おかえりなさい。寧人くん
メタリカホールディングスCEO、つまりは首領に就任した寧人の最初の大きな仕事だった世界中の拠点と部署周りはとりあえず一段落した。
最後の拠点である開発室でも身になる話が聞けたし、士気をあげることもできたように思う。
その翌日、久しぶりに休みを取った寧人は一人、海浜公園のベンチに腰掛けていた。
晴れ渡った青空とそよぐ風が気持ちいい。とても近いうちにこの世界の全てをかけた戦いが起るということが信じられないほどに、穏やかな昼下がりだった。
「……眠くなってきたな」
思わずそう呟いてしまった。
現場の声を直接聞き、より良い組織を構築していくことは、いずれやってくる決戦にむけて必要なことだったが、やはり短時間でそれを行うことは肉体的にも精神的にも負担がかかっていたようだ。気を抜くと眠ってしまいそうになる。
寧人がこの公園に来たのは彼女との待ち合わせのためだが、約束の時間にはまだ1時間以上ある。やることもなくて暇だったから早めにきてボンヤリしていただけだった。
街に出てもよかったのだが、そうすると寧人は高い確率で不良っぽい若者に絡まれたりするのでやめておいた。我ながら笑ってしまうのだが、いまだにそういう事態に上手く対応できない。メタリカ入社前から比べるとだいぶ体も鍛えているし、変身などしなくても普通の人間に遅れをとることはまずありえないのだが、生来の弱気は代わらないらしい。
ヒーローやモンスターとは渡り合ってきたのに、どうしてなのかと考えてみたことがある。
多分、俺は本当は戦うのも揉めるのも嫌いで、それは昔からずっと変わっていないんだ、と結論づけていた。だから、戦うことが出来るのはそうした自分を超えてでもやらなくてはならない目的があるときだけなのだろう。
「……」
この海浜公園のひとときのような静かな時間が本当は好きだ。だから眠くなる。しかもここ最近ずっと気を張っていたからなおさらだ。
本当は考えないといけないこともある。最終決戦に至るシナリオはほとんど出来ているがそのための準備もあるし、それにこれからやってくる彼女のことだってそうだ。
「……」
でも眠い。海鳴りの音と温かい日差しがどんどん眠気を誘う。それにこれからやってくる人のことを考えると、ますます張り詰めていた精神が緩んでいく。
寧人は、ちょっとだけ、と思い目を閉じた。
※※
なんだか柔らかいものが体の右側に当たっている。寧人は意識のぼんやりしたなかでそれに気がついた。
いい匂いもして、心地がいい。落ち着く。
「……うーん。むにゃ……むにゃ……」
どうも眠ってしまっていたらしい。そして猛烈に二度寝したい気分だ。
寧人は目を閉じたまま体の右側にある柔らかいものにすりすりと顔をあてた。
あれ? これは一体なんだ?
