抗殺
謎の魔物との戦いから三日後。
《影森の蜥蜴》のギルド、その奥のマスターの私室に二人の影が見えた。
一人は当然《影森の蜥蜴》のギルドマスター、本名不詳。通称オババ。
もう一人は黒衣を纏った黒髪翠眼の少年、実年齢は目の前の老婆と似たり寄ったり。名前はバルティオ・ドルネーゼ。
「──まあ、二人からの報告はその程度だ。実際何が何やらという状況だったらしいからな。メリルからも聞いたが内容は同じ……とどのつまり今回の一件、その真相についてはさっぱりだ」
「さっぱり、ねえ。見事難敵を打ち取ったんだからその言い方は無いと思うがね」
「それは、メリルがこの一件は確たる原因があっての事だと断言しなければの話だな」
「………どういう事だい?」
「今回謎の魔物──バカ弟子が勝手に『ホロトゥリオン』と名付けたらしいが──の発生は十中八九ここのところの闇樹海内の霊力均衡の崩壊、正確に言えば闇絶の霊素の異常な活性化が原因とメリルは見ているらしい。事実、他にも不死者の発生率が高まっているという報告もある」
「闇絶の霊素の活性化──?それは、『闇嵐』とはまた違ったものなのかい?」
「似て非なるもののようだ。メリルの──いや、両親の仮説では『闇嵐』は他の霊災害同様偏った世界の霊力均衡を安定させる為のものらしい。そして前回の『闇嵐』は確かに時期こそ突飛なものだったが、単純な規模としては例年通りかやや大人しいぐらいだっただろう」
「ああ、七十年前の時はえげつなかったからねえ。十七年前のは確かに並以下だった。大きな被害が出たのは防災の備えをしていなかったからだ」
「ああ、その通りだ………しかし今回の件。十七年前とは決定的な差違がある」
「霊力の偏りが更に酷いとかかい?」
「それもまた事実だが、それ以外に決定的な違いが在るんだよ」
バルティオは一息置いて、酷く疲れた風に口を開いた。
「………ノーラスの奴に嫌々渋々知恵を借りたんだが」
「………そりゃあご苦労さん」
「ああ、苦労したよまったく。その結果──他国での霊力均衡は至って平常値だそうだ」
「………そりゃあおかしいね。『闇嵐』の前兆と原因は世界的な闇絶の霊素の活性だ。ほんの僅かだが、しかし確実にあらゆる場所で闇の霊力の比率が高まる筈だ」
「その通り。そしてそれを聞いてメリル、とついでにノーラスの奴も同じ結論を出した」
バルティオはつかつかと歩き、窓を開く。
──酷く冷たい、しかし絡みつくかのような厭な風が吹き抜けた。
「闇樹海内での闇絶の霊素、闇の霊力が──淀んでいると」
「………………」
「淀むというよりは、籠もるといった方が正しいかもしれん。霊源点たるウリギノグス闇樹海は、言うまでもなく闇絶星霊により世界中の闇の霊力の運行を担っている。それが一所に留まり、外界へと流れ出ないようになったと言うなら──」
「………世界の破滅、かい?」
「………このままその状況が続けば、そういうことになっていただろう。しかしそうはならなかった」
「謎の魔物、ホロトゥリオン、だったかい?それの発生」
「ああ、恐らくはそれで淀み籠もった闇の霊力を消費し、バランスを取っているのだろうな。だから世界単位で見るならそれ程の問題ではない。このような偏った属性を宿した魔物の発生は、前例を聞いた事が無いことも無いからな。もっともそれは──地元での事だか」
「………………」
「従って、闇樹海内の住人達の選択肢は二つ。逃げるか、戦うか」
「発生したホロトゥリオンを倒し、闇の霊力を解消すればいいというわけかい。しかしそれではまたいつか再び発生の時が来るんじゃないかい?それこそ『闇嵐』のようにさ」
「かもしれん。メリルもまたそう思い、闇絶の霊素が発生したその理由を突き止めようとしているようだしな………しかし、事実今まで『闇嵐』により霊力均衡が保たれてきた事から見れば、今回の一件で淀みを解消する事によってひとまずは解決するのは間違い無い事だと結論が出た………というよりももはや現象はほぼ終了していると言ってもいい。ホロトゥリオンの発生が終わり、霊力均衡が元に戻ればそれで世は事も無しだ」
「バカ言ってんじゃないよ、そんな事もわからないと思っているのかい?ホロトゥリオンが報告通りに闇絶に偏った生命体だというのなら、すぐさま安定を求めて他の属性を喰らいに行く筈だ。最悪、この大陸全土に広がる可能性だって無いじゃない」
ジロリ、と見かけによらない美少年を睨み付ける見かけ通りの老婆。
しばらく睨み続けた後、ふん、と鼻を鳴らして続けるオババ。
「日和見主義もほどほどにしとくんだね。これは正直、前代未聞の魔物災害だよ。少なくとも宵王国始まって以来のね。………【白】クラスの実力者二人がかりで苦戦する魔物が多数出没なんざ、ただの悪夢だよ」
