わかってないのは、お前だよ
小森寧人、池野礼二の両名がメタリカを離反し、新組織スレイヤーを率いてアンスラックスに攻め込んでいる、という情報はほとんどタイムラグなく他有力組織やガーディアンに伝わっていた。
これはアンスラックスの統率者ベナンテが早々に事態を把握し、メタリカ側に確認を取ったこととあわせて、世界中にちらばるアンスラックスの者たちに救援要請を出したことに起因している。
この情報はおそらく、世界中の様々な人間や、あるいは人間以外の存在に波紋をもたらしていることだろう。その中でも「ある男」にとってこの情報はとても意義深いことだった。
これまで不確かだったある事実を確信する根拠となった、という意味でだ。
〈転希? どうかしたの?〉
「ああ、すまない。それは本当なんだな?」
千石転希、世にはディランという別の名で知られている男は通信を通して聞こえてくる女性に聞き返した。
〈多分ね。少なくとも、アンスラックスが新組織に攻撃されていることと、その新組織を討つためにアンスラックスやメタリカが動き始めていることは間違いなさそう〉
「そうか……。わかった。ありがとう。少し通信を切るが、新しいことが分かったら連絡を頼む」
〈了解〉
転希は住居であり、秘密基地でもある船舶の通信室のモニターを一度OFFにした。
少し考えをまとめたかったからだ。
小森寧人、名前は知っている。わずか五年で何人ものロックスを打ち破り、他組織を制圧してきた男だ。容姿に関しても少なくとも変身体については『スリップノットに見せかけたソニックユース』を殺害している映像で確認している。
その男がメタリカを離反した、という事実からはいくつかのことが推測される。
まず、小森寧人がメタリカ内において高い地位に上りつめていた、ということ。
これは、新興でありながらアンスラックスに攻め入るほどの戦力を用意できたことからわかる。
そして次に、これが大事なことなのだが。
藤次郎・ブラックモアがすでにこの世にはいない、ということだ。
「……やはり、あのときに藤次郎は……」
南米で直接戦ったあのとき、相打ちに近い形だったとはいえ、たしかに藤次郎にも致命傷を与えていた。あのときは戦闘後に生き延びるために確認を取ることが出来なかった。
しかもその後数ヶ月は生死の境をさまよった。やっと回復したときには、すでにメタリカはあの国からいなくなっていた。
その後のメタリカは勢力の拡大をやや低下させていたが、それが藤次郎の死によるものなのか、それとも別の理由があるのか。転希にはその判断がつかなかったし、悪辣な策に長けた藤次郎が自分の死をミスリードさせている可能性もあった。
ディランである自分がメタリカ首領である藤次郎の死を大々的に発表することは世界的に大きな意味のあることだ。それはその後の世界の有り方に大きく影響するし、下手をすれば新たな戦いの火種になりかねない。
だから絶対の確信と、発表後の自分の動き方に対する自信がないうちはそれができないでいた。
そこでこの事態だ。あの藤次郎が部下のあれほど大きな裏切りを見逃すことは絶対にありえない
それは世界中の誰よりもこの俺が知っている。
そして、このタイミングでアンスラックスを攻撃することもありえない。これはここ数年で他組織を制圧して悪の上層階まで急激に上り詰めてきた小森寧人の意志によるものだ。
「こんな形になるとは、皮肉だな……藤次郎」
長年追い続けた藤次郎の死。もっとも後半はその幻を追っていたことになるが、それは転希に不思議な寂寥感をもたらした。
仇を取った。そう言ってもいいのだろう。だが、転希はそれを喜ぶ気にはなれなかった。
もう、俺の戦いはもう、それだけじゃない。
壮絶な過去を経験して、その果てに決めたことがある。これまで一度も折れたことはないし、かならず成し遂げてみせると誓ってこれまで走ってきた。
