2話 いじられ少女・未貴
「櫻塚くんとは、どんな縁が?」
居並ぶ教室からは、教師や生徒の声が締め切られたスライドドアから漏れている。
学園長はそんな教室に配慮し、小さな声で問いかけた。他クラスはLHR中とは言えど授業中なのである。
「……腐れ縁って言うんだと思います。小学校時代、いつも一緒に居ました」
返答もまた、小声だった。小さな声だが澄んでおり、男性の耳にしっかり入ったことだろう。
背の高い校長と背の低い少女が横並びで、ゆっくりと長い廊下を進んでいる。
「そうですか。その頃の縁があり、彼は行動を起こしてくれたのですね」
優しく笑いかけた年長者だったが、少女の端正な顔立ちは晴れない。その優しい表情にさえ気付いていないだろう。
真っ直ぐに伸びる廊下の先を見据えた梅原 智には、桜塚 純への負い目がある。
1年時の夏休みまでの間……。病魔に倒れるまでの期間、わざわざ隣のクラスを何度も訪ねた。その際、純にどれだけ話し掛けてもスマホから目を離さず、稀に素っ気ない答えしか返ってこなかったのは、そう言うことなんだろうな……と、内心、思っている。思わなければ1度たりとも面会に訪れてくれなかった説明が付かない。
「心配は要りません。苦境に立たされた友人を助けるべく行動出来るのならば、その関係は最早、親友と呼べるものです」
長年、教鞭を揮った中で得た経験談なのだろう。さまざまな生徒を見てきたであろう学校長の自信のひと言だったに違いない。
智の留年を不服とし、声を上げた純。
それは確かに今しがた語った通りの行動だった。
「……それなら嬉しいんですけど」
ようやく、隣でゆっくりと歩を進める校長に顔を向けると、少女は小さく自嘲混じりに笑った。
そんな微笑みを前に、続ける言葉が見付からなかったようだ。
教室にたどり着くまでに、何とか明るさを取り戻してあげようとしていたのだが、目論見は失敗に終わってしまった。
少女になってしまった彼の不安を消し去る難しさが、身に染みていることだろう。
◇
「……貴方も頑張ったわね」
「いえ、俺は何もしてないですよ。未貴ちゃんとあいつのフォローだけです」
窓枠にもたれかかり、腕組みしている担任の女教師と語らうのは、窓際最前列の少年・竹葉 大起。朗らかな印象を与える柔らかい笑みが似合う、イケメン眼鏡少年だ。
「……そう? 自己評価低いと損するわよ? 学校は梅原さんの件で動いた子たちを本当に高評価してるんだから」
「あー……。じゃあ、俺も頑張ったってことにしておいて下さい」
少年は冗談めかしてそう言うと、にっこり笑った。面食いならば、即座に堕とされそうな笑顔だった。
「そうしておくわ」
ベテラン教師は、にこりと表情を崩すと眼鏡少年への視線を外した。右手に握り込まれたスマートフォンの存在を生徒たちに悟らせないまま。
竹葉 大起は、梅原 智と校内唯一の同中だ。
彼らは高偏差値の私立中学から、この私立緑進高校に下った。
下ったと表現した理由は簡潔。
偏差値基準で考えた時、明らかに前述の私立中学の上位高と比べ、緑進高校が下回っているからである。
そんな2人がレベルを落とした高校を選んだ理由は、それぞれ異なる。
大起の場合は、競争社会に何も見出せなかった為。
一方の智は、『ハイレベルの中でそこそこに居るより、そこそこの中でハイレベルのほうがいい』と公言していた。
確かに将来を見据えた時、その考え方は有りとも言えるだろう。
先生との話は一段落付いた。その証拠に、女教師の目線は中央に陣取る、煌びやかな女子たちに注がれている。
そこは活気に満ち溢れており、姦しいを通り越している。隣のクラス辺りからクレームを付けられてもおかしくないレベルだ。
その騒がしい区画の中心は、松元 未貴。
数ある制服バリエーションの中から白のセーラー服に紺色のスカートを選んでいる。それは小柄でショートカットの未貴に驚くほど似合っている。『幼く見えるが』という枕詞を乗せねばならないほど、子どもっぽいが。
もしも、未貴が膝に手を揃えているような、楚々とした少女であったとしても、それはそれで似合っていただろう。
やはり、何を着ていようとも問題は与える本人の印象次第なのだろう。別に白いセーラーのせいで子どもっぽい訳ではない。彼女自身が幼い印象を振りまいているのだ。
「なぁ? 未貴は見たんだろ? どんな感じなんだ?」
幼げな少女の真正面で机に両手を突き、覗き込むようにサラサラロングヘアー大人系女子が、外見に似合わぬ口調で問いかけた。
