窮砕
「ぐぅ……!」
「……クフッ」
属性の相性から当然の帰結として、わたしの波が魔女の波を打ち破る。
「……噂通りの、噂以上の天才ね……!ったく嫌になるわ、その年でその領域まで達してるとか!」
「いえいえ、まだまだ修行中の身ですよ」
「勘弁してっての、凡人の心を折らないでよっ………!《灼錬破槍》、《炎焔熱閃》!!」
宙に浮かべた魔導書を詠み、灼熱の槍と極太の熱線を、それぞれ左右の両の手に宿す魔女。
共に威力重視の強烈な術、まともに喰らえばわたしも危ない。
しかしその手から放たれる直前に──
「遅い。《呑咽濁飲》」
床から湧き出た白く濁った水がツォイトの両手に絡み付く。
「なっ………!」
それは発動しかけの二つの霊術を余すところ無く吸収し、蒸発していった。
「っバカな!霊符は無かった、は、ず…………」
……見つけたらしい。
もっとも手遅れだが。
「い、霊字……!?」
「正解です」
さっき初級霊術をやたらに乱発したのは、それを仕込む為の目眩ましだ。
案の定、全方位弾を全て防ぐ為に防壁系の霊術を使ってきたので、仕込むのは楽だった。
「わたし、一言も自分が『符術師』だなんて言ってませんよね?」
「そ……そんな、あの霊術の弾幕を張りながら遠距離から霊字を綴るなんて出来るワケが」
「いや、出来てますが。目の前で見たのに信じられないんですか?」
「……っ!《空遠声響》!『アンタ達、今すぐ上がって来な!侵入者だっ!』」
「……今更援軍要請ですか、遅すぎますよ」
「っ黙れ!一分も有れば誰か駆けつけてくるわ!それぐらいの時間稼ぎも出来ないとでも──」
「はあ……」
大きく嘆息する。
「だから、同じことを言わせないで下さいよ……遅すぎますって、そう言ったでしょう?」
わたしは照破紅柩への中断させていた指令を再開する。
「……《愚水流咆》」
そう小さく呟くだけで、引き金は引かれた。
「っ!?何をっ!」
「別に、直ぐに聴こえてきますよ。しばらく待ってれば」
わたしの耳にはとっくに届いているのだが。
「っこの音は──」
ドドドドドドドド
「……ウチの連中が来たようね!これでもう「残念不正解。まあこれでもうおしまいだというのは正解ですが」
途端。
わたしの背後の扉から圧倒的な勢いで膨大な量の水が流れ混んできた。
「んなっ……!?」
「他に出入口の無い建物の構造が仇となりましたね……ギルドの入口と最上階に来るまでの階段に霊陣を仕込んでおいて、戦闘開始と共に発動させました。ギルドメンバーは、多分一人残らず溺死でしょう」
上下からの逃げ場の無い水攻め、まあ逃れられる者はいまい。
侵入を許さない為の構造が完全に裏目に出た形だった──建物自体は物理的にも霊術的にもかなり頑丈に造られていることが下準備の段階で確認出来たので思い付けた策だった。
まあ、何人かはギルドの外にいただろうから殲滅出来たワケではないだろうが、別にいい。それが目的ではないのだから。
「あ──ありえない!霊字、霊術、霊符の全てをこのレベルで使いこなすなんて!そんな存在聞いたことが無い!」
「まあ、そうでしょうね………実を言えば、それぞれの並列行使は流石にわたし一人では出来ないんですよ。照破紅柩があってこその仕業です」
『照破紅柩』──わたしの寝床でもあるこの棺桶の正体は、並列術式展開機構、並びに呪色乱数演算装置。
早い話が──わたしと『定義』を重ね合わせる事により、より正確かつ円滑な『術式還元』を可能とした、『霊分界機構』である。
………お父さんとお母さんが開発した未完成品を、わたしの血を霊媒にする事と吸血鬼の能力を併用する事により使用可能とした逸品だ。
まあ、普通に考えれば二、三百年は先の技術である──反則気味の吸血鬼の特性による、かなりのブレイクスルーがあってこそ完成したものだ。
吸血鬼にとって自らの命そのものとも言える血液を霊媒とする為、それなりにリスクは大きいのだが。
しかし、いくらリスクがあるとはいえ──常軌を逸した御業であることには変わりない。
わたしだって逆の立場なら絶対に文句を言うだろう。
──反則だ、と。
「………嘘でしょ。ねえ、こ、こんなの………こんなのって、無いよ」
「………まあ、確かにわたしとしてもかなりズッコイ気はしますけども。生憎と──これがわたしなもので」
ドドドドドドドドドド。
と、あっという間に部屋を水が埋め尽くして行く。
越えることの出来ない技術の断崖を目にし、魔女ツォイトは完全に戦意を喪失していた。
「あ、ありえない…………こんな、こんな馬鹿な」
「馬鹿馬鹿しいのは、お互い様ですよ──さて、せめてもの手向けになるたけ派手に葬ってあげます」
わたしは決着の霊術を放つ。
「唸れ、蹂躙せし青覇よ。全てを螺旋へと引き摺り込め──《轟転廻水》」
塔を埋め尽くしていた水が、凄まじい勢いでわたしを中心に廻り始める。
その猛威はやがて塔を──あらゆる霊術により補強された強靭な建築物を揺るがし始め。
やがて裏ギルド《戯れ兎》のギルドホームは、凶悪な水圧により木端微塵に吹き飛んだのだった。
□■□■□■□■□■□■□
