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その2 『王女ミランダと画策』

2.


 廊下を小走りにしながらワーロックは考えを巡らせる。


 王宮魔術師メビウス。王の言うとおり、ミランダの相手としてこれ以上ふさわしい相手もいまい。魔術師らしく確かに得たいは知れないところはあるが、むしろあの男は有益だ。王宮魔術師である以上、身分のつり合いはあとでどうとでもなる。

 この城の中で、長い間よけいな野心を抱かないことがどれほど難しいことか。ワーロックはよくよくメビウスの価値を承知していた。

 アルテミアからメビウスがやってきて10年。アルテミアより、メビウスがサヴィトリアへの士官を言い渡された期間も10年だった。永久ほど脆いものはない、と言うのが向こうの言い分だった。魔術師にとって契約がどれほどの重みをもっているのか、ワーロックは分からない。

 10年という長い間、メビウスはエスヴァダルにやたらめったらにこきつかわれて、裏切ろうというそぶりすら見せなかった。

 魔術師というのは、げに度し難い連中である。

 まあ、悪く言えばめんどくさがり。余計なことはしない。政治に口も挟まない。最低限の取り扱いをしてやれば、余計な脅しをかけてくるようなこともない。消極的な面はあるが、完璧に陛下への忠誠を誓っていると判断して差し支えないだろう。ワーロック自身にも、こちらが手のひらを返さない限りはメビウスは粛々と従うだろうという読みがある。

 ただ、それは契約あってのこと。定めた期間が終わってしまえば、それもいつまでも続くかはわからない。

 これから、メビウスがこのサヴィトリアに留まってくれるという保証はないのだ。

 今、サヴィトリアは明らかな危機に瀕している。いつメビウスが愛想を尽かして出ていくか、ワーロックは気が気ではなかった。地位や名誉は、人をその地に縛り付ける十分な理由になりえる。しかし、メビウス自身には権力というものへの執着は薄いときたもんだ。

 そうなれば、残りは愛だ。打算的だと思われようがなんだろうがお国のためである。結婚すればなんとでもなる。

 ちょっと小ずるっこい考えではあるが、メビウスは別に結婚相手として悪い人物でもない。見目も悪くなく、頭の回転もずば抜けて早い。夫婦とは、お互いに尊敬あってこそ、とはワーロックの心情である。同情や庇護心といったものでの愛は、長続きしない。

「頭がお寒いのはやあよ」

 と、幼い日の姫様がそんなことを言ったのを思い出した。なんとなく寂しくなった頭をさする。

 どこぞのろくでなしとめあわされるくらいなら、早々にメビウスと決めるのは姫さま自身のためでもある。


 なぜだか、ミランダはメビウスとの結婚にはあまり乗り気ではないようだが。

 かといって騎士団長と上手くいくとはワーロックには絶対に思えない。それは、姫様が出来たお方であるからこそだ。彼を尊敬しろというのも気の毒だろう。マッハヤードは調子の良いことを言って、平気で国を捨てるような男だ。……先ほど助けてもらえなかったのをだいぶ根に持っていたのも否めない。

 ここはひとつ、自分めがそれとなくメビウスをミランダに売り込むとしよう。


 ワーロックは腰を曲げ、うやうやしくミランダの部屋をノックする。なるべくなら、哀れな老人に見えるように。心配しておいでですよ、というスタンスでいこう。ワーロックとて、エスヴァダルをして老獪と言わしめた大臣である。

「お茶はいかがですかな、ミランダさま」

 奥にちょこんと腰かけるソーマを見て、ワーロックはほほえんだ。

「おや、ソーマさまも一緒でしたか」

「はい」

 ソーマは手元から顔を上げ、小さな声で返事をした。

 黒髪王子ソーマ。

 サヴィトリアの第一王子、ミランダの唯一の弟である。順当であれば、ソーマがあとを継ぐことになったのだろうが、そうはならなかった。

 王妃クーリールがソーマの誕生と命を引き替えにしてこの世を去ってからというもの、エスヴァダルのソーマに対するあたりは強い。クーリールを亡くして、悲しみから立ち直ったかに見えたエスヴァダルは、ソーマがその場にいないかのように振る舞うようになったのである。

 これには、ワーロックもどうしようもなかった。さすがに王子というだけあってあからさまにないがしろにするものもそうはいないが、今では彼を相手にするものもほとんど城にいないのである。

「堂々としていればいいのに」

 姉のことばにソーマは縮こまるが、嬉しそうにはにかんでもいる。

 2年経ってなお、姉弟の仲は悪くないのがワーロックには唯一の救いのように思われる。

「ワーロック、お茶をありがとう。おかけになっては?」

「ご歓談のお邪魔ではありませんかな?」

「ううん、どうぞ」

 ソーマが立ち上がっていすを引いたので、ワーロックはいっそう恐縮して椅子に腰かけた。

「すみませんな、ソーマさま。まずはお帰りなさいませ、姫さま」

「おかえり、姉さま」

 ソーマも喜びの意を添えた。

「はい、ミランダは我が故郷、サヴィトリアに帰ってまいりました」

 ミランダはすっと立ってお辞儀をした。おお、とため息が漏れる。

 2年間。ミランダはサヴィトリアを出て隣国へと学びに出ていた。

 それには、王妃亡きあと、エスヴァダルがミランダを猫かわいがりするようになったのが大きい。年ごろになりミランダが亡き王妃の面影を写し取ると、目に見えて熱の入れようが増した。その様子に危険を感じたワーロックは、しばらく距離を取ることをすすめたのだ。もちろん、後学のためだとか花嫁修業とかなんとか理由を付けて。

