その7 『ことの運び』
7.
(こうも静かだと、頭がおかしくなりそうだな)
メビウスは牢屋の壁に寄りかかり、ただひたすら沈黙していた。
10年間サヴィトリアに仕えた仕打ちがこの冷たい牢獄だというなら、酷い仕打ちだ。しかし、ミランダは意味もなくそのようなことをする人間ではない。
ミランダさまは、アルテミアで魔法使いの扱い方というのを学ばれたというわけか。
彼女は、魔法使いの契約のなんたるかをよく理解している。
もう、メビウスの拘束期限はとっくに切れているのだ。どこへ行こうが、何をしようが自由だ。メビウスがサヴィトリアに留まっているのは義理なのである。なんとなく離れる気にはならなかったが、それが長く続かないことをよく分かっている。さしずめ、一気に方をつけようというところだろう。
牢には錠が下ろされている。幸いにもと言うべきなのか、縛られてはいない。
鎧の音にまぎれて、こつこつと足音が響く。
数人の兵士を伴って、メビウスの目の前に鎧を着こんだマッハヤードが現れた。
「ぶはは、馬鹿げた顔をしてやがる」
「マッハヤード」
マッハヤードがペンダントを目の前にぶら下げる。見間違いようもなく、フォンコルド家のペンダント。本物である。
メビウスははっと息をついた。
「ミランダさまと手を組まれた、と」
「いや、ミランダさまは……手段にすぎない」
呆れた男だ、とメビウスは思った。
「上を見る前に、自分の身をかえり見たらどうだ。いまに足元をすくわれるぞ」
「お前にか? 馬鹿馬鹿しい。お前に何ができるっていうんだ。おい、サッフィール」
サッフィールがマッハヤードの背後から現れる。顔には、妙な泣き笑いを貼りつけていた。
メビウスが睨むと、サッフィールは慌てて目を逸らした。
「め、メビウスさま、ご機嫌麗しゅう……」
「サッフィール……お前、魔法使いに刃向うってことがどういうことか理解できるか?」
サッフィールは口をつぐむ。
「はん。減らず口を」
「……」
「なんだ、何か言いたそうだな。言ってみろ。俺に協力するって言うなら、開放するのもやぶさかではないが」
(心にもないことを)
メビウスはゆっくりと口を開いた。
「杖を」
「んん?」
「杖だけは返してくれないか?」
「ああ、これか?」
マッハヤードはにやにやと黒い樫の杖を掲げた。
「ああ」
メビウスが頷く。サヴィトリア王家への忠誠の証。メビウスが静かに鉄格子へと歩み寄ると、マッハヤードはぱっと離れた。
「おっと。返してください、だろ? 頼み方が違うのではないか?」
メビウスはマッハヤードをじっと睨んだ。
「返していただけますか、マッハヤードさま?」
マッハヤードはさらに笑みを深める。
「上出来だ」
マッハヤードは、両手で杖の端を持ち、頭上に振り上げた。
「王宮魔術師も、杖が無きゃ何もできないってわけだ! 杖が無ければただの人、ってな」
「待っ……」
サッフィールが止める間もなかった。
火花が散った。雷のような音だけをさせて、杖は真っ二つに折れる。
「ふん! あっけないな」
マッハヤードは手首をぶらぶらとさせて粉を払った。杖のひしゃげた断面には、無残にも鉄芯がのぞいている。
メビウスの目に、サッフィールの泣き笑いのような顔がいっそうひきつったのが映った。
メビウスが黙って格子の隙間から手を伸ばすと、マッハヤードの笑いが一瞬、止んだ。杖の残骸を拾い上げると、マッハヤードは独房の暖炉に杖を突っ込んだ。
「今夜はお寒いでしょう? メビウス殿。どうぞ、あたたまってくださいな」
ぱちぱちと赤い炎を上げて、杖は燃える。
げらげらという笑い声が耳障りに牢に反響する。
「お前が、杖無しではなにもできないことはわかった。そこで待っていろ。舞台が整ったら、すぐに処刑してやるさ。おい、お前もなんか言ったらどうだ! サッフィール!」
どつかれて、サッフィールが前に出る。もともとサッフィールは小柄なほうだが、がたいの良いマッハヤードと並ぶと、比べるべくもない。
仲良しこよし、ではないな。
サッフィールはちらりとマッハヤードの顔色を窺うと、覚悟を決めたように口を開いた。
「あ、あ、あ、の、メビウスさま」
