私は、ネイトのことを。
「……俺、流されやすいのかなぁ……」
寧人は露天風呂の心地よいお湯に肩までつかりながら呟いた。
あたりはすっかり暗くなっていて、十六夜の月が綺麗だ。
多分、アニスも同じ月を見ているのだろう。
ふと、今ごろ客室備え付けの露天風呂に入っているであろうアニスのことを考え、その流れで入浴する彼女の姿、おもに白い肌が思い浮かんでしまった。
「……だーーー!!」
叫ぶと同時に湯の中に頭までもぐらせ、イメージを消し去るべく努力する。
どうもおかしい。おちつかない。
あの散歩の帰り道で、寧人は自分の答えをアニスに伝えるつもりだった。結果がどうなってしまったとしても、だ。
だが、言葉を出そうとすると、それはアニスに遮られた。唇に細い指を当てられ、彼女は言った。
『……ダメだよネイト。それは、今夜、あとで聞かせて』
そのときの彼女はとてもオトナっぽく見えて、少しどきっととしてしまったが、すぐにいつもの笑顔に戻りこう続けた。
『せっかくネイトと一緒だし、温泉にきたんだからお風呂にも入りたいし、夕ご飯も食べたい! 今の話はそのあとだヨ!!』
でも寧人だってバカではない。彼女の真意はわかっている。
あのときの寧人の答えによっては、アニスは今日、楽しい夜を過ごすどころではなくなってしまうのだ。だからあの健気な少女は、それを聞く前に一緒の時間を作りたかったんだと思う。
もし、俺の答えが彼女の望むものではなかったときには、せめて素敵な思い出になるように。
断ることも出来たはずだが、寧人はそれを承諾した。あの状況で、それを突っぱねられるヤツがいるものか、と思っている。
寧人の客室は露天風呂が備え付けられているのだが、なんとアニスは一緒に入ろうとまで言ってきた。
が、それはなんとか断り、寧人はこうして宿泊客共有の露天風呂に来ている。幸いなことに他に客は入っておらず、寧人は静かに月明かりを眺めて湯に浸かりながら、考えをまとめることが出来た。
「……よし、俺も、男だ」
長湯になってしまったが、覚悟は決まった。
風呂を出て浴衣と丹前を着ると、袂に入れていた携帯に新名からのメールが入っていたことに気がついた。
〈思うんすけど、悪の大物ってことはハーレムくらいもっててもフツーだと思うんすよね。ほら大体偉い人ってそうじゃないっすか? センパイは深刻に考えすぎだと思いますよ、俺は〉
なんてタイムリーなメールだ。エスパーかアイツは。と思わずにはいられない。
※※
客室に戻ると、すでに食事の用意がされており、アニスは座椅子に腰掛けていた。
「あ! ネイトおかえりなさい! オフロどうだった?」
そう聞いてくる彼女の金髪はいつもとは違って結われている。白いうなじがまぶしかった。
「あ、ああ……うん。そうだな。さっぱりした。アニス……浴衣なんだな」
「うん! ……似合うかなぁ?」
袖をつまんで両手を広げ、少しだけ恥ずかしそうに浴衣姿みせてくるアニス。
「え、あ、そうだな。えっと、可愛い、と思うぞ」
寧人は思わず朴訥な本音を洩らしてしまった。
金髪で色白で、まだ幼さの残るアニスの浴衣姿はアンバランスだ。だが、そこが不思議と魅力的だった。少女のようなのに、湯上りだからなのか匂いたつような色気みたいなものも感じられて、動揺してしまう。
「わーい! えへへ。ありがと。じゃあ、座って座って! ゴハン、食べよ。みてみてお魚がこんなに! 美味しそうだヨ!」
あまり気の利いた褒め言葉ではなかったのだが、アニスはとても喜んでくれているようだった。
みている寧人まで幸せな気持ちになれてしまう。
「ああ、そうだな。食べるか」
だから、寧人はまずは夕食は夕食で普通に食べることにした。
別に、先延ばしにしたかったからでは、ない。けっして。
「うん! あ、ドウゾドウゾ。シャチョーさん!」
アニスはやたら芝居かかった口調で酒を手に取り、変なしなをつくって、お酌をしてきた。
「なんだそれ」
少し面白かったので、笑いながらお猪口でそれを受ける。
「ん? ゲイシャだヨ? ネイト日本人なのに知らないのー?」
「芸者? それなんか間違ってるぞ多分」」
「間違ってないもん。だって、ネイトはスレイヤーのシャチョーでしょ!」
何故か変なところでムキになる。
こんな風に表情をくるくると変えるアニスといると、笑ってしまいそうになることが多い。
だから夕食も楽しい時間になった。
二人でサザエの中身をほじくりだすのに悪戦苦闘したり、お互いの子どものときの話をしたり、出会ってからこれまでの思い出話をしたり。
きっと、アニスも楽しんでくれたし、俺は、一生忘れない。
寧人はそう思った。
※※
夕食が済み、膳を下げられると客室内に少しの沈黙があったが、アニスはおもむろに立ち上がると客室の窓をあけ、客室付露天風呂のあたり、小さな中庭のようになっているスペースに出て行った。