 どうしたらあの頑固な国王を説得できたのか自分でも不思議ではあるが、ともかくなんとかやってのけた。2年も前のことだが、あのころはずっと生き生きしていたように思われる。メビウスの手助けもあった。


「2年間も離れていれば何かあるかと思っておりましたが、陛下の態度もあまりお変わりませんな」

 ワーロックは茶器に茶を注ぎながら、少し複雑な気分になった。エスヴァダルの気持ちもわからないでもない。近ごろは、めっきり過去の自分の栄光ばかりを思い出してはたびたび情けなく思っている。

「2年やそこらで人が変わるとも思えませんね。ソーマ、そちらは元気にしていらして?」

「それなり。メビウスがいるし、わざわざぼくに手を出そうって人もいないよ」

 ソーマはカチャカチャと机の下で何かを弄っている。

「パズルですか?」

「うん。メビウスに貰った」

「へえ……」

 ソーマは、ちゃっかり見とがめられないと見るやカラフルな立方体を堂々といじり始めた。

「色をそろえるんだよ」

「っと、失礼」

 ワーロックは、お茶と一緒にさらさらと白い粉薬を喉に流し込む。

「ワーロック、どこか悪いの」

 ソーマが心配そうに尋ねる。

「どこも悪くない老人などおりません。いえいえ、気休めにございます」

「白髪が増えましたね」

 ミランダの言葉とともに、ソーマがワーロックの髪に手を伸ばして撫でる。

「歳ですからなあ」

 ワーロックは力なく笑った。

「2年。長いようで短い2年でした」

 ミランダは一口お茶を飲むと、ほうと息をついた。

「姉さまのことですもの。アルテミアのお姫さまともとっても仲が良くって、学校でも、一等賞だって聞きました」

「それはそれは。いや、ミランダさまのご留学が実りあるものになったようで、この老いぼれは嬉しいですぞ」

「その実りは、収穫しそこねましたようです、ワーロック」

 ぴたりとワーロックは口をつぐんだ。おそるおそるミランダを見やる。ミランダの、エスヴァダル譲りの群青の瞳の奥は笑っていない。

「ワーロック、お父さまのお加減は」

 ワーロックはもごもごと口ごもった。

「精神的な面では、いささか落ち着きを失っていらっしゃる……」

「お身体の方は?」

「……すこぶる快調でいらっしゃいます。元気すぎるくらいでございますな」

 ミランダの目がつりあがる。

「でしょうね。それで人を呼びつけるのですから、まったく……! お父さまがああだから、わたくしはマッハヤードなんぞに侮られるのです。わたくしがわざわざ舞い戻ってきたのも、お父さまが急病だと言うからこそです。呼び帰されたと思えば、あの体たらく……わたくし、落胆いたしましたわ」

 ワーロックは面食らった。間違っても、ミランダはこんなにあけすけな物言いをするようなタイプではなかったのだが。

「いや、それはその……。ミランダさまにおかれましては、ずいぶんたのもしくなられましたな。2年ぶりですから、嬉しいのでしょう。姫さまの心労もまったくですが。陛下はお若いころの栄光が忘れられないとみえます。学問もひと段落と言ったころあい。どの道しばらく滞在されることと思います。ここはひとつ、ミランダさまも腰を落ち着けて、陛下を安心させてやってみてはいかがですかな?」

 ミランダの顔つきが険しくなった。

「2年ぶりに会ったら、メビウスが何ですって? 実父といえど、さすがにこのわたくしにも多少思うところがあります」

「……ミ、ミランダさま。私のちからが及ばず、ふがいなく思います。しかし、あのですな、私から見ても、メビウス殿はそう悪い男とも思えず」

「フォンコルドが転覆。メビウスの任期も過ぎようとしている。騎士団長が良からぬことを企むのも道理。国家の危機だから、わたくしにメビウスを引き留めろということでございましょう」

 ワーロックはうっと詰まった。

「はあ。まあ、姫さまの美貌をもってすれば、気のあるそぶりでも見せたら一発ではありませんか」

「いやです」

「は?」

「ごめんです」

 ワーロックはまじまじと目を見開いた。

 なんだか急に耳が遠くなったような気がする。姫様の存在も、気のせいでないほど、遠く、……しかし大きく感じられる。

 ミランダ王女は相も変わらず平然としていて、聞き違えではなかったかと錯覚するほど。


 ミランダを見る。優雅な所作に変わりはない。ソーマを見る。この王子はわれ関せずとばかりに、ぱちぱちと立方体を弄っている。立方体の色は、ほとんど揃うところだった。

「しかしですな、国難というものがありまして……」

「ワーロック、私に考えがあります」

 人差し指を唇にあて、ミランダは油断のない目つきでワーロックを見上げた。

 その表情は、2年前の姫君からは考えられないもので……。

「我が愛すべきサヴィトリアは、平和の上にあぐらをかきすぎておりました。アルテミアにてこのミランダはそれをしかと感じた次第です。メビウスは借り物で、この国の人間ではありませんし、第一、そのような懐柔でどうにかできる男でもありません」

「姫さま」

「私は、思うのです、サヴィトリアは、メビウスから独立するべきであると」

 ああ、ちょっとでもこの聡明な姫ぎみを国から、少しでも出したのが間違いだった。もともと、気位の強いところはあったが、それだっていつも最後にはワーロックのいうことを聞き入れてくれた。アルテミアへ留学なされる際には、この爺のために鳴いてくださった。

 無邪気な姫。慎重な王子。昔はよく、まだ腰の曲がっていないこの老いぼれの周りをついてまわったもんだ。


「それでは、作戦会議といたしましょう。ソーマ!」

 ソーマは頷くと、机の上に、くるくると城内の地図が広げた。

 いったい、何がはじまるって?

 ワーロックの頭に、懐かしい思い出が浮かんでは消えていた。

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