その4 『アフター・魔術師メビウスのお仕事』
4.
夏の夜の7時。満月と一緒に太陽が申し分なく空の青さに埋もれ、東から西へと地平線の上でゆっくりと交代しようとしている真っ最中。薄い雲を引っ張るように雲がだらりと横長に伸び、空に幾重もの色を重ねている。
残念ながら、うだるような蒸し暑さのなかに情緒はない。
男二人ではな。
一仕事をおえたメビウスはどこか誇らしげである。するするとローブを脱ぎ、おもむろにサッフィールへと押し付けた。ずっしりとした重みを感じてサッフィールがポケットの中を探ると、先ほどの宝石箱が入っている。
「簡単には開かんぞ、それは。開けられるとしたら……どこぞの王子くらいなものかな」
メビウスは思い出したように杖もサッフィールの手のひらに乗せた。
持ち主の身長の七分はありそうな、黒くどっしりとした樫の杖。柄にはしっかりとサヴィトリアの紋章が刻印されている。メビウスの母国、アルテミアとサヴィトリアの友好の証左でもあった。
この杖ですら、メビウスにとっては商売道具のひとつに過ぎないのだろうか。
フォンコルドやマッハヤードとは違い、メビウスは特権を滅多にふりかざさない。
「まったく素人さんは。魔法使いってだけですぐびびるんだから。楽ですね、先生」
メビウスはたしなめるようにポンポンとサッフィールの肩を叩いた。
「あまりそうやって威張るんじゃないぞ」
「なんですか、メビウスさまはあちらさんの味方ですか?」
「誰だって知らないものは怖い。やりすぎると効果が薄れる」
サッフィールにはわかるようなわからないような理屈だ。メビウスはサッフィールの方を見ると、やれやれと首を振った。
「わかってないな。魔法使いは神秘的でなくてはならん。厄介者で、一筋縄ではいかない連中だ……と、俺の師のお言葉の受け売りだが」
メビウスは続けて頷く。
「要するに、手に負えないような連中だと思わせておけばよいということなのだろう」
「はあ」
「誰だって、こんなくそ暑い中ずるずるとローブを着ている奴らとはあまり関わりたくないに違いないからな」
「ああ、はあ……まあ」
サッフィールは曖昧に返事をした。
先ほどから、遠巻きに人だかりができている。人々は一様に好奇心とも畏怖ともつかないニュアンスを含んだ顔をしているが、しかし、この微妙な距離感の原因は”ローブ”などではない。
メビウスは、せまい舗装道路の端に停めてある金属の塊のもとにつかつかと歩み寄る。さも当然のように側面の取っ手を掴んで引っ張ると、カーキ色に塗られた金属の箱がパカリと割れて、二連の革張りのシートが姿を現す。サッフィールが自分のローブのポケットを探り、金色の小さなキーを差し出す。メビウスがカギをシリンダーに差し込んでひねった。
途端、血の通ったようにブルンブルンと鉄の塊が震え出す。人垣がざっと一歩引いた。そうするメビウスがどこか誇らしげなのは、気のせいだろうか。蒸気のエンジンが、うなりを上げてサッフィールの足下に水蒸気を吐きかけた。
"EaselMine"、異国のことばで刻印されたキャッチフレーズ。――キャンバスはわたしのもの。たしかそういう売り文句だった。
クラインキャンパス社が売り出した、最後のマシン。革新的で、新しい乗り物。”これであなたも、馬要らず!”