今ある世界を守ると決めた。多くの人のささやかな幸せを奪う連中を倒すと決めた。
その目的に立ちふさがる最大の敵が藤次郎だった。
もう彼はいない。だけど、俺にはまだやることがある。
転希はシートから立ち上がり船舶内の別室に向かった。準備には少し時間がかかるだろう。短くみても数週間、時間を無駄にするわけにはいかない。
藤次郎の死が確認できたそのときに、やろうと決めていたことがある。それを実行に移すときが来たのだ。
メタリカは藤次郎がいたときより弱体化している。そして、他の悪の組織は多くがメタリカに制圧されている。さらにそのメタリカから離反した者たちもいる。
世界の「悪」は混乱を極めているといえるだろう。
ならば、今こそがそのときだ。この計画を実行できるのは俺しかいない。そのために戦い続けてきた。
単純な計画だ。
青臭いとバカにされるかもしれない。実現の可能性は低いのかもしれない。それでも俺は信じたいし、証明してみせる。
正義は勝つ、ということを。
※※
アンスラックスの若き預言者ベナンテは、祭壇の前で燃える神聖な篝火がゆらゆらとうつしだす映像をみて笑った。
鳥型の魔獣を使役し、その鳥の目が捉えている映像は完全にこちらの望みどおりのものだったからだ。
こちらに寝返ったイケノがコモリを背後から一撃。死んだわけではないだろうがダメージは軽くはないだろう。トドメは直接こちらで行ったほうが確実だ。
「なるほどな、やつを裏切らせたってわけか!」
横から覗き込んでいた仲間たちが歓喜する。夜の森の中心に位置する祭壇が喜びに包まれた。
「ええ、まぁ、彼の立場からするとそうする以外に生き残る道はありませんからね」
魔獣を使えば敵陣のイケノに情報を伝えることはたやすい。
頭のいい男なら、当然こちらに寝返る。道理だ。
スレイヤーは奇襲による速攻で私を倒し、アンスラックスを制圧するつもりだったようだが、もうそれは難しいだろう。たしかに敵の戦力は少数のわりに強く苦戦してはいるが、すぐにこちらがやられることはないし、長期戦になれば援軍がくるこちらの有利は圧倒的。そうすればスレイヤーは全滅という可能性が高い。
また、こちらとしても元メタリカの幹部で様々なテクノロジーを所有するイケノは仲間に加えたい人材でもある。これでアンスラックスはさらに飛躍する。しかもメタリカは今回の離反事件で勢力の一部を失い弱体化する。表向きにはいざ知らず、真実アンスラックスにとっては良いことだ。
結果だけみれば、アンスラックスはわずかな犠牲のみで新たな道を作り、そして池野は高く自分を売ったことになる。
スレイヤーのメタリカ離反は表向きだけのことで、本当はメタリカもこれを認め裏でバックアップしている可能性もあるが、メタリカはそれでもなにもできない。援軍には絶対にこれない。『協定』を破ればメタリカ本体が危険だからだ。いやむしろ、メタリカは形だけにしてもスレイヤーに敵対しアンスラックス側につかなければいけない立場のはずだ。
本当に離反されたのならメタリカはマヌケだ。
狂言で離反させて他の組織を潰させようとしていたのなら希望的観測が過ぎるマヌケだ。
その証拠にみろ、私の出した一手で崩壊だ。直接的な武力では潰されず、こうした手を打たせるに至ったことは評価するが、その程度だ。
「ふっ、ああ、そうだ。そろそろイケノがこちらにきますね。ご案内をしてあげてください」
ベナンテは立ち上がり手をかざして部族の仲間たちに号令をかけた。
それから五分程度の時間が過ぎ、同胞たちに引きつられて、二人の男が森の中から姿をあらわした
一人は血だらけでぐったりしているコモリ、もう一人はそれをゴミのように抱えるイケノだ。
なるほど、情報どおり、直接見たイケノは鋭い雰囲気を漂わせる美丈夫である。
