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その3 『魔術師メビウスのお仕事』

3.


 宮廷魔術師のメビウスは弟子のサッフィールを伴い、フォンコルドの邸宅を訪れていたところだった。

 フォンコルド氏の屋敷の廊下には、わざとらしくしゃくりあげるフォンコルド夫人のすすり泣きと、フォンコルド氏と使用人の足音、それから魔術師二名分のローブが床を擦る音が響いている。

 エントランスからずいぶんな距離を歩いているにも関わらず、だ。みながみな、さきほどから一言も口をきかない。

 サッフィールはいつものように冗談の一つでも言ってやろうかとも思ったが、厳粛な空気に飲みこまれてそれもはばかられる。

 どうにもこういう雰囲気は苦手だ。

(なんていうか、ついつい水を差したくなるじゃないか)

 よからぬことを考えていたせいか、サッフィールは不意にカーペットに足を取られてつまづいた。つんのめって膝をしたたかに打った彼に、三人分の目線が注がれる。

「足もとが暗くなっておりますので、お気を付けを」

 燭台を手に、にこりともしないで使用人が言った。

――おっせえんだよ!

 サッフィールはのど元まで出かかった言葉を飲み下し、心の中で毒づくほかなかった。


 屋敷は広く、廊下は粛々と続く。

 フォンコルドの廊下の明かりは必要以上に薄暗い。

 だいたい、このローブがいけない。足下まで覆う苔色のローブは不格好でひどく動きにくいし、間違っても魔術師の普段着などではない。引き摺るがゆえにほころびやすく、ただの布以上になんの効果もない。美点を挙げるなら、ポケットは多い。だからなんだ?洗濯するのは結局俺だ。メビウスなんかはついつい無造作にものを入れておくので、誤って洗濯したときは烈火のごとく怒られる。

 メビウスに言わせれば、だ。ローブを着こなすのだって、魔法使いとしての修行の一環だとか。


 かつて、市井の商人からサヴィトリアの上級貴族までのぼりつめたフォンコルド家の栄華はもうほとんど面影もなかった。どうやら困窮しているというのは嘘ではないらしい。ゆったりととられたディスプレイのガラスケースからはほとんど調度品が欠けている。手入れの行き届いていない屋敷には、容赦なく隙間風が吹き込んで、ひゅうひゅうという死にかけたようなような音を立てている。

 わびしさが心のうちに吹き込んできて、サッフィールは気を引き締めた。

 まさしく、明日は我が身である。なんとなく他人事とは思えない。

「フィローか」

 うなるようにしてメビウスが呟いた。つられてサッフィールも目線をそちらにやった。曲がり角の壁に唯一残っていた贅沢な金縁の絵画が、屋敷の中に空しく彩りを添えている。

 フィローとは画家の名前だろうか。サッフィールにはメビウスのように古品に執着するような趣味はない。その価値すらもよくわからなかったが、メビウスの言葉に対して屋敷の住人はうつむき、使用人はわざとらしく咳ばらいをした。そして、それ以上にとりたてて誰かが解説を加えることもない。

 絵を見て、さもあらんとサッフィールは思った。

 かの不世出の画家、フィロー・ルドールの名画の中央には、気だるげにほほえむ淑女をものともせず、「差し押さえ済み」の真っ赤な札が貼られている。

 台無し。

 呟くわけにもいかず、サッフィールは、ほんのわずかにフォンコルド家の人たちに同情を覚えた。ほんのわずかに。

 それは、数歩も歩けばふっと消えてしまうようなささやかなものだったが。


「こちらです。どうぞ」

 フォンコルド氏が客人ふたりををうやうやしく客室へと招き入れる。サッフィールはこれ幸いと革張りのソファーに座ろうとしたが、メビウスが即座に断ったのでそれもかなわない。

「すぐにすみます」

「そうですか」

 フォンコルド氏の表情がほっとしたように緩む。出来ることなら早く出ていってくれと言わんばかりではあるが、反面、なにを追及されるのか不安そうでもある。

「息子が亡くなったのは、ほんとうに突然のことでしたの」

 フォンコルド夫人は、ぐいとハンカチを目の端に押し当てる。サッフィールは、夫人が抜け目なく布地を透かすようにして視線をメビウスに向けたのを感じ取った。探るような目つき。ぞわりとするような感覚がした。

「お気の毒でしたね」

 メビウスはさも儀礼的に答えた。

「立派な息子でした。若く、愚かでもありました」

 フォンコルド氏が言うと、いっそう夫人のしゃくりあげの声が激しくなった。氏が献身的に妻の肩を支える。そのしぐさはどこか戯画的で、どうにもお芝居のようなしぐさになる。