なんとなく特徴的なメロディがサッフィールの頭をかすめる。
一つ誤算を挙げるなら、だ。
わがままで無粋な大衆に筆を任せるのはまずかったってことだ。
クラインキャンパス社が威信をかけて売り出した最後の自家用車は、およそ3カ月で生産中止の事態に陥った。レアものといえばレアものだが、こんなものに好き好んで乗るのは世界にメビウスくらいなものであろう。
「いつもながらに、豪快というか、これ、なんていうか」
「それより、早く乗れ」
「あ、はい。そうですね」
どうもサッフィールは、この車というものが苦手だ。
サッフィールは必死に誤魔化していたのだが、やはり乗らざるを得ないようだった。サンルーフがあるとはいえ、日差しを吸い込んで無駄にほかほかとしているシートが尻に張り付いて熱い。
ひととおり運転を教わったことがあるが、車庫入れの際、思いっきりガレージに突っ込んで以来、メビウスは絶対にハンドルを任せてくれないようになった。サッフィールにとっては幸いである。
着いたら”呼んで”くれません?などと言うワケにもいかず。
王宮魔術師メビウス、国随一の変わり者。
好きなときに呼べるが、行きたいところには行けないというのが、メビウスの魔法の弱点である。
サッフィールの真横に座る運転席の男は、満足そうに鼻を鳴らしてアクセルを踏み込んだ。
サッフィールは、メビウスが前を向いているのを良いことに、うんざりした顔をしていたに違いない。ぎろりと光るメビウスの赤い眼光が鏡越しにちらついたので、わざとらしく咳払いをすると視線を外にぶん投げる。
メビウスの軽い舌打ちが飛んできた。聞こえない。
どこか閑散とした風景は、都心部とは打って変わってのどかである。
平和で、平らで、何もない国。あるとすれば限りない自然と、心地よい風。太陽。気候の良さ。沈む太陽を背に、サヴィトリアの自然は雄大で美しい。
「サッフィールよ、お前ならどうする?」
運転中、道がやや整ったところを見計らって、メビウスはおもむろにサッフィールに尋ねた。というのも、でこぼこ道で雑談なんてしようものなら振動で舌を噛むからだ。
「どうというのは?」
「俺の術から逃れるために、お前ならどうするかと聞いている」
「そうですね、嫁に行きます」
メビウスは声を上げて笑った。
メビウスが笑うことは滅多にないのだが、笑わせることができるとなんとなくサッフィールはほっとする。適当なことを並べて呆れさせたり笑わせたり、なんというか、喋らずにはいられない性質なのは、多少無口であるメビウスに仕えているというのも多分にあるのかもしれない。
意味のない数式や呪文、独り言を垂れ流し続ける魔術師ほどブキミなものもないだろうから。
「名前を変えてしまうというのか。それが正しいな。ジュリアン坊ちゃんはどうしたと思う。……どうもできやしなかった。ざまあみろ。他国に逃げればなんとかなると踏んだんだろうが、無駄だ。魔法使いを恐れ、困り果てて、誰かに言われるがままにリュケイオンへと逃げた」
なんとなく、師は上機嫌である。術を使ったのが久し振りだからだろう。最小限ともったいぶってはいるけれど、やはり魔法が使えると嬉しいのだ。安売りはしないという主義である。
「はあ、ノリスエルですか……それで、なんとかなると思ったんですかね」
「ああ。おかげで楽だった。リュケイオンの功罪だな」
リュケイオンは遥か北、ノリスエルにある魔術学校である。メビウスに言わせれば「そんなもの、なんの役にも立たない」らしいが。
実をいうと、昔はちょっと憧れていたところもあるのでサッフィールは少し残念だった。ジュリアンが杖にビビっていたところを見ると、まあ、メビウスの言う通りなのだろう。
今更ではあるけれど、召喚術の使い手の移動手段が車ってどうなんだろうな。
断続的に与えられる小刻みな振動が実に気分に悪い。
メビウスの愛車、イーゼルマインへの献身的な奉仕が、魔法使いとしての修練に全く意味がないと知ったとき。膝から背筋まで、力が抜けるようなあの脱力は今でも忘れられそうにない。じぶんの一年あまりはいったいなんだったというのか。さぞ高尚な意味があるのだろうと耐えたあの日々は、悔やんでも別に戻るものでもなし。
おかげさまで、サッフィールは機械の扱いだけが妙に上手くなった。雑音を響かせる小さなボックス。棘が生えたようなアンテナをシュルシュルと押し込み、畳んでポケットにしまい込む。
さて、魔法はどこへ行った?
そういったことを、サッフィールはつとめて忘れることにしている。
サッフィールはぐりぐりとイーゼルマインのダイヤルを好き勝手にひねっては手元の機械と合わせていた。
「それはおもしろいのか?」
「ええ」
「なにかわかるか?」
「ミランダさまがお戻りになられるそうです」
「ほう、王女が」
メビウスはうなった。
イーゼルマインの唯一にして無二の、謎の機能その1。
適切にダイヤルをひねると、どこかの国の電波通信が断続的に聞こえてくる。
メビウスはイーゼルマインの搭載機能にはあまり興味がないらしいが、サッフィールにはこちらのほうが面白い。聞こえてくるのは断続的な異国のことばで、実際はそんなこと、知る由もない。王女の件に関しては、叔父がそっと教えてくれた。
「入れ違いだったようですね。どうせならメビウスさまが呼んで差し上げればよかったのに」
「一国の王女を呼び捨てにするわけにもいくまいよ」
メビウスの仏頂面がほんのわずかにやわらいだように思える。
「きっちょうめんだなあ。いいですけど」
なんだかんだ、王女さまのご帰還を楽しみにしていたんだろうか。
サッフィールから見たメビウスとミランダの関係は、非常に奇妙なものである。
公的なあいさつ以外ではめったに話しているところを見ない。が、しかし、お互いに距離を保って存在するような、非常に不思議な関係である。まとっている空気が似ているというのか、弟子入りした自分よりもよっぽど”同類”であるような気がする。