「ねぇねぇ! こっちきて! 星がすごいよヨ!」
そう言ってはしゃいでいるアニスにつられて寧人も外にでる。
たしかに、山間にいるだけあって満天の星空が見えた。
「おー、綺麗だな」
「ね!」
そう言葉をかわすとまた二人とも無言になり、しばらく星を眺める。
どれくらい時間がたっただろう。アニスは一度大きく深呼吸をすると、寧人のほうに体を向けて、ゆっくりと口を開いた。
「……ごめんね。今日、色々無理してつきあわせちゃったね。もう、押さえられなくなっちゃったんだ。だから、ここに来たの。……だから、ちゃんと聞いてくれる?」
二人の間の緊張感が高まっていくのが寧人にもわかる。今までどんな敵を前にしても怯んだことのない寧人だったが、そうした経験はまったく役に立たなかった。
「……いや、いいよ」
そう呟くのが精一杯だった。
「ネイトは優しいね。こんなに優しい悪い人は世界中でネイトだけだよ、きっと」
アニスの瞳はまっすぐに寧人を見つめていた。
彼女の青い瞳があまりにも綺麗で、みとれてしまいそうになる。
「私ね。ずっとずっとネイトを見てきた。どんどん進んでいくネイトにいつもワクワクしてた。それで、ドキドキもしてるの」
切なそうなその言葉が、寧人の胸を突き刺す。
「ネイトのこと、なんでも知ってるヨ。マナカさんのお墓参りを欠かさないことも、カレーはチキンカレーしか食べないことも……悪い事をして、戦って、そのたびにいつも泣きたいほど苦しんでるのに、それをみんなに隠してることも」
アニスの声が震えていた。きっととても勇気をだしてくれている。そうか、彼女は本当にもう子どもじゃないんだな、と感じさせた。
「だから、これから先もずっとネイトと一緒にいたいよ。……ネイトが夢をかなえるところを一番近くで見ていたい。仲間としてだけじゃイヤだよ。……ネイトの一番大事な女の子に、ステディになりたい」
アニスの青い瞳は潤んでいて、今にも美しい雫がそこからこぼれてしまいそうだった。
そういえばいつからだろう。と思う。
寧人はもともと女の子が苦手だ。アニスのことも最初はどう接したらいいかわからず戸惑っていた。でもいつからか彼女といるときは自然体でいられるようになっていた。それがいつからなのか、もう思い出せない。
それは多分、彼女がいつも変らないあの向日葵のような笑顔でいてくれたからだ。その彼女がこうして想いを伝えてくれている。
「……」
アニスは胸のあたりに手をあてて、とても丁寧に、大事ななにかを確かめるように、その言葉を紡いだ。
「ずっとネイトへの『好き』が増えていったよ。わたしは、ネイトのことを愛してる」
祈りにも似たその言葉。誰かに言われたのは寧人にとって生まれて初めてだった。
だから、とても強く心に響く。
さんざん非道なことをしてきた。そんな俺のそばにずっといてくれた女の子。
悪党として頂点に立ち世界を砕く、ただそれだけを目指して走ってきた自分のことをわかっていて、それでも側にいたいと願う女の子。
誰よりも明るくて優しく、いつもみんなの心を照らしてくれた女の子。
アニスのことはとても大切に思っている。
彼女の未来が幸せであふれていてほしいと、心から願っている。
一方で、自分がこれからやらなくてはいけないこと、叶えたいこと、そして密かに胸に秘めている思い、それもわかっている。
だから、寧人の答えはもう決まっていた。
「アニス。……俺は」
寧人は振りしぼるように彼女に答えた。
「俺は、アニスと同じ気持ちにはなれない」
新名はああ言っていたが、寧人は女性と器用に付き合えるような男ではない。
それにまだ誰にも話していないが、この先身近な女性を幸せにできない理由がある。
そして何よりも、寧人が進む世界を砕くための道は、最後には一人になっても戦い抜く覚悟が必要な道だ。特別な誰かを作ることはできない。
他の何よりも優先すべきことがある。彼女の純粋な思いをはねつけても、それはゆずれないことだ。
だからこれはエゴだとわかっている。
「……ごめん」
他にどうすることも出来なくて、寧人は頭を下げた。
時間にして十数秒ほどが過ぎたころ、アニスの声が聞こえた。
「……んーん。ホントはね……ネイトがそう答えるの、わかってた」
アニスの顔をみるのが怖かった。でも逃げるわけにはいかない。
寧人はゆっくりと顔をあげて、アニスとまっすぐに向き合った。
彼女は、瞳いっぱいに涙をためて、肩を震わせて。
それでも、笑顔を見せてくれていた。
「あーあ、フラれちゃったヨ……ちぇっ」
「俺は……」
「いいの! 何も言わなくて! ……わかってるもん。……だから、ゼッタイ、叶えてね。ネイトの目指す世界を。負けないで、最後まで」
彼女は、本当に全部わかっているようだった。
だから寧人は強く重い言葉で応えた。
「ああ。俺は必ず勝つ」
「うん。やっぱり、ネイトだね」
