その8 『お呼び出し申し上げます!』
8.
「国王陛下、お話がありまして参りました」
物見台を見下ろすエスヴァダルの後ろに、マッハヤードは憮然として立つ。
「なんだ」
マッハヤードは慇懃に礼をする。
「国と、ミランダさまを頂きたく存じます」
「はっ」
エスヴァダルは、ゆっくりと息を吐いた。
「マッハヤード。お前は勇敢かもしれないが、国を治める器ではない。お前に娘はやらん」
エスヴァダルはマッハヤードを見下ろしながら、きっぱりと言った。マッハヤードは苦虫をかみつぶしたような顔になる。
「フォンコルドは失脚し、あの魔術師ももはやこの国のものではありません。国王陛下といえども、そのように老いては無様ですな。陛下」
「言葉が過ぎる。お前の策など見え透いておるぞ」
エスヴァダルはにやりと笑って、水差しを手放す。床にぶつかって、陶器の砕け散る音がした。マッハヤードは怯んだが、すぐに持ち直す。
「ああ、二度手間にございます」
「くだらん。平和ボケしたお前ごときがわしにかなうと思うてか」
「ええ。もちろん、心得ております」
扉が開いて、物見台に兵士がなだれ込む。
王女ミランダが刃の切っ先を喉元につきつけられて、倒れ込んだ。
「ミランダ!」
エスヴァダルが叫ぶ。
「可愛い娘が痛い目に遭えば、陛下の気も変わるかもしれません」
エスヴァダルはぎりぎりと唇を噛むが、交戦の構えを解く気配はない。
「では、最後にもう一度だけ、お頼み申し上げるとしましょうか。ミランダさまを頂き、私めに王座を譲っていただきたく存じます」
「……」
「強情な! やれ、サッフィール」
サッフィールは固まって動かない。
「サッフィール」
「ええと」
「……」
「……」
サッフィールの額から汗がたらりと落ちた。
「私ですか」
マッハヤードはふんと鼻を鳴らした。
「メビウスのところへ行こうとしたそうじゃないか。お前の叔父は忠臣だ、なあ? こそこそ何を企んでいたんだ?」
フォンコルドのペンダントをサッフィールの足元に投げ捨て、ペンダントを踏みつける。ペンダントは真っ二つに割れた。
(くそ、どうすればいい?)
サッフィールは考えた。どうすればいい?
「ペンダントひとつでこの俺さまに取り入ろうとは、思うまいよ。忠義を示せ、サッフィール」
「た、たいそうな役ですね」
「ちょっと痛めつけるだけじゃないか」
「馬鹿げてますね」
ミランダはすっと口元を拭うと、サッフィールを見上げた。
頭が真っ白になりそうになる。
考えろ。まだ、やりようはある。誰から?誰から送ればいい?この中で犠牲にすればいいのは誰だ?
誰がどのように動けば良くて、誰が危険なのか?
エスヴァダル。ミランダ、そして、サッフィール。
初めから答えは決まっている。
「マッハヤード……」
かかとでタイルを蹴って、くるりと向き直る。
「このサッフィール、王家にはむかうような無粋なまねはできません」
「コイツめ!」
取り巻きの兵士が声を上げて斬りかかろうとした。しかし、マッハヤードは不敵にほくそ笑み、それを制する。
「やはり裏切る気か、サッフィール。しかし、お前が裏切ることは分かっていた。どうするんだ? お前の師は、首を繋がれて処刑を待ってる」
「師は師、私は私です。あなたが、私の何を知っているって言うんですか?」
「ほほう?」
サッフィールは、ぐるりと相手を見回した。
「私に何ができると?」
「知らんな、教えてもらおうじゃないか」
マッハヤードは怯む気配がない。
「そう、私こそが大魔術師メビウスの弟子、サッフィールです。あなた方が7人。そう、7人束になろうとも、私には敵いますまいよ」
「……何を言う」
「オウンテス・ファラゴン!」
名を呼ばれ、ミランダに武器を突き付けていた一番手前の大男が震えた。
「女性に剣を突き付けて、騎士のナンバー2? マッハヤードごときの策にのるなど、お前の将来は知れているな」
兵士たちにどよめきが走る。しめた! ゆっくり、ゆっくりでいい。
