貪障樋
「ギィィィィィィッ!」
と、「私」の口からまるで女らしくない悲鳴が出ていた。
が、そんな事は今はどうでもいい。
今はそんな場合ではない。
全神経を苛む激痛すらも今は心の底からどうでも良かった。
今重要なのは──その心だ。
いや違う、重要なのは──
魂だ。
「ウ、アアア……ア、アアアアアア!!」
叫ぶ。
それは慟哭だった。
今は全てがどうでもいい。
ただ──哀しかった。
哀しくて哀しくてたまらなかった。
どうしてだ?
どうして「私」は──こんなにも哀しい?
そんな事は決まっているじゃない。
「ア、ガアアアア!うるさい!黙れ黙れ黙れぇ!」
『あんた』は黙っていろ。
今は「私」なんだ。
もう、どうしようもなく──
「──仕留めろっ!」
と、目の前の聖職者が叫ぶ。
そして、槍を持った兵士達が私へと雄叫びを上げ突っ込んできた。
とは言ってもこの教会はそれ程広くはない、左右に並べられた椅子の中央にいる私にかかって来られるのはせいぜい二人が限界だ。
二本の槍が勢い良く襲いかかってくる。
しかしその二本の突きは、私を殺す方法としてあまりにお粗末だ。
槍の側面を腕で受け、逸らすとその勢いのまま体が突っ込んでくる。
そしてその間抜けな二人の頭部を片腕ずつ使用し、薙ぎ払った。
グシャリ。
と不愉快な感触が伝わってくる。
二人の兵士は脳を撒き散らしながら左右の壁へと激突し、弾けた。
教会の壁一面が真っ赤に染められる。
もちろんそれを見たところでただ不快なだけだったが。
全くうっとおしい。
今はお前らに構っている場合ではないというのに。
そんな事より弟を──いや違う!私に弟なんかいない!
「ああああああ、うっとおしいなあもおおおおおお!!」
なぜだか真っ赤に染まった髪をかきむしる。
脳内を腕の良いバーテンダーにシェイクされた気分である。
頭が信じられない程重い、身体が内側から灼かれているかのように熱い、尋常じゃない吐き気に襲われ内臓が口から出そうな気さえした。
「何!?何なのよ一体!?ワッケわっかんないし!!ここどこ!?」
ヒステリックな声で叫ぶ。我ながら逆ギレもいいところだが、しかし心からの本音だった。
何がなんだかわからない。
何がどうなったのかわからない。
そしてそんな問いに答える程親切な者も此処には居なかった。
「動きを止めろ!同時に斬りかかれ!」
繰り返すように聖職者が命令を下し、そしてその通りにまた兵士が襲いかかって来た。
しかしそれぞれの顔に浮かぶ畏れの表情が笑いを誘った。
いや、まったく笑えなかったが。
今度は槍ではなく剣だ、点ではなく線での攻撃、言うまでもなく躱すのはより難しい。
しかしそれでもその剣閃には大した脅威を感じなかった。
繰り出される二人がかりの剣舞もひと掠りもする事は無い。
「邪魔、だっつってんでしょ!」
振り下ろされる剣だったが相手の手首を掴み止め、もう片方の腕で首へと手刀を放った。
スポーン
などという擬音が似合いそうな光景。
しばらく教会内へと赤い雨が降り注いだ。
しかしそれを気にする間もなく、もう一人を急ぎで殺しにかかろうとする。
しかし手刀を放った隙を付かれてその右腕の肘から先を斬り飛ばされた。
「っ………!」
痛みは感じられなかった。
痛覚が鈍っているのかそれとも完全に無くなってしまったのか、まるで現実味を感じられないままで空中を舞う自分の腕を見る。
しかしそれも一瞬、さっきとは打って変わった笑みを浮かべながら襲って来た兵士を見てこちらも笑みで返した。
するとまたしても相手の表情が怯えた物に変わった、なぜだろう。
まあそんな事はどうでもいい、さっさと掃除を終わらせる。
意趣返しのつもりなのか首を狙って放たれた右薙ぎの一閃を跳躍して躱し、そのまま顔を蹴りつける。
その時点で首が変な方向に曲がっていたが、とりあえずその顔を蹴りつけながら床へと着地した。
当然の帰結として床へと頭蓋骨の中身がぶちまけられる事になったが、既に真っ赤に染まっていたし構わないだろう、別に。
掃除する人、ゴメンね。
と、謝罪もそこそこにとっととケリをつける為に駆け出した。
残りのゴミは聖職者含め三人である、しかし当初の目的は病弱な小娘一人だったのだから合計人数は七人か、随分とまあ用心深いことだ、まあしかしこれは私の運が悪かったという事だろう。
まあ、その下手人も素人に毛が生えたレベルだったのだからそう悲観する事も無いのかもしれない、いや、所詮は不幸中の幸いでしかないのだけれど。
などと、目潰しをするつもりがうっかり指を脳まで貫通させてしまいながら思っていたが、そのせいで(半分上の空だった事と指を突き刺してしまい次の動作にラグが生じた事、両方だ)もう一人にまたしても隙を付かれた、私も修行が足りない──
(いや、修行とかしてないし)
(いや、所詮子供の、しかもお座敷剣術だったし)
──と二重に重なってよぎった不快なノイズがさらに隙を生む。
致命的な一閃が私の身体を一刀両断──する寸前で停止した。
ワケが分からない、といった顔のそのゴミを持ち上げる。
存在しない右腕で──持ち上げる。
そして、空中へと舞い上がったゴミのマヌケな表情を浮かべる頭を握り潰した。
