第1話 運命
魔法と呼ばれる力が現代人の知識として馴染み始めた時代。
人々は、新たな驚異にさらされていた。
魔法生物―――魔物。
現代の人類がもっとも恐れる存在であり、いまだ謎に包まれた生き物は、魔導区画と呼ばれる区域『PIエリア』から発祥するとされていた。
第一エリアから第百二十エリアまで存在する魔の領域。
魔法使いは杖を取り、魔法を持って、その未踏破エリアへ挑んでいく。
信頼する、仲間たちと共に。
「………」
まだ幼さは残るが綺麗に整った容姿。首に付けられた黒いチョーカー。肩下まである青紫色の髪と、同色の瞳に眼鏡を掛けた少女・六道六花は、光琳学園中等部の薄黒いブレザーの制服姿。朝の食卓で一人、無言のままテレビに流れるニュースを眺めている。
『各地で激化している魔物の被害』
『エリア踏破率いまだに20パーセント』
『魔法チーム壊滅が絶えず』
その他にも魔法に関する事が広く報じられていた。
六花は興味も半分という様子でテレビを消すと、食べ終えた後の食器を洗い、乾燥機にかける。
慣れた日常。
彼女は玄関に置いてあったカバンを手に取ると、自身の住むマンションの部屋を出た。
「おはよう、六花」
扉に鍵をかけていると、ちょうどお隣から出てきた少女から挨拶を飛ばされた。
中等部の六花とは少しだけデザインの違う高等部の制服を着ている。長く艶のある黒髪を自然に下ろした彼女に、六花は親しみある挨拶を返す。
「おはよう久菜」
光琳学園高等部の二年生である久乃木久菜は、中二の六花とは三つ違いの先輩。
「今日は早いわね」
「そっちもね……」
「私は生徒会の打ち合わせ。六花は?」
「貴方と一緒。私も今年から中等部の生徒会長だし……」
「そういえば、この前そんなこと言ってたわね」
他愛ない話をしながら、エレベーターで九階から一階までを降りると、いつも通りの通学路を並んで歩いていく。
「でも、中等部の生徒会って朝から何かしたかしら? あんまり記憶に無いんだけど……」
中等部でも生徒会長をしていた久菜は、過去に自分がしてきたことを頭に浮かべながら話す。
「今日は中等部に転校生が来る日だから、先生に頼まれてることがあるだけ。同じクラスになるみたいだし……」
「……転校生? この時期に?」
今は5月半ば。
いくらなんでも中途半端過ぎないだろうか、と訊ねる久菜に、六花は「さぁ…」とジェスチャー付きで頭を振った。
光琳学園が見えてくれば、早出とはいえ自然と生徒が増えてくる。
二人が学校に近付くに連れて、朝のあいさつが飛び交うようになるのは、彼女たちの日常だ。
「おはようございます六道先輩」
「おはようございます、六花会長!」
「おはようございます」
「おはようございます、久乃木会長!」
「久菜さん、おはようございます」
「おはよう」
並んで歩く、高等部の生徒会長と中等部の生徒会長。
知人、友人はもちろん、名前しか知らないような生徒も、丁寧なあいさつをしてくれる。
「いつもいつも人気者ね、六花……」
「あなたもでしょ?」
◇ ◇ ◇
光琳学園中等部の二年教室。
先生から転校生の案内役やら説明役やらを頼まれた六花だったが、結局、朝は噂の転校生に合うことがなかった。
「おはよう」
「おはよう六花ちゃん」
人もまばらな教室。自分の席に着いて今日の生徒会で使う資料を纏めていると、二人の少女が寄ってきた。
六花の友人である島野綾と荒垣香弥子。
「おはよう、綾ちゃん。香弥子ちゃん」
「ねぇねぇ六花! 今日だよね、転校生が来るっていうの!!」
快活な勢いで生徒会長に迫る綾は、噂の転校生に興味津々のようだ。見た目通りの明るい様は、体育会系らしく活発だ。
それを後ろで見ている香弥子は、綾と対照的でお淑やかに笑っている。
「どんな子? 男? 女?」
「女の子。まあ、私もまだ会ったことないけどね」
「なぁ~んだ」
つまんない、と綾は萎えた顔をする。
「六花ちゃんが転校生さんの案内役をするんだよね?」
今度は香弥子が訊ねてきた。六花は微妙な顔で答える。
「うん、まあ一応は……」
正直、あんまり気が乗らないのだが。