「それから……ケヴェルン・オーター! 王家に受けた恩を忘れ、なんてことをしたのか」
「わ、私はこの男にそそのかされて!」
ケヴェルンは完全にがたがたと震え、剣を取り落とすとよろよろと壁際に下がった。
「ケヴェルン!」
「それから……ええと……」
沈黙。サッフィールは考える。リストを思い出す。そうだ。冷静に、一人づつ。あとはメビウスがやってくれる。あとはメビウスが、なんとかしてくれる。頭が真っ白になりそうだ。舌が滑りそうになる。小さな発信機。果たして、通じているのだろうか。
「……とにかく、私は師のように甘くはありません。一人残らず、束ねて死んでもらいます」
「なにをするんだ?」
「今に分かるでしょう。そう、今にね」
サッフィールの足が震えているのに、ワーロックは気が付いた。
――はったりだ。
空気がピリピリと頬を刺すように感じられる。
誰も、一言もしゃべらない。
1秒が、永遠にも感じられる。
こう着した場の状況に、白けた空気が漂い始めた。
ニセモノ魔術師の気勢がじわじわと削がれていく。
「サッフィール、動けば王女の命はないぞ」
「動かなければいいんでしょう?」
「呪文を唱えれば、殺す」
マッハヤードが剣を振ると、ミランダの頬にぴっと赤い線が走る。
「マッハヤード! 貴様!」
エスヴァダルの怒声。
しまった!
サッフィールは心のどこかで、マッハヤードがほんとうに手を出すはずがないと思っていた。。
それで、サッフィールは完全に動けなくなった。
脅しではない。
サッフィールは、ミランダの表情を見た。手を頬にやって……。
ミランダは、笑った。
メビウスとおなじ笑い。
勝った。
不思議なことに、それでサッフィールは自信を取り戻した。
一旦勝ちをを確信すると、頭がすっと冷える。物事が見える。誤らなければ、勝てる。サッフィールはこの場を、冷静に見まわすことができる。正確な名前。ずらずらと連なる名前。一晩かけてリストで暗記したそれぞれのフルネーム、経歴。
この中の誰一人として、メビウスに及ぶ者はいない。
「おい、何が起こるっていうんだ?」
マッハヤードは、にやにやと下衆た笑みを浮かべる。
「おい、なあ、何が起こるっていうんだ、お坊ちゃん?」
オウンテスがナイフを取り出してじりじりと迫る。
サッフィールは後ずさった。
背後には、城下の町が広がっている。数歩も下がれば、青空が待っている。
「私を殺したら」
マッハヤードは嘲笑する。
「メビウスが、どうとか言う気か?アイツの杖なら、へし折ってやったじゃないか。なあ、そんなハッタリが……」
周囲がまばゆく光り輝く。
「伏せろ!」
マッハヤードが反射的にがなった。
閃光が部屋を包み込む。全員がその場にしゃがみこむ。恐る恐ると言った様子で、マッハヤードは顔を上げた。
「は、は、は……なんだってんだ?」
何も起こらない。
マッハヤードが顔を上げたとき、抜けるような青空はそこにはなく、代わりにあったのは冷たい石の壁だ。
「オウンテス・ファラゴン? それからオーター……ヴァッカロン・マキアー……俺でも知ってる名前がいくつかあるな。この国は大丈夫か? で、7人いるんだったな。あと何人だ?」
メビウスはくるりくるりと指先で円を描く。
『3人です。名前が思い出せなくって……あ、思い出したティルマニ卿だ。魔法使いを散々言ってくれたな。なんだって? おいこの野……』
サッフィールの言葉は続く打撃音に掻き消されて、聞こえなくなった。サッフィールは、自分が優勢と思ったときはやけにしぶとい。ワーロックはほっと溜息をついた。
「レオ・ティルマーニ。以上か? サッフィール、ご、く、ろ、う」
返事のかわりに、バタバタと暴れまわる物音が聞こえる。
「牢屋の中へと直行だからな……楽でいいことだ」
牢屋を背に、メビウスは立ち上がった。
「おっと。ラルフ・マッハヤード。牢の居心地はいかがかな?」
「メビウス、貴様! どうやって出た?」