ベナンテは念のため、イケノを冷静に観察した。
もっていた機械仕掛けの剣は取り上げさせてもらう。機械仕掛けの鎧は着たままだが戦いぶりを見る限り、剣がなければさほどの脅威ではない。それに、そもそもこちらを攻撃してくるほどバカでないだろう。
これで問題はない
「ようこそアンスラックスへ。レイジ・イケノ」
ベナンテはあえて日本語で語りかけ、両手を広げた。彼とは友好的な関係を築いていきたい。
「……お前がベナンテか」
対するイケノはこちらの言語で答えてきた。なるほど、それをすでに習得しているとは随分頭の切れる男のようだ。
「ええ。あなたは同じ神を信じる者ではありませんが、歓迎しますよ。もう戻るところもないでしょうからね」
「はっ、ありがたい話だな」
祭壇前、ゆらゆらと揺れる炎の前で対面する二人、どちらも悪の大物ではあるが、力関係は明確にしておく必要がある。
「ではイケノ。あなたを私の配下として認めましょう。さぁ、そのゴミ、ネイト・コモリをこちらに」
「ゴミ、か。同感だ。この男はクズの外道だ」
イケノは機械仕掛けの鎧で強化されたらしい身体能力に任せ、コモリを放り投げてきた。
かなりの力だ。放り投げられたコモリはやや高い放物線を描き、イケノと向かい合うベナンテの後方にドサリと落ちた。
一緒に離反組織を率いた二人にしてはやや乱暴すぎるようにも思える。
「ははは。さっきまで仲間だった相手には少しひどいのではありませんか?」
「俺はそいつが嫌いなんでな。そんなヤツに敬意を払う気はない。……そして」
イケノの目が光った。
「貴様の下につく気もな」
一瞬だった。
イケノは機械仕掛けの鎧から噴出される風を利用し、彼の周囲にいる同胞たちを弾き飛ばした。
「ハアアァァァァッ!!」
さらにそのまま高速で間合いを詰めてくる。
彼の周囲に巻き起こる突風は神聖な篝火を大きく揺らした。
「やれやれ。残念ですよ」
ベナンテは心からそう思った。なんのことはない。投降の振りをした奇襲だったというわけだ。彼がキレ者だと判断したのは誤りだったようだ。これでは、彼まで殺さなくてはならない。
ベナンテは迎撃の構えをとった。魔獣を召還するのはもちろんだが、部族の誰よりも優れたシャーマンであるベナンテには、さらに奥の手がある。
「殺してあげましょう」
迫り来るイケノ、ベナンテがそれを攻撃しようとしたその瞬間
ぬるり、
不気味な感触がベナンテの首筋に走った。
「やめといたほうがいいと思うぜ。お前のためにもな」
続いて、背中から聞こえるかすれた声。
背後から、何者かの右手に首を掴まれている。
この状況で? 誰が? 勿論答えは一つしかない。
ベナンテは一瞬だけ硬直した。だが、前方から迫ってきていたイケノに顔面を吹き飛ばされてはいない。凄まじい突風に髪が乱れただけだ。
高速突撃からのイケノの拳での一撃は、ベナンテの眼前わずかの位置で寸止めされていたのだ。
「……これで満足か? 小森」
「少しやりすぎだろお前。俺にダメージを与えすぎた。『俺にミスはない』じゃなかったのか? 悪く思うな、ですむかよ」
背後には首筋を掴むコモリ、前方には目前で拳を止めているイケノ。
ベナンテは二人に挟まれる形で直立していた。
一瞬で事態が動いたため、同胞たちはあっけにとられこちらを見て立ち尽くしている。
「………なるほど」
ベナンテは彼らの狙いを理解した。最初から、これが狙いだったというわけだ。
戦況を一時互角として膠着させる。そうすればイケノは寝返りを打診される。それを読んだうえで応じたフリをしてコモリを多少痛めつけ、私に接近し不意をつく。
攻撃を直前でストップしたことから、このあと私を脅して皆を降伏させるつもりなのだろう。
なかなか考えられた策だ。そして……
「……くっ、くくく……これで勝ったと? あなたたちはなにも分かっていない」