「……」
「ええと……その苔みたいなローブはですね、……たまには、ご自分でお洗濯なされた方が良いのでは……ないでしょうか」
「あっはっはっは!」
マッハヤードが声をあげて笑った。
「まあいい、お前も上出来だ」
マッハヤードは、ばしばしとサッフィールの肩を叩く。高笑いとともに牢屋を去って行った。
メビウスはふうっと息を吐いた。
サッフィールは本番に弱い。
ローブのポケットを探る。小型の機械が入っているのに気が付くのにそう時間はかからなかった。
城の中庭には、よく手入れされた植え込みが広がっている。今はしんとして、どことなく寂しげだ。
「どこへ行っておりました、マッハヤード」
「メビウスめのところへ」
ミランダは目を伏せる。
「アルテミアにて、私は痛感いたしました。魔術とは、道理に合わない力。この世にあってはならないことです」
マッハヤードが、そっとミランダの肩を抱こうとする。しかし、ミランダはするりと腕をつかむと抜けた。
「姫、失礼いたしました。あなたがアルテミアへお出向きになられた、2年間。誰かに心を開くのではないかと、実のところ、気が気ではありませんでした」
「結構です」
ミランダはゆるゆると首を横に振る。
マッハヤードは気を削がれたような顔になった。
「もっと単純に行きましょう。あなたは国が欲しい。そうでしょう」
「慣れない練習もしたものですがな。上手くはいかないものですね。それで、私と組んで下さると?」
「いいえ」
マッハヤードは、ますます額のしわを深める。
「それでは、……どうなさるおつもりですか? 今や、サヴィトリアにメビウスはないも同然。フォンコルドもおりません。エスヴァダルさまとて、どうしようも……」
「父が、あなたを次代に任命することはありません」
マッハヤードの頬にかっと血がのぼる。
「それでは、あなたにも協力してもらうまでだ」
「姉さま!」
茂みからがさりと顔を出したのは、ソーマだ。
「げ、ソーマ王子!」
「ソーマ!」
「メビウスが逮捕されちゃったって聞いたけど、あれって!」
マッハヤードが合図をすると、兵士がいつの間にか周りを囲んでいる。ソーマはあっと押し黙った。
マッハヤードは剣を抜き、ひたりとミランダの首筋にあてる。
「一緒に来ていただきましょうか、ソー……」
「逃げなさい!」
ミランダが叫ぶまでもなかった。ソーマは脱兎のごとく逃げ出し、その場にもう、いない。
追おうかと迷う兵士に、マッハヤードは首を横に振った。
「まあ、いい。ソーマは……どうとでもなる。いざとなったら、姫をどうにかして、ソーマを王に立てる……というのもやぶさかではない」
「マッハヤードさま、ワーロック大臣も見当たりません」
「いや。こうなった以上、もう、やるしかない。これ以上の好機はないのだからな」
同時刻。サッフィールは執務室でおろおろ所在なくしていた。
「おい。サッフィール、どこへ行く?」
「いいや、もう一度、メビウスを嗤ってやろうかと、あの」
「マッハヤードさまの言うことを聞いてなかったのか? 俺たちは、ここで待機だ」
「いや、ええと」
「何だ? 何か、用でもあるのか?」
「そういうわけではありませんけれど……」
「お前だってマッハヤードに協力したんだろう。ペンダントを奪ったのはお前だってな。傑作だよ!」
ばしばしと背中を叩かれながら、サッフィールの声はだんだん小さくなってゆく。訝しげな顔をしながら、兵士は外に気をやった。
「動きがあるようだな。少し、見てくる。お前はここで待っていろ。妙なことを考えるんじゃないぞ」
「はい、そりゃもう」
男が居なくなると、サッフィールはポケットから四角いトランシーバーを取り出した。気が付かれていない。落ち着け。落ち着くんだ。サッフィールはぶるぶると震える手で、ダイヤルをひねる。
おや、繋がらないか?そんなはずはない、繋がってくれ、頼む。ゴンゴンと叩いていると、ようやく四角い機械から剣呑な師の声が聞こえてきた。
「メビウスさま」
サッフィールは、ほっとして泣きそうになる。師の声は、機械を通すとずっと別人のもののように聞こえたものだった。