 そういえば、フォンコルドの人間は芝居が好きだったな。サッフィールはなんとなく思い出していた。かつてのフォンコルドは、名優・女優を何人もお抱えにもち、舞台に向かっていくつもの花束を投げたものだ。

 舞台の幕ににフォンコルドの刺繍なくして、劇場での成功はなしとはよく言ったものだ。

 サッフィールはたまに父親に連れられ、華やかな舞台を目に胸を躍らせたものだった。

 フォンコルドのご婦人も、名女優に数えられる一人だった。さて、一世一代の泣きの効果のほどはいかほどか。サッフィールがメビウスの顔色を見やるが、メビウスは顔色一つ変えなかった。それどころか、フォンコルド夫妻に大した興味がないようだった。窓辺に歩み寄り、指先でつうとまどの桟をなぞる。おもむろに指先のほこりを吹いた。

 小姑か。

「葬儀の方は?」

「内々に済ませました」

「お気持ちはお察し申し上げます、フォンコルドさま」

 メビウスが向き直って言った。

「ええ、ありがとうございます」

「フォンコルドの数々の貢献、王は決して忘れもしておりません」

「オラルナールの発展は、メビウスさまも良くご存知のことと存じますな」

「ええ、もちろんです。フォンコルドの采配なくして、王都の発展はなかったことでしょう」

 メビウスがなかなか本題に切り込まないので、サフィールはなんとなく苛立っていた。こういう腹の探り合いは面倒だ。

「それで、品は返せないとおっしゃる?」

 サッフィールが口をはさむと、フォンコルド氏はぎょっと目を見開いた。

「なんの品でございましょう?」

 しかし、動揺をすぐに覆い隠す。腐っても貴族、というわけだ。うーん。やはり、一筋縄ではいかないようだった。

 メビウスがサッフィールをじろりとにらむ。直接的に過ぎる、と警告しているのだろう。

「恐れながら申し上げますと、フォンコルド当主のペンダントにございます。フォンコルドが立ち行かなくなる前に、自ずからご返納くださいますようとは、国王たってのご慈悲でございますが」

 メビウスがサッフィールに代わって口を開いた。

 そう、ペンダントだ。それさえあれば成り上がり貴族なんてただの成金。いや、もう、金もないのか。国王の名の下に、ありとあらゆる特権を許してきたペンダント。それはメビウスの持っている杖と同じ意味がある。

「なんと……何かの間違いでは。いえ、わかりました。王とて、何か御考えがあってのことなのでしょう。涙を呑んでお返ししたいところですがな、しかし、それはかないません」

 幾度となく練習した筋書きを反芻しているに違いない。フォンコルドは、じっとりと考えを巡らせるようなそぶりを見せた。

「……あのペンダントを持っていたのは、まちがいようもなく息子でした。一人息子。しかし、息子は……ノスリエルへ行ったっきり、我々の元へ帰っては来ませんでした」

 ノスリエルトは、北国である。国としては国交も乏しく、荒れ果てた土地だ。

 フォンコルド氏は持ち直してきっとメビウスを見た。

「残念ながら、こんなことになった今となっては、私どものほうでもどうしようもありません。手は尽くしているのですが……我々の下に帰ってきたのは遺髪のみ、でございました」

「その言葉に二言はありませんな?」

「どういう意味でしょう?」

 メビウスが念を押すと、フォンコルド氏の言葉の調子がわずかに挑戦的な気色を帯びた。

「どういう意味かといいますとですね……」

 メビウスが言いよどむ。

「ただ、お子さんが本当にお亡くなりになられているのかと、メビウスはそう申し上げたいのです。ですよね?」

 サッフィールが言い終わらないうちに、夫人がヒステリックに叫ぶ。

「馬鹿にして! どうしたらそのような嘘がつけると思うの!」

 メビウスはまたサッフィールの方に呆れた視線をやった。深くため息をつくと、再び夫妻の方へと向き直る。

「われわれがどういった存在なのか、お忘れですか? ごまかしは通用しません。ただ、勘違いであれば避けたいとも思います。我々は長らく、国王陛下のもとにひとつでした。あなたがたフォンコルドにおかれましては、私なんぞの、ゆうに……何倍も」

 口を開けたまま言いよどむフォンコルド氏は、探るように目線をあちこちにやったが、メビウスをまっすぐと見据える。

「勘違いなど、どうして起こり得るでしょうか。国王陛下の信頼に誓って、それはありえませんな」

 賭けに出たな、と思った。メビウスをどの程度見くびっているのかは知らないが、残念ながらそれは間違いだ。

「わかりました」

 サッフィールは声の調子から、メビウスが心底フォンコルド氏を心底軽蔑しかぎったのを感じた。

 メビウスはフォンコルドを見限った。ここで退いてくれたら、適当に場を収めるくらいの気持ちはあったろうに。なぜならば、それは、フォンコルドが居なければ自分の仕事が増えるから、という至極単純な理由でもあるのだろうが。

