3話 煽る純、羞恥の智
「盛り上がっているところ、失礼しますよ?」
突然の学校長の襲来。
経営サイドを除けば、彼が学園の最高峰に位置する人物である。そんな人物の乱入により、教室内の時間が停止した。僅かに吹き込んでいた窓際の風まで止んでしまった。
教室の中央、未貴の周囲に集まっていた女子も、教室の外側で立ち話する男子も、ピタリと止まってしまった。
動いたのは、グラウンド側の窓枠に背を預けていたベテラン女教師だけだった。それも組んでいた腕から右手を抜き出し、こめかみに親指と薬指を当てただけの動作だ。
そんな空気に役職柄、慣れてしまっているのであろう校長は、「さぁ、席に付いて下さい」と生徒たちに行動を促す。
「なんで校長……?」
「さぁ? 知らね……」
大半の生徒が無言で自分の席に戻っていく中、散り際の男子生徒の声が漏れた程度だ。あくまで静まり返った教室……と、表現できる状態にある。
女教師・笹木 絵梨佳は、左手のスマホをチラ見するとため息を吐いた。
そこには【笹木くん! 済まない! 校長が連れていってしまった!】とラインメッセージ。
……校長の到着後に届いたものだ。
年配女性で絵梨佳という名前に違和感を禁じ得ないが、これから先、『ことり』のおばさんやら、『ひな』なのにおばあちゃんなど、どんどんと増加していく。その先駆けだろう。時代の変化であり、次第に慣れていくはずだ。
それはともかく、笹木教諭が遂に動いた。スマートフォンをスーツの内ポケットに仕舞うと、きっぱり告げた。
「校長先生? ご案内、ありがとうございます。以降は担任である私の仕事ですので、ご退室お願いします」
実に冷淡な物言いだった。
……それもそうだろう。
予定では、学年主任が頃合いを見て復学する梅原 智を案内し、和気藹々とした雰囲気の状態で入室して貰い、暖かく向かい入れる。
今のこの静まり返り、ほとんどの生徒が背筋を伸ばす状況は、描いていた既定路線とは正反対もいいところだ。
ついでに言えば、不測の事態に陥った場合には即座に連絡という取り決めを学年主任も違えている。主任としては、親御さんがまだ目の前だった為にメッセージの送信が遅れた訳だが、そんな事情を笹木女史は知らない。
「……そうですね」
校長は得も知れぬ迫力に押されたのか、退散する構えを見せた。
……が。
「梅原くん。入りなさい」
担任教師が止める暇など無かった。
美味しいところを持っていこうとした……訳ではないだろう。
ただ純粋に久々の転入生などの入室を促してみたかった。実際に担任教師として教鞭を揮っていた頃のように。校長は、そんな雰囲気を醸し出している。
だが、それは最悪のタイミングだった。
静寂に包まれた教室の前方。サイドスライド式のドアが、ゆっくりと開かれ、梅原 智が姿を見せた。
至ってシンプルなグレーのスラックスは長すぎる為、裾が折り返されている。肩幅の合わないグレーのブレザーと同色のネクタイ。数ある制服パターンの中で、最も選ばれているであろう、サイズが明らかに合わないだぶだぶ男子制服を纏った女生徒だ。
そんな格好にも関わらず、女子と断言出来る。
痩せた印象は拭えないものの、それだけの柔らかな顔立ちをしている。
前髪は形の良い眉のライン。サイドは耳の中央辺りで切り揃えられた栗色のショートボブ。時折、男子生徒にも見受けられるが、通常、女子の髪型である。
サイズの大きすぎる男子制服は、その頼りない肩幅や低身長を誇張させているようにも見える。
そんな少女は緊張しているのか、恐怖心からか。口元が引き絞られており、自信なさげな眼差しは下に向けられている。
そんなオドオドとした、思わず守りたくなってしまうような美少女。
梅原 智が今、2年B組へ入室を果たした。
「………………」
呼んだ校長は以降、何を言うでもなく満足そうに復学した女生徒を見詰めている。
担任の笹木先生は、全てをぶち壊した校長の背中を睨めつけ、早く退散しろとオーラを放つ。
大半の生徒は言葉もなく、不躾な視線を男装の女子に送り付けたまま、何者かの行動に期待する。
松元 未貴は何か言おうと口を金魚のようにパクパクさせるが、思ったように声にならず。
竹葉 大起は、その未貴から後方へと視線を動かす。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
誰もが口を開けない、開かない異常空間が成立した。
注目されているだけ。それは良い言い方をすれば鑑賞。悪く言えば値踏みされているような時間だった。
そんな沈黙に耐えられず、45度ほど下向きだった小さな顔が50度、55度、60度と下へ下へと降りていく。奮い立たせた勇気が萎んでいく様を見ているかのようだった。
これはいけない!