「どうだろうな?聞いた限りではそれ程苦戦したわけでもなさそうだった。少なくとも今一度やればそれぞれ一人ずつでも危なげ無く倒せるだろう。初見だったので基本様子見しつつの戦いになったようだからな」
「そうだとしても、高位冒険者じゃなけりゃあ太刀打ち出来ないレベルなのは間違い無いだろうさ。まだまだ不明な部分も多いし、何より数が未知数ときた………発生数の予想は出来ていないのかい?」
「流石にそれは無理だ。発生が始まった正確な時期も一個体の霊力量も把握出来ていないんだからな。ただ、戦った手応えから言えばかなりの霊力を感じたそうだから数千数万といった数にはならんだろうとの事だ。最悪に最悪を重ねて数百といったところらしい」
「なるほど………では百、いや二百と仮定して、だ。どれだけの戦力が必要か」
「おいおい、流石に気が早くないか?まだまだ情報が不足しているのに計算もクソも無いだろう」
「そういうわけにもいかないんだよ、ギルドマスターはね」
「ふぅん………面倒だな、お前も」
「ケッ!お気楽に高みの見物出来るあんたがうらやましいよまったく!とにかく、この件は早急に各冒険者ギルド、並びにアノゼラータ王家にも通達する。あんたのバカ弟子とメリルにもしっかり伝えといておくれよ、『たっぷり働いてもらう』ってね!」
「了承した」
「……というより、どうして嬢ちゃんじゃなくてあんたが来たんだい?本来なら嬢ちゃんが来るのがスジってもんだろうに」
「『なんか大袈裟な話になりそうなんで、私が行ったら微妙な空気になっちゃいそうだから遠慮します。師匠が行った方が建設的な話が出来るでしょ?』とのことだ」
「………そういう気回しは出来るんだねえ。よくわからん子だよ」
「そこには全面的に同意するな………まあ、面倒事の匂いを嗅ぎ取っただけかも知れんが」
二人は同じ少女を脳裏に浮かべ、呆れ顔で嘆息した。
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「ふわあああああ………」
私は自室──この三年間でメリル宅に用意されたもの──のベッドから起き上がり、軽く伸びをする。
時計を見ると、針は午後五時を指していた。
「………早起きしちゃったか。いや………寝たのが七時前だったんだからそんなもんかな」
まあ、この闇樹海においては二十四時間が私の活動時間なので別に何時に寝て何時に起きても生活に支障は出ないのだが、まあ将来外へ出たときの事を考えると今から生活のリズムを整えておいた方が良いだろう。
「さあーってと。今日、どうしよっかなあ……師匠はオババんとこ行ってる筈だし……メリルは研究室ん引きこもってるし……」
いつもなら適当に遠出してブラブラする所だが、謎の魔物──ええっと、なんて名付けたんだっけ?ダメだ忘れた──の一件で、これからこの辺りは慌ただしくなるだろうからどうせすぐに仕事に駆り出されるだろうし。
「………食事、はこの前済ませたとこだしな」
と言ってももう十日以上経っているので、別にそれも悪くないのだが、五年間で食事の頻度もかなり抑えられるようになった──今は大体三十日に一人ぐらいの割合──ので、必要に駆られているワケでもない。
今更食事に抵抗が在るわけでもないが、しかしこの辺りの人間は少ないし、下手に喰い過ぎると何か怪しまれる事になるかも知れない。
いや、謎の魔物が出没してるんだから別に今ならそう目立ちはしないか?──と。
そこまで考えた所で。
懐の《連絡符》が仄かに光を帯びた。
「………………」
私は静かに符を取り出し、握り潰す。
そして掌を開くと、そこから発せられる光が象られていき、やがて人の形となった。
「………何のようかしら?ボス」
『定義改変』によりクレアレッドからハイマへと換わり、上司へと挨拶をした。
「……仕事だ。七の三の八まで来い、急ぎでだ」
「………了解」
それだけのやり取りで、会話は終わる。
詳しい事は実際に口頭で、というわけだ。
「さて………仕事かあ。ま、良いタイミング、かな?」
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「………遅れたかしら?」
「いや、丁度良い時間だ」
と、相変わらず白衣に身を包んだ老人が言う。
………いつもなら何かしらの文句を付けてくる所なのだが。
まあ、きっと今日は機嫌が良いのだろう。
「で、仕事の内容は?」
と、何時ものように訪ねると。
返ってきた返答は──想像を遥かに逸れたものだった。
「ギルド《影森の蜥蜴》のマスター、リギュー・スミントを始末しろ」
こうさつ。
説明回は基本スルーされると思って書いてたり。
ま、暇な人だけ読んでって下さい。