その5 『サッフィールの密会』
サッフィールがメビウスに弟子入りして一年とおよそ半年あまり。
メビウスは逐一丁寧に教えてくれるようなご親切なタイプではない。あれをしろともこれをしろとも言わないし。
というよりは、弟子入りさせてくれと頼んだが、明確な返答が得られなかったので、サッフィールは勝手に同意とみなした。
もしかして、弟子じゃないんじゃあないか。
サッフィールがそんな疑念を抱いたのも一度や二度ではない。しかしじゃあいったいなんだっていうんだ。男二人一つ屋根の下に暮らし、それ以外のことがあるとは考えたくもない。
ただでさえこの男といると奇特な目で見られるのに。昼間の住民からの不審な視線を思い出して、サッフィールはげんなりとした。
フォンコルドの屋敷は高級住宅地にある。
イーゼルマインがメビウスの屋敷についたのは、もうとっぷり日が暮れに暮れた夜のことだった。
「俺は寝る」
「はい。お城へは」
「明日行く」
「はいはい」
「返事は一回」
「はーい」
ずっと運転しっぱなしだったメビウスは流石に疲れたようだ。着いてそうそう、伸びをすると寝室へと閉じこもってしまう。
ローブを綺麗に畳むと、サッフィールは、備え付けの電話機のダイヤルを回した。
叔父のワーロックから、報告をするように言われていたのである。
(それにしても、ペンダントを持って来い、とは……)
叔父からの言いつけは奇妙なものがある。明日いく、と言っても聞きやしなかった。
メビウスはささやかな反抗を覚えるにはいっこう恐ろしい相手である。格の違う相手と対峙した時には、おのずから心と頭がすうっと冷えるもので、不思議と腹は立たないのである。
メビウスに反抗するような人間がいるものだろうか。サッフィールは自問した。なぜだかミランダの顔が浮かんだので、慌てて打ち消す。
……そういえば、しつこかったセールスマンをさいきん見かけなくなった。
魔法使いにもいろいろいる。
メビウスの技術が一流であることは間違いないし、特にそれについて文句をつける気もしない。
メビウスの儀礼は完璧である。生活も規則的で正しい。
就寝時間も。なにかをしまう場所も。
どうやら、メビウスは寝入っているようだった。
サッフィールはそっとメビウスの部屋に忍び込んだ。叔父の言いつけはいささか奇妙に思えたが、サヴィトリア大臣の言となれば絶対である。
「値打ちもの、ねえ」
サッフィールはするすると引き出しを開けた。あった。両手にあまるくらいの宝石箱。特にきらびやかということはないが、だいぶしっかりした作りであることがわかる。カギ穴が無く、ところどころ切れ目が入っているこの箱は、普段はただの観賞用である。メビウスの娯楽の品の一つだが、これが日の目を見るとは思わなかった。今はフォンコルドのペンダントが収まっている。
曰くつきの品をなにかにつけて使いたがるのはメビウスの悪い癖だとも思う。
確かに、魔術師のローブは何かを隠すのには便利だ。
サッフィールは小箱を無造作にポケットにつっこむと、屋敷を後にした。
深夜を回って、うっすらと空が白んできた頃になる。
ポートランド邸。王都の西にある、叔父の所有する屋敷である。ワーロックは普段は城で寝泊まりしているし、サッフィールはメビウスの屋敷で暮らしている。それゆえ、それほど使われることのない屋敷ではあるのだが。
「叔父上……と、ミランダさま!?」
「お静かに」
ワーロックの横には、質素なスカートを纏ったミランダが居た。人差し指を唇に当てると、とサッフィールを制す。
2年間の間で、ミランダは少し身長が伸びたような気がする。サッフィールはやけくそで口を開いた。
「あー。お綺麗になられまして……」
「略していいですよ」
「さいですか」
サッフィールは何となくほっとした。
「無礼であるぞ、サッフィール! ほれほれ、全く……不肖の甥御ですいませんのう、姫」
ワーロックが慌ててサッフィールの頭を掴み、お辞儀をさせる。
ミランダとサッフィールも、それなりに気心の知れた仲である。
「あ、サッフィーだ」
声をかけられて初めて、サッフィールはソーマの存在に気が付いた。
相変わらず、影の薄い王子だ。
ソーマはソファーに座りながら、今もぐねった針金をカチャカチャと回していた。妙な形の金属はいともたやすく組み合わさり、あっと言う間にばらばらにされる。ソーマはさも当然のようにやってのけているが、サッフィールではそうもいかないだろう。
彼を見ると、サッフィールはなんとも言えなくなるのである。一国の王子の得意技が盗賊の技とは……。
ただでさえ日陰者の黒髪王子ソーマの異名を知るものは、ほんの一握り。
縄ぬけ王子。
サッフィールの知る、恐ろしく間違った方向に才能を体現するうちの一人である。
