なら答えろ。
覚えている方がいるかどうかわかりませんが……書籍版ではレギュラーキャラになった美杏はWEB版では立ち位置が違います。
女子大で講義を受けたあと、渋谷まで出てきて買い物を楽しんでいた美杏は他の多くの通行人と同じく、突如として駅ビルの壁面に映しだされた映像に衝撃を受け、その足を止めた。
誰もが皆、不安と驚きに包まれ、ざわついているのがわかる。
〈こんにちは。全世界の皆様、私がメタリカの首領、小森寧人です。さて早速ですが、皆様には一つ、絶望的な光景をお届けいたしましょう〉
夕暮れの街角に不釣合いなその映像には、細身の若い男性が映っている。どこかで見たことがあるような気もするが、そんなはずはない。きっと勘違いだ。
大仰な玉座に座る黒衣の男は肘置きに腕を乗せたまま、聞いているだけで震えてしまいそうな冷たい声で衝撃的なことを言い放った。
「……えっ……?」
見れば、周囲の通行人たちはそれぞれ携帯端末で事態を確認しようとしているようだった。当たり前だ。メタリカ首領を名乗る男による突然の放送、そして不穏なその言葉。
これは、一体なに?
つい先日、ディランによる放送が行われたことは知っている。それは世界中の人々に希望を与える内容だった。では、今回のこれは?
美杏は自分の携帯端末を取り出し、ニュースサイトを開いた。もしこれが世界中に同時に流されているとすれば、それは一体どういう意味を持つのか?
「……どういうこと……?」
映像の画面が切り替わった。
左上に表示されているLIVEの文字。衛星動画が映し出しているのは、どこかの海域の島だった。
青い海に浮かぶ島。親切なことに座標までもが表示されている。と、なれば誰にでもアクセスできる衛星動画サイトを確認する人もいたようで、美杏の周辺にいた通行人たちは自身の端末で現在のその島を確認したようだった。
どうやら、パブリックビューイングに映し出されたこの画像は、本当に現在の映像のようだ。
美杏がそう認識した次の瞬間。
映し出されていた映像に変化が起こった。映像の切り替えではない、映し出されていた場所、その島に変化があったのだ。
一瞬の閃光、そして爆煙。なにも見えなくなった衛星動画。
気の遠くなるような長い数分間が過ぎた。
しばらくすると映像の解像度が上がっていき、煙を透過して映る島の画像が映る。
その画像に映る島は、もはや、さきほどまでのそれとは違っていた。
「……うそ……でしょ……?」
美杏は思わず口元に手をやった。見渡す限り周辺にいた渋谷の街を歩いていた多くの人々も同様だ。
そこには『島』はなかった。
陸地がバラバラに砕け、大波に飲まれ、一方で火柱も上がっている。そんな光景が映っているだけだった。
〈いかがですか? 確認していただけましたでしょうか。ああ、私が映っているこの場面は録画です。ですが、すでにご理解いただけたかと思いますが、先ほどの動画は『生放送』となっております。優秀な私の部下が、タイミングを合わせてやってくれました〉
表情一つ変えずにそう言ってのける映像の男、メタリカ首領小森寧人。
直後に、美杏の周囲にいた都会での休日を楽しんでいた通行人たちから驚きの声が上がった。
慌てて携帯端末でニュース速報などの情報を確認した美杏は、自分が期待していた予想がはずれていたことを悟る。
ニュース速報にはこう表示されていたのだ。
『太平洋沖ロバート島、消滅。何者かによる戦略兵器の使用によるものと考えられる』
美杏の端末に、友人や家族からたくさんの連絡が入ってくる。この衝撃的なニュースを共有するためのものだ。
同様のことが周囲の人たちにも起こっているらしく、あちこちから携帯端末の着信音が聞こえてくる。
「……ほんとなんだ……。これ」
美杏がしていた予想、つまり、これは大掛かりなジョークなのでは、という希望的な幻想は粉々に砕け散った。
