惨劇
闇樹海序層にある、とある闇森人の一家の自宅。
それが今──燃え尽きようとしていた。
その中にいるのは一家の一人娘。
両親を喪ってから十七年間、この家で生きてきた歪な闇森人の少女。
──メリル・オノマである。
「………やっぱり、最初からわたしを始末する気だったんだ………伯父上は」
瞼に浮かぶのは在りし日の両親──そして、伯父の姿。
もう何をどうしても戻らない、かつての幸福。
これが走馬灯ってやつなのかなあ、と率直な疑問を抱く。
「………あの日、十七年前に、どうして………」
どうして伯父上は………自分を殺さなかったんだろう。
十七年間………ずっと思い悩んでいたことだ。
予想は、いくつもある。
一族の筆頭として、仮にも肉親を殺すことは体裁上出来なかったのか。
はたまた、自分にまだ利用価値があるかもと見做していたのか。
或いは──自分に対して、まだ肉親の情が残っていたのか。
「………………フフッ」
最後のだけは、有り得ないな。
そう独り言ちると、瞼を開く。
既に──この地下室にも、火の手が回っていた。
両親が伯父の思惑を止めるために構築した──『霊力異変換術式・闇絶』の魔導陣が展開された、この部屋。
両親が息絶えていた──部屋だ。
「血は争えない、かあ──こうなって見ると、お父さんとお母さんの気持ちも分かる気がするよ」
この──自分の死に様を見てみれば、嫌でも、分かってしまう。
周りの光景に反して、もう自分の命は風前の灯火だ。
この両親の遺品とも言える術式を、発動した事によって。
両親はずっと──自分に霊術を教えようとはしなかった。
頑なに、自分達の仕事を見せようとしなかった。
「だからこそわたしは──あの日から今日まで、ずっと霊術を学んできたんだけれど」
何故、両親は死なねばならなかったのか。
何より──何故自分は両親の事を何一つ知らなかったのだろうか。
そんなつまらない、後悔の念だけに突き動かされて──十七年間を、生きてきた。
そして数ヶ月前、両親の研究資料から全てを悟り──
文字通りに両親の後を追うことを、決意した。
「バカだなぁ………本ッ当に、バカだなぁ」
ガラガラガラ──と、上階が焼け崩れる音が聞こえる。
もう──時間らしかった。
直接手を下してくれるのかと期待もしたが──その時に少しは恨み言を言っておきたかった──生憎自分にはそんな価値も無いらしい。
そしてそれは、酷く正しいのだろう。
こんな、死に損ないの餓鬼一匹。
あの人には何の価値も無い。
何の──意味も無い。
あの伯父の計画──全ては分からないが、おそらくはこの闇樹海、果てはこの国、この大陸を脅かす事になるであろうドス黒き野望。
果たしてそれを止められる事はできたのだろうか。
そんな疑問は──一切浮かんでこない。
彼女はただ。
両親の為に、生きたかっただけなのだから。
両親のように──死にたかっただけなのだから。
奇怪な容姿に生まれた自分。
疎まれ嫌われた自分を、決して見捨てずに育ててくれた両親。
メリル・オノマの世界は──ただ、それだけだったから。
だから。
だからもう、何の後悔も──
「………あ」
視界を埋め尽くし始めた赤い炎に──彼女の姿を思い出す。
自らを妹と呼んでくれた、自分の何倍も奇天烈で、自分の何倍も呪われた少女を。
「………………………」
考えないように、していた。
思い出さないように、していた。
忘れようと──していた。
そうしてしまえば──揺らいでしまいそうだった。
死にたくなくなって、しまいそうだったから。
「なんで、かなぁ………」
呟く。
死の間際に芽生えた──最後の後悔を。
「どうして、なのかなぁ………」
簡単なことだったのに。
「う、うう、うううううう………」
ただ、一言。
それだけを口にできていたら。
けど──それは、それだけはどうしてもできなかった。
そうしてしまえば──失ってしまいそうだった。
残った両親との唯一の絆に思えた感情。
薄暗くも醜い、悔恨の情を。
「………………お姉、ちゃん」
そう呼ぶことだけは──どうしても最期までできなかった。
「…………………………………………………………………………………………大好き」
□◇□◇□◇□◇□◇□◇
◇□◇□◇□◇□◇□◇□
「………キヒヒッヒヒ、キヒヒヒー♪キヒ、キーヒッヒヒー♪」
鼻歌を唄いながら、私はとある地点へと辿り着いていた。
ほぼ全壊と言ってもいい程に蹂躙されつくした、コリエンテへと。
「キヒヒッヒヒッヒッヒヒー♪」
