独人法師の唄 前編
いつだって──気付くのは全てが終わった後だ。
あの時。
全てを焼き尽くす、真っ赤に真っ紅で真っ朱が真っ緋な炎を見た──あの時。
『私』の全てが灰塵に帰した、あの時。
『私』の全てが虚構でしか無かったと知った──あの時だ。
あの時に、私は全てを悟った。
だから『私』は──ここにいる。
だけど「私」は──どこにいる?
一体何人の人間が『悔い無し』と言って死んでいけるというのだろう。
しかし、多分『私』は後悔はしても反省はしていない。
そしてこれから先も『私』としても「私」としても、何も反省しないまま生き、そしてひたすらに後悔だけしていきながら死んでいくのだろうと、そんな風に思う。
死を迎え、世界を越え、それでも『私』は何も変わっちゃいないのだった。
そしてこれからも──『私』は変わらないし、変われない。きっとずっと「私」は『私』で在り続けるのだろう。
そして──『私』はその事を喜びはしても悲しみはしないのだ。
その事で「私」がどれだけ悲しみ、苦しみ、自身を呪う事になろうとも。
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「──くっだらねー……」
などと自分にしか聞こえない声で呟いた。
いや、「聞こえる」か「聞こえない」かで言えば「聞こえる」声だったのだろうが、「聞こえる」筈の人間は生憎とそれどころではなく、うむ、現在は泡を吹くのに忙しいようだった。
「んー、オチたかな」
と、目の前の男の頸を絞めていた自分の真っ赤な髪をほどく。
男は既に息絶えていたようでそのまま床に崩れ落ちる、音が立たない為のワンクッションとして足を間に入れておいた。
「いやはや結構実用的だね髪、充分武器として使えるよ」
実のところ面白半分に使用した私の美髪だが、凶器としてのラインは軽くクリアしているようだった。
紐、糸とくれば某アメイジングヒーローを始めとした蜘蛛やらなんやらの物を想像するが、いやはや人間だってなかなかどうして負けてはいないようだ。ひとまとめにすれば結構な力を込めてもびくともしない。
「いや、人間のじゃなくて吸血鬼のか。だったら人間のよりも丈夫なのかもね、あー、けども抜いちゃったらしばらくすると消えちゃうからなぁ、まあ伸ばせるからいいけど」
どうやら自身から切り離されたものは時間が経つと消えてしまうようなのだ、この辺も古き良き伝統ある吸血鬼と同じだろう。
「さあて、と。それじゃあいっちょやりますかね」
呟きと共に、スラム街の一角にある古ぼけた、しかし大きく威厳を感じさせる屋敷へと私は足を踏み入れたのであった。
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数時間前。
「私が一人で行く、あんた達は大人しく留守番してな」
などとマンガやら何やらで聞き覚えのあるセリフに自分で歯が浮くような気分になりながら、私はガキンチョ共に告げた。
ガキンチョ共は何も口にする事はない、リーダーも黙って俯いている。
まあ当然だろう、コイツらもこんな酷い場所で今まで生きてきたのだ、首を突っ込めば命を落とす事ぐらい察するだけのアタマは持っているはずだ。
ため息を大きく吐く、まったくもって面倒な事になったものだ。
もちろんガキンチョ共を巻き込んだのは他ならぬ私の責任だし、その責任は取らなければならない。
旅の恥は掻き捨て、とはいうもののここで見捨てては流石に少々寝覚めが悪い、ここは立つ鳥跡を濁さずに行くとしよう。
だけども、だけどもやっぱり面倒臭いなあ……誘拐するなら明日にしてくれりゃ良かったのに、だったら今頃呑気に一人旅へと洒落込めてたのに………
「はああああ………」
と、またしても大きなため息を吐き、そしてパン、と両頬を張る。
「おっし、ぐだぐだ言ってもしゃーないしとっとと終わらしちゃおう」
と言葉にして口に出した後、行動を開始した。
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と、ここで最初の場面に戻り──
そんなワケで見張りの男を髪で絞め殺した後、その髪をロープ代わりにして屋敷を囲む外壁を登る。
壁内の様子を窺った後は、髪の逆側に縛っていた男の死体と共に音も無く屋敷の敷地内へと着地した。
死体を庭の植え込みへと隠した後、いよいよ行動を開始する。ストップウォッチが有ればタイムアタックでもしていたかも知れないがそんな物があるわけがないのでさっさと始める事にする。まずは屋敷の外、庭にいるヤツらからだ。
音も無く庭を駆ける、ここ五日間で覚えた忍者気取りの走法だがなかなかのものだと思う、抜き足差し足忍び足を早送りするイメージでやってみたら案外できてしまった。
………これは本当にどういう事なのだろう。見覚えがある、という程の具体的なイメージがあり、そしてその通りに身体を動かせるというのはまあわからなくもない、吸血鬼のスーパーセンス的なものが働いているのだ、で納得できなくもないだろう。
しかし見たことも聞いたこともない、掛け値無しイメージのみの技を修得できるというのはどういう事なのだろう?多分こう、足運びとか体重移動とかが必要だろうとは思うのだがそれはイメージで補える程のものなのだろうか?
