あの人は何をやってるの?
重田との模擬戦の翌日からは、若干ながら寧人の職場環境は改善された。
給与や福利厚生の話ではなく、主に教育面である。重田は模擬戦の結果を受け、寧人に対して反感をもつようになり、結果として寧人の教育係は間中に代わった。
これは寧人にとってとても望ましいことである。
「違う違う。いいか? スタンロッドってのは、あてさえすれば感電させられるんだから、そんな振り回さなくてもいいんだよ。ちょいとつつくくらいのつもりでやってみな」
「銃を撃つにはまず体力だ。とりあえずお前は縄跳びと筋トレしたほうがいいぞ」
「素手で戦うのは極力やめとけ。素手のときは近くにあるもん使ったほうがいいぞ。石ころとか」
その他様々、けして正当とはいえないテクニックの多くを寧人は学ぶことが出来た。もちろんすぐに習得できたりはしない。元々運動神経がいいわけでもないし体力もない寧人は未熟な真似事レベルとして基本を抑えることで精一杯だった。すこし不思議だったのは、テクニック的なことを積極的に教えてくれる間中が、行動の基本となる考え方だとか、心構えだとか、そういうことは一切言ってこなかったことだ。
それが何故なのか気になって一度聞いてると
「お前には必要ないよ。そういうのは。思うようにやればいい。あー1つだけ言うとすりゃあれだ。
俺たちは下っ端だけどよ。お前はメタリカがこの世界で何をしようとしてるのか、お前はどうしたいのか、ってのを考えといたほうがいいかもな」
と回答がきて、それもよくわからなかった。でもなんだか間中の表情が真剣だったので、素直に頷き、そしてそれ以来、寧人は「悪の組織ができること、自分がなしたいこと」について考えるようになった。
世界征服? それは過程であり手段だ。目的ではない。…らしい
「今はまだわからないかもな。でも、それを見つけろよ。そうすればお前はきっと…」
そこで言いよどんでいたけど、それも重そうな言葉だった。
いずれにしろ、頼りになり、仲のいい職場の先輩、という関係や訓練で、寧人は充実していた。
雑用をこなすかたわら、訓練に汗を流す。これははじめての経験で、しんどいことはしんどいのだが、給料ももらえるし、新しいことを毎日覚えていく感覚は新鮮だった。
けして健全とは言えない職場だが、それでも。労働の価値みたいなものを感じていた。
早朝には独身寮の近所の川原で自主トレも行う。
内容としては、『攻撃をうけたときに大げさにぶっ飛び、そのまま立ち上がれない演技の練習』、『足音を立てずに忍び寄り、後ろからぶん殴る練習』、『転がり込んで避ける練習』、『脱いだジャケットを放り投げて、相手の視界を奪う練習」などなど、実にコスく、また一人でやっているためハタからみると何をやっているのかサッパリで滑稽だろうが。まあ仕方ない。
しばらくすると、実務もいくつか経験した。
詳しくは聞かされていないが、謎の積荷を港まで運ぶ要員に加わったり、大規模な賭博施設の警備をやったり、他にも色々だ。
一度だけだが、戦闘も経験した。メタリカの研究施設の1つの情報がガーディアンに漏れてしまい、調査が入りそうになったときだ。その研究施設は規模としては小さく、たいしたものはなかったが、それでも研究施設にあるデータを外に漏らすわけにはいかなかったので、近くに拠点を置く寧人のチームに出動がかかったのだ。
要は、研究施設のデータをメタリカの別部隊が破棄するまでの間、ガーディアンを食い止めることが求められた。相手は5人だった。このとき寧人は始めてメタリカ庶務課のユニフォーム、つまり戦闘服を着用した。
戦闘服は黒を基調としたファイバー生地のトラックスーツのようなものに部分的に赤いプロテクターをつけたもので、それに加え黒のバイザーつきのマスクを装着する。
正直言うと、スーツ着用のとき、つまり戦闘前だが、そのときは寧人はテンションが上がった。
「うおお。どっからみても悪役のザコだこれ。でもちょっとかっこいいな」
それが感想。ちなみにこのスーツは、一部のロックスが使っている「強化スーツ」ではない。別に肉体を強化する機能もないし、感覚を鋭敏にもしない。ただ、少しばかり丈夫で、その割には軽い、それだけのものだ。一応ナックルガードなどもセットだが、あまり役に立つとは思えない。
が、『いかにも感』が魅力的に映ったのだ。
なお、その後の戦闘だが、さして大きなものにはならなかった。寧人は後ろのほうで右往左往しつつ、仲間がダメージを与えた相手に捕獲ネット砲を放つ役割をしただけだ。