周りをグルリと見回す──うんうん。
「生存者っゼロ♪ゼッロローっ♪」
めちゃくちゃに適当極まりない鼻歌を続けつつ、私はとある店の前へ降り立つ。
宿屋、『踊り烏』。
作戦開始当日に泊まった、あの宿屋だ。
「キヒャッホッホー♪っと」
扉を開け、入ると。
「………………うわっちゃあ………」
扉の向こう側が──丸々無くなっていた。
ホロトゥリオンに呑まれたのだろう。
「やれやれ………ツケだけでもカウンターに置いとこうと思ってたんだけどなあ」
頭をボリボリと間抜けに掻きつつ、溜め息を吐く。
「………ま、いいや。取り敢えず置いときますよー。女将さん」
ドサリ、と金貨の詰まった小袋を剥き出しになった地面へと落としておく。
「おごりの約束は、ナシでいいですよ」
それだけ言い残すと、そのまま高く跳躍する。
町の上空──ざっと三十メートル程まで。
「………ホイっと」
──トン、と。
何も無い筈の空中に、着地する。
そしてそのまま目を閉じ、静かに呟いた。
「………ごめんなさい、師匠」
師匠。
色々と思うところはあるが──今、胸に湧き出てくるのは、ただただ謝罪の言葉だけだった。
「この先何がどうなっても………どうにでもしてやるって、どうにかしてやるって、そう思いましたけど………」
私は。
決して涙を零したりはせずに、呟いた。
「………………どうにもならなかった、みたいです」
そこまで言って、目を開ける。
既に右手には──邪悪と醜悪を掛け合わせて具現したかのような、禍々しい本が出現していた。
「………我が闇絶なる意志に応え、今こそ目醒めよ──《天邪鬼の譫》」
その霊文を紡いだ時。
悍しい闇の奔流が、その邪霊術書から溢れ出す。
「………忌まわしき者ゼロテュピアよ、愚かしき者メタメレイアよ、終わり無き夜に眠りしカルディアよ!今こそ我が昏き願いを喰らうがいい、今こそ我が冥き御霊を喰らうがいい、今こそ我が闇き叫びを喰らうがいい!我が忌み名を鎖とし、我が荒魂を軛とし、我が孤独を楔として今、全てを穢し、全てを滅し、全てに仇なさん!クレアレッド・フラムルージュの名の元に──来たれ!!」
刹那。
《天邪鬼の譫》から三つの黒き影が湧き出てくる。
世界にありとあらゆる混沌をもたらした、千年前の邪悪な三姉妹。
闇樹海に生まれ闇樹海に死したという三人の魔女が遺した最悪にして災厄の邪霊術書。
その力の具現に──私は裂けたような笑みを浮かべる。
「──ヨコセ」
その言葉と共に。
魂を掻き毟るような金切り声を上げ、逃れようとする三姉妹の霊魂を──私は全て喰らい尽くす。
「──キヒ!キヒ!キヒヒ、キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!」
──高笑いと共に三姉妹の全てを喰らい尽くしたその瞬間、邪霊術書が赤き炎を上げ、燃え始める。
もう──この【霊媒】は必要無い。この中に宿った魔女の狂気と欲望は全て、私の中に収まったのだから。
「キヒ、キヒヒヒヒヒヒヒヒ──さあああああ!ここからが本番!」
私は自らの左腕をブチリと毟り取り──更なる上空へと放り投げる。
「はじけてまざれっ!!!!じゃ、ないけどねえ!」
『不完全恒久霊素』たる私の肉体を媒介として発動させるのは、偽りの生と真なる死を司る禁忌霊術──死霊導術。
「──我が赤き血潮を貪りし哀れなる者共よ!地の底より這い出でて怨嗟の唄を奏でるがいい!朽ちるは腕!崩れるは脚!嗚呼、腐敗に濁りし瞳は何を映さん!汝らの仇は我が指先に!さあ!今こそ冒涜に報復を、服従に復讐を!瓦解と破戒に彩られし死路を軍靴を鳴り響かせ汚泥と共に踏み砕け!──《赤血邪霊尸鬼降誕》!!」
霊文を紡ぎ上げると共に空中で回転する左腕が解け、赤き血球を形成する。
やがて──宝玉の如くに美しくも妖しい煌めきを放つ血球は僅かな音も立てる事無く、爆ぜた。
そして──滅びた町、コリエンテへと呪われし血雨が降り注ぐ──
●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●
闇樹海序層内に位置する、闇森人の里。
そこには、狂気が渦巻いていた。
「──ダフニ様と黒三葉が遂に愚か者共に鉄槌を下された!」
「他種族の冒険者共は何も出来ないまま死んでいった!」
「我等の元に闇樹海の神、ゲヘルツトロ様の加護が降りられたのだ!」
──二百年に渡り蓄積されてきた負の感情。
それが闇森人特有の高い自尊心と共に歪な狂気となり、闇樹海を脅かしていた。
