叱束
「──姉さん?姉さんっ!?」
山道を急ぎ足で下りながら、ついつい声にも出して姉に呼び掛けてしまう。
姉の姿が消えて、既に十分。
『識覚同調』を始めとして、様々な方法で姉の安否を確かめようとするものの、何をしても無反応。
「くっそ…………まさか、こんなことになるなんて」
油断していた……あの姉の楽観姿勢が移ってしまったか。
「だ、大丈夫ですよメリルフリアさん。クレアレッドさんがそう簡単にやられる筈が──」
「さて、どうでしょうね」
本当に、どうだろう。
吸血鬼がそう簡単にやられる筈がない──と言われれば素直に頷けるのだが。
クレアレッドがそう簡単にやられる筈がない──と言われればどうしても首を捻らざるを得ない。
なにせ明日も知れない今日も不確か極まるちゃらんぽらんの生き見本のような生き方をしているあの姉である。
なんというか、確かにどんな厄介事でも何とかしそうな、そういった雰囲気は確かに持っていると感じることもある──が、それ以上に酷く下らない事でつまづき、倒れそうな──そんな脆さを醸し出しているのだ、あの姉は。
ある意味、つまづいて転んだのを理由に死にかねないぐらいである。
「…………いや、流石にそれは言い過ぎかな」
転んで死ぬって、いくらなんでもそりゃあ無いだろう。
そんな死に方、風呂場の老人じゃあるまいし、まったくまったく。
「それに──あの無属性術式を組んだ相手だと言うなら、まず油断して勝てるような相手ではありません」
基本的に、あの姉の戦績は全てオッズ通りに進行している。
格下には普通に勝ってきたし、格上には普通に負けてきた──それがクレアレッドという女の正体なのだ。
内面は何処にでもいる普通の少女──だなんて口が裂けても言うつもりはないし、むしろそんなことをほざく奴がいれば速攻でぶっ飛ばしてやるが、しかしあの姉は逆境には恐ろしい程に弱い。
弱いというより──脆い。
脆いというより──危うい。
そしてまだ見ぬ敵の実力は未知数──が、少なくともこうもあからさまに襲撃してきたということはあちらにはわたし達に勝てるという自信があるのだろう。
そして、吸血鬼の目を一時的とはいえやり過ごす程の隠蔽性を誇る術式を使いこなし、一切の気配も気取られることなくあの姉をわたし達から引き離した手際──
「どう考えてもあの馬鹿姉には最悪のマッチメイクです…………急いで見つけなきゃ」
今現在わたしがこうして無事に存在しているということは、それはあの姉も取り敢えずは消えてはいないということである。
「まあ死ぬのは勝手ですし、一緒に消えれるなら別に構わないんですが──かといって何も見ないまま聞かないまま知らないままで消えられるのは流石に業腹です。…………せめて隣で消えて下さいよ」
隣で。
一緒に。
「さて…………どうしたものか。一旦崖を飛び降りて、探してみますか?」
「うーん。しかし、あれだけの手際の良さを見せた相手がそう易々と合流できる場所にクレアレッドさんを放置するとは思いません。クレアレッドさんが無事であり、なおもまだメリルフリアさんに何一つ伝えられていないというならそう簡単に再会できる場所にいるとは思えませんが…………」
「それも、その通りですが、でも…………」
「今のあたし達がすべきことは、ひとまずウェル島へとたどり着き、そこで体制を立て直す事だと思います。まだやられてはいないというなら、きっとクレアレッドさんもウェル島へと向かう筈ですし」
「…………そうでしょうか」
「もちろん相手がはるか格上であり、クレアレッドさんでも太刀打ちできない相手で、今にもクレアレッドさんは殺されそうな状況であるという可能性は否定できません──」
「ならっ──」
「ですが、もしもそんなとんでもない相手があたし達を狙っているのならもうとっくに全滅させられている筈だし、あんな手の込んだ回りくどい方法で襲撃する必要は無い筈で、そしてあたし達二人に追撃が無いのもおかしい。最悪を考えるのも確かに重要ですが、最悪であるからこそその確率は低い筈なんですから」