■□■□■□■□■□■□■
「ふう……少し、はしゃぎ過ぎてしまったかも知れませんね」
流石にあの姉程とまではいかなくとも、まあ比べ物になるくらいには暴れたかも知れない。
「さて……後は、カリサさんに真実を告げるだけですか」
真実。
それは、間違いなく知らない方がいい真実だ。
「けど……言わなくちゃ」
わたしは。
わたしは彼女を……助けたいんだから。
「………………」
カリサさんの、自宅。
以前と同じ、夜明け前。
早くしないと、空が白み始めてきてしまう。
ノックもせずに、扉を開けた。
「あ……メリルフリアさん」
「…………どうも、カリサさん」
家に入る。
カリサさんは、アレの世話をしていたようだった。
「ど、どうされたんですか?もしかしてお母さんを治す方法が……」
「………………」
違う。
「それか、邪霊術書が見つかって?」
……違う。
わたしは、なにもしていない。
わたしはただ、憂さ晴らしとばかりに暴れただけだ。
こんな。
こんな腐った真実を告げなければいけないということから──逃げているだけだ。
「とにかく、何か進展があったんですよね?」
違う。
進展もクソも無い、進むべき道も戻る退路も絶たれている。
もうとっくのとうに──進退窮まっているのだ。
「カリサさんのお母さんは──もう、帰って来ません」
わたしは。
無表情のまま、無感動に言った。
「死んだ人間は──もう、生き返らないんですよ」
「…………え?」
キョトンとした顔で、カリサさんは首を傾げた。
「一体、何を言ってるんですか?」
わたしは、カリサさんの態度から目を逸らし──ベッドの上を見る。
最早腐臭すら漂って来ない──見るも無惨な白骨死体を。
「息をしない人間は──生きていません」
「だから、何を言って」
「心臓が動いていない人間は──生きていません」
「………てよ」
「貴女のお母さんは──もう死んでいます」
「やめてよっっっ!!」
カリサさんは怒鳴る。
「出ていって!もう、何もしなくて良いから、出ていって!!」
「そもそも話の筋が通っていなかったでしょう──母親の隠した邪霊術書を寄越せば母親を治してやる?だったら母親を治して、直接訊けば良いじゃないですか。貴女を人質にでも取ればそれで直ぐに終わる」
「うるっさい!」
「いえ、それ以前に──『お母さんの遺した』とか、『生前に研究してた』なんて自分で言ってたでしょう?………本当は気付いているんじゃないですか」
「黙れ黙れ黙れ黙れぇ!知らない!何も知らない!」
「………おい」
わたしは。
叫ぶ少女の顔を掴み、目と鼻の距離まで顔を近づけて、言った。
「何を甘えてんですか」
「………………っ」
「一人で独り芝居してた所で、何も変わっちゃくれないし誰も救っちゃくれないんですよ。それをウダウダグズグズと…………寂しいってんならとっとと後追っかけて死ねばそれでいいじゃないですか。全部終わって全部叶いますよ」
「………う」
「出来ます?出来ませんよね。それが出来るなら、とっくにやってますもんね。だったら………生きろよ!」
自分でも何を言っているかわからないまま、わたしは支離滅裂に怒鳴った。
「あなたのお母さんは死んだ!あなたのお母さんはあんたを助けようとして、助けて、そんで死んだ!──お母さんがあんたを助けた事実を否定するな!」
「う、う、ううう、うううううう」
「あなたの傍にはもう誰もいない!人っ子一人いない!一人で独りで独人法師だ!それもこれもどれも一から十まで──お母さんがあんたを、助けたからでしょうがぁ!」
「──っ!」
ふっ、と。
カリサさんの身体が、崩れ落ちる。
「………お母さん、死んじゃったんですね」
「………うん」
「………もう、何処にもいないんですね」
「うん」
「わたしは………もう、独りなんですね」
「………うん」
「………………そっ、かあ」
カリサさんは。
ようやく──お母さんの死を悲しんだ。
「う──うああああああああああああっっっ!!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「色々と……ご迷惑をおかけしました」
「ええ、まったく本当に」
そう呟くと、カリサさんは申し訳無さげに恐縮した。
「まあ別に、良いんですけどね。──好きでやった事ですから」
「………どうして、ですか?どうしてわたしなんかを」
「………………別に、よくある話で──良くある理由です」
そう。
良くある事だ。
当たり前の話だ。
似てると思ったから。
わたしも、こうなっていたかも知れなかったから。
そして。
この娘を『メリル』のような結末にさせたくないと──そう、思ったから。
「ああ──後、訂正を入れておきます」
「なんですか?」
「貴女が独りだと言いましたが──あれは嘘です」
「──え?」
わたしは。
スッと手を出して、笑顔で言った。
「また会いましょう──カリサ」
「──っはいっ!」
互いの手を、しっかりと握り締める。
こうして。
わたしに友達が出来た。
今回の一件は詰まる所、それだけの話である。
きゅうさい。
結論。
妹は良い子。