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Good-bye, a runaway Boy

作者: つがる


「ねえ、君…聞こえてるのかい?」

暖かくなってきたとはいえ、まだ初夏。とうに

夜も更け、肌寒い空の下、街灯の黄ばんだ光だけが公園を照らしている。そんなどこか薄気味悪い夜の公園に、ぽつりと浮かぶ二人の人間。一人はベンチの上で膝を抱え、もう一人は…どうやら警官らしい。その警官らしき人物が、ベンチに座る少年に問いかけていた。

「もう夜も遅い。…家はどこだい?近くに住んで

いるのなら送っていくよ」

少年は答えない。ただ抱えた膝の間に顔をうずめ、冷えてきた体を手のひらで温めるようにさするだけである。その姿はチカチカと明滅する街灯の灯りと相まって、不気味だった。そんな少年にしびれを切らせたのか、話しかける警官の語気がすこし荒くなる。少年の肩に手をかけ、先程より大きな声で問いかける。

「なにか答えてくれないか。補導なんてされたく

ないだろう。とりあえず、お家の方に連絡を…

っ!!」

突如、少年が肩にかけてあった警官の手を勢いよく払いのけた。膝に埋めていた顔を上げ、噛みつかんばかりに警官を睨み付ける。警官は突然のことに驚いた様子で、払われた手を逆の手で押さえている。

「連絡なんかしなくていい。余計なことしないで

くれよ」

さっきまでの様子がうって変わり、強気な口調で少年が捲し立てると、はっと我に帰ったように警官が背筋を伸ばした。それから、先程の少年の行動と言葉を理解し、怒りがこみ上げたのか頬をみるみる紅潮させる。唾が飛ぶのもお構いなしに、先程から自分を睨み付ける少年に吐き捨てた。

「お前っ!なんだその態度は!こっちは心配して

声をかけたんだ」

少年はその怒りを前にしてもまったく意にかえしていないようで、平然とした態度で言葉を返した。

「頼んでない。本当に連絡なんか要らないんだ。

ほっといてくれよ」

「なぜ要らないんだ」

多少落ち着いたのか、警官がゆっくりと腕を組む。

「呼ばなくったって、来るから」

「どういうことだ?」

「そのまんまだよ。もうすぐ来る」

来る、の一点張りの少年は、まだあどけなさを残した、大きな瞳を持っていた。茶色がかった黒髪は、細く多少の風でもふわりと舞う。不思議な子だ、と落ち着いてきた頭で警官は思った。制服で、荷物だって持っていない。どう見たって家出した姿だというのに、態度は大きく、取り乱した様子も見られない。本来ならばこの時間帯、少年は補導の対象である。それをしなかったのは、なぜだろうか。家が近いのであれば送っていこう、と思ったのも理由のひとつだが、どこかそれをする必要はない、と思わせるなにかが、この少年にはあったのだ。

これでは職務怠慢だな、と心の中でぼやきつつ、少年をこのままにしておくわけにはいかない、と少年に近づこうとした、そのときだった。

「ハルキ!!!」


閑静な住宅街の隅にある公園に、轟音が響く。

少年がはっとして声のした方を向いた。

「ハルキ」

そこには、薄緑色のブラウスに、黒の裾が柔らかく広がったスカートという出で立ちの女性が仁王立ちしていた。走ってきたのか、すこし息が荒いようだった。肩までの髪はブラウンで、緩く巻かれてあり、暗くてよく見えないが、瞳だけは大きく、少年とよく似ているのはわかった。清楚な服装の女性が仁王立ち、というなんともアンバランスな光景に、警官は思わず首をかしげた。

「警官さん。その子、連れて帰ります。ご迷惑か

かけてすみませんでした」

「…え?」

「その子、弟なんです。ちょっと家出する癖があ

る」

弟ということは容易に創造できた。しかし家出の癖というのはどういったことか。そんなはた迷惑な癖があってもいいものだろうか。警官は

先程から押し黙っている少年を振りかえる。…なるほど、よく似ているようだ。目も、すこし垂れている眉も。少年はまっすぐに姉を見ていたが、やがて口を開いた。

「姉ちゃん。よくここがわかったね」

すこしも悪びれている様子などなく、ただ姉がここにいることは当然だ、といった意味が含まれているような言葉だった。問いかけてはいるが、その答えはもう自分でわかっているようだ。