ここで様々な局面を一瞬の機転で乗り切っていた悪党の思考回路がやっと覚醒した。
たしか俺は待ち合わせをしていて、相手を待っているベンチで眠ってしまっていて、そしてこの右側にあたる感触は。
「……! ご、ごめん!!」
ガバッと勢いよく体を起こす。ベンチで座ったまま眠ってしまっていて、それでそのうち隣にやってきた人に寄りかかってしまっていたのだ。そしてその寄りかかっていた人というのは。
「あ……起きちゃいました」
寧人の隣で優しい笑顔を浮かべているのはずいぶん久しぶりに会う真紀だった。今日は休日なので、白のブラウスに赤いキュロットスカート姿だった。なにやら少しだけ頬が桜色に染まっていることもあり、とても女の子らしい。
そんな彼女に寄りかかって眠りこけていた、のみならず彼女のどこかの部分にすりすりしたかと思うと、恥ずかしくて申し訳なくて動揺してしまう。
「マ、マジでごめん。……今って……え? もう五時?」
あたりを見ると、もう水平線に夕日が差し掛かっているころあいだ。と、いうことは二時間くらい眠ってしまっていたということで、真紀は一時間くらい隣にいたことになる。みれば寧人の体には真紀のものらしいカーディガンがかけられてもいる。
「ふふ。寧人くん、よく眠ってましたよ。寝顔、みちゃいました」
くすくすとイタズラっぽく笑う真紀。
この人はずっと横に座って、俺が起きるのを待っていてくれたのか。そしてグースカピースカ寝てるアホな顔を見られてしまったのか。寧人はそんなことを思い、焦った。
「起こせば良かったのに……」
寧人は恥ずかしさから頭を掻きつつそう言ったが真紀は首を振った。
「いえいえ! だって、せっかく気持ちよさそうに眠ってましたから。それに、なんだか私、嬉しかったですよ」
えへへ、と照れたように笑う真紀の顔に、寧人は自分の鼓動が一瞬強くなったのを感じた。
「疲れてるんですもんね。……ごめんなさい。今日は気をつかわせちゃって」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ……えっと、元気だった?」
「んー。普通です。寧人くんはどうでしたか?」
しばらく、二人で他愛のないことを話す。
ひさしぶりということもあってネタにはあまり困らなかった。新名が最近やった馬鹿なことの話だとか、互いに最近読んだ本の話、開発室の近況、アンスラックスで伝統的に作っている酒の味、おでん屋の新メニュー。
こんな風に女の子と話すことは寧人にとってはかなりレアなことなのだが、やっぱり普通に楽しかった。真紀の穏やかで透明な声が心地よかったし、ときおりこぼれる笑顔がみれて嬉しい。
一通り話して、少しだけ間が空いた。
そのとき、真紀はあ、そうだ、とバッグから小さな箱を取り出しおずおずと寧人に差し出してきた。
「そうだ。あの、これ。お返ししますね」
大切なものを丁寧に扱うように真紀が取り出したのは、寧人がメタリカを離れたときに彼女に預けていた社章だった。
鋼の翼、それはメタリカのモチーフであり寧人にとっては己の誇りである悪の印だ。
きっと、ずっと大事に持っていてくれたのだろう、ということがよくわかった。
「……ありがとう。真紀さん」
寧人は彼女の細い指からそれを受けとる。
実はこの社章を彼女に預けたのは二つの意図があった。
一つ目は単に感傷的なことだが、二つ目は違う。そして寧人以外は誰も知らない。
あらためて考えると自分はなんて外道なのだろうと思ったが、それは彼女には言えないことだ。
また、同様に社章を真紀に預けていた池野について彼女は聞いてこない。多分それは彼女なりに考えてのことなのだろうし、それはありがたいことだ。
おそらく、いずれは意外な事実を真紀は知ることになるだろう。とも思うがそれはそれだ。
「……本当に、ここまで来たんですね。寧人くん」
少しの沈黙があって、真紀が口を開いた。
「……うん。やっと、だけどね」
思えば、寧人が最初に決意を語った相手は真紀だった。間中が亡くなった直後、入院していた寧人をお見舞いに来てくれたときのことだ。
『メタリカの頂点へ、歩いていくよ』
当時下っ端の庶務課社員だった自分を考えれば、大言壮語も甚だしい言葉なのに彼女は笑わなかった。真剣に聞いてくれた。遥かな階段を登り始める勇気をくれた。