うーむ………謎だ。
まあ謎なんて解き明かされる為のものだ、その内わかるだろう。使えるに越したことは無いのだし。
そんなワケで音無しの奇襲を繰り返していった、基本的には声も血もでない髪での絞殺だったが体格の良い手強そうな──他に比べて、であり実際の実力は五十歩百歩だ──相手は忍ばせたナイフ(切れ味の悪い粗悪な品だが凶器としては充分だった、吸血鬼の腕力が有れば尚更だ)で動脈をチョンパ、もしくは脳天か心臓にぶっこむか、食品としていただく事にした。
だが久々の食事だったがやっぱり味はあまりよろしくなかった、今日の内に口直しがしたいものだ……食へのモチベーションが下がる。
で、一通り掃除し終わった後、明らかに使われていないボロ小屋──昔は雇われた庭師とかが住んでいたのかも知れない──に手足を縛り猿轡を嵌めてブチ込んでおいた一人に色々と質問した。ガキンチョは地下室に捕らわれているらしい、なんというかお約束だなあ……。
まあそんな感じでテキパキと作業を終え、とりあえず庭は制圧完了だ。こうなってはもう後には引けない(引くつもりなど毛頭無いが)、襲撃者の存在がバレない内に一人でも数を減らさなければ。
裏庭へと周り、鍵の開いていない窓を捜してみる、ダメ元だったのだが二階に発見した。
「………罠かな?これは」
これは流石に怪しいだろう。
さっきの尋問(拷問ではなかった、今のところは)では私の襲撃を待ち構えていたという事は無いらしいしこの警備(笑)ではその通りとしか思えないのだが………
まあ屋敷内で今か今かと私を待ちかねているようには見えない。ここは虎穴に入らずんば虎児得ず、という事で警戒は怠らないまま突入してみよう。
どの道遅かれ早かれ襲撃はバレる、今は一分一秒を惜しむ時だろう。
まあヤバくなったら逃げればいいのだ。
そんなこんなで窓枠へと飛び移る、中を覗き近くには誰もいないのを確認した後で、私は屋敷内部へと侵入したのだった。
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「………いや、だからさあ。だから私は駄目なんだってば」
殺し合いの最中にそんな事を呟いた。
自身を襲う剣閃を躱し、奪ったククリ刀で頸を刎ねる。
血飛沫が舞うが無論そんな事気にも留めない、勢いをそのままに身体を反転させ背後の敵を左に斬り上げる。
「これでっ………三十二ぃ!」
そのまま奥の敵の心臓を狙い斬り裂く、アバラを斬り裂いた感触が伝わってきた。
「あーもー!はいはいはいはいわかってましたよわかってましたよ!どー見たって罠でしたもんねえ!あんだけ小賢しい事ほざいてた癖に結局は特攻した私がバカでしたよ愚か者でしたよ!」
そんな怒鳴り声は言うまでもなく逆ギレだ、屋敷に飛び込んでみれば待ってましたとばかりに一気に雑兵が群がってきたのだった、つくづく自業自得である。
まあそうは言っても最悪という程ではない──これが罠だと判断してすぐ私がザコを蹴散らしながら向かったのは地下室だ、すると更にザコが湧いてきた。
つまりは地下室にガキンチョが捕らわれているのは確かなのだろう、とりあえず当初の目的は達成できそうだ。
………人質にとられでもしない限りは。
そうならない事を祈る──そうなってしまっては。
わざわざここに来た意味が無くなる。
「………キヒヒ」
つまりは私はガキンチョが人質にとられれば見捨てる気でいるという事だ──いや、出来るだけの事はするつもりだが。
しかし自分に身の危険が迫れば容易く見捨てるだろう、そうすると自覚している。
そのくらいには私は自分の事を思い知っている。
嫌になるほど。
だったら最初から見捨てろという話だろうが──まあつまり私はどっちでもよかったのだ。
否──どうでもよかったのだ。
ただ、見捨てれば多少寝覚めが悪いだろうし──だったら「私のために」ちょっと行ってこようかなというだけの話である。
