丗弔
「却下」
私は即答した。
「………正気か?」
「そりゃあもう、正気も正気だね。何で私がんなことしなきゃなんないのよ」
「………地が出てるぞ」
「うおっ、しまった」
ついうっかり。
………ていうか、オババってそんな名前だったんだ。
初めて聞いたぜ。
「コホン………と、ともかく。その仕事は却下するわ。誰か他に回してちょうだい」
「………そもそも、断る権利が在ると思っていたのか?」
「ええ、もちろん。私は何が何でも嫌な事はやらない主義なのよ。別に私の弱みをバラしたいならご勝手に。この五年間でそれなりの名声は得たわ。胡散臭い与太話で追い落とされない程度にはね」
「………………」
さて、向こうはどう出るか。
まあ実際、どうしてもという状況に追い込まれたら言うとおりに仕事をこなすしか無いだろう──オババには世話になっているし、流石に殺すのは気が進まないが、自分の命には換えられない。
故に私が言ったセリフはただの虚勢とハッタリなのだが──
「………………ふ」
と。
白衣の老人は、静かに笑みを浮かべる。
その笑みは邪悪なもの──では断じてなく、小気味の良い微笑だった。
どこかで見たような、そんな笑み。
「良いだろう、ではこの仕事は無かった事にする」
「………へ?そ、それでいいわけ?」
「ん。なんだ?やってくれるのか?」
「い、いやいやそんな事は無いけど──」
「なら甘んじておけ」
「………そうさせてもらうわ」
あまり安心できないが、まあ今まで嘘を吐かれた事は無いので、とりあえず信用しておこう。
「では、代わりの仕事がある。お前とは縁もゆかりも無い相手だ。安心して働け」
「………了解」
私は改めて仕事の内容に耳を傾けた。
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仕事の報告を終えたその後。
ハイマが去った密会地点。そこで白衣の男は一人ごちていた。
「………フン。随分と面白い成長をしたものだ………取り敢えずはあいつの予想通りと言えるのかな。まあかなりのムラが有るのは不安要素だが………結局、手探りになるわけか。先が思いやられるな、まったく」
そう呟き終わると、まるで周囲の闇に塗り潰されるようにして白衣の男の姿はかき消えた。
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「──あれ、どこ行ってたの?クレア?」
「んー?散歩ー。暇だったからねえ」
………よく回る舌だ、我ながら。
それはともかく翌日。
メリル宅へと戻った私だったが、メリルは丁度休憩に入っていたようだった。
「そういうメリルは?何か引きこもりの成果はあったワケ?」
「んーん。やっぱり詳細なデータが無いと厳しいね。一回こっきりの戦闘じゃまだまだ暗中模索だよ」
「ふーん………まあ、流石にそんなもんか。捕獲とか出来ればいいんだろうけどもねえ。夕噛で縛る事は出来たんだから不可能ってワケじゃ無いだろうし。何か高位の捕獲用の霊具、識具は無いもんかなあ」
「いや、別に霊具、識具じゃ無くても霊術は通用するんだから何人かで上手く連携すれば、捕獲はそう難しい話じゃ無いと思うよ」
「はーん。まあそうなったら私の出る幕は無さそうだねえ」
「クレアの霊術は殲滅型のしか無いからね………もったいないなあ、もっと出来る事いっぱいあるのに」
「いっやあ、無理でしょーよ。私小難しい事考えんの苦手だしさ」
「そう?そんなこと無いと思うけどなあ」
「え?ホント?」
「うん。ほら、クレア結構小賢しいところあるじゃない」
「………………んー。そうかもね」
誉められてるのか?
嘗められてるのか?
「小賢しいというよりは小狡いだけだろう」
と。
いつも通りの辛辣な言葉と共に、師匠が帰宅した。
「おー師匠!待ち遠しくてしゃーなかったですよ!ヒャッフ…ぐふっ」
「抱きつくな暑苦しい」
鳩尾に貫手を喰らい、うずくまる。
「うー……相変わらず照れ屋ですねえ師匠は」
「メリル、何か解った事は?」
「すみません、まだ何も」
「そうか、まあしばらくコトに関しては様子見のようだ。無論直ちに闇樹海中に警戒の知らせが行くだろうが、本格的な動きは国の対応を聞いてからだろう」
「………とはいっても、国が闇樹海内の事情に口出しして来た事なんて今までほとんど無いでしょう。どうせまた放置するだけですよ」
「それはそうだろうが、まあ形式として報告せんワケにもいかんだろう。ここはれっきとした宵王国の領土なんだからな──一応は」
「商業以外にはほぼ不干渉を貫いてますからね………それでも闇樹海が荒れれば国益に影響も出るでしょうに。少しは腰を動かしてもいいと思いますが」
「動かすといっても闇樹海の知識の無い人材なら無駄死にするだけだ。まあオババならどうにかして資金はぶんどって来るだろう。後は冒険者連中が進んで働くだろうさ」
「そうですね、避難はどうなってるんですか?」
「取り敢えず、狗人族は当然としてその付近の住人達は各地の街へ避難し始めている。と言っても、いくつか断固として動かない種族もいるが………」
「………闇森人ですか」
「………ああ。そんな魔物なんぞに怯える我等ではないとの事だ。まああながち否定は出来ないがな………黒三葉を始め、優秀な戦力が揃っているのは確かだ。オババは避難せよと言っているが………」
「大婆様の言う事にも聞き耳持たないんですか!?………いい加減愚かを通り過ぎて哀れですね」