休憩時間や業務後には食事をしたり、飲みにいったりもした。大抵は間中と一緒だ。
「あー。疲れた。ビールがうめぇなぁ。」
「そうですねー」
「今日の積荷、なにが入ってたんですかねー」
「そりゃお前、武器とか金塊とか違法の工業用品とかだろ」
「うお。モロに悪いことじゃないですか」
「そりゃそうだろ。お、次は焼酎にすっか」
「はい」
「今日のガー公ども弱かったなぁ」
「俺はなにもしてないですけどね」
「いやいや、とりあえず上出来だろ」
「いやー。あ、俺ネギマ頼んでいいですか?」
「ああ、頼め頼め」
「お前って彼女とかいるのか?」
「…」
「お、おい」
「人には聞いていいことと駄目なことがあるんですよ間中さん。逆に俺に彼女いると思いますか?」
「…い、いやそれは」
「最近までニートで、貧乏で非イケメンでオタクで、今は悪の組織のザコキャラですよ」
「…すまん」
「いえ、いいんですよ…」
「じゃ、じゃあなんだ。気になる子とか、いい感じの子くらいは…」
「…………同期に、黛さんって人がいるんですけどね…」
「お、おう!! どんな感じだ!?」
「今ごろ何してんでしょうね」
「おいおい!」
さして何かがあったわけじゃない。それでも、仕事と訓練でクタクタになり、良くはない職場環境に苦労しながらも、それでも。
寧人はつらくはなかった。
そんな日々が過ぎていった。
が、変化は突然起こるものだ。2ヶ月あまりが過ぎたある日、寧人や間中、重田ら同じチームの庶務課メンバーが主任に呼び出され、業務指示を受けた。
「明日、17時よりB-37エリアにて待機任務だ。場合によっては戦闘もありうる」
待機任務のわりに、主任の表情はやたらと引き締まっている。
「本任務は種別『R』である」
続けて告げられる主任の言葉。
「!!…」
驚愕する庶務課一同。空気が急に冷たくなった。
庶務課用ハンドブックを熟読した寧人は知っている。
種別R、それは『ロックスとの交戦が予想される任務』を意味する。
ロックス。20年前に現れた『ディラン』を初めとする。正体不明の正義の味方。
あるものは特殊体質で、あるものはオーバーテクノロジーによるアーマーを纏うことで、またあるものは、古代の遺産として残された魔術的な神秘によって、 超人的な能力を発揮するヒーロー。
彼らは、その巌のごとき強さと、気高さから総称としてロックスと呼ばれる。
憧れの対象である彼らだが、メタリカを初めとする多くの悪の組織にとって、この上ない脅威であった。
「詳細について説明する」
一同は普段の倍の集中力をもって、主任の説明に耳を傾けた。
寧人は、全身の毛穴が小さくなるのを感じた。
※※※
あの人は何をやっているの?
美杏は女子高へ通学する前に、愛犬の散歩をするのが習慣だ。清らかな朝の空気の中、川沿いの土手をのんびりと歩く。
ちぎれんばかりに尻尾をふる楽しげなミニチュア・シュナウザーとのひと時は、高校生活の他に、ちょっと普通とは違う活動? をしている美杏にとって大事な時間だった。
ある日、いつものように散歩をしていた美杏はおかしな人を発見する。
散歩コースとはすこし離れたところ、土手の下のほうの川辺で、妙なことをしている男の人がいた。
それも、見つけた日から、一日も欠かさず、毎日だ。
一人で地面に倒れこんで、転げまわったり。ジャージを脱いで振り回したり。
??
ちょっとおかしな人? とも思ったが、そうでもないらしい。ときおり何かを確認するように立ち止まり、ノートになにかメモをしている。
ああ、そうか。あれは何かの練習なのね。そんな風に理解した。だっておかしなことをしている彼の表情は真剣そのものだったからだ。パントマイマーかなにかなのだろうか?
マジメな顔して一人でバタバタしている彼をみて、最初思わず吹き出してしまった。
ププーッ! なんて笑っちゃったりした。
だから、なんとなく、毎朝彼を見るのが楽しみになった。
なんだか、だんだんパントマイム? が上手になってきたいみたいにみえる。
美杏はそれなりに男子生徒には人気がある。
告白されたりすることも多い。
そんな美杏から見て、あのパントマイマーの男の人は、自分の周りにはいないタイプのように思えた。
別にカッコいいわけではないので、恋心を覚えたわけじゃないけど、なんとなく気になる。
今日もいるかなー? なんて、いつものポイントにきたら思ってしまう。
ちょっとだけ、朝の散歩がこれまでより楽しくなっていた。
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