滑稽だ。ベナンテはこみ上げてくる笑いを抑えることが出来なかった。
「……なんだと?」
イケノはこちらの態度の真意が理解できていないようだった。
ならばいい、そんな策がなんの意味もないということを理解させるまでだ。
「まず、教えてあげましょう。私は、アンスラックスで一番、強い」
ベナンテはそう告げると力を発動させはじめた。魔獣を召還するだけではない、その次の段階へと、だ。
自らの体をよりしろとして、魔獣を降ろす。これが出来るのはベナンテただ一人だ。
大型のトカゲ型の魔獣を使役できるベナンテはそれを自身の身に宿す。皮膚が硬質化し、鱗状に変っていく。瞳孔が細くなり、牙には毒が宿る。
「そうやすやすと負けるつもりはありませんよ」
この姿になった私は強い。改造人間や超装備をもった達人にも遅れはとらない。むしろ、敵のトップがわざわざ殺されにきてくれたようなものだ。それが一つ。
そしてもう一つ。決定的なことがある。
「それに、万が一私が負けたとしても、アンスラックスは負けない。私の命を守るためにあなたたちに降伏する者はいないし、私は喜んで死ぬことができる。脅しはききませんよ」
これは事実だ。首筋を悪魔の手に握られていても、眼前に鉄拳が迫っていても、それは変らない。
アンスラックスは私に忠誠を誓っているわけではない。独自の神をあがめ、それとともに生きる文化をもつ集団だ。現代社会で生き延びていくために便宜上、私が皆を統率しているだけであり、本質的な意味では私も他の仲間と同じ一同胞に過ぎない。
森と闇の神の為に戦い死ぬことは私にとっても、そして皆にとっても誉れなのだ。私が負けて倒れたとしても、それはそれでかまわないのだ。同胞たちはけして戦いをやめない。そして、敵はその価値観を理解できていない。
ベナンテはその真実を胸に声を張った。
「皆のもの!! このベナンテ、神を貶める賊を命に変えて討つ!! 手出しは無用だ!!」
篝火の灯りだけが揺らめく夜の森に預言者の言葉が高らかに響き、同胞たちがそれに応じて吼える。
神と預言者の名を皆が叫び、足を打ち鳴らした。
「面白い。試してやるぜ」
イケノはうすく笑った。戦うつもりのようだ。だが、もう一人は違った。
「……やめておけよベナンテ。ここ終わりたくないのなら、な」
背後のいるほうの男、ネイト・コモリの声が不気味に聞こえた。
ダメージで瀕死のはずなのに、ささやくような口調なのに。
その声は重く、そしてぞっとするほど冷たかった。
「俺はここでお前と戦うつもりはない。だが今夜、スレイヤーはアンスラックスを手に入れる。さて、俺の話を少し聞いてもらおうか」
ささやくようなコモリの言葉。何を言っているのかわからない。
そんなことができるはずがない。
まず彼らが私を倒すのは難しいはずだ。
仮にそれが出来たとしても、そのあとこの場にいる狂乱する同胞たちを相手にして生き残れるはずがない。
統率者であるイケノとコモリが死ねばスレイヤーは終わりだ。恐らく全滅するはずだ。
それなのに。コモリの言葉は力強く、そして確信に満ちていた。
「バカな。そんなことは、ありえない……! 貴様は、何もわかっていない!!」
ベナンテはここで初めて振り返り、ネイト・コモリをみた。
細身の男。情報としては知っていた。さきほどボロボロになっていた姿も見た。
だが、これは本当にあの男か?
とても同じ男とは思えない。この背後に見える影、そして炎のような、だが冷たい圧力。
「わかってないのは」
ネイトは言葉を続けてくる。その声が恐ろしく聞こえるのは、自分のシャーマンとしての力がこの男が背負っている黒く巨大ななにかを感じているからなのか。
「お前だよ」
静かで淡々としたネイトの言葉。
ベナンテは生まれて初めて、敵対する存在に対して肌が粟立っていくのを感じだ。