 信頼。安い言葉だ。

 メビウスが制止するように手の平を向ける。フォンコルド氏が怯む間もなく、反対の手でくるりと手持ちのステッキを一回転させると、添えるようにして宙に向ける。

「すぐにすみます。すぐにね」

 こちらの側からメビウスの表情を伺い知ることはできないが、サッフィールはメビウスの勝利を確信する。

 今、笑ったな。


 フォンコルド氏の態度が明らかに凍る。眉毛がハの字に曲がり、口がぱくぱくと開いては情けなく閉まる。顔中で泣き笑いのような様相を呈して、しかしまだ、諦めていない。

「大丈夫です、すぐに済みますから」

 メビウスは噛み含めるように言う。

 メビウスが勝利を収めるのには、もうほんの数分とかからないことだろう。なんたって、メビウスの術から逃れられる生者はいないのだ。

 メビウスが、杖でゆっくりと空中に大きな円を描く。

 この場にいるサッフィール以外の人間が狐につままれたように茫然とメビウスの杖の先を追っている。

 恐れと恍惚の入り混じった目つき。期待と恐れと、一抹の願いがないまぜになったような視線が太い樫の杖にまとわりつく。

――魅入られている。

 敵ですらなお。ステッキはバチバチと先から尾を引くように、円を描き、……正確な円。時計回りに三周すると、メビウスは杖の底でコツコツと満足そうに足元をつついた。両手にステッキを持ちかえる。さあ、準備は整った。空中をきっと睨み、メビウスは高らかに唱える。

「ジュリアン・フォンコルド。魔法使いメビウスの名において、汝を召喚する」

 断定調の厳かな声。閉じきられた部屋に反響し、二重三重にも響きわたる。円がまぶしく光り輝いて、部屋を満たす。数秒。わんわんとうなるような響きの後に、きっぱりとした静寂が訪れる。

 失敗か、成功か。フォンコルドの人間は未だ、失敗する方に最後の希望を託している。

 メビウスが口を閉じると同時に、光に包まれた男が現れ、床にどさりと落ちた。

 父親をそっくりそのまま横に縮めたような派手な青年は、まだ事態を理解していない。毛皮の帽子がなんとも場違いである。きょろきょろとあたりを見回して、不思議そうな顔をしている。

「ジュリアンさまですか?」

「え、はい……なんのごようでしょう?」

 ご愁傷様。

 いや……生きてるのか。

「父上? 母上も」

 声なき悲鳴。その場に崩れ落ちるようにして夫人が倒れた。

「これはですな、なんといいますか……」

 フォンコルド氏は息子の前によろよろと這い出ると、おぼろげに口を開いて意味の無い言葉をわめいた。歯の根ががたがたとふるえている。

 メビウスはフォンコルド氏を押しのけると、ジュリアンの首から古ぼけたペンダントをとりあげる。

 鷲の紋章が刻印されたアミュレット。サヴィトリアへの忠誠の証。

「はい、確かに受領いたしました」

 フォンコルドはがっくりと肩を落とした。未だ状況を把握していないのか、ジュリアンは怪訝そうな顔をしている。

 ジュリアンは価値を知らないようだが、王家への最後の忠誠の証、そして、フォンコルド当主の証でもある。

 それを失うことは、もはやサヴィトリアでの地位は棒に振ったようなものだ。

 メビウスは懐から几帳面に小箱を取り出すと、ペンダントを仕舞い込み、閉めた。おや、あの箱は見覚えがあるな。しかし、それで立ち去る気配を見せたので、サッフィールはおもしろくない。

「な、なんですか?」

 ジュリアンはずり落ちた丸眼鏡を押し上げた。

「我がメビウス師は、行方不明の探し物を見つけて差し上げたんですよ」

「行方不明? はあ……」

「礼の一つもあっていいのではないかと思いますが」

 杖を向けられ、ジュリアンの顔の色が完全に失せた。

「ありがとうございます、は?」

 サッフィールが杖でぺんぺんとジュリアンの肩をはたく。ジュリアンは震える声で絞り出した。

「あ、ありがとうございます?」

「サッフィール」

 メビウスは呆れたようにため息をついて……。

 おや、視線の先はあきらかにこちらだ。

 サッフィールは肩をすくめた。

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