ボトリ、と音を立てて目の前に落ちた首無し死体を蹴飛ばして(轟音を立てて壁へとめり込んだ)最後の仕上げへと歩を進める。
結局最後まで残った聖職者だったが、もうその顔には戦意を欠片程も感じられなかった、ただただ蒼白な顔で身体を震わせている。
全く、そんな事なら始めからやるなよ。などと思いもしたが、まあまさかこんな事になるなどとはきっと預言者でもなければ分かるわけがなかっただろう、うん、素直に同情した。
もちろんだからといって見逃す気など微塵もなかったが、あるわけがなかったが。
そもそも最初から自分も戦闘に参戦していれば私を殺せる可能性だって無きにしもあらずだった筈だ、つまりはこの結果は単なる因果応報の自業自得である。
『私』と同じように。
頭を振る……それを考えるのは後だ、今はともかくこの場を終わらせる事が先決だ。
この目の前のゴミの息の根を止める事が、先決だ。
やがて聖職者の目の前までやってきた、逃げ出すかと思ったがどうやら足が動かないらしい、私は何もした覚えは無いので勝手に怯えきってしまっただけだろう。
しかしかろうじて杖を構えるような仕草を見せた、まあうん、最後の意地というやつなのだろう。
それを見た私は敬意を払って止めを刺す──なんてもちろん思わずにちょっと悪戯心が湧いたので。
心臓を刺し貫いた。
斬り飛ばされた筈の、右腕で。
目を見開いた聖職者──しかしそれが自身の身体を貫かれたからか、はたまた摩訶不思議に元に戻った右腕を見ての事かはわからなかった。
しまった四肢を飛ばすぐらいに抑えておけば良かった、などと思いつつ腕を引き抜こうとした。
が。
聖職者の最期の一言で、我ながら驚く程に私の身体は『ピタリ』と停止した。
「ばけもの……」
その、
言葉に、
私は。
「──キヒ」
嗤った。
「キヒ!キヒヒ!キヒヒヒヒヒヒヒヒヒ──」
そして、喰らいつく。
私を化け物と呼んだ、聖職者の喉元へと。
やがて口内に血が満ち始め、衝動に突き動かされたまま──私は思う存分に初めてとなる「食事」を堪能したのだった。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
音を立てる事も無く、聖職者だった残りカスがその場に落ちる。
「ゲロマズ」
びっくりする位マズかった。
いや、どんだけ不健康な生活送ってたんだ聖職者。
断食とかでもやってたのか?
初の食事がこうなるとは、いやはや世の中は上手くいかない。
「いや、ポジティブに行こう。初めてがこれならこれから美味いのに当たったら最初のと比較して感動が増す……かもしれない」
まさか大抵こんな程度の味だとは言うまい、いやそんな事ないはずだ、流石にそこまで殺生な事があるわけ無いだろう、うん。
「はあーあ」
とあくびが出た。
まあ仕方ない、寝起きなのだ。
………寝起き、なのか?
「はあーあ」
と今度はため息を吐く。
相変わらず頭の中はグチャグチャだ。
しかしまあ『目醒めた』直後よりはだいぶマシか、食事をとれば具合が良くなるとは私もわかりやすい、まるで主人公のようだ。
「なーんでこんなことになっちゃったかなあ……」
心の底からそう思った。
考える事はたくさんある。
考えるべき事はたくさんある。
考えなければならない事はたくさんある。
だけど、もういやだった。
もう、何も考えたくなかった。
「キヒ─」
そして何より。
もう嗤うしかなかった。
「キヒ─ヒ!キヒ!キヒヒヒヒヒヒ!キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!」
ああ──なんて可笑しい。
可笑しくて可笑しくてたまらない、まったくもって滑稽極まりない。
嗤う以外にどうしろというのだろう。
「キヒヒヒヒヒキヒヒヒヒヒキヒヒヒヒヒキヒヒヒヒヒキヒヒヒヒヒキヒヒヒヒヒ──!」
──しばらくの間嗤い狂いようやく収まる。
もう思考は気味が悪い程に静かに収まっていた。
そして、歩き出す。
気絶し、血で赤く染まった幼い少年の元へと。
「………」
少年の顔は、酷く穏やかだった。
一応確かめたが息はしている、最悪ショック死もあるかと思ったが一安心だった。
「──ゴメンね」
そう言ったのは一体誰だったろう。
『私』だったのか、それとも『私』だったのか。
けど、そんな事はどうでもいいと思えた。
この場でだけは、そう思えた。
その少年の頭を撫でる。
血が既に固まり始め、手触りは良くなかったが、それでも。
そうしている間、確かに。
私は、幸せだった。
そう思ったのがどちらにしても。
だが、すぐにその手を戻す。
恐らくこの場には人払いがされているのだろうが、それでも早く立ち去るに越した事はないだろう。
どこに行けばいいのかは全く見当もつかないが。
しかしここに居てはいけないという事はよくわかった。
「──ばいばい」
それはきっと少年に向けての言葉ではなかったけれど。
それでもそう言い残し、私は歩き出す。
砕け散ったステンドグラスへと跳び移り、そこから外を見る。
そして空へと浮かぶ、真っ赤な満月を、ただしばらく見つめ。
やがて小さく「キヒッ」と一つ笑みを浮かべ。
私はどこかへと歩み始めたのだった。
たんじょうび。