「ちょっとー!私を無視しないで………」
「「クレア五月蝿い」」
「はい、さーせん」
………泣きそ。
「どころか………既にホロトゥリオンの捜索も始めているようだな。黒三葉を筆頭に──ダフニの奴まで」
「………っ。ダフニ様まで………」
と、沈痛そうな表情へと変わるメリル。
「………ダフニって、誰ですか?」
私が訪ねると、師匠は私ぐらいにしか分からない程度に、しかし確かに表情を歪めて言った。
「………闇森人で長年最強の護り手を担って来た男だ。そして──メリルの伯父に当たる」
「………向こうはわたしを姪だなんて思って無いだろうけどね。まあ、わたしも伯父だなんて思ってないけれど………」
メリルらしくない、無機質な声色で言う。
「そして、《影森の蜥蜴》の唯一の【黒】の冒険者でもある………早い話、この闇樹海最強の男というワケだ」
「はああ?なぁーに言ってんですか最強は師匠に決まってんじゃないですか………あ痛!」
拳骨をもらった。
「話の腰を折るな………まあ、結局俺らには関係無い話ではあるがな。ホロトゥリオンを奴らが倒してくれるなら楽で良い」
「まあ、そうですね………それはホロトゥリオンの発生規模次第ですが。闇森人は優秀ではありますが数は極めて少ないですし」
「今のところ集落は随分と安定しているようだが、それでも千にも満たない数だろう。まあ確かに、二人につき一体倒してくれればそれで解決するとも言えるがな」
「いくら何でもそれは無茶ですよ、多分ホロトゥリオンとまともに戦えるのはせいぜい三十人ぐらいでしょう」
「そんなところか、まあそれでも随分大したものだが………さて、討伐作戦には一体何人が集まるか。下手な戦力は足手まといになるだけだし、そこはオババがしっかりと選別するんだろうがな」
「恐らくは【紫】以上の力量があれば充分戦えると思いますよ。サポートだけに回るのなら【緑】でも何とかなるかも………いえ、まだ不確定要素が多い以上は【紫】以上で固めるのが妥当でしょうね」
「………となると、オババの人脈を使っても数はせいぜい百といったところか?まあ多くとも二百に届くかどうかといったところだろう………微妙なところだな」
「ふーん、最低でも序層へ潜れる程度の実力が無いとキツいって事かー。まあ私やメリルなら余裕だろうけども。他に序層で戦える連中ってなったら百も居ますかね?」
「今現在闇樹海内に居る奴らとなれば確かに百には届かないだろうが……それでも宵王国全体、そして他国までを考えればいくらでも居る。問題は今回の作戦が始まるまでにそいつらがどれだけ集まってくるかだ。さっきも言ったがオババの人脈は相当な代物だからな、恐らくは数十の実力者が集まってくるだろうさ。流れの冒険者だってデカい仕事となればやってくるだろうし、まあ未知数だな」
「敵の戦力も味方の戦力と未知数と来ましたかー。きひひ、一寸先は闇ですねえ。闇樹海だけに」
「いや、そもそも冒険者だけとは限りませんよ。緊急事態なんですから、傭兵なんかも使う事になるかもしれませんし」
「ああ、それもそうだな。ふうん。ならひょっとすると二百を超える場合もありえるか」
「んー、あーんまし多くには集まってほしくないんですけどねー。報酬が減りますから」
「どうせお前はどれだけ稼いでも下らない事に散財するだけだろう。そういう意味でもなるべく多く集まってほしいものだな」
「ですね」
「なーんーだーよーう。別に私が自分で稼いだお金なんだから好きに使っていいじゃないですかあ」
「下らないチープ武器や見るも無惨なゲテモノ料理を衝動買いする奴に使われる金が不憫だ。もっとまともな買い物をするようになってから言え」
「いやいやいやいや!それ以外にもまともな買い物してますって!こう見えて読書という真っ当な趣味があるんですから!」
「へー、そうなんだ。そういえば最近怪しい売人から変な本買ってたみたいだけど、良かったら今度貸してくれない?」
「うえ″っ!?い、いやいや、別にメリルのお眼鏡に適うような立派な本ではないよホントに!つまらない本だから!お目汚しになるから!」
あ、あれをメリルに見せるワケにはいかん!
精神衛生上良くない!
メリルには清く正しく美しく育ってほしい!
「………はあ」
「………ふう」
酷く冷たい憐れみの目線を私に向けつつ、二人は溜め息を吐いた。
うぐはっ!(吐血)
「そそそそれでぇ!その討伐作戦はだいたいどれくらい先になるんですかね!?」
「………ホロトゥリオンの被害次第では直ぐにも始める事になるだろうが、幸い今のところは狗人族の集落以外に被害は無い。このまま大した被害の無いままで、そして順調に戦力が召集されたとすれば──」
………未だやや冷たい目線だったが。
師匠は告げた。
「──長くても1ヶ月、といったところだろうな」
オノマ家の地下室。
その存在を知る者は、一人しかいない。
そのたった一人の少女は、共に暮らす赤い化物にもそれの存在を知らせてはいなかった。
「うん……そういう事だったんだ」
目の前にある古びた魔導書に視線を落としながら、少女は呟く。
「待っててね、お父さん、お母さん」
少女は。
部屋の中心にて横たわる、風化した二つの亡骸に向け、微笑んだ。
よちょう。
さって!
次話からようやく一章のクライマックスが始まります!
ここまで付き合って下さった皆様になら、安心してこのセリフを言う事ができます……
「どうか、楽しんで行って下さい!」