そんな美杏の気持ちなど知る由もないであろう映像の小森寧人は優しい口調で次の言葉を述べてきた。
〈ご心配なさらずに、あの島はただの無人島です。いくら我々でも大陸間弾道ミサイルに対する防衛設備が整う現代において、このようにスムーズに攻撃を成功させることは多少……『難しい』ですから。したがって、我々の本拠地である煉獄島からもっとも攻撃しやすい島を選びました〉
渋谷の群集たちからどよめきが走る。無理もない。
あの島が無人島なのは良かった。でも問題なのは『あんなこと』がこの22世紀現在において起きたことだ。
気がつけば、美杏の膝は小刻みに揺れていた。
〈さて、俺が何を言いたいかわかりますか? そう。メタリカは戦略兵器を保有しており、かつ、それを行使することにいささかのためらいもないということです〉
さきほどよりやや荒っぽくなった小森寧人の言葉。そして群集たちが息を飲むことによる静寂。おそらく、ここ数世紀にわたり、世界がこれほどの静寂に包まれた瞬間はなかっただろう。
しかし一瞬ののち、美杏の右隣りにいた青年が叫んだ。
「……ハ、ハッタリだ!! 戦略兵器の使用は条約で禁じられているが……どの国だって、ガーディアンだって持っている!! メタリカがそれを使うのなら、そっちだってただで済むはずがない!!」
青年の言葉が周辺に伝播していく。
「そ、そうだよな……。そんなことをすればどうなるかってことくらい……!」
「そうだそうだ!! 大体、国家にはICBMに対する防衛システムがある……! びびることはない!!」
「煉獄島……? 本拠地がわかっているならメタリカだって……!!」
恐れ、そしてそれに対する抵抗から、人々は次々に声をあげていく。
だが、美杏には彼らの言葉が空虚にしか、聞こえなかった。
〈ああ。言いたいことは理解できます。『そんなことをすれば、お前らだってただではすまないだろう』……そうですね。たしかにその通りです。大陸間弾道ミサイルを初めとする戦略兵器を用いた戦いは、破滅をもたらします。逆にそちらが本拠地である煉獄島に戦略兵器を打ち込めば我々は終わりです〉
黒衣を纏い、余裕の態度で椅子に座ったままの小森寧人の言葉は真実だと思われた。にもかかわらず、美杏の胸は少しも安堵を感じない。
それは、小森寧人が放つ不気味な迫力によるものだった。
〈……ですが、我々はそんなことは気にしません。必要とあらば、世界中に長距離戦略兵器を用いて、大量に、無差別に、無慈悲に、脈絡なく、ランダムに、同時に攻撃します。反撃、または防衛のための先制攻撃が我々の本拠地に対して行われたとしても、こちらは防御はしません。ただ、最後の瞬間まで、無差別に攻撃を続行するだけです。一度も使われたことのない防衛機能は完璧ですか? あるいはそんなものを持たない小国は? そもそも同時に複数の地点を攻撃されて、すべてに対応できますか? 俺は知らないが、『難しい』と思いますよ〉
「……っ!」
よどみなく述べられたその言葉にまたしても美杏は、渋谷は、そしておそらくは世界中が絶句した。
小森寧人が言い放った内容は、明らかに狂っている。
そんなことをしてなんになるというのか?
ガーディアンや各国が戦略兵器によるメタリカへの攻撃を行わない理由は二つ。
一つ目は彼らが各地に分散しており、本拠地の情報が曖昧であること。
二つ目は、戦略兵器による戦いが世界に及ぼす影響が大きすぎることだ。
撃てば、撃たれる。
撃たれれば、撃つ。
それは誰もが知る暗黙の約束であり、それが行われれば世界が受ける被害は甚大なものになっていく。だから二世紀近くの間、あらゆる戦いにおいて誰もやらなかったのだ。
そして、冷静に考えれば、そのような戦いが始まれば、メタリカのほうが先に滅ぶのは間違いない。勢力の大きさを考えれば、それは明らかだ。世界はたしかに被害を受ける。だが滅びることまではないのだ。
しかも、仮にメタリカ側が勝利したとして、それに何の意味がある?