「………………」
「何より──こんなあたしにも分かりきった事にさえ頭が回っていないメリルフリアさんを、あの手際の良い相手に向かわせるワケにはいきませんよ。まずは落ち着いて、それから考えましょう。クレアレッドさんは無事、ならあたし達が危惧すべきはあたし達が無事でなくなるという事です。クレアレッドさんを仕留めきれなかったなら、次にあたし達を狙ってくるのは自明の理なんですから。あたし達を分断した今は相手にとって千載一遇のチャンス。だったらそのチャンスをみすみす掴ませてやる事はありません。とっとと逃げ出して、クレアレッドさんと合流し、それから思い切り叩きのめしてやればいいんですから」
「…………はい。そうですね、その通りです。ごめんなさい、冷静じゃありませんでした」
素直に頭を下げた──吸血鬼になって以来メンタル面はほとんど揺れ動く事は無かった為、今冷静だということをまるで疑いもしていなかった。
…………いや、普段の姉の有り様を考えてみれば別に吸血鬼の精神が平静を保つようにできているなんてワケが無かった──やれやれ、ようはわたしは自分が冷静沈着だと思い込んでいたらしい。
あの姉のおちゃらけ振りを見てれば無理も無いだろう、と自己弁護したいところだが。
「…………そうなれば一分一秒が惜しいですね、早く山道を抜けなければ──っ!」
「?どうかしましたかメリルフリアさ──」
即座にわたしはクティナさんの襟首を掴むと、全速力で山道を駆け降りていった。
「き、きゃああ!?メリルフリアさん、何を──」
「黙って!舌噛みますよ!悪しき刃は立ちはだかる荘厳なる意志を前にことごとく挫かれん!──《厳磊楯壁》!」
山道に魔導識で無数の石が組み上げられできた壁を創り出し、走る。
「ちょ、メリルフリアさ、一体、何が」
しどろもどろに言うクティナさんだったが、それに答えている暇は無い。
あの魔導識は単純な耐久力よりも継続性に重きを置いたものなので壊した端から組み直される、早々越えては来られないだろうが、それでも限界は有るだろう。
くそ、地形が鬱陶しい──クティナさんもいるし空中を進む手段もあったが、空中移動は霊術のいい的だし、わたしの場合『人外通力』の練度、基礎筋力ともに姉さんには到底及ばない為、それほどの速度は出せないのだ。
魔導識を使う手もあるが、風蘭術は専門ではないので出力はイマイチだし、そもそも空中移動に慣れていないので追撃を躱すのは難しいだろう。
結局わたし達は糞真面目に徒歩でこの山道を踏破するしかないのである。
──襲い来る魔導機兵を突発しながら。
「んなっ──!?なんでこいつらがここに!?今まで影も見せなかったのに!まさか、こいつら──」
クティナさんが無理矢理わたし達の目前に割り込んできた魔導機兵を前に叫ぶ。
「いえ──敵が既に魔導機兵を制御下に置いている、というワケでは無さそうですよ。創り出した壁を躱わす事は無かったですし、見た感じ行動パターンに変化は見られません」
わたしは魔導機兵の攻撃を躱わしつつ、相手を視定める。
「むしろ動作は鈍っているぐらいですね──どうやらかなり無理矢理魔導機兵の攻撃対象にわたし達を設定したみたいです。はなからわたし達を始末させる気は皆無のようで、ひたすらにわたし達二人を追い回すように設定してありますね」
「……時間稼ぎ、ですか」
「姉さんに手間取った場合の保険として放って置いたのかもしれません──急ぎましょう。どうやら本当にもたもたしていると矛先がこっちに向きかねないようです」
「一体一体止めてる時間は無いですね、邪魔なヤツをピンポイントで排除していきましょう」
クティナさんの襟首から手を離し、照破紅柩を起動させる。
クティナさんもまた右手で背の長剣を引き抜き、左手には雷を纏わせた。
「「──退けええええええええ!!」」
しっそく。
苦労性の妹なのであった。
上がちゃらんぽらんだと下がしっかりするの法則。