「わかるよ。お姉ちゃんだもん」

女性は小さく微笑むと、弟の手を取り、微笑んだまま警官の方を向いた。

「本当にすみません。ちゃんと連れて帰りますか

ら、見逃してください」

「あ…はぁ、わかりました…」

「ありがとうございます!…ほらハルキ、あんた

も謝りなさい!」

女性は勢いよく頭を下げると、責めるように弟を見つめた。その様子に観念したのか、少年は黙って頭を下げた。

「ああ、いえ、大丈夫ですよ。ほら、頭を上げて

ください」

「ありがとうございます…。今後はほんとに気を

つけますから…」

警官の言葉にほっとした様子で頭を上げると、さっきよりしっかりと弟の手を繋ぎ、また警官を見た。

「それじゃあ…私たちは帰ります。…ほらハルキ

、帰ろう」

「…うん」

軽く会釈をしてから、公園の出口へと足を向け、ゆっくりと歩き始めた。しかし少年は足を止め、警官の耳元に口を寄せ、囁いた。

「ね、ちゃんと来たでしょ?」

そう言うとにまっと口角を上げ、無邪気に笑い、それからはもう振り返らずに歩いていったのだった。

「なんだよ、笑えるんじゃないか」

少年の言葉の真意はわからなかったけれど、最後に見せた笑顔は、年相応の少年のそれだった。


「…久しぶりだったね、ハルキの家出」

夜風が歩く二人の頬を優しくなでる。先程書いた通り、初夏の夜空はまだ肌寒い。繋いだ手と手だけが、二人に暖かさを与えていたのだった。

「そうかな。…いや、うん。そうだったかも」

少年…ハルキは幼さの残る顔に苦笑を浮かべて、都心から離れているからか、淀みのない満天の星空を見上げながら言った。空は明るく、二人を優しい光で照らしている。

ハルキは高校一年生だ。自宅から程近い、偏差値もそれほど高くない公立高校に通っている。…とはいっても、現在いるこの場所は、自宅からはとても遠いところにあるのだが。正直、ハルキは今自分がどこにいるのかわからない。ただなんともなしに電車に乗り、適当なところで降りただけだからだ。遠いところに来てしまった、ということは、都心とはまったく違う町並みでわかったのだった。

「…さっきも聞いたけどさ、俺のいるとこなん

で分かったの」

「分かるって言ってるでしょ?お姉ちゃんはエ

スパーなんだから!」

自信に満ち溢れた表情で、姉…優子は言った。緩く巻いた柔らかな髪を、夜風で揺らしながら。その様子が弟ながらに綺麗だと思って、しかし表情には出さず、ハルキは呆れたように苦笑した。

「…そうだね、GPSという名の超能力を駆使し

てみせた」

「もう…可愛いげのない子!少しは申し訳なさ

そうな顔できないのかな、家出少年?」

優子は弟の生意気な言動に一瞬怒ったように口を尖らせたが、すぐにからかうような表情に変わって弟の頬をつねった。

「いっ…いひゃい」

「これに懲りたらもうしないこと!」

「わかってるよ…」

ようやく解放された左の頬が痛むのか、片手でさすりながら優子を睨む。しかし優子はまったく意に返していない様子で、意地の悪い笑みを浮かべたままだ。そのことに不満を感じるハルキには、姉が乗ってきた車までの道のりが長く感じられていた。そのせいかふてくされたように口が尖っている。

「…本当に最近は無かったけど、君はよく家出

をする子だったわ」

それは自分でもよくわかっている、とハルキは心の中で呟いた。自らの意思でしていることだから、わからないはずがないのだ。自分はよく家出をする子供だった。それは家族の関係が悪いとか、人間関係で悩んでいるといったことが理由ではない。ある時は、学校のテストの結果が悪かったとか、前髪を切りすぎたとか、そんなことで。親も首をかしげるのは当然だった。家出をする以外は、園芸が趣味の、いたって普通の子供だったのだから。

とにかく、ハルキは意味のわからない理由で、すぐに家出をしてしまう子供であった。リビングのテーブルに『ちょっと家を出てきます。』

というような内容を書き記して。そしてそのそばには、黄色や白、薄紫といったさまざまな色をしたクロッカスの柄のペンが置いてあった。男子が持つにはすこし可愛らしい物ではあるが、それはハルキのお気に入りのペンだった。姉はその手紙とペンを見ると、すぐに弟を探しに出た。居場所もなにも書いていないのに、優子はいつも誰よりも先にハルキを見つけてしまうのだった。それはハルキにとってとても嬉しいことだった。けっして口には出さないけれど、優子が必ず見つけてくれる、その事実がとても幸せなのだ。…きっと学校の友達に言ったらシスコンなのかと笑われてしまうだろうが。

「まったく…。今日は浩介さんも家に来てるの

よ。心配してたわ、あなたのこと」

…浩介さん。その名前にハルキは思わず顔をしかめそうになったが、なんとかこらえてため息を吐いた。


「…そっか。もうすぐだもんね、結婚式」

…そう。優子は結婚するのだ。その浩介さんと。二人は大学時代に知り合って、すぐに付き合い始めたらしい。とても仲が良く、まさに相思相愛、理想の恋人同士だった。浩介はとても優しく、多少心配性が過ぎるが、人に好かれる人柄だ。…もっとも、ハルキにとっては、姉を取られたようで気に入らないのだが。