………なんだかツンデレな物言いになってしまったがそういうワケではない──私がただのツンデレならどれだけ救われただろうか。
きっと色んなものが救われたはずだ。
「ハア………」
自分で自分が嫌になる──そして結局自分の事しか頭に無い。
あの私に懐いてきてくれたガキンチョ共も──もうだいぶどうでもよくなってきている。
無論どうでもよくなかった所でそれも結局自分の為なのだが。
「我ながらもうちょい割り切って生きてけないもんかね………ここまで自己中なんだからもう他人なんて認識しないぐらいにまでなっちゃえばいいのに」
そうだ──人を人とも思わないようなそんな最低最悪な所まで堕ちてしまえばいっそ楽になれるだろうに。
しかし私はそれを許さない。
私は大好きな私がそんな最低最悪の地点に堕ちることを──許せない。
自愛もここまでくればいっそ拍手を送りたくなる、数え切れないだけのものを傷つけておきながら──まだ私はキレイでいたいらしい。
「あ″あ″あ″あ″あ″面倒くさあい!」
叫びながらザコを蹴散らし地下室へと雪崩込む、既に外套の色は──それが布地の色なのか血の色なのか判別するのが不可能だった。
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地下室への鍵は開いていた。
それ程広い部屋ではない──縦横十メートルもないだろう、高さも三メートル位だ。
光源はランプだった。当然オイルランプのようだがまあ安心した、火の灯は好きだ。
何があろうとも。
地下牢でもあるのかと思ったが味気ないただの空間だった、前の住人はここで何をしていたのだろう。
などとどうでもいい事に思考が流れる──しっかりしろ、私。目的を忘れるな。
自分を叱咤してから、そしていよいよ部屋の奥で偉そうに待ち構えていた男に声を掛けた。
男はまあ三十代といったところか、髪はボサボサで服も小汚い、いかにもチンピラの元締めな風貌だった。
その後ろには──気絶した様子のガキンチョが一人、縛られていた。
「──キヒヒヒヒ、お待ちかねでしたかねえ三下さん、そこのガキンチョ返してもらえません?」
なるべくバカにしたような声にしたつもりだが、大した反応は見せなかった。つまらない。
「貴様のような小娘に──」
と、そこで腰の剣を引き抜いた──何の面白味もない直剣だったが。
三下らしくウケ狙いな武器を提げてりゃいいのに、まったく。
「──容易く散らされるとはな。己の部下の貧弱さが嫌になるわ、しかしこれ以上無様を晒される訳にはいかん、俺の縄張りでは餓鬼の火遊びは禁じているのでな」
「キヒヒ、ちゃっちい大人だねぇ、ガキンチョの夜遊びぐらい笑って見過ごしなよ。それどころか誘拐て!大人げなさすぎだっての!何?もしかして笑かそうとしてくれてんの?」
「後ろの餓鬼に興味など無い、ただの餌だ、事が終われば帰してやるさ。貴様の首を広場に晒してからな」
「うっげえ………マジかよ………うあーとっとと街出て行きゃ良かったあ………あーめんどくさ………」
「もちろん今から貴様が逃げるのならば即座に殺すがな」
「逃げるのならば、ねえ………『動けばこの餓鬼の命は無いぞ!』的なのはやらなくていいわけ?」
「無駄な事はしない主義だ、そんな事をしても貴様は構わず殺しに来るだろう」
「あっれー?なんでバレてんの?三下のクセに洞察力あるねえ」
「その血生臭い姿を鏡で見てから言うことだな……餓鬼、そう正に餓鬼だよ貴様は」
「………ピュー。冴えてる、う!」
まったくもってご明察なセリフを聞いた瞬間に──私は全速力で手のククリ刀を振り抜いた。
私の最速の一閃は──しかし男の剣に受け止められる。
「────!」
「がああああっ!」
弾かれるククリ刀、手からは離さなかったがしかし隙ができた私に当然直剣が襲いかかる。
ククリ刀を弾かれた勢いに任せ床を転がって致死の剣閃を回避する──この時点で私は薄々気付いていた目の前の男への評価を確定した。
──格上だ!