ビートルを倒したあと初めて二人で飲んだとき、真紀は自分の境遇と願いを話してくれた。悪党として世界を変えるために戦う自分が、一人じゃないと思えた。
「なんか、いろいろありがとう。真紀さんがいなかったら、俺はどこかで負けてたかもしれない」
寧人は気がつけばそんな言葉を発していた。
もちろん、ツルギや新名をはじめとする一緒に戦ってきた仲間たちだって同じで、彼らがいなければ寧人は勝ちあがれなかったと思う。でも真紀に話しているのはそういうこととは別のことだ。
「そ、そんなことないですよ。わたしなんて……、いつも、力になれないのが、さびしくて……。でも、そう言ってくれて、本当に嬉しいです!」
真紀の瞳は少し潤んでいるように見えた。夕日が映る瞳が、綺麗だった。
「不思議なんですけど……私、寧人くんは必ず夢を実現させるんだろうな、って。ずっと、ずっと思ってました」
胸に両手をやって切なげな表情で言葉を続ける真紀。
「だからこの前のスピーチのときなんて、ぽろぽろ泣いちゃいました。寧人くんが、本当に堂々としてて、すごくカッコよかったです。」
「え、あ、いや。それは、その。なんていうか、アレは新名の言う本気邪悪モードとかいうヤツで……なんていうか、その……」
大きな瞳でじっと見つめられると言葉が出なくなる。寧人はまるで少年のような反応しかできない自分が少しだけ恥ずかしくなった。目を見れないので、風でサラサラと揺れる彼女の黒髪に視線をやることしかできない。
「あはは。なんか恥ずかしいですね。こういうのって。あ、そうだ! 私、飲み物でも買ってきますね。何がいいですか?」
「コ、コーヒーをお願いします」
寧人が戸惑いつつ、なんとか答えると、真紀は元気よく立ち上がってベンチを離れていった。
寧人は真紀の背中を見送っていたが、少し離れたところで真紀が振り返り、両手をメガホンのかたちにして口に当てた。
「ちゃんと言うの忘れてました!……おかえりなさい、寧人くん!」
少し大きな声でそれだけ言うと、恥ずかしかったのか顔を赤くして、売店がある方向に今度は小走りでパタパタと向かう真紀。
そんな様子はやっぱり可愛くて、それにとても温かくて、寧人の心はかき乱されてしまう。
「……はあ」
寧人はため息を洩らした。こんなことで、今日伝えようとしていたことを口にすることができるのかが甚だ疑問だ。
ベンチに腰掛けたまま寧人がそんなことを思っていると、
背後から声をかけられた。
「あの、小森寧人さん……ですか?」
聞いたことのない声。慌てて振り返ってみても、見覚えのない男、いや少年がいた。高校生くらいにみえる。
おかしい。いくら真紀と話していたとはいえ、起きていながら一般人にたやすく背後を取られ、それに気がつかないはずはない。それくらいの訓練はしている。
なら、この少年は何者だ。みたところごく普通の高校生にみえる。特別体格も良くはなく重心の位置などから判断しても格闘経験者でもなさそうだ。整った顔立ちと眠そうな目が印象的だが、どちらかといえば大人しそうな少年だ少なくとも寧人が脅威を感じるタイプの人間ではないはずだ。
なのに、なぜ。
寧人はゾッとした感情を殺し、背中に流れる汗を感じつつも平静を装った。
「……えっと」
どう答えるか思案していた寧人に対し、少年は畳み掛けるように次の言葉を放った。
「メタリカの首領だ、って言ってるんですけど……本当ですか?」
なんだ。コイツはなんだ。
俺の名前はそれなりには知られてはいる。だが、顔まではそう一般的ではないはずだ。それを普通の高校生が知るはずはないし、仮に知っていたのならば話しかけてくるはずがない。
そもそも、寧人の行動や居所は極秘とされている。今ここにいることは知られていないはずだ。何故俺を見つけることができた?
そして、言葉の意味が微妙におかしい。メタリカの首領だ、って『言ってる』。と彼は言った。
誰か第三者からの伝聞ということだろうか。だがこの場には彼のほかには誰もいない。
「……メタリカの首領? 俺が? なんでそんなこと思うの?」
寧人は情報を引き出すために彼にそう答え、瞳を見つめた。そこで直感が走る。
似ている。この少年は似ている。
顔立ちや体型などではない。この少年の瞳の奥にあるもの。
寧人が幾度となく見てきた『彼ら』に、少年は似ていた。