もともとのソーマ王子は一人遊びをすることが多かった。大人しく、誰かの仕事の邪魔をするようなこともない。お人形遊びとパズルが好きで、なによりも無害な王子であった。
発端は、あれだ。たしかソーマがまだ2歳くらいのときだ。ソーマが一日行方をくらましたことがあった。いくら普段は見て見ぬふりをされているソーマとはいえ、いなくなるのはなにかとマズい。事件に巻き込まれたのでは?いや、普段構ってもらえないことを苦にしての家出では?さまざまな憶測が城を飛び交ったが、結局、ソーマは泣きべそをかきながら、宝物庫の中に閉じ込められているところを発見された。幸いなことにケガはなく、ソーマもかたくなに自分で入ったと言い張った。誰かのいたずらだろうということになったが、犯人は見つからない。
しかし、あとで考えればソーマはうそなど言っていなかった。
注意してみれば、城のだれもがソーマをおかしな場所で目撃していたはずだ。誰も気がつかなかったのか、あるいは、見て見ぬ振りをしていたのか。
それから時は過ぎて、ソーマ王子が5歳の時。こんどこそ本物の誘拐事件が発生した。
メビウスが城にやってきて間もないある日のこと。ソーマは今度は深刻に行方をくらませ、3日ほど後、誘拐犯はエスヴァダルらと何らかの交渉を持ったようだ。
その際、メビウスがソーマを召喚し、事なきを得た、と、未だ国民の大半はそう信じ込んでいる。この事件での評判がメビウスの地位を一応は確固たるものにしたといってもいい。メビウスの活躍によって魔術師に否定的だったものも意見をひっこめざるを得なくなった。
だが、サッフィールは知っている。メビウスはついぞソーマを呼んだことはなかった。
確かに、メビウスが召喚することはできたろう。メビウスにまかせればすぐに済む一件だったのだが、にも関わらず、国王からなかなかソーマを召喚をする許可が下りなかった。
サッフィールは、叔父が何度もソーマの危険を訴えて頭を下げているのを目撃していたが、エスヴァダルはかたくなに首を縦には振らなかったのである。
あれよあれよという間に、じりじりと時間ばかりが過ぎていった。結論から言えばソーマは、なぜだか王都はずれ付近を巡回していた兵士に保護された。なにを言っても要領を得ないばかり。
結局、どうやって脱出したのかはわからないまま、いつのまにかそれはメビウスの手柄となっていた。その時ばかりはさすがに国を挙げての捜査が始まり、誘拐団はお縄となったのであるが。
大きなけがこそなかったが、明らかに解放されたわけでもなかった。いったいどうやって脱出したのか。
ずばぬけた影の薄さと、手先の器用さ。
ソーマの特異的な性質を知るのは、城においては姉、ミランダと大臣ワーロック、そしてサッフィールとメビウスくらいなものである。
「はい、これ、どうぞ」
メビウスご自慢の宝石箱はあっけなく敗れた。ものの10分もしなかった。サッフィールは舌を巻いた。ソーマはきょろきょろとあたりを見回すと、にっこり笑う。
「ありがとうございます、ソーマさま。こんな朝方から、急にお呼び立てして申し訳ありませんな」
ワーロックはサッフィールからペンダントを奪い取るようにし、しげしげと眺めてため息をついた。
「うむ、確かにこれがそうだ。フォンコルドの……。ああ、馬鹿め。フォンコルドの愚かモノめ。これを勝ち得るために、あいつの父親がどんなに苦労したかも知らんのだ」
ワーロックは同じようなペンダントのレプリカを箱に収める。
「急に用意したためにホンモノとは似ても似つかないが、同じような重さがあれば、まあ、いいでしょうな」
「ちょっと、叔父上、何をしてらっしゃるのです!?」
サッフィールは素っ頓狂な声をあげた。
「いったい何をされるおつもりですか?」
「黙っとれ。では、これをもとどおりに閉められますかな、ソーマさま?」
「もういいの? ……はい、どうぞ」
ソーマが箱を閉めるのには、こんどは1分とかからない。難しそうな顔で複雑な操作を済ませ、すぐにぱあっと笑顔になる。
サッフィールは、あんぐりと口を開いた。
「それえ、どうするんですか?」
「おいおい、わたくしがご説明します」
ミランダの口調はきっぱりとしたものだった。
それなりに久し振りに見た叔父は前よりもずっと疲れ果て、やせて見える。
ワーロックは顔を上げてサッフィールを見た。
「メビウスの様子はどうかね?」
「寝てますよ」
「そうじゃない」
メビウスの動向を見張るのは、心配性の叔父からいいつかったサッフィールのお役目のようなものだ。というのは建前であり、魔法使いになりたかったというのが本音だ。
「お元気ですよ」
サッフィールは肩をすくめた。
「変わった動きは?」
「特には。あ、なにかこそこそと古い車を整備させてはいますね」
「なんと。それでは、どこかよその国に行くと?」
「移住するのかもしれません」