そして体勢を立て直そうとした所に剣が突き込まれる。
「───っぶなあ!」
更に無様に転がる私、追撃を止めない男。
──だがこれはチャンスでもある。
光源がランプである事に感謝するとしよう、回転する視界の中しかし私は目を回す事なく部屋の一点だけを見つめていた──
───勝負。
壁にぶち当たり身体を止めるとそこに一閃が振るわれる──その刹那の直前に私は手のククリ刀を男目掛けてブン投げた。
「──!?バカがっ!」
と、吐き捨て難なくククリ刀を弾く男。
そう武器を捨てるなど愚行も極まりない、しかし私には策があった。
ククリ刀を弾いた事で言うまでもなく男に「間」が生じる──それは「隙」というには余りに短い一瞬、そこに無手の私が突っ込んでも返す剣で斬り裂かれるだけだろう。
しかしたった一つ出来る事があった。
そしてその一手はこの「間」を決定的な「隙」へと変える──!
そして私は──握り潰した。
男を?違う、こんな瞬間的に目の前の男にまともなダメージを与えられる程に「念動力」は優れていない。
私が行使したのはもっと規模も小さくそしてほんの少しだけの力──
そして地下室は闇に包まれる。
「──な、なにぃっ!」
そう私が「念動力」を使った対象はランプである。
ランプの灯を消すのに必要な力など些細なものだ、握り潰すどころかほんの一摘みすればいい。
それぐらいの力は前もって意識してさえいれば、そして力を発動させる位置さえ把握していれば今の私のレベルでも十二分に可能だ。
そして闇に包まれた部屋は「夜を往く者」たる吸血鬼の独擅場である。
突如光を失った男には何も見えてはいないだろうが、私はさっきよりもよく見えるぐらいだった。吸血鬼の瞳にはむしろ光は邪魔になるらしい、さっきの回転でもまったく目が回っていなかった事などからもわかるように吸血鬼の身体はおそらく人間とは根本的に違うものなのだろう。
そして武器を失った私だったがそれも何の問題も無い、武器が無ければ作ればいいのだ。
間合いは一メートルもない、私の現時点で使える異能の一つを行使する。
指を突き出す──すると二本の指の爪が素早く伸びた、変身──否、改変と呼ぶのが一番しっくりときたその能力により、驚く程の速度で伸びた爪は男の頭部を正確に狙っていた、この爪はそこらの刃物よりも鋭い、この一撃で仕留める、そこまでいかなくとも痛打を与えれる──
ハズだった。
「ナメるなよ餓鬼がああああっ!」
男の怒号が密室に響き、反響し、私の身体を揺らす。
その圧倒的な音量に──私の手が狂った。
二本の伸びた爪は男の頬を深く抉ったがそれだけだった。
そして、私の身体は動かない。
さっきの怒号で怯えてしまった──のではないがそんな事自慢にならない、事実はもっと酷かった。
私は呆けてしまっていたのである。
………いや、言い訳をさせて欲しい──私お得意の自己保身をさせて欲しい。
そもそもこの世界の『私』はまともに喧嘩もしたことも無いか弱い女子であり、そして前世の『私』も似たり寄ったりだった。
そして今までの格下との戦闘とは打って変わった死ぬ確率の方が高い戦闘。
そこでの渾身の一手をくだらないミスでしくじった。
………まあ呆けてしまうのも仕方ないよね?みたいな?
もちろんそのツケは回ってくる──追撃へと費やすべき時間を無駄にしている内に、男の視力は全快とは言わないまでも目の前の私をうっすらと視認出来るぐらいには回復していた。
そしてそれは私目掛けて剣を振るうには十分だ。
そして横薙の一閃──おそらく頸を狙っているだろう、呆けたままの思考の一部でそんな事を考えたまま指一本動かす事なく私はそれをただ見つめていた。
走馬灯は、見えなかった。
ドンッ
「………………………あれ?」
死んでないぞ?
ひとりぼっちのうた