ようやく怒りを制御した笹木先生が笑顔を取り繕い、今は校長が陣取ったままの教卓へと動き始めた。
その時だった――。
「おっ! おいおい! マジか! お前、めっちゃ可愛くなってるな!!」
「えっ?」
梅原 智から教室内で一番遠い位置。つまり、窓際最後方から発せられた声だった。
弾かれたようにその小さく優しげな顔を上げると、その強ばりがゆっくりと弛緩していった。
「お! 顔上げた! うっわー! お前、マジで梅原!? 面影しかないよな! ははっ! 可愛すぎるだろ!!」
穏やかで止まる筈だった顔は、櫻塚 純の煽りを受けて逆方向に振り切れていく。
「小さいし! 可愛すぎる子役とかで通るレベルじゃね!?」
瞬間湯沸かし器のように顔色を変えていく。純白だった顔色が赤に染まり、頬がヒクつく。きっと彼女は男性だった頃の思考のまま、『もうやめてくれ! 十分だ! ありがとう!』とでも思っていることだろう。
そんな智の思いを正確に汲み上げる。
小学生時分に過ごした時間分、純は智也を理解している。
「あははは!! 照れたぞ! 可愛すぎるだろ! ほら! お前らも何か言え! 思ってんだろ!? 可愛いって!」
理解していながらその単語を連呼する。智の嫌がる姿を見るためだけに。
「でしょ!? ほらほら! あたしの言った通り、可愛いでしょ!?」
いち早く呼応したのは松元 未貴だった。
彼女は、クラスメイトたちに暖かく向かい入れて貰うという使命を純によって、思い出した。
「可愛いわ! うん! 認める! 智ー! ちょっとこっち来てくれ! その可愛い顔、間近で見せてくれ!」
純の呼び方が『梅原』から『智』になってしまっているが、彼の脳内はアドレナリンに浸され、気付いていないだろう。あるのは、あのハイスペックな智也をいじり倒せているという高揚感だ。
「だよねだよね!? あたし、本当のこと言ってたんだからさ!」
「本当だった! 未貴より可愛いじゃん!」
「あはは! 本当だね! 未貴が霞んじゃった!」
未貴に散々言われていた友だちも、遅ればせながら追従を果たした。これがまた、別の生徒たちの言葉を引き出していく。
「私、余裕で負けてる。元男子とか嘘だ」
「わたしもその病気にかかりたいっ!」
「性別変わるよ?」
「それでもいいっ! むしろイケメンなって侍らせたいっ!」
「え? ちょっとじゃなくてかなり引く……」
「とにかく、すっごいよね」
「うん! 可愛い!」
声のトーンの高い声が次々と溢れ出していく。連帯感の強い女子特有の能力が発現した瞬間だろう。盛り上げたいと言うよりは、本音ダダ漏れしてる子も多いようだがそこはそこだ。
「……っっ!」
無言で見られているだけ。見世物のようだった時間は過ぎ去り、持て囃される立場となってしまった智は、その褒め上げられた顔を両手で覆い隠してしまった。ただ単純に恥ずかしいだけだろう。見える耳が真っ赤になっている。
「………………」
この状況を端から客観的に眺めている少年が、純の列の一番前に居る。
騒がしい教室になったものの、純以外の男子の声が挙がらない。これを不服に思うのは、柔らかな表情を絶やさないイケメン眼鏡少年・竹葉 大起。
彼は、ふぅと小さく息を零すと、今も尚、煽り続ける純に負けない声量で発した。
「あははっ! 男子たち静かすぎない!? こんなことじゃ、櫻塚に取られるぞ! 元々、幼馴染みってアドバンテージがあるのに、ここでアピールしなくてどうすんの!?」
大起のこのひと言により、男子勢も参戦。
先程の静寂とは正反対の、喧噪に包まれた時間がしばらくの間、形成されたのだった。
(あはははっ! めっちゃ恥ずかしがってやがんの! おもしれー!)
純くんは満足そうである。