ヨーシャはしない!チューチョもしない!
スレイヤーがアンスラックスを降してから1ヶ月が過ぎた。
この間のスレイヤーはまさに破竹の勢いというべき快進撃を続けている。
個として最強クラスの強さを誇り、揺るぐことのない精神を持つツルギ・F・ガードナー。
あらゆる事態に俊敏に対応し、大組織の運営をなんなくこなす新名数馬。
超自然の力と優れた知略を兼ね備え、闇を操るベナンテ。
絶対的な実力に裏打ちされた自信から、常に最良の戦略をもって彼らを束ね動かす池野礼二。
類まれなる悪の素質から、躊躇なく常軌を逸した戦いを完遂させる小森寧人。
豪胆、即妙、英知、最優、巨悪。
五人の男たちは魔獣やサンタァナ、クリムゾンの有していた超科学をもってまたたく間に他組織を制圧していった。
すでに、名の知れた組織としていまだ世界に残っている『悪』は三つだけとなっている。メタリカ、スレイヤー、そしてメガデス。
秘匿されてはいるものの、スレイヤーはもともとメタリカ内のベンチャー組織であることを考えれば、実質的に残る敵はメガデスだけということになる。
メガデスは強い。が、今となってはスレイヤーにとって絶望的な相手ではなくなっていた。
奇策に走る必要性は薄い。そうした判断から、スレイヤーの幹部は万端な準備を整えた上で正面から戦うことを選択した。
立ち上げから一ヶ月。休むまもなく次々と策を打ち戦い続けてきたスレイヤーの面々はここにきて動きを一時ゆるやかにしていた。いわば『通常業務』に入ったといえる。
組織体制の見直し、戦闘部隊の訓練、情報収集、事業などなど、平時においてやることは色々ある。幹部たちはそれぞれの仕事に取り掛かっていた。
ただ一人。小森寧人を除いて、である。
※※
「……うーん。なにすればいいんだ……?」
寧人は客室の窓から見える紅葉と小川のせせらぎを眺めつつ思わず一人つぶやいた。
温泉旅館に泊まる、という経験自体が初めてだし、ここ最近片時も暇な時間はなかった。いきなり一人だけこんなところにいると、やはり手持ち無沙汰になる。
老舗旅館の周辺の山の様子は風流であると感じるし、この静けさも悪くない。が、あまりにも現実感がなかった。
この状況のきっかけになったのは一昨日行ったベナンテの歓迎会だ。
まあそれは意外と盛り上がった。新名なんかもう「ベナさん」呼ばわりだったし、あの池野ですら少し顔を出していた。仲間内で飲むのは久しぶりだったし、寧人も楽しかった。
が、そこで寧人はちょっとしたミスを犯した。随分前から自覚症状がありつつも周りに悟られないようにしていたことがあったのだが……
それが新名にバレたのだ。
グラスを右手でしか持っていなかったとか、本当は嫌いな食べ物であるレバーをそれと気づかずに食べたとか、その程度のミスだったのだが、新名の観察眼には頭が下がる。
新名には『誰にも言わない』と約束させたが、その代わりに、ということで問答無用で寧人に休暇を取らせ、しかも勝手にこの温泉旅館の予約を取った。
湯治、ということらしい。
発案者は新名だったが、ツルギも賛成した。それでなかば強制的にこの落ち着いた雰囲気で風情のある温泉宿に強制連行されたのだ。しかも、そのあと彼らは普通に寧人を置いて仕事に戻っていった。
休むことも大事ですよボス。
ごもっともである。
先輩が途中で死んだらそのほうがメーワクっすね。
ごもっともである。
さらにいえば、寧人の部下たちは非常に優秀であり信頼できる。自分が少しいないくらい、彼らならカバーできるはずである。
「……でも、そんなに深刻でもないと思うんだけどな……」
ふいに左拳を握ってみた。うん。しっかり握れている。今はどこもおかしくない。
みんばバリバリ仕事してるころだし、俺だけのんびりするというのもな……
メガデスを潰した後は池野と決着つけなきゃならないから、あんまり体がなまるのもよくないし。
……。
アンスラックス戦での傷も治ってるし、例の件も今は問題なさそうだ。
これなら、まあトレーニングくらいは、しても大丈夫なんじゃないの?