ミランダの言に、ワーロックはうなった。
「ギエルトリコに行かれては困る」
ギエルトリコ。サッフィールは頭に浮かべる。ギエルトリコはそこそこの軍事力を誇る大陸の強敵だ。
「いえ、それはまだ早計というものでしょう」
メビウスとて、宮仕えをしておきながら、流石に険悪な国に行くということもないだろう。サッフィールは慌ててたしなめるが、ミランダは続けた。
「アルテミアは同盟国だから、良いとしましょう。ギエルトリコには古代遺跡。南のサンドレアルには真夏のバカンス。東南のローシャンは工業大国。西には強国、クラストリオンがありますけど、ああ、魔術学校があるノスリエルでのメビウスの待遇もよさそうです」
「結構です」
ワーロックが情けない顔をしたので、サッフィールはとりなす。
「車を弄っているのはいつものことなんです。冗談ですよ。我が師はこの国に感謝しておいでです。ま、なじんでるふうではないけど。なんというか、そりゃあ、10年もいれば、愛着はありますよ」
「そうでしょうか」
「ミランダさま?」
サッフィールは聞き返した。
「ほんとうに、メビウスはこの国から去らないと思いますか?」
「……」
そう聞かれると、サッフィールには断言できない。契約が終わった今、メビウスはあっさりと別の国に発ってしまうのかもしれない。
「ここのところ、貴族どもは滅茶苦茶だ! あのフォンコルドまで投資に失敗したあげく、金に困ってペンダントを持ち逃げしようとする始末だ。あああ、わしもいっそ……」
サッフィールは首を横に振った。
「それ、何に使うんですか。説明なしじゃ、さすがの僕も引き下がれませんよ。メビウスが要だって言うのに、ペンダントをニセモノとすげかえたりして。いったいなにをするっていうんですか?」
ワーロックは力なく笑う。
ミランダはしれっとした顔をしていた。
「こうするよりないのです」
「ペンダントを無くせば、メビウスは責任を感じ、しばらく国に留まるのではないか……ってことですか?」
「いいえ」
ミランダが言った。
「では、どういったおつもりですか」
「ペンダントを無くせば、王家を侮辱するも必至。少しくらい牢屋で頭を冷やして貰っても、構わないでしょう」
「はあ!?」
サッフィールは声をあげた。
「牢屋にぶち込むって言うんですか、メビウスさまを!」
「いいですか。黙っていればメビウスが何か助けてくれるだろうなどとは思わないことです。泣いてすがるのも同様。褒章を与えるのも同じ。契約なくして、魔法使いは動きません。魔法使いの協力を仰ぐためには、こちらもそれなりの覚悟を示さなくてはなりません」
「覚悟って?」
「わたくしたちに協力せずにはいられないような状況を作ることです」
沈黙。
「……その為に、僕は呼び出されたんですか?」
「そうです」
「騙すために?」
「いいえ。メビウスは、あなたがペンダントを持ち出すのを、とっくにご存じのはずです。……と、実際に気が付いてはいないのでしょうけれど、ここで大切なのは、”気が付いているべき”ということなのです」
「はあ」
「弟子の監督の不行き届きは、我々の非ではありません。あなたはワーロックの甥であり、それを承知のうえで弟子にとっているのです。怠るなら、油断であって、怠慢です。多少強引に言えば、無言での承諾と言っても良い」
「いや……あまりに、強引ですよ! 自作自演というか……」
「それが魔術師を味方に引き込むときの作法なのです」
サッフィールは押し黙った。
「今のサヴィトリアは、あなたが思っている以上に危ないのですよ。このペンダントを、喉から手が出るほど、欲しがっている方がいらっしゃいます」
「どなたですか?」
「マッハヤードです」
サッフィールは空いた口がふさがらない。
「お話、おわりましたか?」
うとうととあくびをするソーマの手元には、ばらばらになった針金が散らばっている。
「ええ、帰りましょうな、殿下。急にお呼び立てして申し訳ありません。ご協力、ありがとうございました。サッフィール」
「はい」
「とっておけ」
どうもこの叔父は、甥っ子がいつまでも小遣いで懐柔できると思ってるんじゃないだろうか。サッフィールが手を出すと、叔父はにやりと老獪に笑う。サッフィールの期待に反して、ワーロックがサッフィールの手のひらに乗せたのは書類の束だった。
「お前とて、政治に関わらないなどとたわごとを言っている暇はないのだぞ。今晩中に全暗記だ」
「今晩!?」
サッフィールは妙な声を上げた。
「流石に、それは。……あまりにも急な……」
「メビウスが失脚すれば、マッハヤードはまず間違いなく動きます」
「失脚なんて」
「檻に入れてやらなければ逃げる鳥ですよ、メビウスは」
「檻に入れるんですか」
「入れるんです」
ミランダはサッフィールを見つめ。確信を持って頷いた。