「さあ、どうやったんでしょう?」
メビウスの後ろから、ソーマがひょっこりと顔を出す。しかし、マッハヤードは気が付いていないようである。
「なぜだ、杖を折ったのに。どうして召喚が使えるんだ?」
「逆に聞くがな、どうしてお前は俺に杖が必要だと思った? サッフィールが杖を持っているのを見たことがあったか?」
メビウスはくるりくるりと指先で円を描く。軌跡が白い尾を引きすうっと光り、一瞬の後に空気に溶けてゆく。。
「そ、それは……だって」
マッハヤードは狼狽した。この10年、メビウスが杖を持っていないところをみたことはなかった。
「お前に、剣を振るしか能がないからだ。武器を持たねばなにも出来ない馬鹿め」
マッハヤードはがくりとうなだれる。
「今回ばかりは、本当に疲れた……7人……」
牢屋には反逆者たちがひしめいている。
「壮観だな。もう、こんな重労働は御免だ」
「ご苦労さまでございました、メビウス殿」
「メビウスさま、ご無事ですか」
サッフィールがばたばたと階段をおりてくる。メビウスはふうとため息をついた。にっこりと笑うミランダも居る。
「サッフィール……ミランダさま」
続く師の言葉を予期して、サッフィールは小さく身をすくめた。
「俺には信用がないのか!」
「このワーロック、どうなることかと肝を冷やしましたぞ……!」
ワーロックは汗をぬぐいながら、ほっとため息をついた。
「ねえ、サッフィー、どういう作戦だったの?」
「メビウスさまに、そのまま召喚してもらったんだ。牢屋にね」
ソーマの疑問に、サッフィールは率直に答える。
「首謀者の名前は分かったけど、どこまでの貴族が敵に回るか分からなかったから。私がお名前を伝えたんだ。まあ、なんといいましょうね」
「……震えてたクセに……。サッフィール、その”無線”というやつはなかなか便利ですね」
サッフィールは苦笑いをして、うやうやしく四角い箱を差し出した。
「はい、ミランダさま。電話じゃなくても、遠くの人と話せます」
ミランダは不思議そうに箱を触った。
「今回、ちょっと危なかったですね。中継点に、ローシャンの電波塔を勝手に使ったんだけど」
「よくわかりません」
「まあ、このへんはメビウスさまの方がお詳しいでしょう。ミランダさまの居ない2年で、だいぶ世界は変わったものです。それにしてもミランダさま、アルテミアで学ばれたとはお聞きしましたが、なにも魔女になる訓練をしていたわけでもないのでしょう? 魔術の仕組みも知らずに、よくこの私にお任せ出来ますね」
ミランダはゆっくりと首を横に振った。
「魔法については、わたくしの考えが及ばないところです。気難しいメビウスの弟子にとられたあなたを信頼しております」
「まあ、そう言われるとまんざらでもありませんけれど」
「7人、そうか、不届き物が7人か……」
エスヴァダルは深くうなった。
「天下の騎士団は一体どこへ行ってしまったのか……情けない。馬鹿者が、7人。わしもいささか、気弱になり過ぎたようだが」
「気を強く持ってくだされ、陛下」
ワーロックがエスヴァダルにに声をかけるが、その必要はなかった。
「まだ、わしにはやることがあるようだ。ワーロック、兵を集めろ! 根性を叩き直してやるわ」
エスヴァダルは、むしろ、生き生きとしている。
「ミランダさま、私にもなにか言うことがあるのではありませんかね」
メビウスは肩をすくめる。
「ご苦労様です」
「たったそれだけですか」
ミランダはにっこりと笑った。メビウスは鼻を鳴らす。
「ええ、そうです、それが魔法使いのあしらい方、というものですね。その顔を久し振りに見た気がします。魔法使いの御し方としては、正しいやり方です。隙を突いて、逃げられないように”詰める”。それが頼み方、ってものです。貸しも、褒美もない」
「メビウス」
「なんですか」
「あなたの言うとおり、ここはサヴィトリア、ですから、褒美を授けましょう。とっておきの」
メビウスは目を丸くした。