いや、多分大丈夫だ。
寧人はそう結論づけた。メタリカに入社して間中さんと出会った日から、一日たりとも鍛錬を欠かしたことはない。
もちろんトレーニングはしんどいのであまり好きではないのだが、それでも頑張ってやってきた。些細な効果しか得られていないのかもしれないが、それでも寧人にとっては数少ない自信に繋がる要素だったし、戦い方の基本となっている。
よし、着替えて外出て、ちょっと走ってくるか。で、戻ってきたら温泉につかってみよう。
寧人はそう思い、密かにもってきていたトレーニングウェアに着替えるべく、着ていたシャツとジーンズを脱いだ。
と、同時に客室の戸が開いた。
「ネーイトッ! 来たヨ! お待たせー♪」
間髪いれずに入ってくる金髪の女の子。
「……は?」
硬直するパンツ一丁の自分。しかも最近洗濯していなかったので、一枚だけ持っているブリーフである。
「わぉ! セクシー♪」
頬に両手をあて、なにやら弾んだ声の彼女。向けられるキラキラとした視線。
もう五年くらいの付き合いになるアニスだった。
「………あ、え、なんでいるの?」
つい口からでた寧人の質問にたいして、アニスはうん?と小首をかしげた。白い首筋を彩る細いチョーカーがまぶしかった。
まるで動じていない彼女とは裏腹に自分の鼓動はうるさい。顔が熱くなっていくのもわかる。多分真っ赤になっていることだろう。
25歳にもなってこの有様なのはかなり情けないものがある。
「ちょ、ちょっと待って」
落ち着け。俺は氷の悪党と呼ばれた男だ。落ち着け。
「……あの、アニス……さん? とりあえず一度閉めてもらってもいい、ですか? ちょっと着替えるから」
「? なんで? わたし気にしないヨ?……シャイだなぁ。ネイトは」
アニスはいそいそとショートブーツを脱ぎだした。
「お願いですから」
「ヤダ」
ふふん、とアニスはなにやら得意気というか、楽しそうに言った。
「!?」
「あはは。ウソだよー♪ そんなヒソーな顔しないでもいいのに。じゃあ着替えたら呼んでね?」
アニスは弾けるような笑顔を見せると、ミニスカートをひらりとさせつつ客室から出た。
寧人はそれを確認すると慌てて客室に置かれていた浴衣と丹前を纏った。単にそれが一番早く着替えることが出来たからだ。続いて一度深呼吸をしてから戸を開ける。
「えーっと、さっきはゴメン。でも、アニス、なんでここにいるの?」
おそるおそる聞いてみる。
「んっとね。わたしもお休みとったの」
こともなげに答えられるとこっちが反応に困る。
「マジで?」
「うん。ニーナに言ったら、ぜひとって、ネイトをみてきて、って」
アニスはスレイヤーにおいて寧人の基本的に秘書のような役割をしているため、寧人が休暇を取っている現在たしかにそれほどやることもないのだろう。
「センパイは絶対訓練とかしようとするからお目付け役してほしーすね。あの人基本的にアホだから。ああでも、フツーに楽しんでもらってゼンゼンいいっすよ!! って言ってたヨ?」
アニスは新名の口調を真似た。鈴の音のような耳に心地よい声なので、あまり似ていない。
っていうか、『フツーに楽しむ』っていうのは一体どういうつもりで言っているのか。
「……はーっ、アイツって本当に天才だよな……えっと、じゃあ、とりあえず、わかった」
完全に見透かされていた、というわけだ。寧人はあきらめのため息を洩らし、アニスにそう促した。
「ん。やった! じゃあ荷物だけ置くね。それからのんびりお散歩しよ」
アニスはとても嬉しそうだった。
その表情に思うところもあるが、帰れというわけにもいかないので、寧人はしばらくアニスと一緒に過ごすことを決めた。
アニスの提案で旅館の周辺を軽く散歩することになったのだが、彼女は終始機嫌が良かった。
小川のせせらぎや紅葉がとても近くに感じられるここは、カリフォルニア生まれのアニスにとって新鮮だったらしく、やたらとはしゃいだり、あるいは感動していた。
「あ! 見て見て。鹿がいる!」
「川の水、つめたい!」
「……日本の山って、綺麗だね」
「ダンゴ? ふむふむ」
いちいち可愛らしい反応をする彼女を見ていると、少し面白く感じる。
やまあいの温泉地には人があまりいない。
寧人はそんな彼女に丹前の裾をつままれつつ歩いたり、団子屋に入っては休んだりしているうちに、自分もつられて感じ入ってしまうところがあった。
少しだけ、穏やかな気持ちに慣れたし、笑顔になれた。彼女といるといつでもそうだった。
だから、散策の終わり際、旅館の近くまで戻ってきたときに寧人は口を開いた。
「アニス、……ありがと、な」
