全な女性へ。そんな数少ない症例を踏まえた上でクラスメイトたちが梅原 智を迎え入れた瞬間だったのだろう。


迎え入れられた当の本人は……。何故だか、顔を強張らせている。体を揺らし、どこか忙しない。






無性に長かった拍手が収まろうとした時だった。


「先生ー? ちょっと質問いいですか?」


いつになく、よく舌が回っている。こんな純を見たことがあるのは、小学生時代の彼を知る者くらいだろう。彼は中学校に上がり、スマホを手に入れてから静かな生徒と化してしまっているからだ。


「櫻塚くん? 何かな?」


笹木は窓際最後方の男子の問い掛けに応じる素振りを見せた直後、首を巡らせ、黒板の上部を見上げた。


「さっき、成人の20%、子どもの「あ、ごめんなさい。5時間目、残り5分ありますが、質問タイムは6時間目に回しますね?」


「………………」


よく話していた純も、さすがに口を閉ざした。そう言われて引き下がらねば、他生徒の顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまうだろう。



(……たまたま? それとも何かあるん? この先生、やりづらい)



どうやら黙った理由は、周囲を気にしてのことではなく、担任教師の陰謀めいた何かを感じ取ろうと思考を据えたことが原因のようだ。



(わざわざ5分前に終わる理由……。えっと……)



菊地原(きくちはら)さん? 号令を」


「あ、はい」


返事をしたのは、未貴の後ろに座る眼鏡少女だ。

空席は智が座るであろう一席のみなので、休みの者は無し。きっと学級委員長なのだろう。


「起立」


号令するなり、自らも緩慢な動きで立ち上がり、左斜め後方に顔を向ける。

そこにはノロノロと立ち上がる純の姿。彼に合わせて行動すると全員のタイミングが揃う。そう彼女は学習している。


一番行動の遅い奴が半ば立ち上がると、教室内をぐるりと見回し「礼」の号令を出す。

起立の反応が遅れた同級生が居たときでも、純に合わせると話が早い。彼は周囲を観察でもしているのか、大抵の場合、最後だ。


「着席」


最後の号令は様式美だ。

座っていては小休憩を満喫できない。実際、立ったままの智など、座りようもない。


「智ー!」


早速、動き出したのは竹元 未貴だ。まだ教師の退室前にも関わらず、頭上で手を振りながら愛する彼氏に駆け寄っていった。


「ご、ごめん、未貴。お手洗い行ってくる……!」


「あ、あ! 付いていくよ!」


どうやら拍手の頃からモジモジし始めた理由は、尿意に因るものだったようだ。

迎え入れられた喜びも束の間、安心感が押し寄せ、催してしまったらしい。


付いていくと言ったような気もするが、「ゆっくりでいいからね?」と過保護にも智の手を取り連れ立っていく二人の背中を、女子たちは微笑みつつ眺め、男子たちは困惑やら何やら、複雑な顔で見送ったのだった。



(ははーん。なるほど。これが先生が早く終わらせた理由か)



純くんの考えすぎかもしれない。



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