アニスは寧人の言葉を聞くと、また微笑んでくれた。
だがすぐにくるりと背を向け、空を見上げる。
多分それは、笑顔でいるのがつらくなったからなのだ。そして上を向いているのはきっと。
「……ぐすっ、ごめん。やっぱり、ちょっとだけ泣いてくるね! 大丈夫! こんなこともあろうかと! 別の部屋も実は予約してあるアニスちゃんなのだヨ!」
今度はすこしおどけた口調だが、もう涙声が隠しきれていなかった。
でも、寧人がそれをみて心を痛めるそぶりをみせるわけにはいかない。それは彼女の健気な気づかいを無視することだからだ。
「そっか。じゃあ、俺はもう少しだけ星でもみてる。おやすみ」
だから寧人はいつもどおりにそう言った。
「ん。また、明日ね」
アニスはそう言うと客室に戻っていく。よっぽどその背中を抱きしめたくなったが、それはできない。
彼女は言った、『また明日』と。
想いに応えることの出来なかった自分に、仲間としてこれから先も一緒にいてくれる。彼女はそう言ってくれたのだ。実際問題、アニスの助けはこれから先も必要で、彼女もそれはわかっている。それを踏まえた上で、そう言ってくれたのだ。
その気持ちを踏みにじることは絶対に出来ない。だから、抱きしめるかわりに叫んだ。
「本当に嬉しかった!! ありがとう!!」
アニスはくしゃくしゃな顔で振り返り、最後にピースサインを見せてくれた。
※※
アニスがいなくなってからしばらく、寧人は何もする気がおきずそのまま星をみていたが、そうもしていられない事態が発生した。
通信端末が着信をつげたのだ。しかも、これは緊急時のコールだ。
急いで端末を手にとる。発信者は新名だった。
「俺だ。どうかしたか?」
〈あ、センパイ!? サーセン。いま、その……大丈夫っすか……?〉
「お前が想像しているようなことはない。早く要件を言え」
新名がこの緊急時のコールをしてくるのは始めてのことだ。新名はたいていのことなら対処できるし、そもそも現在スレイヤーの脅威になるようなことはほとんどないはずだ。
だから、この通信は本当に大変なことが起きている、ということを意味している。
〈あ、そ、そうっすよね。けっこー、やばいことが起きてます。えっと、そこテレビありますか? まず53チャンネルをつけてください〉
「……? テレビ?」
よく意味がわからなかったのだが、とりあえず指示の通りに客室のテレビをつけてみた。
「な、これは……どういうことだ……?」
モニタの右上には『全世界同時放送』『LIVE』の文字。
そして、映し出されているのはメタリカ本社だ。正確にはメタリカ本社前の広場を空撮しているようだった。
盾をもって野次馬たちを広場に近づけないようにしているガーディアンたち、その中心ではメタリカの戦闘員が何者かと戦っていた。
『何者か』と表現したのは、次々とメタリカ戦闘員を叩きのめすソイツの動きが早すぎてカメラで捕らえきれていないからだ。
これはどういう状況だ? 何故メタリカ本社前で戦いが行われており、しかもそれが放送されている。そして戦っているあいつは何者だ?
最後の疑問だけはすぐに解消された。カメラをハイスピード撮影可能なものに変えたためか、『何者か』の動きが目で追えるようになったからだ。
何者か、それは知っている男だった。
直接会ったことは一度だけ、だが忘れるはずがない。
〈センパイ!! 聞こえますか!? なんかメタリカ本社が襲撃を受けてるみたいっす!! しかも、たった一人の男に!!〉
新名の声はらしくなく慌てている。それはそうだろう。無茶苦茶な状況だ。
「ああ、そうみたいだな。……俺はあの男が誰か知っている」
〈え? そうなんすか!? 有名なやつっすか?〉
新名が知らなくても、否、気がつかなくても無理はない。
あの男にはもっと有名な、別の姿がある。
何故変身していない? 何故生身のまま戦い、しかもそれを衆目にさらしている?
これまで徹底的にその身を隠していた謎のヒーローがなぜここにきて全世界にその本来の姿をみせる?
寧人にはわからなかった。
〈センパイ! 聞いてますか!?〉
「ああ……アイツは多分、世界で一番有名な男だ」
寧人が新入社員だったころ、最初に戦った正義。
メタリカの先代首領、藤次郎を倒した英雄。
最初のロックスにして最強の戦士。
平和を守り悪を討つ、世界の希望
「あの男は千石転希、……ディランだ」
寧人は湧き上がる嫌な予感をおさえ切れなかった。そして直感的に思った。
これは、大きな何かの前触れに違いない。
そしてその『何か』は俺にとって最大の脅威になるはずだ。
これは、正義の英雄による反撃の狼煙なのだ、と。
活動報告にも書きましたが、イベントやることになりました。
イベント情報のサイトでイラストが一部公開されてますので、どのキャラだか当ててみてください。簡単ですけど。