未貴は顎に人差し指を当て、首を傾げながら「え? そ、だねー……。可愛いと思うよ?」と返した。どうにも自信が無さそうだ。
「そうじゃなくてさー! もっとあるでしょー? どんなタイプとかー!」
続いて、同じく立ったままだが、未貴の椅子の背もたれに片手を突き、覗き込んできたセミロングの可愛らしい少女が詳細を求めてきた。
そんなセミロング少女との近い距離を敬遠したのか、体を背もたれに預けると反り返って答える。
「んー……。こう、あれだよ。応援してあげたくなっちゃうタイプって言うか……」
「へー。髪型は?」
せっかく、距離を空けたにも関わらず、またも顔と顔との距離を詰めてきた。
その近くなった可愛い顔を両手で押し返しながら律儀にも質問に応じる。サラサラロングの子が「ちょっと……」と、体を反らした。セミロングの子の後頭部が迫ってきたのだろう。
「短いよ? 短いって言うか、まだ伸びてないっていうか……」
「ショートなのに応援してあげたく……? ってことは、健気な後輩系なの?」
セミロング少女との距離の確保に成功したと思いきや、今度は長いポニーテールの少女がその間に顔を差し入れてきた。
「そお! それ! そんな感じ!!」
今度は、そのポニテの子の眼前に人差し指を立てて見せた。
「……未貴より……「ひゃぅ!」
耳元だった。
「可愛いんですか……?」
反ったままだった為に、真後ろに座る眼鏡っ子が身を乗り出し、囁いたのである。
その弾みでポニテの子に未貴が立てた人差し指が軽く刺さってしまったのだが、別の子が騒いだことによって、無かったことになった。
「『ひゃぅ!』 だって! 可愛いぃー!」
「「「あははは!!!」」」
もう大騒ぎである。
未貴は小動物系、いじられ少女だ。かなりの人気者なのである。
いつもこのように燃料さえ見付かれば、いじり倒される愛されキャラであり、それが故に彼女が署名運動を開始した時、手伝った少女たちが多かったのだ。
(あー……うるさい)
櫻塚 純は、未だに机の下でスマホをポチポチといじっている。未だに……と言うか、これが基本形だ。
(結局、ショートってだけしか情報出てないし)
何も聞いていないように見えるが、何気に周囲へのアンテナは張り巡らせているらしい。
「もう! みんな近いんだって!」
「それは未貴が可愛いからー!」
「そうだな。本当に良い反応をしてくれる」
純を除いた男子たちの視線は、未貴とその周りの女子に集中している。同じ女の子相手に頬を赤らめる未貴は本当に可愛らしい。
(……松元が可愛いとか、どうでもいいって)
これまでの女子たちの姦しい会話から判る通り、梅原 智と松元 未貴は付き合っていた。なので、智に恨みに近い何かを抱いている純にとっては、その怒りを増長させるだけに過ぎない。
いけ好かない奴の彼女が可愛いと言われれば面白くない。こう言えば解りやすいだろう。
「で。智くんは結局、未貴より可愛いのか? それとも自分のほうが?」
嫌な聞き方をしたのは、最初のサラサラロングの子だった。黒髪ではない。ほんの少しだけ、明るくしてある。日に当たれば、かなりの茶髪に見えることだろう。
(よし。ナイス。やっと話が本筋に戻った)
これが本筋だったかどうかは定かではないが、彼にとってこれこそが欲しい情報なのである。
要するに……。
この純くんは、留年阻止の第一声を発した存在であるにも関わらず、智也が智になって以降、そのご尊顔を拝んだことがないのだ。面会してあげて欲しいと何度も未貴にも大起にも言われていたが、全部、無視した。
「……うん。あたしより可愛いよ」
(へー。そりゃ、いじり甲斐がありそう。やめろ言われても可愛い言い続けてやろっと)
どうやら復学後、第一弾の嫌がらせを思い付いたようだ。
「出ましたね。可愛い子が言う当てにならない可愛い」
「それ! めちゃわかるー!」
「可愛い奴って平気な顔して他の子に可愛い言うもんねー!」
「そんなのじゃないって! あたしは聞かれたから素直に答えたのに!」
「ほらほら。怒るな。可愛い顔が崩壊してるぞ?」
「ぷっ。崩壊って」
「「「あはははは!!」」」
(………………………………)
純のスマホを操る手が止まってしまっている。何気に他の男子たちも止まっている。この時、男子たちの心は1つになった筈だ。
(結局のところ、どうなんですか?)
そんなタイミングだった。
校長が教室前方のドアを開け放ったのは。
「盛り上がっているところ、失礼しますよ?」
その校長の堂々とした声音に、教室内は静まり返ってしまったのだった。