無論それも──ダフニ・ユーノス率いる闇森人筆頭達の、計算通り。
およそ百年の年月をかけて築かれた──ダフニ・ユーノスの計画通りである。
二百年前、この世界の二つの大陸間にて勃発した大戦争。
通称──『魔眼大戦』。
その戦争にて致命的な被害を受け、闇樹海の片隅にまで追いやられてしまった闇森人。
かつては闇樹海を統べる種族であった彼等は──絶滅寸前の希少種へと成り下がった。
やがて百年の時が経ち。
ある一人の天才が、誕生した。
彼は幼き頃からその天稟を発揮し、彼がいれば闇森人の復興も決して夢ではないとまで言われた。
ただ、闇森人達にとっての不運は。
彼が闇森人という一つの矮小な枠組みに捕らえられないほどに──余りに大きく、余りに自由な才能の持ち主だったということだった。
彼は一族の為に人間種の編み出した霊術──魔導識を学び始める。
それが。
それこそが、悲劇の始まりだった──
ボコリ。
里の中央。
一人残らず里の民が集まり、狂喜しているその場所に──
そこにある全ての狂気を上回り、呑み込む、真なる狂気が──発生した。
ズブ、ズブズブズブ。
里の民は、気付かない。
彼等は彼等の狂気に酔いしれているのだから。
だから。
地の底から湧き出でる。
赤き鬼の底無しの狂気など──知る由も無かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
という、女のやかましい悲鳴が引き金だった。
「さあ──あんた達の計画通り、マッチポンプの始まりだ。自分達の手で点けた火は──自分達の手で、消さなくっちゃね」
ニコニコと微笑みながら、私は影の中で寝転がる。
「ほらほらぁ………まだまだ居るよ?あんた達が殺した憎き他種族共は、さ」
《赤血邪霊尸鬼降誕》。
吸血鬼お馴染みの──『眷属創造』の能力により造り上げた、禁忌霊術である。
早い話が、私の血を与えた死者を私に忠実なる操り人形な吸血鬼へと変貌──否、【転生】させる死霊導術である。
甦った死者は──私の下僕の吸血鬼となり、私の命令に従って行動する。
今回の死者は、二百人程。
本来コリエンテの住人達はもっと多かった筈だが、ホロトゥリオンに呑まれては流石に蘇生──否否、【転生】させようが無い。
故に。
私が【転生】させる事が出来たのは、四肢欠損等による失血死やショック死した、或いは闇森人の手によって直々に命を奪われた者達だ。
さぞかし怨み骨髄に徹しているだろう──と言いたい所だが、生憎と『赤尸鬼』達には記憶は愚か人格すらも残っていない。
在るのは──吸血鬼としての吸血衝動と、私からの命令に従う本能のみだ。
そう考えると吸血鬼よりは屍者に近いかもしんないな。
「ヒギャアアアアアイ!?」
「痛い痛い痛い痛い痛い!助けて助けて助けて助け──」
「やめてえええ!見逃して見逃して見逃してああああああああ!」
「だだだだだだ誰か!戦え、戦えよっ!さっさとあいつらを殺せええええ!!」
………いっちいち不愉快だなぁこいつら。
まあいい。
すぐにそんな口も利けなくなるのだから──
「い、いやああああ!?あなた!?やめて、噛まないで!こないで………ぎぃあああああ!!」
「う、うわあああああっ!?ちちち血を吸われたヤツに近付くなっ!吸われたヤツも化け物になるぞ!」
「あ、ああああああああ!そんな、まって、私の子が!」
「諦めろ!もう手遅れだ!」
「こここ殺せええええ!血を吸われたヤツは化け物になる前にとっとと殺せえええ!」
うんうん、始まった始まった。
これも吸血鬼お馴染みだ──『吸血感染』。
吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼になる。
吸血鬼と狼男とゾンビ、どれも噛まれたら感染るのは共通しているが、さて、オリジナルはどれなのだろう?
えーっと、ゾンビの原点は確かブードゥー教だっけ?
いや、それはネーミングだけだった気も………
「ももも、もうおしまいだ!ととととっとと逃げるぞ!我等は神の怒りを買ってしまったんだ!」
「戦うなぁ!少しでも血を吸われれば化け物になる!逃げろ!逃げるんだああああ!」
おっとっと、もう逃げんのか。
尻尾を巻くのは速いんだな、クズどもが。
まあ──今の内にせいぜい好きなだけ逃げる事だ。
どうせすぐに、追い付かれるだけなのだから。
「さあーてっと。んじゃ、本命を刈りに往くとしますかね………」
さんげき。
お察しの通り、深夜に書きました。