「…うん。ハルキもちゃんと来てよね、結婚式

「行くさ。そりゃあ…」

語尾が少し小さくなってしまったのは、どこか優子と浩介の結婚に不満があるからだろう。別に、浩介のことは嫌いではない。むしろ必死に自分を理解しようとしてくれる、誠実な姿が好きだ。でも、やっぱり…

「あぁ…そうだ。私の部屋の花瓶に、たくさん

の花びらのついた花が飾ってあったけど…あれ

ってハルキよね?」

「…まあね」

「すごく綺麗だった。ありがとね」

「そっか、よかった」

「あれ、なんて花?」

「デンファレ、だよ」

それはハルキが、学校帰りに寄った花屋で買った花だった。家を出る前に、こっそり花瓶に生けておいたのだ。ちゃんと優子は気づいてくれたらしい。ちょっと顔がほころびそうになる。

「…あれって、花言葉はなんなの?」

ギクリ。いたいところを突かれた。内心の動揺を悟られぬよう、無表情を貫きながら言葉を返す。

「知らないよ、そんなの」

「…そう?なら仕方ないかぁ」

そんなハルキを気にした様子もなく、優子は会話を打ち切った。


本当は、デンファレの花言葉は知っている。というより、知っていたからこそ買ったのだ。それを教えなかったのは、せめてもの対抗なのだ。自分の子供っぽい一面がそうさせた。

ハルキは、少し歩くスピードを上げて、繋いだ手を引っ張るようにした。優子は多少驚いた様子だったが、すぐに歩調を合わせてきた。それからしばらく、二人は無言で歩いていた。


「姉さん」

ハルキが不意に声を発した。先程までの少しだるそうな雰囲気ではなく、真剣そのもののトーンであった。

「…ん?」

優子はすこし早めの歩調に合わせながら、まっすぐにハルキを見つめた。純粋な、その年齢にはそぐわない優しい視線が、いつのまにか背を追い越してしまったために、上目遣いで注がれていた。

「俺さぁ…」

ピタリ、と二人の足が止まる。そして、少しの…静寂。


「もう、家出しないよ」


時間が止まる。たった、一言。たった一言の、決意。ハルキにとって、さまざまな思いを、不満を、寂しさを受け入れて、前に進むための。優子だからこそ分かる。これを伝えるために、ハルキがどれだけ悩み、迷ったのか…。


「…そっか」


いろんな思いが溢れてきて、結局、優子はありきたりな返事しか返すことができなかった。それでも、ハルキには思いがちゃんと伝わったようだった。

「うん、だから…」


「これが、今日が、最後だ」

精一杯の笑顔を作って。溢れそうな涙を堪えて。これが最後だと、終わりだと、はっきりとした口調でハルキは伝えた。

「うん。…うん」

「…ありがとう。探してくれて、見つけてくれ

て、ほんとに…ありがとう」

…今度は、姉さんが家を出る番だ。

最後の一言は、口には出さなかったけれど、優子にはしっかりと伝わったらしい。優子の手が、優しくハルキの髪を撫でる。

「こっちこそ、ありがとね?」

「迷惑だったろ」

「全然」

本当だった。優子にとって、ハルキの家出は、迷惑なものなどではなく、弟への愛情が、熱く燃え上がる時間だったのだから。

…ああ、なんて。なんて愛しいのだろう。

身長が追い越されたって、生意気な言動が目立ったって、…恋人ができたって。弟は大事だ。どうしようもなく、愛しい存在なのだ。癖のついた猫っ毛が指に吸い付く。

「姉さん…。幸せに、なれよ」


目の前に、すこし広い駐車場が見える。優子の車も。ハルキは繋いでいた手を放して、まっすぐにそこへ向かって歩きだした。優子はまだ止まったままだ。

「…あったりまえ!」


…ねえハルキ。ほんとはね、デンファレの花言葉、知ってるんだ。


…なぁ姉さん。デンファレの花言葉はさ…



【お似合いのふたり】


ささやかな、祝福。


いつのまにか大きくなった弟の背中を追いかける。大きくなっても、あのクロッカスのペンは変わらず持っていた。クロッカス。あのペンを見て、優子が探しに行かないわけがないのだ。だって…あの花の花言葉は。


【あなたを待っています】


なのだから。


「ハルキ!帰ろう!家に!」

「うん。…帰ろう」

帰ろう。暖かなあの場所に。乗り込んだ車の中、流れ始めた緩やかな音楽が、二人の幸せを祝福していた。



これは、姉弟の、ささやかで幸福な…


最後の家出のお話だ。




最後まで読んでくださり、ありがとうございます。短編小説は初めてで、全体を通してよくわからないことになってしまいました…。


感想や気になった点などを、レビューしていただければ嬉しいです!!

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