そもそも、メタリカの目的は世界征服のはずだ。大半が焦土に変わった世界を制してなんの得がある? それは征服などではない。ただの破滅だ。狂っているとしか思えない。
恐ろしいのは、そんなことを言う小森寧人の声はあくまでも冷静であり、その瞳は計算高く、冷酷なままであったことだ。
〈誠に残念ながらメタリカは敗色濃厚です。ガーディアンやロックスと各地で何年も地味に戦い続ければ、いずれ滅びるでしょう。なら俺は、少しでも多くの街と人を道連れに、華々しく散ります〉
気だるそうに言葉を続ける小森寧人、口の前で手を組み、だがその口元は歪んでいる。
彼のその邪悪な姿に、そして述べられる絶望的な恐怖に、誰もが言葉を失い、ただ歎きの声を洩らした。
だが、さらに告げられる言葉は、またしても予想外のことだった。
〈……ですか俺も、なるべくならそんなことはしたくない。あくまで無傷で世界を手に入れることが俺の目標だからです。皆さんも無差別攻撃の犠牲になる不安は避けたいでしょう。だから、これを止めるただ一つの手段を提示します〉
「……いったい……なにを……?」
美杏は斜め上の画面を見つめたまま、凍り付いてしまったようだった。
もはや、誰もが映し出されるパブリックビューイングの画像から目を離せなくなっていた。この事態を共有するためかあちこちから聞こえていた携帯電話の着信音すら止んでいる。
〈シンプルプラン……。ディランの呼びかけによって結集した正義の英雄たち……〉
目を閉じたままの小森寧人が発したのは意外な言葉だった。
同時に、大衆たちから音が上がる。これはさきほどまでとは違う。希望の声だった。
そうだ。俺たちには彼らがいるじゃないか。平和と幸福を守る正義のヒーローがいるじゃないか。
彼らなら、彼らならなんとかしてくれる。それは、そんな心の現われだった。
あちらこちらから歓声が上がる。
光が人々に伝わっていくのが美杏にもわかる。
その間、映像の小森寧人は深く目を閉じていたが、たっぷりと間をとった上でその目を再び開いた。
「……っ!?」
錯覚だろうか。美杏の目には、小森寧人の瞳に宿る黒い炎が見えた気がした。
〈ロックス、俺を止めてみろ。俺は本拠地、煉獄島にてお前らを迎え撃つ。期限は三日。それまではこちらの無差別攻撃を待ってやる。当然、こちらへの戦略兵器の使用は一切認めない。ヒーローらしく、正面から堂々と、悪を討ってみろ……!〉
こちらをモニタからこちらを睨み付けるその瞳は、美杏たち一般人をみるものではない。それは、この恐ろしい男と唯一対等に戦える、勇者たちに向けられたものだ。それは、誰の目にも明らかだった。
そして直後、再び画面が切り替わり、美杏は映し出されたその映像に、自身の鼓動がひときわ大きくなるのを感じた。
左上にはLIVEの文字、そしてさきほどまでの映像とは異なり、廃墟のような部屋に鎮座するスーツ姿の小森寧人。
そしてその向かいの席に座るのは、白のライダースジャケットを纏い、意志の強そうな瞳で小森寧人に視線をやる男。
そう、男は、いまや誰もが知る世界一有名な男。千石転希、その人だった。
※※
仕込んでいた映像がすべて終わったのを確認した寧人は、即座にカメラの起動を指示し、中継の新名を通してLIVEの映像に放送を切り替えた。
ここまでは、完璧に近い。
ICBM弾による無人島の破壊と、それによる恐怖の植え付け、そしてこちらの危険性の全世界周知。それによって絶望を叩き付けた上での希望の提示。
さきほど映像の寧人が語った内容は、大半は覚悟と決意を持って述べた本気の言葉だが、フェイクもある。実は穴もある。そもそも、本当に戦略兵器の撃ち合いになった場合、メタリカは勝てない。しかも無意味に世界を傷つける。
だが、そんなことはどうでもいい。
大事なことは、その言葉を世界中の人間に伝えたということ、そして考える間を与えないということ、そしてこのあとの展開を間髪いれずに見せ付けるということだ。
それができて初めて、悪はか細い勝利の糸を掴むことが出来る。そしてその糸は世界征服という荒唐無稽な野望へと繋がるただ一つの道だ。
逃がしはしない。この目の前にいる男に回答を迫る。
時は今。場所はここだ。
ロックスがこの戦いを避ければどうなるか?
ロックスが誘いにのって決戦を受ければどうなるか?
いずれの場合でも彼らを追い詰めることが出来るそのチャンスはここしかない。
「……ご覧の番組は、メタリカホールディングスの提供でお送りいたしました。……さて、ディラン。俺の言いたいことは理解したな? 今この場を全世界が固唾を呑んで見守っていることも、俺がそうさせた意味も、お前なら当然理解しているな?」
白銀の騎士は答えない。だが、その燃えあがるような気迫と瞳が、彼の意思を表していることが寧人にはわかる。
「なら答えろ。白銀の騎士ディラン」
対面に座る英雄に、静かな声で問いを放つ。