六花はどちらかと言えば、人見知りがする方だ。初対面の人を相手に、上手く話せる自信がない。
ぶっちゃけ、生徒会長になったのも周りに勧められたからで、なあなあの内に生徒会長になっていた。思いの外、後悔している六花だが、やるからにはやる、というのは、彼女の良いところだ。
何だかんだで、何でもそつなくこなしているが。気苦労はあるもので、
「私たちも同じクラスだし、そういうことは協力するね」
こういった香弥子のフォローは、素直に有り難いと思う六花だった。
「は~い、みんな席に着いてぇ~」
話してる間にクラスの席も埋まり、担任教師が入ってきた。
「知ってる人もいると思うけど、今日は転校生を紹介します」
入ってぇ、と先生に言われ入ってきたのは、赤み掛かった明るい茶髪を腰辺りまで伸ばした、美しい容姿の少女。
教室内が、特に男子がざわめいた。
先生が黒板に名前を書いていく。
彼女の名前は、
「転校してきた水嶋和希です。よろしくお願いします」
落ち着きある綺麗な声が、ざわめきの中でもよく通った。
(綺麗な娘……)
同性の六花から見てもそう思う。
凛とした立ち姿。隙の無い雰囲気はまるで、
「水嶋さんの席はそこ、六道さんの隣ね。―――六道さんはクラス委員で、生徒会長でもあるから、分からないことは彼女に訊いて」
「……はい」
六花が思考に至る前に、転校生は先生に指定された席に進む。
窓際の最後列に座る六花の、隣の席へ……………着く前に、彼女は六花の正面に立ち止まった。
「?」
思わず目を合わせてしまう六花。
「水嶋さん?」
先生も呼び掛けるが、転校生はそのまま六花を見つめ続ける。
美人生徒会長と美人転校生の見つめ合いに、クラスの視線も集まっていた。
「六道…六花さん…」
「は、はい…」
いきなりフルネームを呼ばれて、六花は気圧された、ような気がした。
「E機関の《水の姫》」
瞬間、六花の体が固まった。
周囲のざわめきのせいか、クラスメイトたちにはハッキリと聞こえなかっただろうが、直接言われた当人は間違いなく脳に入った。
唖然とした六花から、和希は視線を逸らすことなく。六花もまた、思考が停止して動けなかった。
さながら蛇に睨まれた蛙のような。
しかし、今はホームルームの最中、いつまでもこのままでいる訳にもいかず。
「水嶋さん? どうしました? 席に着いて下さい」
再度飛んできた先生の言葉で、転校生は一礼をしてから指定の席に座る。
その後はいつも通り、何事もなく一限目の授業が始まった。だが、六花の思考だけは、授業終了まで止まったまま、完全に凍り付いていた。
一限目が終われば、自然と転校生の元に人が集まりそうなものだ。しかし、チャイムと同時に思考復帰した六花が、誰よりも早く和希を教室から連れ出した。
「ちょ、六花!? どこ行くの!?」
「校舎案内!!」
綾の言葉に叫ぶような答えを返し、長い廊下にドップラーが響く。
廊下をいく途中にも周囲の視線が集まってくるが、六花は気にしている余裕などない。
表情は固く。身の内は震える。
もはや、忘れられた存在になっていると思っていた、過去の自分。しかし、呼ばれてみれば懐かしくもない。引退して間もない四年前は、こういう、日常へ介入してくる非日常者などざらだったが、時を経てみると些細では済まされない動揺が体を支配していた。
「あなた誰? 誰の差し金?」
人目に付かない校舎裏まで来て、六花は噛み付くように転校生へ問い掛ける。
対して、彼女は困惑した表情のまま、
「校舎案内で一番最初に校舎裏へ連れて来られたのは始めてです」
もっともだが、もとより案内目的で連れ出した訳じゃないことは、和希も分かっているはずだ。
「ふざけないで……」
睨む視線を対面に向ける六花。
「そ、そんなに警戒しないで下さい」
「するに決まってるでしょ?」
慌てる転校生と、静かだが殺気に近いものを向ける生徒会長。
「………私がここに来たのは、貴女にお願いがあったからです」
「………」
そう言われたところで、警戒が解ける訳がない。だが、六花にとっては予想外に、和希は深く頭を垂れて口を開いた。
「お願いします、六道さん。私たちに力を貸して下さい?」