ここには休みにきた。でも多分、アニスが来てくれていなかったら俺はこんな気持ちにはなれなかっただろう、と思う。
アニスいつでも明るくて元気だ。でも辛いこともあったし不安なこともあるはずなのだ。
それでも彼女は健気に笑顔を見せてくれる。
「え? どうしたのネイト、そんないきなり」
少し後ろを歩いていたアニスが足を止めた。不思議そうな表情を見せている。
「色々とだよ」
マンハッタンの雪の夜に、彼女がこの極悪人に伝えてくれた思いは今でも忘れていない。
だけど、いつでも俺を信じてくれた彼女に答えてやりたい気持ちはある。彼女を悲しませる結果になったとしても、もうはっきりさせるべきだということも分かっている。
でも、まだ彼女に答えを伝えることはできないでいた。
それにはたくさんの理由があるのだが、結局は前だけを見ている俺を許してくれて、気持ちを聞かないまま傍にいてくれる彼女の好意に甘えているだけだ。
いつか横も見てね、ともアニスは言った。
『いつか』
彼女が『いつか』を待てなくなったとき、俺は答えなくてはいけないのだろう。
寧人はアニスにたいしてそんな風に思っていた。そしてそんな中途半端な自分をいつも支えてくれた彼女に心から感謝している。
「ふふ。どーいたしまして♪」
お礼しか言えなかった寧人だったが、アニスはそう答えてくれた。それは、とても温かい気持ちになれる笑顔で。不覚にもどきっとしてしまう。
「あ、えっと、そうだ。そういえばそろそろ暗くなるけど。帰り大丈夫か?」
寧人は照れくさくなったこともあり、話題を変えた。このあたりは明かりも少ないし、運転して帰るには日が沈む前のほうがよさそうだ。
「………」
だがアニスは答えない、なにやら黙ってなにか考えているようだ。
しばらくそのままでいたあと意を決したように小さな拳を握り、小さく頷いた。
「アニス? どうかしたのか?」
寧人はいつもとは違う彼女の様子が心配になってそう尋ねたが、アニスはこう答えた。
「え? 帰り?」
見れば、アニスは顎に人差し指をあてて小首をかしげている。きょとん、というような顔だ。
「いやだから。帰り道」
「……私帰らないヨ?」
「は?」
あまりにも予想外のことを言われたので、高デシベルの音声で答えてしまっていた。
「……だってオンセンだもん! これからお風呂入って、浴衣着て、ゴハン食べて、お休みするヨ」
アニスはなにやらモジモジしている。彼女がこんな風なのはめずらしかった。顔も紅葉のように赤くなっている。
アニスは着ていた白いセーターの裾のあたりを掴み、しばらく言葉をとめたあと、こう続けた。
「……ネイトと一緒に」
寧人は一瞬、気が遠くなった。
突然どうしたのか、と思った。それは何か? つまり俺と同じ部屋に泊まるということか?
「え、いや……あ、そうか。アニス。日本人はだな。男女が一つの部屋に一緒に泊まったりは普通しないものなんだぞ」
おどおどしつつそう答えてみた。
「そんなこと、知ってるもん。わたし、もう子どもじゃないヨ」
だがアニスは拗ねたように答えてきた。
ふと、そういえばアニスはいくつになったんだっけ? などと現実逃避的な思考が走る。
最初会ったとき16とかだから、ハタチくらいか。あれ、アニスって誕生日っていつなんだっけ?
「いや、え、でも」
たじろぐことしか出来ない寧人にアニスは詰め寄り、真っ赤な顔で訴えてきた。いや顔だけではない。彼女は肩の部分が大きく空いたセーターを着ていたのだが、そこから見える首筋も桜色だ。
「泊まるもん。ネイトも、その……あ、そうだ!『ヨーシャはしない! チューチョもしない!!』それがネイト、そ、そうだよね!? その、わたしならその、大丈夫、だヨ?」
それはなにか違う。そういう用法ではない。
そう思いつつも、寧人は吐息が聞こえるほどの距離にいるアニスをみて、何も言えなくなった。
ふわふわと揺れるブロンドの髪、まだ幼さの残る顔立ち、そしてこちらを真剣に見つめてくる少し潤んだブルーの瞳
ああ、そうか。『いつか』は今日、なんだな。
寧人はそう理解した。
次回はこの日の夜の話です。アニスが考えていることも少しわかるかもしれません。
あとちょっとお知らせです。とはいっても全部はまだお伝えできずさわりだけなのですが……
悪の組織の求人広告一巻は8/25に発売となりますが、これにあわせてちょっと変ったことがあるかもしれません。
僕はこの関係で10年くらい前のある作品のDVDをレンタルして観てみたのですが、やっぱり名作だと思いました。
特にこの作品の主人公がすごいです。寧人の敵としてこの凄い人が立ちはだかったとしたら、どう戦えばいいのか、真剣に考えたりしちゃいましたね。