『……ずいぶんな度胸じゃないか、ええ?』
「ずみませんでした……」
メビウスがはあと息を吐くのが聞こえた。
『もういい。俺のやるべきことはだいたいわかった』
「あ、そうなんですか」
『お見通しだ。馬鹿か! お前、この俺に……牢屋に反逆者を呼べっていうんだな!』
サッフィールは押し黙った。
「そのとおりです」
『一つ聞いていいか? 俺が協力しない、と言ったらどうなるんだ?』
「ま、魔法使いは、プライドを重んじると」
『で?』
「いやあ……はは」
長い溜息が続いた。
『貴族どもの顔は覚えてるな?』
「昨日、暗記しました」
『魔法使いを侮辱した罪は重いぞ、サッフィール』
カチカチカチと、柱時計の音だけが大きく聞こえる。
沈黙が痛い。
『一度だけ協力してやる』
「先生!」
メビウスはゆっくりと考えをめぐらした。
『サッフィール、いいか、俺には兵士や貴族どもの名前など分からん。把握していない。興味がないからな。分かるんだな?』
「はい」
『呼ぶだけでいい。お前のやるべきことは、それだけだ。大丈夫だ、お前ならやれる』
「……」
『とは、死んでも言ってやらんが。おまえがやらねば、国が亡びるぞ』
「あ、はあ」
無線の奥が雑音に満ちる。
「サッフィール、総仕上げだ、お前は俺と一緒についてこい。王は今、物見台にいるそうだ」
マッハヤードの声がして、サッフィールはびくりと肩を震わせた。
『こ、えが――おい、返事は大丈夫か』
「はい、大丈夫です」
マッハヤードの手先は妙な顔をした。確かな意志の響きを感じ取って、メビウスはどこかほっとした。
『俺は黙るからな』
「すみません」
「? なんだ、いいぞ。上手くいけば、お前も重臣に取り立ててやる」
マッハヤードの声は、サッフィールにはやけに遠く聞こえる。
『謝るぐらいなら。やるんじゃない』
「はい……」
『大丈夫だ。お前は俺の弟子だ』
ことばを詰まらせる。返答はなかった。大丈夫です、と、自分にそう誓いながら、機械をローブのポケットに滑り込ませる。サッフィールの声は、神妙に響いたようだ。マッハヤードは満足そうに頷いた。
サッフィールはマッハヤードに続き、王のいる物見台へのドアをくぐる。
メビウスは物音に耳をそばだてた。兵士が近づいてくる。気が変わったのか?ひょっとして、俺を始末する気になったのかもしれん。それにしては、人数が少ないな。よたよたとした動きの兵士が牢の前で止まり、不意に兜を外した。
「あっふぁ! 年寄りにはこたえるわい……」
メビウスは思わずまばたきをした。ゆであがったように顔を赤くした大臣が、そこに立っていた。
「だ、大臣さま?」
ワーロックは咳払いをすると、メビウスに向き直る。
「魔法使いメビウスよ、牢から出してやらんでもないが、一つお主に頼みがある」
「ああ……」
メビウスは遠い目をした。
「もう、聞きました」
「なんと!」
「……」
「……」
ワーロックが気まずそうに目を逸らす。
「め、メビウスさま、それでは、さっそく、一旦、出るとしましょうかな。相手は武器を持った兵士。牢屋の中におりましては、ちと危のうございます」
ワーロックは懐から牢のカギを出した。ぶるぶると手が震えているせいで、錠前に上手く入らない。カツンカツンとカギ穴をかすめる音だけが空しく響いた。
「大丈夫ですか。貸してください」
メビウスがカギを受け取る。左手で錠前を固定して、右手で差し込む。牢屋の中から手を伸ばしている上にどうにも錆びていて、なかなか開かない。
ばきりと嫌な音がした。
「あ」
「あ」
メビウスの手の中には、首だけ残ったカギが残っていた。
メビウスはワーロックを見た。顔面蒼白で、わなわなとふるえている。
その時だ。
こつりこつりと、足音が近づいてくる。
「見張りが来たようです。大臣さま、ここはひとまず」
「ええい! わしは、やるときはやるぞ」
「私のことは大丈夫ですから……」
ワーロックはふるふると短剣を抜いた。どう考えたって無理だ。
約束した手前、約束は果たすつもりではいたが。邪魔が入るとなるとどうなるかわからない。
メビウスは頭を抱え、来るべき襲撃に備えた。




